第十一章 神が禁止を作った理由
神域への門は、壊れた祭壇の下に残っていた。
白い光。
底は見えない。
最初に落ちた場所を、今度は自分の足で進む。
「順番は」
ドルドが門をのぞく。
「グレン、俺、リゼ、ミミ、セイラ。ドルドは最後を頼む」
「なぜ私が先だ」
「着地地点に敵がいたら斬れる」
「合理的だ」
グレンは迷わず飛び込んだ。
便利な人だ。
俺も続く。
身体が光へ包まれる。
落下は一瞬。
足が白い床へ着いた。
グレンが剣を構え、周囲を警戒している。
「敵は?」
「いない」
後ろから仲間たちも降りてくる。
前に来たとき、神域には顔のない巨像しかなかった。
今は、無数の景色が並んでいる。
透明な壁の向こうに、世界が一つずつ閉じ込められていた。
海の底で暮らす人々。
夜が存在しない大陸。
魔法を持たない竜。
人間が一人も生まれなかった森。
夢で見た空中都市もある。
「標本みたい」
ミミが透明な壁へ触れる。
内部の人々は動かない。
時間ごと凍っている。
「選ばれなかった世界」
俺には分かる。
すべてが懐かしい。
住んだことはない。
それでも道を知っている。
空中都市の広場へ続く角。
海底都市の市場。
竜が最初に言葉を覚えた洞窟。
俺の内側にある可能性と同じものだ。
「アークは、消したと言っていた」
リゼが壁を調べる。
「本当は保存してた?」
「消せなかったのかもしれない」
世界の外へ押し出し、見えない場所に置いた。
忘れようとした。
俺が戻るまで。
「先へ」
神域の中央へ向かう。
奥から、二人の声が聞こえた。
* * *
「自由は、世界より重い」
エルメスの声。
「世界がなければ、選ぶ者もいません」
アークが答える。
巨大な円形の空間。
中央には、光でできた樹が立っている。
枝の一本ずつから、世界中の禁止が伸びていた。
アークは樹の前にいる。
エルメスは反対側。
解除装置の核を、根元へ接続していた。
肩の傷から血を流している。
「止めろ、エルメス」
俺が呼ぶと、彼は振り返った。
「来ましたか」
「ミミを使ったことを謝れ」
「すべてが終わったあとで」
「終わらせない」
「では、神を守るのですか」
答えを二つに分けようとする。
神を守る。
自由を選ぶ。
「どちらも選ばない」
「逃げです」
「二択しか出さないほうが、考えるのをやめてる」
エルメスは解除核へ手を伸ばす。
アークの白い光が、その腕を止めた。
「八幡ハヤト」
神はこちらを見る。
「来てはいけないと命じたはずです」
「命令じゃなく、約束だっただろ」
「同じです」
「違う。約束は、相手が破れる」
アークは黙った。
「禁止を作った理由を、全部話せ」
「話せば許すのですか」
「許すかどうかを先に決めるな」
神は光の樹へ触れた。
周囲の景色が変わる。
* * *
最初の世界には、禁止がなかった。
レベルもない。
人は望むたび、可能性を選べた。
炎を使う。
空を飛ぶ。
死者を呼び戻す。
過去を変える。
すべてが自由だった。
「理想郷に見える」
ドルドが言う。
景色の中で、母親が死んだ子供を呼び戻した。
別の家では、子供が死んだことで救われた百人がいる。
死を戻した瞬間、その百人を救った選択が消える。
消された側が抵抗する。
別の未来を選ぶ。
一人の子供が、生きている世界と死んでいる世界へ分かれた。
二つの世界が同じ場所に存在する。
母親は、もう一方の自分から子供を奪おうとした。
争いが起きる。
過去を変える者。
変更を防ぐ者。
勝利した歴史。
敗北した歴史。
世界は無数に分裂した。
「ある日、分かれた世界が衝突しました」
アークの声が重なる。
空が割れる。
二つの太陽が同じ場所へ現れ、海を焼いた。
同じ人間の異なる人生が、一つの身体へ流れ込む。
都市が別の都市と重なり、建物も人も石の中へ埋まった。
「私は、選ぶしかなかった」
