表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
異世界ではレベルが上がるほど禁止事項が増えるらしいが、俺だけ禁止を奪うたびに最強になる  作者: 藤崎聖子


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
3/14

第二章 一度しか使えない魔法使い

自由教会の使者は、六人いた。


 全員が白い外套をまとい、胸元へ同じ紋章をつけている。


 輪を断ち切る剣。


 名前だけを聞けば、いかにも人助けをしそうな連中だ。


「保護、ね」


 リゼが俺の横でつぶやく。


「あれ、保護される人の顔じゃないな」


「黙って」


「逃げる?」


「あなたには関係ない」


 昨日も聞いた言葉だ。


 半日もたたず二度目となると、こちらも返事に慣れる。


「関係ないかは俺が決める」


「それ、便利な言葉だと思ってる?」


「気に入ってはいる」


 先頭の女が巻物を畳んだ。


 四十歳ほどだろうか。黒い髪を後ろできつく束ね、腰へ短い杖を差している。ほかの五人と違い、外套の縁に銀糸の刺繍があった。


「リゼ・アルカディア。迎えに来ました」


「頼んでいない」


「あなたのお父上から要請を受けています」


 リゼの肩がわずかに動いた。


「父は死んだ」


「ええ。だからこそ、生前の契約は私どもが果たさなくては」


 女は穏やかに笑った。


「あなたを禁止から解放します」


 無番地の住民たちがざわつく。


 解放。


 その言葉へ反応したのは、リゼだけではなかった。


 足を引きずる老人も、片腕のない女も、首に金属板を下げた若者も、教会の紋章を見つめている。


 ここには禁止のため、まともに暮らせない人間が多いらしい。


「解放師マルタ様だ」


 誰かが言った。


「南の村で、眠ってはいけないって禁止を消した人だ」


「本物の自由教会か」


 警戒より、期待の声が増えていく。


 マルタという女は、それを待っていたように両手を広げた。


「神は力を与える代わりに、人から自由を奪いました。私ども自由教会は、理不尽な神律に苦しむすべての方を救います」


 言葉だけなら、俺も賛成だ。


 けれどリゼは、一歩ずつ後ろへ下がっている。


「俺からも聞いていいですか」


 マルタがこちらを向いた。


「あなたは?」


「八幡ハヤト。今日から無番地の皿洗いです」


「聞かない名ですね。レベルは?」


「0」


 後ろの使者が笑った。


 マルタは笑わなかった。


 俺の手を見ている。


「召喚院から報告のあった異界人ですか」


「話が早くて助かります」


「神律を乱した危険人物だと聞いています」


「あっちから追い出されたときは、役立たずでした。評価が上がったな」


「質問は何でしょう」


 マルタは俺から目をそらさない。


「リゼが行きたくないと言っても、連れていくんですか」


「彼女は恐れているだけです」


「答えになってない」


「禁止に縛られた方は、その苦痛へ慣れてしまいます。鎖を鎖だと認識できない者もいる。本人の一時的な拒絶より、救済を優先しなくてはならない場合もあります」


「本人より、本人の気持ちが分かると」


「私どもには実績があります」


 マルタが杖を抜いた。


 攻撃の構えではない。


 石突きで地面へ円を描くと、淡い光が広がった。


 光に触れた住民たちの身体へ、黒い文字が浮かぶ。


【一日に三度以上笑ってはいけない】


【右手で食べてはいけない】


【雨の日に屋根の下へ入ってはいけない】


【自分の子供の名を呼んではいけない】


 俺にも読めた。


 どれも馬鹿げている。


 何のためにあるのか分からない。


 マルタは腕のない女の前へ立った。


「あなたは《欠損を治してはいけない》をお持ちですね」


 女がおびえながらうなずく。


「消しても?」


「できるんですか」


「望むなら」


「お願いします」


 マルタが女の肩へ触れた。


 白い光が傷口を包む。黒い文字が皮膚から抜け、煙となって消えた。


 続けて、後ろの使者が治癒魔法を使う。


 失われた腕が生えたわけではない。だが、古い傷に赤い肉が盛り上がった。時間をかければ再生できると使者が告げる。


