第99話 権限の延長
会議場へ入る前、議会書記が私へ確認した。
「提案名は『非常権限延長法』でよろしいでしょうか」
「延長ではありません」
「では」
「継続法としてください」
延長なら、いつか終わることを前提にする。
継続なら、解除条件を満たすまで続く。
書記は一瞬だけ筆を止め、それから表題を書き換えた。
「非常権限の期限を撤廃します」
暫定議会の緊急会議で、私は提案書を読み上げた。
学校と病院への襲撃から一日。
傍聴席には被害者家族がいる。
黒い喪章をつけた母親。
腕へ包帯を巻いた救護者。
空席になった学校机の名簿を持つ教師。
「現行の三十日期限は、脅威の継続性と一致しません」
議員たちへ文書を配る。
「爆破組織は、期限終了を待って活動しました。制度の終わりが予告されることで、敵へ準備期間を与えたのです」
「期限の撤廃は、非常を恒常化します」
法務官が反対する。
「期限ではなく、解除条件を定めます」
「何をもって解除と?」
「主要組織の解体、武器供給網の遮断、三か月間の重大事件なし」
「その認定は誰が」
「治安局と国家指導部です」
「あなた自身が、自分の権限を終える条件を判断する?」
「専門機関の報告に基づきます」
「議会承認は」
「事後報告とします」
会議場がざわめく。
「爆破は、議会が開く時間を待ちません」
私は続ける。
「緊急捜索、交通封鎖、通信遮断、資産凍結。これらを迅速に実行できなければ、次の学校を守れません」
「令状なし捜索も無期限に?」
「指定基準を公開してください」
別の議員が求める。
「公開すれば、団体は名称や構成を変えます」
「では、市民は自分が対象かどうか知れません」
「違法行為へ関与しなければ問題ありません」
「何が関与に当たるかも非公開ですか」
「捜査手法に関わります」
議員は周囲を見た。
「つまり、誰も知らない規則へ従えと?」
「爆破犯へ規則を知らせないためです」
会議場の窓は閉じている。
それでも、冷気が床を這うように感じた。
「対象は指定危険団体と関連施設に限ります」
「指定するのは?」
「治安局です」
「異議申立ては」
「事後審査を設けます」
「拘束後に?」
「はい」
反対議員の一人が立つ。
「それでは、無実の者が先に自由を失う」
「死者は、後から救えません」
傍聴席の母親が泣く。
「娘は、昨日学校へ行っただけです」
議員が振り返る。
言葉を失う。
私は母親へ頭を下げた。
「同じことを繰り返させません」
拍手が起きる。
被害者家族。
治安局。
一部の議員。
「議長」
マリアンヌ様が立つ。
「質問があります」
「どうぞ」
「期限撤廃以外に、警備強化の方法は検討しましたか」
「通常法の範囲で可能な案も比較しました」
「結果は」
「令状発行の遅延、地方ごとの権限差、情報共有の制約があります」
「改善法案を急ぐことは」
「成立までに時間がかかります」
「その間だけの延長なら、期限を定められるはずです」
「次の事件の時期は定められません」
「六十日。あるいは九十日」
「期限があれば、敵はまた待ちます」
マリアンヌ様の顔が白くなる。
「では、本当に無期限なのですね」
「解除条件があります」
「その条件を、権限を持つ側が判断する」
「責任も負います」
「責任を負うと言えば、制限は不要ですか」
会議場が静まる。
兄との裁判を知る者は、同じ問いを思い出している。
「不要とは言っていません」
「議会の事前承認を残してください」
「緊急性が失われます」
「裁判所の令状を」
「証拠が消されます」
「第三者監察を」
「情報漏洩の危険があります」
一つずつ、拒む。
どの拒絶にも理由がある。
理由があるから、止まらない。
「非常権限は、私のためのものではありません」
私は議場へ言う。
「市民の命を守るためです」
「なら、誰が持ってもよいのですか」
法務官が問う。
「現在、最も情報と執行能力を持つ機関が」
「あなたの次の指導者にも、同じ権限を渡す?」
答えに詰まる。
私以外が持つ姿を想像すると、危険に思えた。
それが、答えだったのかもしれない。
「継承時には、再承認を」
「なぜ今は不要なのです」
私は文書へ目を落とす。
学校の死亡者数が、別紙にある。
十二。
病院は七。
私は迷わないと決めた。
「今は、危機の最中だからです」
採決前、被害者家族の一人が発言を求めた。
「私は、娘を失いました」
学校の母親だった。
「もう一人の子は、生きています」
彼女は前列に座る少年の肩へ手を置く。
「私は、この子を守ってほしい」
会議場の全員が聞いている。
「でも、この子が大人になった時、何を言っても連れていかれる国にもしてほしくない」
私は母親を見る。
「その両方を守るための提案です」
「本当に?」
「はい」
「誰が、そう確かめるのですか」
また同じ問い。
私は答える。
「議会と、国民です」
しかし、議会の事前承認を外し、国民には捜査内容を知らせない案だった。
母親は、それ以上問わなかった。
採決が行われる。
賛成。
反対。
棄権。
賛成が過半数を超えた。
被害直後の議会で、反対票を投じることは難しい。
それでも、反対した者はいた。
私は名簿を見た。
以前なら、反対意見を制度へ残す価値を考えた。
今は、その名が治安上の危険でないか、一瞬考えた。
すぐに打ち消す。
反対は権利だ。
まだ。
「可決されました」
議長が宣言する。
非常権限は、期限を失った。
緊急捜索。
秘密拘束。
通信監視。
移動制限。
資産凍結。
すべてが、例外ではなく制度になる。
会議後、役人が新しい命令書を持ってきた。
「期限欄は、削除しております」
「はい」
「解除条件を別紙へ」
「確認します」
文書は整っている。
法的形式も。
議会採決も。
最初の越境のような秘密命令ではない。
公の手続きで、国全体の仕組みになった。
「署名を」
羽根ペンを取る。
マリアンヌ様が遠くに立っている。
彼女は止めなかった。
止める言葉を、議場で使い切った。
ここで退けば、学校と病院で死んだ人々が、私の迷いによって奪われただけになる。
アレンの死から始まったすべての選択まで、意味を失うように思えた。
本当は、死者の意味を権限で守れるはずがない。
それでも私は、手放すことを、彼をもう一度見捨てることのように感じた。
私は署名した。
印章を押す。
蝋が固まる。
最初の執行命令は、採決から一時間後に届いた。
印刷所三軒の閉鎖。
通信所二か所の監視。
夜間移動許可の一括停止。
「本日中に発効させますか」
役人が尋ねる。
「はい」
「影響を受ける商人は、約四百名です」
「生活物資の輸送には例外許可を」
「審査に二日ほど」
「治安局の判断で即日許可できるように」
制限を作り、例外も私の機関が与える。
扉の鍵と、鍵を開ける許可が、同じ手へ集まっていく。
役人たちが文書を各機関へ運ぶ。
廊下の掲示板には、帰郷用の馬車手配を取り消す通知が貼られていた。
官邸の部屋には、荷造りされた箱が残っている。
期限を失った権限と、行き先を失った荷物。
その二つが、同じ日に私のものになった。




