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婚約破棄された公爵令嬢を辺境へ連れ帰ったら、俺の領地が王国で一番幸せになりました!?  作者: ぱるめりあ
第九部 正しい独裁

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第101話 取り返しのつかない死

 青年は、無実だった。


 治安調査局の報告室で、私はその一文を三度読んだ。


『被拘束者は、爆破組織との関係を確認できず』


 その下に、死亡時刻が記されている。


 昨夜、午前二時十三分。


「死因は」


 私が尋ねると、局の監察官は紙から目を上げなかった。


「内臓損傷と出血です」


「拘束時の負傷ではありませんね」


「はい」


「尋問中に?」


「はい」


 机の上には、別の記録が置かれていた。


 当初の報告では、青年は独房で急に倒れたことになっている。医師の診察欄には、持病の疑いと記されていた。


 しかし、遺体を見た外部医師が不審を訴えた。


 肋骨の骨折。


 背中と腹部の打撲。


 手首の裂傷。


 持病では説明できない傷だった。


「誰が命じましたか」


「取調班の責任者です」


「拷問禁止命令を知っていた?」


「署名しています」


 私は文書をめくった。


 青年は印刷工房の見習いだった。


 爆破犯が使った包み紙と、同じ工房の紙を持っていた。それだけで連行された。


 紙は王都で広く売られている。


 彼は、病気の妹へ届ける薬を包んでいた。


「自白をしなかったため、責任者は情報隠匿と判断した」


 監察官が説明する。


「判断ではありません」


 私は言った。


「願望です。答えが出ないから、欲しい答えを身体から作ろうとした」


 監察官が頭を下げる。


「責任者と取調官三名は拘束済みです」


「記録改ざんに関わった医師は」


「本人は、脅されたと」


「別に審理してください」


 私の声は落ち着いていた。


 怒鳴れば、少しは楽になったかもしれない。


 けれど、青年は戻らない。


「取調班の責任者を、特別法廷へ送ります」


「刑の求めは」


「故意の拷問、死亡結果、証拠偽造。法定刑の上限を」


 監察官が一瞬だけ私を見る。


「死刑を求める、と」


「はい」


 自分が何を言ったかは理解している。


 責任者一人を処刑しても、青年は戻らない。


 それでも、命令を破り、人を殺し、記録を偽った者へ責任を負わせる必要がある。


「治安調査局の業務は、どうされますか」


「停止しません」


 部屋の空気がわずかに動いた。


「取調部門だけでも、一時閉鎖を」


「監察官を増員し、全拘束者へ外部医師の診察を入れます。尋問室には二名以上の記録官を置く。夜間尋問は禁止します」


「局そのものの解散を求める声が出ます」


「解散はしません」


 即答した。


「この局が阻止した爆破計画もあります。武器供給網も、まだ残っている」


「ですが、今回の死は組織の内部で」


「組織の失敗です。だから、統制を強めます」


 言いながら、前にも同じ論理を使ったことを思い出した。


 制度が間違えた。


 ならば制度を強くする。


 人が壊れた。


 ならば監督を増やす。


 廃止すれば、守れない命が出る。


 残せば、また奪うかもしれない。


 私は、その場で拘束者全員の名簿を取り寄せた。


 百四十六名。


 罪状が確定している者は、半分にも満たない。


「今夜中に、外部医師を入れてください」


「全員へですか」


「全員です」


「医師が足りません」


「軍病院と市民病院から派遣を求めます。費用は国家予算で」


「治安上の機密が」


「診察へ機密は不要です」


 監察官はうなずいた。


「拘束理由の薄い者は、明朝までに再審査を」


「一斉に釈放すれば、逃亡の恐れが」


「無実の可能性が高い者を、逃亡という言葉で閉じ込めないでください」


 強く言った。


 それでも、治安調査局そのものをなくすとは言わない。


 目の前の傷を塞ぎながら、その傷を生んだ刃は手放さない。


「遺族へ、私が会います」


 夜、官邸の小会議室へ、青年の母親と妹が来た。


 母親は、息子の上着を抱いていた。


 朝には帰ると言って出た人を待ち、帰ってきたのは冷たい身体だった。


 私と同じだ。


 違うのは、彼女の息子を奪った組織の頂点に、私がいることだった。


 袖口に、印刷用の黒い染みがある。


 妹は十五歳ほどだった。膝の上に薬包を置いている。


「この薬を」


 少女が言った。


「兄が、持って帰るはずでした」


 私は立ったままではいられず、向かいの椅子へ座った。


「申し訳ありません」


 母親は答えなかった。


「逮捕の根拠は誤りでした。尋問は違法でした。責任者は拘束し、裁判へ送ります」


「息子は、国の敵だったのですか」


「違います」


「では、どうして死んだのです」


 説明できる言葉は、すべて言い訳になる。


「私が認めた権限の中で、殺されました」


 母親の指が上着を掴む。


「あなたが、殺したのですか」


 クレアが息を止める気配がした。


「命じてはいません」


 私は答えた。


「ですが、責任はあります」


「責任を取れば、帰ってきますか」


「帰りません」


 母親の頬を涙が伝う。


「では、責任とは何ですか」


 私は答えられなかった。


 賠償。


 謝罪。


 処罰。


 再発防止。


 どれも必要で、どれも息子の代わりにはならない。


 少女が口を開く。


「治安局は、なくなりますか」


「いいえ」


 母親が顔を上げた。


「また誰かが死ぬかもしれないのに?」


「同じことが起きない仕組みへ改めます」


「同じことは、もう起きたのです」


 言葉が胸へ刺さる。


「爆弾から人を守るために、必要な組織です」


「息子は、何から守られたのですか」


 私は黙った。


 面会の終わりに、母親は賠償文書へ署名しなかった。


「金がいらないのではありません」


 彼女は言った。


「今は、息子の値段を書けません」


「期限は設けません」


「そうしてください」


 二人が帰った後、少女の薬包が一つ、椅子の下に落ちていた。


 クレアが拾う。


「お届けいたします」


「お願いします」


 面会後、マリアンヌ様が廊下で待っていた。


「局を廃止なさらないのですね」


「はい」


「責任者を処刑すれば、組織の責任は終わりますか」


「終わりません。だから再編します」


「再編して、さらに大きく?」


「監察には人が必要です」


「取締りにも」


「必要です」


 彼女は、私を責める言葉を飲み込んだ。


「セラフィーナ様は、組織を信じているのですか」


「信じていません」


「では、なぜ」


「信じなくても動くよう、規則を増やします」


「規則を破る人が、また出たら?」


「処罰します」


「死んだ後に?」


 答えられなかった。


 クレアが、青年の上着へ残っていた糸くずを指で取った。


「妹君が、これを受け取りたいと」


「返してください」


「洗わずに?」


「そのままで」


 家族が知っている匂いまで、国家が整えて消すべきではない。


 翌日、特別法廷は取調班責任者へ死刑を言い渡した。


 私は執行命令へ署名した。


 同じ日に、治安調査局再編命令にも署名した。


 職員の増員。


 監察部の拡大。


 拘束施設の改修。


 組織は、以前より大きくなった。


 夕刻、議会から文書が届いた。


 無実の市民の拷問死と、治安調査局存続の決定について、国家指導部への不信任案を提出する。


 私は青年の死亡報告と、不信任案を同じ机へ置いた。


 責任者は死んだ。


 組織は残った。


 取り返しのつかない死だけが、どちらの文書にも収まらずに残っていた。

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