 女はその場へ座り込み、泣いた。


「ありがとう……ありがとうございます」


 住民の目が変わる。


 疑いようのない救いだった。


 少なくとも、いま目の前で起きたことだけを見れば。


「すごいな」


 俺は素直に言った。


 リゼが横目でにらむ。


「あちらにつくなら、どうぞ」


「すごいものをすごいと言っただけだ」


「あの人たちは――」


 言いかけて、リゼは口を閉じた。


 何かを話すこと自体に迷っている。


 マルタが手を差し出した。


「リゼ。あなたも自由になれます」


 リゼはその手を見た。


「断る」


「契約があります」


「私が結んだものじゃない」


「お父上は、あなたを思って――」


「父が売ったのは、私の魔法よ」


 住民のざわめきが止まった。


 リゼは外套から一冊の帳面を出し、地面へ投げる。


 開いたページには、細かな文字と魔法陣が隙間なく書かれていた。使い終えた術名には、すべて横線が引かれている。


「教会が欲しいのは、私じゃない。この帳面の続きでしょう」


 マルタの笑みが薄くなる。


「才能を眠らせるのは罪です」


「誰にとって?」


「世界にとって」


「なら、世界に書かせればいい」


 リゼが指を鳴らした。


「《白煙幕・非熱式》」


 白い煙が爆発した。


 視界が消える。


 誰かが叫び、住民が逃げる足音が重なった。


 俺の袖が引かれる。


「走って」


「走っていいのか?」


「今は!」


 リゼに引かれ、煙の中を走った。


    * * *


 無番地の路地は、住んで半日の俺には迷路だった。


 リゼには庭らしい。


 積まれた木箱の裏を抜け、布屋の軒下をくぐり、壊れた水路へ飛び降りる。白い外套の使者たちが追ってくる声は、しだいに遠くなった。


 乾いた水路を十分ほど走り、城壁の崩れた穴から外へ出る。


 森へ入ったところで、リゼがようやく足を止めた。


「ここまで来れば、すぐには見つからない」


「逃げ慣れてるな」


「三年追われてる」


 彼女は木へ手をつき、息を整えた。


 俺も隣へ座り込む。


 借りた革靴は、もう片方の底が半分はがれていた。銅貨二枚の価値があるか怪しい。


「無番地へ戻れるか」


「今は無理。教会はあそこへ見張りを置く」


「住民に危害は?」


「表向きは出さない。支持を失うから」


「表向きは、か」


 リゼは答えず、四冊になった帳面を膝へ並べた。


 地面へ投げた一冊も、逃げる直前に拾っていたらしい。


 白煙幕の術名を書き、横線を引く。


「きっちりしてるな」


「同じ魔法を作ったら死ぬから」


「忘れないため?」


「それだけじゃない」


 最初の帳面を開き、俺へ見せた。


 ページの一番上に、幼い字で《小さな灯火》と書かれている。横には、不格好な円と三本の線。


「七歳で初めて作った魔法。指先に、小さな火をともすだけ」


 次のページは《水玉跳躍》。


 その次は《昼寝用微風》。


 ページが進むにつれ、字は整い、術式は複雑になる。


 どの名前にも横線が引かれていた。


「一度使った魔法は、もう使えない。でも、なかったことにはしたくない」


 リゼは表紙をなでた。


「これは、私が作れなくなったものの墓場」


「墓場にしては、にぎやかだな」


「何それ」


「昼寝用微風とか。死んだものの名前には見えない」


 リゼは少しだけ口元を緩めた。


 すぐ真顔へ戻る。


「父は宮廷魔法師だった。私の禁止が分かったとき、最初は泣いてくれた」


 風がページをめくる。


「普通の魔法使いは、覚えた術を磨いて強くなる。私は同じ術を使えない。だから父は、私に毎日新しい魔法を作らせた」


「訓練として?」


「最初はね」


 八歳で十個。


 九歳で百個。


 十二歳になるころには、王国から依頼が来た。敵の防壁だけを溶かす魔法。雨の中で燃える炎。人の記憶を一日だけ封じる術。


 リゼが一度使う。


 父が術式を写す。


 宮廷の魔法使いたちは、禁止を持たない完成品として再現する。


「私には二度と使えない魔法で、父は地位を得た」


「自由教会との契約は?」


「父が王国に捨てられたあと。教会なら禁止を消せると聞いて、私を連れていった」


 解放の条件は、リゼが作った全術式の譲渡。


