第十章 レベル100
大聖堂の扉は、開いていた。
誘っている。
罠であることを隠す気もない。
「正面から行く」
俺が言うと、グレンがうなずいた。
「ほかに入口はない」
「作らないの?」
ドルドが聞く。
「内部が崩れる」
「成長したね」
「リゼに何度も止められた」
本人は、少し後ろで大聖堂を見上げている。
白い尖塔。
輪を断ち切る剣の紋章。
父親と契約した教会の中心。
「大丈夫か」
「怖い」
リゼは正直に答えた。
「でも、行く」
セイラが扉へ手を置く。
「内部の解放師は、教皇の直属。私の命令は聞かない」
ドルドが拳を握る。
「戦う?」
「必要なら」
リゼがセイラへ釘を刺す。
「傷つけずに」
「分かってる」
五人で中へ入る。
礼拝堂には、誰もいなかった。
長椅子。
白い祭壇。
天井から下がる無数の鎖。
鎖の先に、透明な棺が浮かんでいる。
ミミが目を閉じていた。
胸へ百個の文字が刻まれている。
九十九の禁止。
最後に、最も濃い文字。
【神の命令に逆らってはいけない】
「ミミ!」
呼ぶと、青い目が開いた。
俺たちを見る。
唇が動く。
「逃げて」
神の声が大聖堂へ響いた。
『レベル100、ミミ・アストレアへ命じる』
アークの声。
苦しそうに聞こえた。
『八幡ハヤトを殺しなさい』
ミミの身体が棺を破った。
破片が宙へ飛ぶ。
彼女は地面へ降りず、空中で右手を伸ばした。
礼拝堂の時間が止まる。
* * *
音が消えた。
グレンも、リゼも、ドルドも、セイラも動かない。
俺だけが、ゆっくり指を動かせた。
レベル0だからか。
未選択未来体だからか。
理由はどちらでもいい。
ミミは止まった時間の中を歩く。
一歩ごとに床へ霜が広がる。
「ミミ」
声がひどく遅い。
彼女の右手に、光の刃が現れた。
俺の喉へ向ける。
カイルが神域で、自分へ向けた刃と同じ。
「やめろ」
《走ってはいけない》を使う。
命令は届かない。
神の命令が、俺の禁止を上書きしている。
刃が喉へ近づく。
ミミの目から涙が流れた。
時間が止まっているので、涙は頬から離れず浮かんでいる。
「殺したくない?」
かすかにうなずく。
「なら、止めよう」
右手を伸ばす。
百個目の禁止へ触れようとした瞬間、ほかの九十九が一斉に光った。
雷が身体を貫く。
俺は礼拝堂の端まで吹き飛ばされた。
時間が動き出す。
激しい音が一度に戻る。
「ハヤト!」
リゼの治癒魔法が飛ぶ。
ミミは次の能力を使う。
空間が折れた。
祭壇が何百にも分裂する。
どれが本物か分からない。
グレンが剣を振る。
幻影だけを斬り、本物のミミへ刃を向けない。
「右上だ!」
ドルドが匂いで位置を見抜く。
リゼの光が照らす。
ミミは転移する。
背後へ現れ、雷を放つ。
セイラの結界が全員を包んだ。
「痛みは私へ」
雷の衝撃がセイラ一人へ集まる。
膝をつきながら、結界を保つ。
「分けろ!」
グレンが叫ぶ。
「一人で受けるな」
セイラは一瞬迷い、痛覚を全員へ分配した。
身体へ電撃が走る。
立てないほどではない。
一人の犠牲で守るより、全員で負う。
「次が来る!」
ミミの両手に、九十九の魔法陣が重なる。
火。
氷。
風。
重力。
眠り。
治癒。
消滅。
異なる力が一度に放たれる。
「《全式再演》!」
リゼは四冊の帳面を空へ投げた。
これまで作った魔法がページから飛び出す。
火へ水。
氷へ熱。
風へ壁。
九十九の能力を、何百の魔法で一つずつ相殺する。
「足りない!」
「俺が道を作る」
グレンの剣が一閃する。
魔法の隙間だけを斬り、ミミまで一直線の空間を開いた。
ドルドが黒獅子へ変わる。
俺を背へ乗せ、走る。
「速すぎる!」
「我慢して!」
一瞬でミミの前へ着く。
右手を伸ばす。
彼女の胸まで、あと少し。
ミミの身体が巨大化した。
少女の姿から、銀色の竜へ変わる。
翼が礼拝堂の天井を突き破った。
爪が振り下ろされる。
