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婚約破棄された公爵令嬢を辺境へ連れ帰ったら、俺の領地が王国で一番幸せになりました!?  作者: ぱるめりあ
第九部 正しい独裁

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第96話 マリアンヌの忠告

 演説が終わった夜、マリアンヌ様は私的な会談を求めた。


 官邸の小さな応接室。


 護衛も書記も入れない。


 クレアだけが、紅茶を置いて壁際へ下がった。


「爆破を止めた功績を、私は否定しません」


 マリアンヌ様は最初に言った。


「セラフィーナ様の判断で、救われた人が大勢います」


「ありがとうございます」


「非常権限へ賛成したことも、後悔していません」


 私は顔を上げる。


「なら、何を」


「今の使い方です」


 彼女は数枚の文書を卓へ置いた。


「秘密拘束。令状なしの家宅捜索。出版物の事前検査。集会申請の不許可」


「爆破犯の連絡を断つためです」


「すべてに、具体的な根拠がありますか」


「危険な地区と団体を指定しています」


「団体へ属するだけで、個人の自由を制限してよいのですか」


「爆破は、個人ではなく組織で行われました」


「組織へ疑いがあれば、構成員全員を?」


「調査が終わるまでです」


「期限は?」


 私は答えなかった。


「三十日の非常権限は、明日で切れます」


「脅威は消えていません」


「だから延長するのですか」


「必要なら」


 マリアンヌ様は文書を一枚開いた。


「この男は、反政府新聞を印刷したことで十日間拘束されています」


「記事には、治安局への抵抗を促す表現がありました」


「暴力を促してはいません」


「抵抗という言葉は、解釈によって」


「解釈で拘束しているのですか」


 声が鋭くなる。


 私はカップへ手を伸ばし、止めた。


「言葉だけではありません。彼の印刷所から、爆破犯が使った紙と同じ紙が見つかりました」


「王都で最も広く売られている紙です」


「可能性はあります」


「可能性で十日間?」


「釈放すれば証拠を隠すかもしれません」


「その考え方なら、誰でも拘束できます」


 部屋が静かになる。


 クレアは動かない。


「秘密警察という呼び名が、市民の間で使われています」


 マリアンヌ様が言った。


「正式名称は治安調査局です」


「名前の問題ではありません」


「監督委員会があります」


「委員は、治安局が選んだ資料しか見られません」


「捜査情報をすべて公開はできません」


「では、監督になっていません」


 私は卓上の文書を揃えた。


「実務を知らない理想論です」


 言った瞬間、クレアの指がわずかに動いた。


「クレア」


「はい」


「何かありますか」


 彼女は迷った。


「申し上げても、よろしいでしょうか」


「どうぞ」


「近頃、官邸の使用人が会話をやめます」


「なぜ」


「廊下に治安官が立っているからです」


「機密漏洩防止です」


「料理の味についても、話さなくなりました」


 胸が詰まる。


「それは、過剰な反応です」


「はい」


「命令していません」


「はい」


「なら、私にどうしろと」


「恐れている事実をご覧ください」


 クレアの声は静かだった。


 マリアンヌ様だけではない。


 毎日そばにいたクレアまで、同じものを見ている。


「私は、命を救いました」


 言葉が口から出た。


「はい」


「病院も学校も市場も守った」


「存じています」


「実際に爆破計画を止めた。あの権限がなければ、もっと死者が出た」


「はい」


「なら、必要だったのです」


「必要だったことと、今も正しいことは同じではありません」


「脅威は続いています」


「続いていると判断するのは誰ですか」


「治安局と、私です」


「議会ではなく?」


「議会は情報を持っていません」


「情報を秘密にしたのは治安局です」


 胸の奥で、何かが熱くなる。


「全員へ公開すれば、犯人に漏れます」


「では、誰があなたを止めるのですか」