 さらに、解除後のリゼが教会専属の魔法開発者になること。


「父は契約書へ署名した。その夜に死んだ。病気だったから、責める気はない」


「でも、従う気もない」


「私の人生だから」


「それでいい」


 俺が言うと、リゼは怪訝そうな顔をした。


「説得しないの」


「何を」


「禁止を消したほうが楽だとか。才能を生かせとか」


「楽になるかどうかは、リゼが決めればいい」


 右手を見る。


「俺も奪えるかもしれない」


 リゼの手が止まった。


「昨日の兎みたいに?」


「条件があるらしい。相手が禁止から解放されたいと望まないと、回収できない」


「試したの?」


「まだ」


「なら、どうして分かるの」


「あのとき表示が出た。兎の気持ちみたいなものも流れ込んできた」


 リゼは帳面を閉じた。


「私の禁止を見て」


 言われたとおり、彼女の左手首へ意識を向ける。


 黒い文字が浮かぶ。


【同じ魔法を二度使ってはいけない】


 文字から細い鎖が伸び、指、舌、胸の奥へ絡みついていた。


 右手を近づける。


 紋様は現れない。


 選択肢も出ない。


「何も起きない」


「そう」


「なくしたくないのか」


 リゼは答えるまで時間をかけた。


「分からない」


「それなら、今はそれでいい」


 リゼが俺の横顔を探る。


「力がほしくないの?」


「ほしい」


「即答ね」


「使えるものは多いほうがいい。でも、リゼの気持ちより優先する理由にはならない」


 今度は、俺から彼女を見る。


「もし私が死にそうでも?」


「そのとき聞く」


「聞く余裕がなかったら」


「助ける方法をほかに探す」


「見つからなかったら」


「困るな」


 正直に答えると、リゼはため息をついた。


「無責任」


「勝手に決めるよりはいい」


 遠くで枝の折れる音がした。


 俺たちは同時に口を閉じる。


 一度。


 二度。


 音は別の方向からも聞こえた。


「見つかった」


 リゼが立ち上がる。


「ずいぶん早いな」


「煙を追ったんじゃない」


 彼女は自分の首元へ手を入れ、細い鎖を引き出した。


 先に、透明な石がついている。内部で白い光が点滅していた。


「父の形見。教会の追跡印だった」


「捨てられるか」


「今、気づいた」


 リゼは石を地面へ置き、足で踏み砕こうとした。


 白い膜が広がり、靴底を押し返す。


「壊せない」


「貸して」


 俺も踏んだ。


 硬い。


 石というより、地面へ固定された空間を踏んでいる感触だった。


 左右の木々から白い外套が現れる。


 六人ではない。


 十。


 二十。


 無番地に来た者たちとは別の部隊が、森を円形に囲んでいた。


 マルタが正面から歩いてくる。


「手荒なことはしたくありません」


「二十人で囲んで言う台詞か?」


「リゼが逃げなければ、必要ありませんでした」


 俺は追跡石を拾った。


 手の中で白く点滅している。


 表示へ意識を向ける。


【帰還標】


【能力:所有者の位置を教会へ送る】


【禁止事項:所有者から離れてはいけない】


 禁止がある。


 だが、回収条件は出ない。


 石に意思がないからか。


「リゼ」


「何」


「これ、父親にもらったものか」


「そう」


「手放したい?」


 彼女は砕けない石を見つめた。


「形見まで利用されたくない」


 右手が熱を持つ。


【対象の所有者が禁止からの解放を望んでいます】


【回収条件を満たしました】


 本人ではなく、所有者の意思でも成立するらしい。


「回収する」


 宣言し、帰還標を握る。


 黒い文字が石から抜けた。


 同時に白い膜が消える。


 俺は帰還標を森の奥へ投げた。


 小さな光が木々の間を飛び、見えなくなる。


 使者たちの何人かがそちらを向いた。


「位置が移動した?」


「偽装だ。目の前にいる!」


 完全な陽動にはならない。


 数秒あれば十分だ。


「走れ」


 俺は右手を使者へ向けた。


 回収したばかりの禁止を、命令へ変える。


「リゼから離れろ」


 空気が震えた。


 前列の使者が、見えない力に押されるように後退する。


 所有者から離れてはいけない。