アークは一つの世界を残した。
ほかを切り離した。
可能性が分裂しないよう、力へ制限をつけた。
大きな力ほど多くの禁止。
世界を変えられる者ほど、選択肢を減らす。
「それがレベル制度」
「はい」
「最初から支配したかったわけじゃない」
ミミが言う。
「恐れました」
アークは否定しない。
「二度と壊したくなかった。だから、最悪の可能性を一つずつ禁じた」
夜に目を開けた者が魔物を呼んだ。
なら、夜に目を開けてはいけない。
同じ魔法の反復で大地が裂けた。
なら、同じ魔法を二度使ってはいけない。
怒りで国を滅ぼした獣人がいた。
なら、怒ってはいけない。
一度起きた悲劇から、全員へ同じ禁止を与える。
「昔は意味があった?」
リゼが聞く。
「その時点では」
「今は、理由も知らない人が従ってる」
「禁止だけが残りました」
神は世界を維持することに集中した。
人間の王がレベルを身分へ変えた。
教会が禁止を売買した。
高レベル者を恐れ、家族を人質にした。
「知らなかった?」
グレンが問う。
「知っていました」
アークは答えた。
「介入すれば、さらに多くの選択を私が決めることになる。そう考え、見ないことを選びました」
「それで神像は目を閉じたのか」
「おまえを見る前から、私は閉じていたのでしょう」
世界を守るため。
干渉しないため。
立派な理由を並べ、苦しむ人を見なかった。
「禁止は安全装置だった」
俺は言う。
「同時に、あんたが怖いものを閉じ込める檻だった」
「はい」
アークが認める。
「だから、おまえを恐れました。私が捨てた可能性が、人の姿で戻ってきた」
景色が神域へ戻る。
エルメスが解除核へ手を置いている。
「感動的な告白です」
冷たい声。
「支配者が、自分も苦しかったと認めた。それで死者が戻りますか」
「戻らない」
アークが答える。
「なら、退いてください」
解除核を起動する。
光の樹の根が黒く染まった。
世界中へ伸びる禁止が、一本ずつ切れる。
「止めろ!」
俺たちは走った。
* * *
最初の百本が切れた。
神域の天井へ、別の空が現れる。
二つ目。
三つ目。
無数の世界が重なり始める。
エルメスの周囲へ、人影が現れた。
母親。
父親。
幼い妹。
火事で死んだはずの家族。
「母さん」
エルメスの声が震える。
母親が彼へ手を伸ばす。
「エルメス」
温かい声。
「ずっと、これを待っていた」
教皇は解除核へさらに力を注ぐ。
家族の身体が濃くなる。
別の場所では、滅びた軍隊が現れる。
アルディア王国の地下で死んだ高レベル者。
ドルドの家族。
カイル。
知っている死者が、神域へ次々と立つ。
「兄さん」
ミミが前へ出る。
カイルは笑った。
「大きくなったな」
「数日しかたってない」
「俺には長かった」
ミミが手を伸ばす。
触れる前に止めた。
「あなたは、どの兄さん?」
カイルの笑みが固まる。
召喚に成功したカイル。
失敗したカイル。
神を倒したカイル。
妹を犠牲にしたカイル。
可能性の数だけ、別の勇者がいる。
背後へ、何人ものカイルが現れた。
互いに剣を向ける。
「これが自由だ!」
エルメスが叫ぶ。
「失われた者が戻る。選ばれなかった人生を、今度こそ選べる!」
「同時には選べない!」
リゼが魔法で世界の重なりを分ける。
「どれかを選べば、ほかはまた消える!」
「今度は私たちが選ぶ!」
「その『私たち』に、消される側は入ってるの?」
セイラの問いに、エルメスは答えない。
解除核を守るため、無数の禁止を投げてくる。
走るな。
魔法を使うな。
剣を抜くな。
怒るな。
救ったと思うな。
俺たちが回収した禁止。
本人たちへ返すように撃ち込む。
「させるか!」
神禁で命令系統へ接続する。
俺へ向かう禁止を止める。
一度に何千本。
腕の亀裂が全身へ広がる。
「アーク!」
神へ叫ぶ。
「固定できるか」
