第二章 一度しか使えない魔法使い
自由教会の使者は、六人いた。
全員が白い外套をまとい、胸元へ同じ紋章をつけている。
輪を断ち切る剣。
名前だけを聞けば、いかにも人助けをしそうな連中だ。
「保護、ね」
リゼが俺の横でつぶやく。
「あれ、保護される人の顔じゃないな」
「黙って」
「逃げる?」
「あなたには関係ない」
昨日も聞いた言葉だ。
半日もたたず二度目となると、こちらも返事に慣れる。
「関係ないかは俺が決める」
「それ、便利な言葉だと思ってる?」
「気に入ってはいる」
先頭の女が巻物を畳んだ。
四十歳ほどだろうか。黒い髪を後ろできつく束ね、腰へ短い杖を差している。ほかの五人と違い、外套の縁に銀糸の刺繍があった。
「リゼ・アルカディア。迎えに来ました」
「頼んでいない」
「あなたのお父上から要請を受けています」
リゼの肩がわずかに動いた。
「父は死んだ」
「ええ。だからこそ、生前の契約は私どもが果たさなくては」
女は穏やかに笑った。
「あなたを禁止から解放します」
無番地の住民たちがざわつく。
解放。
その言葉へ反応したのは、リゼだけではなかった。
足を引きずる老人も、片腕のない女も、首に金属板を下げた若者も、教会の紋章を見つめている。
ここには禁止のため、まともに暮らせない人間が多いらしい。
「解放師マルタ様だ」
誰かが言った。
「南の村で、眠ってはいけないって禁止を消した人だ」
「本物の自由教会か」
警戒より、期待の声が増えていく。
マルタという女は、それを待っていたように両手を広げた。
「神は力を与える代わりに、人から自由を奪いました。私ども自由教会は、理不尽な神律に苦しむすべての方を救います」
言葉だけなら、俺も賛成だ。
けれどリゼは、一歩ずつ後ろへ下がっている。
「俺からも聞いていいですか」
マルタがこちらを向いた。
「あなたは?」
「八幡ハヤト。今日から無番地の皿洗いです」
「聞かない名ですね。レベルは?」
「0」
後ろの使者が笑った。
マルタは笑わなかった。
俺の手を見ている。
「召喚院から報告のあった異界人ですか」
「話が早くて助かります」
「神律を乱した危険人物だと聞いています」
「あっちから追い出されたときは、役立たずでした。評価が上がったな」
「質問は何でしょう」
マルタは俺から目をそらさない。
「リゼが行きたくないと言っても、連れていくんですか」
「彼女は恐れているだけです」
「答えになってない」
「禁止に縛られた方は、その苦痛へ慣れてしまいます。鎖を鎖だと認識できない者もいる。本人の一時的な拒絶より、救済を優先しなくてはならない場合もあります」
「本人より、本人の気持ちが分かると」
「私どもには実績があります」
マルタが杖を抜いた。
攻撃の構えではない。
石突きで地面へ円を描くと、淡い光が広がった。
光に触れた住民たちの身体へ、黒い文字が浮かぶ。
【一日に三度以上笑ってはいけない】
【右手で食べてはいけない】
【雨の日に屋根の下へ入ってはいけない】
【自分の子供の名を呼んではいけない】
俺にも読めた。
どれも馬鹿げている。
何のためにあるのか分からない。
マルタは腕のない女の前へ立った。
「あなたは《欠損を治してはいけない》をお持ちですね」
女がおびえながらうなずく。
「消しても?」
「できるんですか」
「望むなら」
「お願いします」
マルタが女の肩へ触れた。
白い光が傷口を包む。黒い文字が皮膚から抜け、煙となって消えた。
続けて、後ろの使者が治癒魔法を使う。
失われた腕が生えたわけではない。だが、古い傷に赤い肉が盛り上がった。時間をかければ再生できると使者が告げる。
女はその場へ座り込み、泣いた。
「ありがとう……ありがとうございます」
住民の目が変わる。
疑いようのない救いだった。
少なくとも、いま目の前で起きたことだけを見れば。