 意味を反転させた命令は、追手をリゼから遠ざけた。


 ただし、全員ではない。


 マルタと、左右の四人は踏みとどまっている。


「範囲が狭い」


「十分よ」


 リゼが地面へ両手をつく。


「《樹根架橋・即席》!」


 木の根が地面から飛び出し、二人を持ち上げる。根は枝から枝へ伸び、森の奥へ橋を作った。


 俺たちは、その上を走る。


 背後でマルタの声が響く。


「《神律封環》!」


 白い輪が飛んできた。


 リゼが振り返り、片手を上げる。


「《薄膜偏向・右旋》!」


 透明な膜が輪の軌道をそらす。


 彼女は走りながら帳面を開き、二つの術名を書く。


「器用だな」


「話しかけないで!」


 根の橋が途切れる。


 飛び降りた先は急な斜面だった。


 二人で転がるように下る。


 枝が顔へ当たり、石が背中へ食い込む。ようやく平地へ着いたころには、教会の姿は見えなくなっていた。


「逃げ切ったか?」


「まだ」


 リゼは立ち上がろうとして、膝をついた。


「どうした」


「魔力を使いすぎただけ」


 顔が青い。


 手を貸すと、彼女の指先は氷のように冷えていた。


「休める場所を探そう」


「東へ古い水車小屋がある」


「歩ける?」


「歩くしかない」


「背負う」


「嫌」


「意見は聞いた。却下する」


「さっきまで本人の気持ちがどうとか言ってたでしょう」


「これは禁止を奪う話じゃない。移動手段の提案だ」


「言い換えても駄目」


 結局、彼女の腕を肩へ回し、二人で歩いた。


    * * *


 水車小屋は、半分崩れていた。


 屋根は残っている。壁も三面ある。夜露をしのぐには十分だ。


 リゼは床へ座るなり、帳面を開いた。


「まだ書くのか」


「忘れる前に」


 樹根架橋。


 薄膜偏向。


 術式を細部まで記し、横線を引く。


「一つ聞いていいか」


「何」


「前に使った魔法と、少しだけ変えたものは?」


「同じ魔法と判定されることがある」


「誰が判定する」


「神律」


「基準は」


「分からない。魔法名を変えただけでは駄目。術式の三割を変えれば通ることもある。半分変えても止められることもある」


「気分で決まるのか」


「神のね」


 リゼの左手首で、黒い文字が脈打った。


「失敗したことは?」


「ある」


 彼女は外套の右袖をまくる。


 肘から手首まで、赤黒い傷痕が走っていた。


「十二歳のとき。《炎槍》と《灼熱槍》は違う魔法だと思った」


「違わなかった?」


「神には」


 魔力が腕の中で爆発した。


 父は治癒師を呼ばず、傷が新しいうちに術式を写したという。


 俺は何も言えなかった。


 慰める言葉を探すほど、薄くなる気がした。


「寝る」


 リゼが帳面を閉じる。


「見張りは?」


「私が先。二時間で起こす」


「疲れてるほうが寝ろ」


「あなた、戦えないでしょう」


「止めることはできる」


「一人だけ。次に使える保証もない」


「帰還標の禁止もある」


「あれは《離れてはいけない》。何を止めるの」


「近づいてくる敵に、こっちから離れろと言う」


「解釈が通ればね」


 正しい。


 俺の力は、回収した禁止をそのまま貼りつけるわけではない。言葉へ変え、世界に解釈させる。


 どこまで意味を変えられるのか。


 何人に使えるのか。


 何度使えるのか。


 何も分かっていない。


「だったら、試す」


 小屋の外へ出る。


「何を」


「練習」


 転がっていた石を一つ拾い、地面へ投げる。


「走るな」


 石は普通に転がった。


「石は走らないから?」


「私に聞かないで」


 今度は、枝から落ちた木の実へ手を向ける。


「止まれ」


 木の実は落ちる。


 角兎を止めたときの感覚がない。


「禁止と対象の行動が結びついてないと駄目か」


 森を飛んでいた小鳥へ、「走るな」と命じる。


 何も起きない。


 地面を歩いていた虫へ同じ言葉を向ける。


 虫の脚が止まった。


「お」


 一歩踏み出そうとして、虫は動けない。


 解除を意識すると、また歩き始めた。


「意味が通る範囲で、対象の行動を禁止する」


「そうみたいね」


「回数は」