ドルドが黒獅子の前脚で受ける。
床が崩れた。
「ミミ!」
俺は竜の胸へしがみつく。
百個の禁止が、鱗の一枚ずつに浮かんでいる。
どれを奪う。
《竜になってはいけない》。
外せば、変身能力がさらに強くなる。
《神へ攻撃してはいけない》。
外せば、アークへ届く力を得る。
《死者を戻してはいけない》。
外せば、カイルすら呼び戻せるかもしれない。
奪うほど、ミミは強くなる。
身体は壊れる。
「百個目だけだ」
ほかには触れない。
神の命令に逆らってはいけない。
鎖へ手を伸ばす。
【回収条件を満たしていません】
ミミ本人が、解放を望むだけでは足りない。
この禁止は、逆らいたいという気持ちを持つことさえ許さない。
神命に従いながら、回収を望む矛盾が成立しない。
「カイルは、どうした」
神域で彼は反抗した。
口では断ると言えた。
腕は命令へ従った。
最後まで禁止を破れなかった。
だから、俺を呼んだ。
自分では作れなかった一瞬を、次へ渡した。
竜の尾が俺を打つ。
身体が宙へ投げ出された。
ミミが人の姿へ戻り、光刃を持って追ってくる。
空中で逃げ場はない。
「ハヤト!」
リゼの転移魔法が俺を地上へ戻す。
光刃は床へ刺さった。
大聖堂全体が真ん中から割れる。
外の夜空が見えた。
存在しない星が四つ。
その間へ、白い月が浮かんでいる。
* * *
「助けるには、ミミ自身が神へ逆らう必要がある」
崩れた柱の陰で、俺たちは数秒だけ息を整えた。
「逆らえないから禁止なんでしょう」
リゼが傷を治しながら言う。
「身体は従う。でも、言葉は少し残ってた」
最初に「逃げて」と言えた。
神は俺を殺せと命じた。
仲間へ逃げろと告げることまでは禁じていない。
「命令の外側に、選べることがある」
「ミミへ選択肢を作る」
セイラが立つ。
「何を?」
「神の命令は、ハヤトを殺せ。なら、殺すまでの手段は決めていない」
グレンが剣を構える。
「ミミが、自分で手段を選べるようにする」
「最後は?」
ドルドが聞く。
「一瞬、攻撃しないことを選ばせる」
それが神命への反逆になる。
「一瞬で足りる?」
「足りる。俺が触れる」
「なら作ろう」
リゼが帳面を開いた。
「ミミが選べる一秒を」
全員が散る。
ミミが空へ上がった。
九十九の能力を、もう一度展開する。
今度は攻撃する前に、セイラの声が届く。
「ミミ。誰から倒す?」
神命は、ハヤトを殺せ。
ほかの四人を倒す必要はない。
ミミの魔法陣が、仲間を避けて俺だけへ向く。
最初の選択。
グレンが正面へ立つ。
「私を斬る必要はない」
ミミの光刃がグレンを避ける。
彼は刃へ剣を合わせ、軌道だけを変えた。
床へ突き刺さる。
ドルドが俺をくわえ、別の場所へ投げる。
「乱暴!」
「避けて!」
雷が元いた場所へ落ちる。
リゼは攻撃魔法を使わない。
大聖堂の床へ、無数の鏡を作る。
鏡の一枚ずつに、俺の姿が映る。
ミミの能力は偽物を見抜く。
本物だけへ刃が向く。
「見抜くかどうかも、選んだ」
リゼが言う。
「ミミ、目を閉じて!」
命令ではない。
お願い。
ミミの目が閉じる。
神命は、目を開け続けろとは言っていない。
次の選択。
攻撃が止まる。
だが、身体の内側から神律がミミを焼く。
目が強制的に開く。
今度は時間停止。
全員が動けなくなる。
ミミが俺へ歩く。
一歩。
一歩。
自分の意志へ逆らうたび、涙が浮かぶ。
俺は動かない身体で、声だけを出す。
「ミミ」
ゆっくり振り向く。
「兄さんは、最後に何を選んだ」
光刃が胸へ触れる。
「俺を呼んだ」
カイルは自害の命令を止められなかった。
その前に、召喚術を選んだ。
「神へ勝つことじゃない。次を残した」
ミミの手が震える。
時間停止の中へ、別の景色が重なった。
* * *
神域。
カイルが百番目を刻まれた夜。
俺が来る前。
彼は一人で、召喚陣へ座標を書いている。
妹の姿が光の中に浮かんでいた。