「禁止を戻せば」
「戻すな。今ここにいる人が、自分で選ぶ時間だけ作れ」
「可能性を一時停止します」
アークが光の樹へ両手を置く。
神の固定力が広がる。
崩壊が遅くなる。
俺はエルメスまでの道を作る。
グレンが可能性の軍勢を斬る。
命ではなく、重なりだけを切り離す。
リゼが何百の魔法で裂け目を縫う。
ドルドは黒獅子となり、崩れる世界を背負う。
セイラが全員の傷を分ける。
ミミは九十九の能力で、消えかけた現在をつなぎ止める。
「エルメス!」
解除核の前へ着く。
彼の家族が、俺を阻む。
「どけ!」
「この人たちは本物です」
エルメスが母親を抱く。
「記憶も、声も、温かさもある」
「本物かどうかは、俺には決められない」
「なら、消すな!」
「あんたも、ほかの世界を消そうとしてる」
解除が進めば、今の世界は無数の可能性へ押し潰される。
この場にいない人々の生活。
選んできた人生。
すべてを、家族が戻る可能性で上書きする。
「自由を作るためなら、誰かの選択を消していいのか」
「私は、奪われたものを返すだけだ」
「返してほしいか、聞いたのか」
エルメスの母親を見る。
「あなたは戻りたい?」
女は息子を見た。
「あなたが生きてきた時間を消してまで?」
エルメスの腕が震える。
「母さん?」
「私は、あなたが助けられなかったことを責めていない」
「でも、僕は」
「あなたが私を助けてはいけないと禁じた神は許せない」
母親はアークを見る。
神は目をそらさない。
「けれど、ほかの人の世界を壊して戻りたいとは思わない」
父親も、妹も同じだった。
家族の意見が正しいとは限らない。
それでも、エルメスが一度も聞かなかった答えだ。
「私は、あなたたちのために」
「私たちのために決めないで」
母親の言葉が、彼の胸へ刺さる。
エルメスは解除核から手を離した。
装置は止まらない。
すでに自動で世界の禁止を壊している。
「止め方は」
俺が聞く。
「核を破壊すれば」
「《破壊してはいけない》がある」
「私が解除します」
エルメスは自分で刻んだ禁止へ手を置いた。
「破壊を望む」
回収条件が満たされる。
俺が禁止を奪う。
「グレン!」
騎士の斬撃が核へ届く。
装置が割れた。
白い光が爆発する。
アークの固定力。
俺の神禁。
二つで爆発を包む。
可能性の重なりが止まった。
死者たちの姿が薄くなる。
ミミは何人ものカイルを見る。
「兄さん」
「どれだ」
一人が聞く。
「全部」
ミミは答えた。
「でも、私が一緒にいた兄さんは、一人だけ」
血のついた布を胸へ抱く。
「さようなら」
カイルたちは笑い、光へ消えた。
エルメスの家族も消える。
母親は最後に、息子の頬へ触れた。
「生きなさい」
教皇は泣いた。
自由都市で見たセイラと同じように。
救えなかったこと。
それでも生きたこと。
両方を、自分のものとして受け取る涙だった。
* * *
崩壊は止まった。
だが、光の樹は半分以上折れている。
世界中の禁止へつながる根も切れかけていた。
「このままでは、制度は維持できません」
アークが言う。
「直せる?」
「私一人では」
神は俺の前へひざまずいた。
グレンが剣を構える。
「何のつもりだ」
「権限を譲ります」
アークは俺を見上げる。
「八幡ハヤト。未選択未来体であるおまえなら、すべての可能性を見たうえで、一つを選べる」
「俺に神になれって?」
「私に代わって、世界を管理してください」
光の樹の中心に、空いた場所がある。
あそこへ立てば、世界中の禁止を決められる。
誰を強くするか。
何を禁じるか。
どの未来を残すか。
俺なら、アークより優しくできるかもしれない。
エルメスより慎重に自由を扱えるかもしれない。
都市全体を止めたときと同じ誘惑が、胸に広がる。
自分なら正しく使える。
それこそが、一番危険な考えだった。