「すごいな」
俺は素直に言った。
リゼが横目でにらむ。
「あちらにつくなら、どうぞ」
「すごいものをすごいと言っただけだ」
「あの人たちは――」
言いかけて、リゼは口を閉じた。
何かを話すこと自体に迷っている。
マルタが手を差し出した。
「リゼ。あなたも自由になれます」
リゼはその手を見た。
「断る」
「契約があります」
「私が結んだものじゃない」
「お父上は、あなたを思って――」
「父が売ったのは、私の魔法よ」
住民のざわめきが止まった。
リゼは外套から一冊の帳面を出し、地面へ投げる。
開いたページには、細かな文字と魔法陣が隙間なく書かれていた。使い終えた術名には、すべて横線が引かれている。
「教会が欲しいのは、私じゃない。この帳面の続きでしょう」
マルタの笑みが薄くなる。
「才能を眠らせるのは罪です」
「誰にとって?」
「世界にとって」
「なら、世界に書かせればいい」
リゼが指を鳴らした。
「《白煙幕・非熱式》」
白い煙が爆発した。
視界が消える。
誰かが叫び、住民が逃げる足音が重なった。
俺の袖が引かれる。
「走って」
「走っていいのか?」
「今は!」
リゼに引かれ、煙の中を走った。
* * *
無番地の路地は、住んで半日の俺には迷路だった。
リゼには庭らしい。
積まれた木箱の裏を抜け、布屋の軒下をくぐり、壊れた水路へ飛び降りる。白い外套の使者たちが追ってくる声は、しだいに遠くなった。
乾いた水路を十分ほど走り、城壁の崩れた穴から外へ出る。
森へ入ったところで、リゼがようやく足を止めた。
「ここまで来れば、すぐには見つからない」
「逃げ慣れてるな」
「三年追われてる」
彼女は木へ手をつき、息を整えた。
俺も隣へ座り込む。
借りた革靴は、もう片方の底が半分はがれていた。銅貨二枚の価値があるか怪しい。
「無番地へ戻れるか」
「今は無理。教会はあそこへ見張りを置く」
「住民に危害は?」
「表向きは出さない。支持を失うから」
「表向きは、か」
リゼは答えず、四冊になった帳面を膝へ並べた。
地面へ投げた一冊も、逃げる直前に拾っていたらしい。
白煙幕の術名を書き、横線を引く。
「きっちりしてるな」
「同じ魔法を作ったら死ぬから」
「忘れないため?」
「それだけじゃない」
最初の帳面を開き、俺へ見せた。
ページの一番上に、幼い字で《小さな灯火》と書かれている。横には、不格好な円と三本の線。
「七歳で初めて作った魔法。指先に、小さな火をともすだけ」
次のページは《水玉跳躍》。
その次は《昼寝用微風》。
ページが進むにつれ、字は整い、術式は複雑になる。
どの名前にも横線が引かれていた。
「一度使った魔法は、もう使えない。でも、なかったことにはしたくない」
リゼは表紙をなでた。
「これは、私が作れなくなったものの墓場」
「墓場にしては、にぎやかだな」
「何それ」
「昼寝用微風とか。死んだものの名前には見えない」
リゼは少しだけ口元を緩めた。
すぐ真顔へ戻る。
「父は宮廷魔法師だった。私の禁止が分かったとき、最初は泣いてくれた」
風がページをめくる。
「普通の魔法使いは、覚えた術を磨いて強くなる。私は同じ術を使えない。だから父は、私に毎日新しい魔法を作らせた」
「訓練として?」
「最初はね」
八歳で十個。
九歳で百個。
十二歳になるころには、王国から依頼が来た。敵の防壁だけを溶かす魔法。雨の中で燃える炎。人の記憶を一日だけ封じる術。
リゼが一度使う。
父が術式を写す。
宮廷の魔法使いたちは、禁止を持たない完成品として再現する。
「私には二度と使えない魔法で、父は地位を得た」
「自由教会との契約は?」
「父が王国に捨てられたあと。教会なら禁止を消せると聞いて、私を連れていった」
解放の条件は、リゼが作った全術式の譲渡。