 別の虫へ使う。


 止まる。


 三匹目。


 止まった。


 四匹目へ向けたとき、右腕に痛みが走った。


 手の甲から肘へ、黒い亀裂が伸びる。


「っ……」


「ハヤト?」


 力が抜け、膝をつく。


 亀裂は皮膚の表面ではない。身体の内側に黒い光が走り、それが透けて見えている。


 止めていた虫が一斉に動き出した。


【同一禁則の連続使用を確認】


【第一階級の命令上限を超過しました】


【反動:右腕の感覚を一時停止】


 腕が動かない。


「見せて」


 リゼが駆け寄り、俺の右腕を取る。


 痛みはある。触れられる感覚だけがない。


「馬鹿」


「否定しにくい」


「分からない力を、分からないまま連続で使う?」


「分かるためには試すしかない」


「限度があるでしょう」


「三回までだと分かった」


「戦う前に腕を使えなくして、何の意味があるの」


 怒っている。


 当然だ。


 けれど、その声には昨日より近い響きがあった。


「悪かった」


「私に謝ってどうするの」


「心配させたから」


 リゼは口を開き、何も言わずに閉じた。


「寝て」


「見張りは」


「私がする」


「疲れてるだろ」


「誰かの無茶を見張るより楽」


 反論できなかった。


 壁へ背を預ける。


 目を閉じる直前、リゼが自分の外套を俺の肩へかけた。


 礼を言おうとしたときには、意識が落ちていた。


    * * *


 夢の中で、俺は知らない都市を歩いていた。


 建物は雲から下へ伸びている。


 道は空中で枝分かれし、人々は翼もないのに空を泳いでいた。


 誰もレベルを持っていない。


 代わりに胸元へ、小さな鍵を下げている。


 俺はその街を知っていた。


 角を曲がれば広場がある。


 広場には、まだ建てられていない像がある。


 像の顔を見ようとした瞬間、鐘が鳴った。


 都市が割れる。


 空から白い輪が落ちてくる。


 目を開けた。


「起きて」


 リゼが俺の口を手で塞いでいる。


 外はまだ暗い。


 水車小屋の隙間から、白い光が差し込んでいた。


『内部の二名へ告げます』


 マルタの声が、魔法で増幅されている。


『抵抗をやめて出てきなさい。周囲は封鎖しました』


 見つかった。


 小屋を囲む足音は、さっきより多い。


 リゼが指を二本立てる。


 三十人。


 口の動きだけで告げた。


 俺の右腕は、まだ半分しびれている。


『八幡ハヤト。あなたは王国から追放されています。私どもには、あなたを守る義務も必要もありません』


「正直だな」


 小声で言う。


『リゼを引き渡せば、見逃しましょう』


 リゼが首を振る。


 俺が何か言う前に、彼女は立ち上がった。


「私が出る」


「行きたいのか」


「行きたくない」


 初めて、はっきり言った。


「でも、この人数は無理。私が行けば、あなたは助かる」


「それは誰が決めた」


「私」


「なら尊重したいところだけど、前提が間違ってる」


「何が」


「俺が助かる保証はない」


 外の使者が、火矢を構えているのが隙間から見えた。


「それに、俺はここで捕まる気もない」


「どうするの」


「考える」


「今から?」


「追い詰められないと働かない頭でね」


 小屋の中を見る。


 壊れた水車。


 乾いた水路。


 積まれた麻袋。


 リゼの帳面。


「使い終わった魔法で、いま一番役に立つのは?」


「使えないから、使い終わったの」


「もし使えたら」


 リゼは一瞬考える。


「《水精大瀑布》。川一本分の水を呼べる」


「この水路へ流せるか」


「できる。でも、二年前に使った」


「ほかは」


「《連鎖雷》。金属を伝って敵だけを狙える」


「使者は杖を持ってる」


「使えない」


「治療は?」


「《巡環治癒》。負傷者同士で傷を分け、全員を生かす」


「使えないんだな」


「そうよ!」


 リゼが声を荒らげた。


「全部作った。全部、一度はできた。でも二度と使えない。だから毎回、別の魔法を考えてきた」


 外から火矢が放たれる。


 屋根へ突き刺さり、炎が広がった。


 煙が小屋へ入る。


 リゼは両手を組んだ。


「《局所降雨・狭域》!」