『兄さん、やめて』
過去のミミが叫ぶ。
『九十九を返して。私も戦う』
「駄目だ」
カイルが答える。
「お前は、俺の次にならなくていい」
『勝手に決めないで!』
「そうだな」
勇者は笑った。
「だから、最後はお前が決めろ」
手紙を箱へ入れる。
「俺が死んだら、レベルのない者が来る。信じるか。殺すか。助けを求めるか。全部、お前が選べ」
『そんな人、本当に来るの』
「分からない」
『無責任』
「よく言われる」
俺と同じ言葉。
カイルは召喚陣を完成させる。
「ミミ。百番目を受けても、一つだけ覚えておけ」
神の光が胸へ落ちる。
「逆らえないことと、逆らいたくないことは、同じじゃない」
景色が消えた。
* * *
現在へ戻る。
光刃が俺の胸を浅く切っている。
血が流れる。
もう少し押せば、心臓へ届く。
「ミミ」
俺は動かない右手を、彼女へ向けようとする。
「止めたいか」
唇が震える。
「止め……たい」
言えた。
神律が身体を前へ押す。
ミミは両手で刃を握り返した。
自分の手の皮膚が裂ける。
光刃が止まる。
「私は」
神の声が大聖堂へ響く。
『殺しなさい』
「嫌だ!」
ミミが叫んだ。
百個目の文字へ亀裂が走る。
神命に逆らう選択が成立した。
【対象が禁止からの解放を望んでいます】
【対象が禁止へ反する選択を実行しました】
【回収条件を満たしました】
時間が動く。
俺の右手も動いた。
ミミの胸へ触れる。
「回収する」
百個目の鎖をつかむ。
神域へつながる、白く太い鎖。
引き抜く。
ミミの身体から、九十九の能力が爆発した。
仲間たちが結界を重ねる。
リゼの魔法。
セイラの分配。
グレンの斬撃。
ドルドの身体。
全員で衝撃を受ける。
鎖が切れた。
【禁止事項《神の命令に逆らってはいけない》を回収しました】
【最終階級・神禁へ到達】
【神律命令系統への接続を確認】
視界が白く染まる。
世界中の禁止が見えた。
何億もの黒い文字。
王。
教会。
獣人。
魔族。
子供。
老人。
すべてが一本の鎖で、創造神アークへつながっている。
俺は、その鎖へ命令できる。
神そのものを止められる。
「ハヤト」
ミミの声で意識が戻る。
腕の中に、少女が倒れていた。
レベル表示は100のまま。
禁止事項は九十九。
百個目だけが消えている。
「勝った?」
「自分で勝った」
ミミは目を閉じた。
今度は命令ではなく、自分で眠った。
* * *
大聖堂の最奥から、拍手が聞こえた。
エルメスが祭壇の上へ立っている。
「見事です」
セイラが杖を向ける。
「ミミを道具にした」
「彼女は神へ逆らった。目的は達成されました」
「本人の意思を無視して?」
「自由を得たのです。結果として」
「その言葉、嫌い」
セイラの魔法が放たれる。
エルメスの身体をすり抜けた。
幻影。
本体は、祭壇の後ろで解除装置の核を抱えている。
「神禁への道が開いた」
床へ白い門が現れる。
「神域で待っています」
「逃がすか!」
グレンの斬撃が飛ぶ。
エルメスの肩を切る。
血が舞う。
それでも彼は門へ落ちた。
白い光とともに消える。
床には、血の跡だけが残った。
俺は眠るミミをリゼへ預ける。
「追う」
「傷は?」
胸を見れば、光刃の傷が残っている。
「治して」
「言われなくても」
リゼの光が傷を塞ぐ。
ミミの手には、カイルの血布が握られていた。
命令へ逆らう瞬間も、離さなかったらしい。
「兄さんのところへ行く?」
目を閉じたまま、ミミが聞いた。
「神域へ」
「私も行く」
「休んでから」
「置いていかないで」
「置いていかない」
今度は約束できる。
全員で神域へ行く。
アークが禁止を作った理由。
エルメスがすべてを消そうとする理由。
俺が残る方法。
答えを一人へ任せず、全員で選ぶ。
壊れた大聖堂の上に、夜明けの光が差した。
存在しない四つの星は、まだ空に残っている。




