第100話 幸福を守るために
私は、全国へ向けた演説台に立った。
王都の中央広場。
地方へは書記が記録を送り、各町の広場で読み上げる。
背後には暫定議会の旗。
左右には治安官。
前列には、爆破で家族を失った人々と、襲撃を免れた学校の子どもたちがいる。
「アルヴェリアの皆さん」
声が広場へ響く。
「私たちは、この冬、多くの危機に直面しました」
市場の爆破。
病院への襲撃。
学校の焼失。
食糧倉庫への放火未遂。
「同時に、多くの命を守ることもできました」
押収した火薬。
救出した人々。
守られた配給。
護衛付きで運ばれる薬。
「今後、食糧配給路へ常設の護衛を置きます。病院と学校には警備員を配置し、火薬庫と武器工房の登録を義務化します」
具体的な方策を読み上げる。
冬の小麦価格は上限を設ける。
地方間の輸送は国が保証する。
負傷者の治療費は公費で負担する。
爆破被害を受けた家には再建材を優先支給する。
人々の暮らしを守る政策。
拍手が起きる。
私は、施策の成果も具体的に示した。
護衛をつけた食糧馬車は、今月一度も襲われていない。
薬の輸送遅延は三日から半日へ減った。
登録済み火薬庫では、在庫の紛失がなくなった。
爆破被害を受けた二百世帯へ、再建用の木材が届いた。
「安全は、理念ではありません」
私は言う。
「今夜、暖かい部屋で眠れること。明朝、子どもを学校へ送り出せること。病人が薬を受け取れることです」
広場の人々がうなずく。
それは、誰も否定できない幸福だった。
「ですが、安全には協力が必要です」
広場が静かになる。
「危険物の輸送を防ぐため、都市間の移動には許可証を求めます」
商人たちの顔が硬くなる。
「大規模な集会は、事前申請制とします」
職人組合の者が隣と目を合わせる。
「出版物と通信は、暴力を誘発する内容がないか確認を行います」
書記たちの手が一瞬止まる。
「治安上必要な場合、手紙の検査と一時的な通信遮断を実施します」
母親が子どもの肩を抱く。
「これらは、皆さんの暮らしを奪うためではありません」
私は言う。
「暮らしを守るためです」
ハルフォード領を思い出す。
パンが一枚増えた日。
学校。
裁縫室。
雨漏りの屋根。
帰れば、ただいまと言える家。
あの領地は、王国で一番幸せだと呼ばれた。
誰かが幸福を命じたからではない。
帰ってよいと言う人がいたから。
失敗しても、席が残ったから。
私は、その意味を知っている。
知っているはずだった。
「国民の幸福を守るため、一時的な自由の制限が必要です」
広場に声が落ちる。
「一時的とは、いつまでですか」
後方から、男の声が上がった。
治安官が動く。
「止まってください」
私は制した。
治安官たちは、男へ向けて半歩進んだ。
私は手を上げて止める。
「ここは公開演説です」
「警護上、発言者の位置確認を」
「武器は見えません」
「衣服の下は未確認です」
治安官の答えも合理的だった。
暗殺は、花束の中に短銃を隠して起きた。
誰もが武器を持つ可能性を否定できない。
だから、誰もが検査対象になり得る。
「距離を保ってください」
私は命じた。
男は、それでも治安官の靴音を聞いていた。
「質問を許可します」
男は周囲の視線に怯えながら続ける。
「解除条件を満たすまで、と聞きました。誰が満たしたと決めるのです」
「治安機関と国家指導部です」
「それでは、期限がありません」
「脅威には期限がありません」
「私たちの自由にも、期限がなくなる」
ざわめき。
治安官が男の位置を記録している。
私は見た。
止めるべきだと思った。
しかし、危険人物か確認するだけだとも思った。
「自由は、命があって初めて行使できます」
私は答えた。
「爆破で亡くなった方々には、集会も出版もできません」
「だから、生きている私たちは黙るのですか」
男の隣にいた者が距離を取る。
「黙れとは言っていません」
「治安官が名前を書いている」