さらに、解除後のリゼが教会専属の魔法開発者になること。
「父は契約書へ署名した。その夜に死んだ。病気だったから、責める気はない」
「でも、従う気もない」
「私の人生だから」
「それでいい」
俺が言うと、リゼは怪訝そうな顔をした。
「説得しないの」
「何を」
「禁止を消したほうが楽だとか。才能を生かせとか」
「楽になるかどうかは、リゼが決めればいい」
右手を見る。
「俺も奪えるかもしれない」
リゼの手が止まった。
「昨日の兎みたいに?」
「条件があるらしい。相手が禁止から解放されたいと望まないと、回収できない」
「試したの?」
「まだ」
「なら、どうして分かるの」
「あのとき表示が出た。兎の気持ちみたいなものも流れ込んできた」
リゼは帳面を閉じた。
「私の禁止を見て」
言われたとおり、彼女の左手首へ意識を向ける。
黒い文字が浮かぶ。
【同じ魔法を二度使ってはいけない】
文字から細い鎖が伸び、指、舌、胸の奥へ絡みついていた。
右手を近づける。
紋様は現れない。
選択肢も出ない。
「何も起きない」
「そう」
「なくしたくないのか」
リゼは答えるまで時間をかけた。
「分からない」
「それなら、今はそれでいい」
リゼが俺の横顔を探る。
「力がほしくないの?」
「ほしい」
「即答ね」
「使えるものは多いほうがいい。でも、リゼの気持ちより優先する理由にはならない」
今度は、俺から彼女を見る。
「もし私が死にそうでも?」
「そのとき聞く」
「聞く余裕がなかったら」
「助ける方法をほかに探す」
「見つからなかったら」
「困るな」
正直に答えると、リゼはため息をついた。
「無責任」
「勝手に決めるよりはいい」
遠くで枝の折れる音がした。
俺たちは同時に口を閉じる。
一度。
二度。
音は別の方向からも聞こえた。
「見つかった」
リゼが立ち上がる。
「ずいぶん早いな」
「煙を追ったんじゃない」
彼女は自分の首元へ手を入れ、細い鎖を引き出した。
先に、透明な石がついている。内部で白い光が点滅していた。
「父の形見。教会の追跡印だった」
「捨てられるか」
「今、気づいた」
リゼは石を地面へ置き、足で踏み砕こうとした。
白い膜が広がり、靴底を押し返す。
「壊せない」
「貸して」
俺も踏んだ。
硬い。
石というより、地面へ固定された空間を踏んでいる感触だった。
左右の木々から白い外套が現れる。
六人ではない。
十。
二十。
無番地に来た者たちとは別の部隊が、森を円形に囲んでいた。
マルタが正面から歩いてくる。
「手荒なことはしたくありません」
「二十人で囲んで言う台詞か?」
「リゼが逃げなければ、必要ありませんでした」
俺は追跡石を拾った。
手の中で白く点滅している。
表示へ意識を向ける。
【帰還標】
【能力:所有者の位置を教会へ送る】
【禁止事項:所有者から離れてはいけない】
禁止がある。
だが、回収条件は出ない。
石に意思がないからか。
「リゼ」
「何」
「これ、父親にもらったものか」
「そう」
「手放したい?」
彼女は砕けない石を見つめた。
「形見まで利用されたくない」
右手が熱を持つ。
【対象の所有者が禁止からの解放を望んでいます】
【回収条件を満たしました】
本人ではなく、所有者の意思でも成立するらしい。
「回収する」
宣言し、帰還標を握る。
黒い文字が石から抜けた。
同時に白い膜が消える。
俺は帰還標を森の奥へ投げた。
小さな光が木々の間を飛び、見えなくなる。
使者たちの何人かがそちらを向いた。
「位置が移動した?」
「偽装だ。目の前にいる!」
完全な陽動にはならない。
数秒あれば十分だ。
「走れ」
俺は右手を使者へ向けた。
回収したばかりの禁止を、命令へ変える。
「リゼから離れろ」
空気が震えた。
前列の使者が、見えない力に押されるように後退する。
所有者から離れてはいけない。