 小屋の中だけに雨が降り、火を消す。


 彼女はすぐ術名を帳面へ書く。


 二本目の火矢。


「《酸素遮断膜・短秒》!」


 炎が消える。


 また書く。


 三本目。


「《低温霧散――》」


 言葉が止まった。


「どうした」


「似た魔法がある」


 帳面をめくる。


 焦りでページが破れた。


「《低温霧散・球状》を去年使ってる。どこまで変えれば別になるか……」


 屋根へ火が回る。


 時間がない。


「新しいのを考えなくていい」


「聞いてた?」


「聞いた。昔の魔法を使えば勝てる」


「使えない!」


「禁止を奪えば使える」


 リゼが俺を見る。


「さっきは起きなかった」


「リゼが望んでなかったからだ」


「今だって……」


 言葉が弱くなる。


 屋根の一部が落ちた。


 火の粉が帳面へ降る。リゼは身体で覆い、守った。


 俺は右手を差し出す。


「よく考えて決めろ」


「そんな時間はない」


「時間がなくても、俺には決められない」


「あなたが奪えば、私の禁止を命令に使える」


「そうだ」


「私が作った魔法を、教会よりひどいことに使うかもしれない」


「止めてくれ」


「簡単に言わないで」


「簡単じゃない。俺一人で力を持つのが怖いから頼んでる」


 外では、使者たちが次の術を詠唱している。


 床へ白い輪が浮かび、小屋ごと封じようとしていた。


「俺はリゼを楽にしてやるとは言えない。禁止が消えたあと、魔法が戻る保証もない」


 右手を彼女へ向けたまま続ける。


「でも、選べるようにはしたい」


 リゼは炎の向こうで、四冊の帳面を見た。


 七歳から作ってきた魔法。


 二度と使えないものの墓場。


 彼女は一冊目を胸へ抱いた。


「返して」


 黒い文字が強く光る。


「私の魔法を、私に返して」


【対象が禁止からの解放を望んでいます】


【回収条件を満たしました】


 右手の紋様が開いた。


「回収する」


 リゼの手をつかむ。


 黒い鎖が、彼女の指と舌と胸から抜けていく。


 痛みでリゼが息をのんだ。


 手を離さない。


 最後の鎖が切れ、俺の右手へ吸い込まれた。


【禁止事項《同じ魔法を二度使ってはいけない》を回収しました】


【保有禁則:3】


【第一階級の上限へ到達しました】


 リゼが目を開ける。


「どうだ」


 彼女は答えず、人差し指を立てた。


「《小さな灯火》」


 指先へ、小さな青い火がともる。


 七歳のとき、初めて作った魔法。


 横線を引かれていたはずの火。


 リゼの灰色の瞳へ、その光が映った。


「使える」


 声が震える。


「もう一度、使える」


 白い封印輪が小屋の壁を締めつけた。


 リゼは涙をぬぐわず、両手を広げる。


「《水精大瀑布》!」


 轟音がした。


 空っぽだった水路へ、壁のような水が現れる。


 崩れた水車が回転した。小屋の壁が外側へ弾け、炎と封印輪をまとめて押し流す。


 使者たちの悲鳴が上がる。


 リゼは止まらない。


「《連鎖雷》」


 指先から青い雷が走った。


 最初の杖へ当たり、隣の剣へ跳び、さらに次の金属板へ伝わる。使者たちの武器だけが爆ぜ、手から落ちた。


「二度目よ」


 リゼが笑う。


「《連鎖雷》!」


 同じ魔法が、もう一度走った。


 地面へ展開されていた封印具がすべて砕ける。


 マルタは水に流されながらも杖を掲げた。


「《神律封環》!」


 白い輪がリゼへ飛ぶ。


 俺は右手を向けた。


 回収した禁止が、手の中で言葉になる。


「同じ封印を二度使うな」


 世界が命令を受け取る。


 白い輪に亀裂が走った。


 同じ術式。


 同じ構造。


 マルタがこれまで何度も使ってきた魔法。


 すべてが「二度目」と判定された。


 輪が砕ける。


 杖も、地面の封印具も、使者の外套へ刻まれた防護術も、一斉に光を失った。


 マルタが目を見開く。


「神律を……命令に変えた?」


「便利だろ」


「そんな力を、人が持っていいはずがない」


「それを決めるのは、あんたじゃない」


 リゼが俺の横へ立つ。


 水と雷をまとい、四冊の帳面を胸に抱いている。


「次は何を使う?」


 聞くと、彼女は少し考えた。