広場の全員が治安官を見る。
筆が止まる。
「通常の警備記録です」
私は言った。
「発言を理由に拘束しません」
「では、記録を消してください」
治安官が私を見る。
私は一瞬迷った。
危険がないと断定できない。
「記録は、適切に管理します」
男の顔から、何かが消えた。
「わかりました」
彼は頭を下げる。
質問は終わった。
その後、誰も手を上げなかった。
「私は、皆さんの幸福を守ります」
広場の端では、集会許可を求める職人たちが申請書を持っていた。
賃金低下への抗議集会。
暴力の予定はない。
それでも、治安上の混乱を理由に不許可となっている。
代表の男は、演説を聞きながら紙を折った。
隣の職人が何か言う。
男は首を振る。
言葉は、演台まで届かなかった。
演説を続ける。
「子どもが安全に学校へ通い、病人が恐れず治療を受け、家族が食卓を囲める国を」
正しい。
私は本当に、そう願っている。
「そのために、必要な措置を取ります」
拍手が起きる。
前列。
議員。
治安官。
市民。
全員が手を叩く。
音は大きい。
けれど、顔は静かだった。
支持されているのか。
恐れているのか。
私は、区別しようとした。
学校の子どもが拍手している。
母親に促されて。
商人も。
治安官の視線を避けながら。
それでも拍手は拍手だ。
議会で権限は承認された。
命も救われた。
私は、自分へそう説明した。
演説を終え、壇を降りる。
マリアンヌ様が待っている。
「幸福という言葉を」
彼女が言う。
「はい」
「アレン様が聞いたら」
「その続きを言わないでください」
声が鋭くなった。
マリアンヌ様は口を閉じる。
「彼が何と言うかは、誰にもわかりません」
「はい」
「私にも」
「はい」
正しい。
死者の言葉を作ってはいけない。
その正しさを盾にして、私は彼の残したものを見ないようにした。
広場から人々が帰る。
治安官が質問した男を呼び止めている。
「拘束はしないように」
私は命じる。
「身元確認だけに」
「承知しました」
男は頭を下げ、書類を見せる。
自由は残っている。
ただ、確認される。
記録される。
許可される。
それを私は、幸福を守るためと呼んだ。
演説後の公式記録には、支持率を示す欄があった。
「拍手の参加率は、九割以上です」
書記が報告する。
「質問者は一名。演説妨害なし」
「地方へも、そのまま送ってください」
「『国民は統制方針を圧倒的に支持』と要約してよろしいでしょうか」
私は広場を振り返った。
頭を下げた人々。
拍手した子ども。
名前を記録された男。
「はい」
答えた。
事実を短くすれば、恐怖は消え、支持だけが残った。
官邸へ戻る馬車の窓から、街を見る。
夜間検問の柵。
閉じられた印刷所。
申請却下の紙が貼られた集会所。
護衛された食糧馬車。
火薬を押収された倉庫。
守られた生活と、閉じられた扉が同じ通りに並ぶ。
執務室へ戻ると、机の上には地方から届いた感謝状が積まれていた。
護衛のおかげで薬が届いた。
検問のおかげで子どもが無事だった。
配給が遅れなかった。
どれも嘘ではない。
その横に、移動許可が下りず家族の葬儀へ間に合わなかったという訴えが一通だけあった。
私は感謝状を成果報告へ回し、訴えを再審査箱へ入れた。
箱には、同じような紙がすでに何十通も入っていた。
幸福という言葉は、アレンと私が初めて国へ差し出した言葉だった。
彼がいなくなった後も、その言葉だけは失いたくなかった。
国民を幸福にしている限り、私たちが作った国は死んでいない。
そう考えた。
だから私は、幸福の意味を人々へ尋ねるのではなく、自分で定義し始めた。
ハルフォード領で、人々は帰ってよいと言われたから幸福だった。
今、私は国民へ、安全な場所から出ないよう命じている。
同じ幸福という言葉を使いながら。
意味が変わったことを、私は認めなかった。
広場の拍手を、支持として記録するよう命じた。