意味を反転させた命令は、追手をリゼから遠ざけた。
ただし、全員ではない。
マルタと、左右の四人は踏みとどまっている。
「範囲が狭い」
「十分よ」
リゼが地面へ両手をつく。
「《樹根架橋・即席》!」
木の根が地面から飛び出し、二人を持ち上げる。根は枝から枝へ伸び、森の奥へ橋を作った。
俺たちは、その上を走る。
背後でマルタの声が響く。
「《神律封環》!」
白い輪が飛んできた。
リゼが振り返り、片手を上げる。
「《薄膜偏向・右旋》!」
透明な膜が輪の軌道をそらす。
彼女は走りながら帳面を開き、二つの術名を書く。
「器用だな」
「話しかけないで!」
根の橋が途切れる。
飛び降りた先は急な斜面だった。
二人で転がるように下る。
枝が顔へ当たり、石が背中へ食い込む。ようやく平地へ着いたころには、教会の姿は見えなくなっていた。
「逃げ切ったか?」
「まだ」
リゼは立ち上がろうとして、膝をついた。
「どうした」
「魔力を使いすぎただけ」
顔が青い。
手を貸すと、彼女の指先は氷のように冷えていた。
「休める場所を探そう」
「東へ古い水車小屋がある」
「歩ける?」
「歩くしかない」
「背負う」
「嫌」
「意見は聞いた。却下する」
「さっきまで本人の気持ちがどうとか言ってたでしょう」
「これは禁止を奪う話じゃない。移動手段の提案だ」
「言い換えても駄目」
結局、彼女の腕を肩へ回し、二人で歩いた。
* * *
水車小屋は、半分崩れていた。
屋根は残っている。壁も三面ある。夜露をしのぐには十分だ。
リゼは床へ座るなり、帳面を開いた。
「まだ書くのか」
「忘れる前に」
樹根架橋。
薄膜偏向。
術式を細部まで記し、横線を引く。
「一つ聞いていいか」
「何」
「前に使った魔法と、少しだけ変えたものは?」
「同じ魔法と判定されることがある」
「誰が判定する」
「神律」
「基準は」
「分からない。魔法名を変えただけでは駄目。術式の三割を変えれば通ることもある。半分変えても止められることもある」
「気分で決まるのか」
「神のね」
リゼの左手首で、黒い文字が脈打った。
「失敗したことは?」
「ある」
彼女は外套の右袖をまくる。
肘から手首まで、赤黒い傷痕が走っていた。
「十二歳のとき。《炎槍》と《灼熱槍》は違う魔法だと思った」
「違わなかった?」
「神には」
魔力が腕の中で爆発した。
父は治癒師を呼ばず、傷が新しいうちに術式を写したという。
俺は何も言えなかった。
慰める言葉を探すほど、薄くなる気がした。
「寝る」
リゼが帳面を閉じる。
「見張りは?」
「私が先。二時間で起こす」
「疲れてるほうが寝ろ」
「あなた、戦えないでしょう」
「止めることはできる」
「一人だけ。次に使える保証もない」
「帰還標の禁止もある」
「あれは《離れてはいけない》。何を止めるの」
「近づいてくる敵に、こっちから離れろと言う」
「解釈が通ればね」
正しい。
俺の力は、回収した禁止をそのまま貼りつけるわけではない。言葉へ変え、世界に解釈させる。
どこまで意味を変えられるのか。
何人に使えるのか。
何度使えるのか。
何も分かっていない。
「だったら、試す」
小屋の外へ出る。
「何を」
「練習」
転がっていた石を一つ拾い、地面へ投げる。
「走るな」
石は普通に転がった。
「石は走らないから?」
「私に聞かないで」
今度は、枝から落ちた木の実へ手を向ける。
「止まれ」
木の実は落ちる。
角兎を止めたときの感覚がない。
「禁止と対象の行動が結びついてないと駄目か」
森を飛んでいた小鳥へ、「走るな」と命じる。
何も起きない。
地面を歩いていた虫へ同じ言葉を向ける。
虫の脚が止まった。
「お」
一歩踏み出そうとして、虫は動けない。
解除を意識すると、また歩き始めた。
「意味が通る範囲で、対象の行動を禁止する」
「そうみたいね」