「一番最初の攻撃魔法」


「強いのか」


「今見ると、ひどい出来」


「いいね」


「《よく燃える大きな火の玉》!」


 名前どおりの火球が現れた。


 形はいびつで、魔力が端から漏れている。


 リゼが七歳で考えたのだろう。


 火球は使者たちの頭上を通り過ぎ、背後の大岩へ当たった。


 爆発。


 岩が粉々に砕けた。


 使者たちの顔が引きつる。


「次は外さない」


 リゼが告げた。


 マルタは唇をかみ、退却の合図を出した。


 負傷した者を置き去りにはしない。使者たちは互いに肩を貸し、森の奥へ消えていく。


 リゼは追わなかった。


 俺も止めなかった。


 水車小屋の跡に、水音だけが残る。


「終わったな」


 言った途端、右腕の亀裂が肩まで伸びた。


 今度は感覚だけではない。


 力が抜け、地面へ倒れる。


「ハヤト!」


 リゼが受け止めた。


【複数禁則の同時解釈を確認】


【命令対象が術式群へ拡大しました】


【反動:右半身の停止】


「また無茶を」


「今のは必要経費」


「口まで止まればよかったのに」


「それは困る」


「私は困らない」


 怒っている声なのに、リゼは笑っていた。


    * * *


 夜が明けるころ、右半身の感覚は戻った。


 水車小屋はなくなったが、教会が置いていった荷物から食料と予備の靴が見つかった。


 靴は左右同じ色だった。


 文明のありがたみを感じる。


 リゼは川辺に座り、四冊の帳面を一ページずつめくっていた。


 横線を消してはいない。


「もう使えるんだろ」


「使える」


「なら、その線は?」


「一度使ったことは変わらないから」


 彼女は最初の帳面を閉じた。


「使えなくなったものの墓場だと思ってた。でも違った」


「何だった?」


「私が作ったものの記録」


 単純な答えだった。


 同じ帳面でも、禁止がなくなるだけで意味が変わる。


「これからどうする」


 俺が聞くと、リゼは逆に聞き返した。


「あなたは?」


「カイルって男と、この力の正体を調べる。召喚院には戻れそうにないから、別の場所で」


 リゼは指を折り、俺の旅支度を確かめ始めた。


「行くあては」


「ない」


「お金」


「銅貨一枚」


「食料」


「教会から拾った固いパン」


「地図」


「読めない」


「よくそれで平気ね」


「一人なら、なんとかなる」


「一人なら?」


 リゼが立ち上がった。


 四冊の帳面を外套の内側へ収める。


「勘違いしないで。あなたについていくわけじゃない」


「違うのか」


「自由教会に追われる者同士、目的地が決まるまで一緒に移動するだけ」


「分かった」


「それと、あなたが回収した私の禁止を変な命令に使わないか、監視する」


「助かる」


「喜ぶところ?」


「一人で持つのは怖いって言っただろ」


 リゼはあきれた顔で俺を見た。


「変な人」


「よく言われる」


 森を抜ける道へ、二人で歩き出す。


 行き先は決まっていない。


 それでも昨日までより、選べる道は増えていた。


 木々の向こうで、金属が鳴る。


 鳥の声ではない。


 規則正しい馬蹄。


 街道へ出ると、一本の旗が見えた。


 銀地に黒い剣。


 アルディア王国の紋章だ。


 先頭を走る騎士は、鞘に収めた長剣を腰へ下げていた。


 こちらへ向かっている。


 その背後には、俺の顔が描かれた手配書が何枚も風に舞っていた。


「仕事が早いな」


「感心してる場合?」


 騎士が馬から降りる。


 大柄な男だった。


 短い灰色の髪。古い傷の残る顔。重い鎧を着ているのに、立ち姿には隙がない。


 男は剣へ触れなかった。


「八幡ハヤトだな」


「違うと言ったら?」


「嘘を見抜く部下を連れてくる」


「正直で助かる」


 騎士は右の拳を胸へ当てた。


「アルディア王国神律騎士団長、グレン・ヴァルハルト」


 名乗った直後、地面を蹴る。


 剣は抜かない。


 鞘にも触れない。


 次の瞬間、目の前にいた。


「王命により、貴様を討つ」


 見えたのは、鎧を着た膝だった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