「回数は」
別の虫へ使う。
止まる。
三匹目。
止まった。
四匹目へ向けたとき、右腕に痛みが走った。
手の甲から肘へ、黒い亀裂が伸びる。
「っ……」
「ハヤト?」
力が抜け、膝をつく。
亀裂は皮膚の表面ではない。身体の内側に黒い光が走り、それが透けて見えている。
止めていた虫が一斉に動き出した。
【同一禁則の連続使用を確認】
【第一階級の命令上限を超過しました】
【反動:右腕の感覚を一時停止】
腕が動かない。
「見せて」
リゼが駆け寄り、俺の右腕を取る。
痛みはある。触れられる感覚だけがない。
「馬鹿」
「否定しにくい」
「分からない力を、分からないまま連続で使う?」
「分かるためには試すしかない」
「限度があるでしょう」
「三回までだと分かった」
「戦う前に腕を使えなくして、何の意味があるの」
怒っている。
当然だ。
けれど、その声には昨日より近い響きがあった。
「悪かった」
「私に謝ってどうするの」
「心配させたから」
リゼは口を開き、何も言わずに閉じた。
「寝て」
「見張りは」
「私がする」
「疲れてるだろ」
「誰かの無茶を見張るより楽」
反論できなかった。
壁へ背を預ける。
目を閉じる直前、リゼが自分の外套を俺の肩へかけた。
礼を言おうとしたときには、意識が落ちていた。
* * *
夢の中で、俺は知らない都市を歩いていた。
建物は雲から下へ伸びている。
道は空中で枝分かれし、人々は翼もないのに空を泳いでいた。
誰もレベルを持っていない。
代わりに胸元へ、小さな鍵を下げている。
俺はその街を知っていた。
角を曲がれば広場がある。
広場には、まだ建てられていない像がある。
像の顔を見ようとした瞬間、鐘が鳴った。
都市が割れる。
空から白い輪が落ちてくる。
目を開けた。
「起きて」
リゼが俺の口を手で塞いでいる。
外はまだ暗い。
水車小屋の隙間から、白い光が差し込んでいた。
『内部の二名へ告げます』
マルタの声が、魔法で増幅されている。
『抵抗をやめて出てきなさい。周囲は封鎖しました』
見つかった。
小屋を囲む足音は、さっきより多い。
リゼが指を二本立てる。
三十人。
口の動きだけで告げた。
俺の右腕は、まだ半分しびれている。
『八幡ハヤト。あなたは王国から追放されています。私どもには、あなたを守る義務も必要もありません』
「正直だな」
小声で言う。
『リゼを引き渡せば、見逃しましょう』
リゼが首を振る。
俺が何か言う前に、彼女は立ち上がった。
「私が出る」
「行きたいのか」
「行きたくない」
初めて、はっきり言った。
「でも、この人数は無理。私が行けば、あなたは助かる」
「それは誰が決めた」
「私」
「なら尊重したいところだけど、前提が間違ってる」
「何が」
「俺が助かる保証はない」
外の使者が、火矢を構えているのが隙間から見えた。
「それに、俺はここで捕まる気もない」
「どうするの」
「考える」
「今から?」
「追い詰められないと働かない頭でね」
小屋の中を見る。
壊れた水車。
乾いた水路。
積まれた麻袋。
リゼの帳面。
「使い終わった魔法で、いま一番役に立つのは?」
「使えないから、使い終わったの」
「もし使えたら」
リゼは一瞬考える。
「《水精大瀑布》。川一本分の水を呼べる」
「この水路へ流せるか」
「できる。でも、二年前に使った」
「ほかは」
「《連鎖雷》。金属を伝って敵だけを狙える」
「使者は杖を持ってる」
「使えない」
「治療は?」
「《巡環治癒》。負傷者同士で傷を分け、全員を生かす」
「使えないんだな」
「そうよ!」
リゼが声を荒らげた。
「全部作った。全部、一度はできた。でも二度と使えない。だから毎回、別の魔法を考えてきた」
外から火矢が放たれる。
屋根へ突き刺さり、炎が広がった。
煙が小屋へ入る。
リゼは両手を組んだ。
「《局所降雨・狭域》!」
小屋の中だけに雨が降り、火を消す。
彼女はすぐ術名を帳面へ書く。
二本目の火矢。
「《酸素遮断膜・短秒》!」
炎が消える。
また書く。
三本目。
「《低温霧散――》」
言葉が止まった。
「どうした」
「似た魔法がある」
帳面をめくる。
焦りでページが破れた。
「《低温霧散・球状》を去年使ってる。どこまで変えれば別になるか……」
屋根へ火が回る。
時間がない。
「新しいのを考えなくていい」
「聞いてた?」
「聞いた。昔の魔法を使えば勝てる」
「使えない!」
「禁止を奪えば使える」
リゼが俺を見る。
「さっきは起きなかった」
「リゼが望んでなかったからだ」
「今だって……」
言葉が弱くなる。
屋根の一部が落ちた。
火の粉が帳面へ降る。リゼは身体で覆い、守った。
俺は右手を差し出す。
「よく考えて決めろ」
「そんな時間はない」
「時間がなくても、俺には決められない」
「あなたが奪えば、私の禁止を命令に使える」
「そうだ」
「私が作った魔法を、教会よりひどいことに使うかもしれない」
「止めてくれ」
「簡単に言わないで」
「簡単じゃない。俺一人で力を持つのが怖いから頼んでる」
外では、使者たちが次の術を詠唱している。
床へ白い輪が浮かび、小屋ごと封じようとしていた。
「俺はリゼを楽にしてやるとは言えない。禁止が消えたあと、魔法が戻る保証もない」
右手を彼女へ向けたまま続ける。
「でも、選べるようにはしたい」
リゼは炎の向こうで、四冊の帳面を見た。
七歳から作ってきた魔法。
二度と使えないものの墓場。
彼女は一冊目を胸へ抱いた。
「返して」
黒い文字が強く光る。
「私の魔法を、私に返して」
【対象が禁止からの解放を望んでいます】
【回収条件を満たしました】
右手の紋様が開いた。
「回収する」
リゼの手をつかむ。
黒い鎖が、彼女の指と舌と胸から抜けていく。
痛みでリゼが息をのんだ。
手を離さない。
最後の鎖が切れ、俺の右手へ吸い込まれた。
【禁止事項《同じ魔法を二度使ってはいけない》を回収しました】
【保有禁則:3】
【第一階級の上限へ到達しました】
リゼが目を開ける。
「どうだ」
彼女は答えず、人差し指を立てた。
「《小さな灯火》」
指先へ、小さな青い火がともる。
七歳のとき、初めて作った魔法。
横線を引かれていたはずの火。
リゼの灰色の瞳へ、その光が映った。
「使える」
声が震える。
「もう一度、使える」
白い封印輪が小屋の壁を締めつけた。
リゼは涙をぬぐわず、両手を広げる。
「《水精大瀑布》!」
轟音がした。
空っぽだった水路へ、壁のような水が現れる。
崩れた水車が回転した。小屋の壁が外側へ弾け、炎と封印輪をまとめて押し流す。
使者たちの悲鳴が上がる。
リゼは止まらない。
「《連鎖雷》」
指先から青い雷が走った。
最初の杖へ当たり、隣の剣へ跳び、さらに次の金属板へ伝わる。使者たちの武器だけが爆ぜ、手から落ちた。
「二度目よ」
リゼが笑う。
「《連鎖雷》!」
同じ魔法が、もう一度走った。
地面へ展開されていた封印具がすべて砕ける。
マルタは水に流されながらも杖を掲げた。
「《神律封環》!」
白い輪がリゼへ飛ぶ。
俺は右手を向けた。
回収した禁止が、手の中で言葉になる。
「同じ封印を二度使うな」
世界が命令を受け取る。
白い輪に亀裂が走った。
同じ術式。
同じ構造。
マルタがこれまで何度も使ってきた魔法。
すべてが「二度目」と判定された。
輪が砕ける。
杖も、地面の封印具も、使者の外套へ刻まれた防護術も、一斉に光を失った。
マルタが目を見開く。
「神律を……命令に変えた?」
「便利だろ」
「そんな力を、人が持っていいはずがない」
「それを決めるのは、あんたじゃない」
リゼが俺の横へ立つ。
水と雷をまとい、四冊の帳面を胸に抱いている。
「次は何を使う?」
聞くと、彼女は少し考えた。
「一番最初の攻撃魔法」
「強いのか」
「今見ると、ひどい出来」
「いいね」
「《よく燃える大きな火の玉》!」
名前どおりの火球が現れた。
形はいびつで、魔力が端から漏れている。
リゼが七歳で考えたのだろう。
火球は使者たちの頭上を通り過ぎ、背後の大岩へ当たった。
爆発。
岩が粉々に砕けた。
使者たちの顔が引きつる。
「次は外さない」
リゼが告げた。
マルタは唇をかみ、退却の合図を出した。
負傷した者を置き去りにはしない。使者たちは互いに肩を貸し、森の奥へ消えていく。
リゼは追わなかった。
俺も止めなかった。
水車小屋の跡に、水音だけが残る。
「終わったな」
言った途端、右腕の亀裂が肩まで伸びた。
今度は感覚だけではない。
力が抜け、地面へ倒れる。
「ハヤト!」
リゼが受け止めた。
【複数禁則の同時解釈を確認】
【命令対象が術式群へ拡大しました】
【反動:右半身の停止】
「また無茶を」
「今のは必要経費」
「口まで止まればよかったのに」
「それは困る」
「私は困らない」
怒っている声なのに、リゼは笑っていた。
* * *
夜が明けるころ、右半身の感覚は戻った。
水車小屋はなくなったが、教会が置いていった荷物から食料と予備の靴が見つかった。
靴は左右同じ色だった。
文明のありがたみを感じる。
リゼは川辺に座り、四冊の帳面を一ページずつめくっていた。
横線を消してはいない。
「もう使えるんだろ」
「使える」
「なら、その線は?」
「一度使ったことは変わらないから」
彼女は最初の帳面を閉じた。
「使えなくなったものの墓場だと思ってた。でも違った」
「何だった?」
「私が作ったものの記録」
単純な答えだった。
同じ帳面でも、禁止がなくなるだけで意味が変わる。
「これからどうする」
俺が聞くと、リゼは逆に聞き返した。
「あなたは?」
「カイルって男と、この力の正体を調べる。召喚院には戻れそうにないから、別の場所で」
リゼは指を折り、俺の旅支度を確かめ始めた。
「行くあては」
「ない」
「お金」
「銅貨一枚」
「食料」
「教会から拾った固いパン」
「地図」
「読めない」
「よくそれで平気ね」
「一人なら、なんとかなる」
「一人なら?」
リゼが立ち上がった。
四冊の帳面を外套の内側へ収める。
「勘違いしないで。あなたについていくわけじゃない」
「違うのか」
「自由教会に追われる者同士、目的地が決まるまで一緒に移動するだけ」
「分かった」
「それと、あなたが回収した私の禁止を変な命令に使わないか、監視する」
「助かる」
「喜ぶところ?」
「一人で持つのは怖いって言っただろ」
リゼはあきれた顔で俺を見た。
「変な人」
「よく言われる」
森を抜ける道へ、二人で歩き出す。
行き先は決まっていない。
それでも昨日までより、選べる道は増えていた。
木々の向こうで、金属が鳴る。
鳥の声ではない。
規則正しい馬蹄。
街道へ出ると、一本の旗が見えた。
銀地に黒い剣。
アルディア王国の紋章だ。
先頭を走る騎士は、鞘に収めた長剣を腰へ下げていた。
こちらへ向かっている。
その背後には、俺の顔が描かれた手配書が何枚も風に舞っていた。
「仕事が早いな」
「感心してる場合?」
騎士が馬から降りる。
大柄な男だった。
短い灰色の髪。古い傷の残る顔。重い鎧を着ているのに、立ち姿には隙がない。
男は剣へ触れなかった。
「八幡ハヤトだな」
「違うと言ったら?」
「嘘を見抜く部下を連れてくる」
「正直で助かる」
騎士は右の拳を胸へ当てた。
「アルディア王国神律騎士団長、グレン・ヴァルハルト」
名乗った直後、地面を蹴る。
剣は抜かない。
鞘にも触れない。
次の瞬間、目の前にいた。
「王命により、貴様を討つ」
見えたのは、鎧を着た膝だった。