「私は、国を守っています」


「兄も、そう言いました」


 空気が止まった。


「私をヴィクトルと同じだと?」


「目的が同じだとは言っていません」


 マリアンヌ様の目に涙が浮かぶ。


「兄は国を守ると言いながら国を壊しました」


 私は何も言えなかった。


 彼女は続ける。


「兄は、反対者を国家の敵と呼びました。手続きを待てば人が死ぬと言いました。自分だけが必要な情報を持っていると」


「私は、虚偽証拠を作っていません」


「まだ、です」


 その言葉に、椅子を引きそうになった。


 しかし、動かなかった。


「私が、これから作ると?」


「作らなくても、疑いを事実として扱い始めています」


「爆破が現実に起きている」


「現実の危険が、すべての手段を正しくするのですか」


「私は、アレンを守れなかった」


 声が震えた。


 言うつもりはなかった。


「二度と、同じ失敗をしたくないのです」


 マリアンヌ様の涙が落ちる。


「だからこそです」


 彼女は両手を握った。


「今のあなたは、アレン様を守ると言いながら、アレン様の国を壊しています」


 息ができなくなった。


 クレアが一歩動く。


 私は手で止めた。


「アレンの国を」


「彼は、一人へ権限を集めることを拒みました」


「彼は死にました」


 低い声が出た。


 マリアンヌ様の肩が震える。


「彼の方法では、彼自身を守れなかった」


「そうです」


 否定されなかった。


「だから、私も迷いました。セラフィーナ様へ権限を渡すことに賛成した」


「なら」


「それでも、彼の死を理由に、彼が拒んだ国へ戻してよいとは思えません」


 私は立ち上がり、窓へ向かった。


 冬の夜。


 検問の灯りが通りに並ぶ。


 安全な街。


 静かな街。


 誰も集まらず、歌わず、夜道で立ち話をしない街。


「私は、何をすればよいのです」


「権限を返してください」


「次の爆破が起きたら?」


「議会と責任を分けてください」


「決定が遅れる」


「遅くても、止める人がいます」


「その間に死者が」


「一人で決めても、死者は出ます」


 答えられない。


 救った人の数は知っている。


 拘束した人の数も。


 その中に、無実の者が何人いるかは、審理が終わっていない。


「ヴィクトルは、最初から国を壊そうとしたのではありません」


 マリアンヌ様が言う。


「国庫を守ろうとした。軍を飢えさせたくなかった。地方が分裂するのを恐れた」


「知っています」


「だから、怖いのです」


「何が」


「善意と恐怖だけでも、同じ場所へ行けることが」


 私は卓の端を掴んだ。


「私には、彼と違って反対者がいます」


「兄にもいました」


「私は、あなたをここへ呼んでいる」


「兄も最初は、私の話を聞きました」


「私は、法を」


「最初の越境を、法の外で行いました」


 呼吸が止まる。


 彼女は知っている。


 詳細ではない。


 けれど、法廷で釈放された男が消えたことを。


「証拠はあるのですか」


 自分の声が、他人のものに聞こえた。


 マリアンヌ様は目を閉じた。


「その問いを、私へ向けるのですね」


 私は何も言えなかった。


「あなたを、兄と同じにしたくないのです」


 マリアンヌ様が言う。


「政治的な理由だけではありません」


 私は振り返る。


「私は、セラフィーナ様を姉のように思っています」


 涙を拭わず、彼女は続けた。


「兄を止められなかった。だから、今度は黙りたくありません」


「私を失うと?」


「もう、少しずつ失っています」


 その言葉の方が、責められるより痛かった。


「今日の演説で、皆が頭を下げた時」


 マリアンヌ様は言う。


「セラフィーナ様は、支持されたと思いましたか」


「反対は出ませんでした」


「それが答えです」


 沈黙が長く続いた。


 私は彼女を拘束しない。


 追放もしない。


 その考えが一瞬でも浮かんだこと自体が恐ろしかった。


「帰ってください」


 私が言うと、マリアンヌ様の顔が白くなる。


「今夜は」


 言い直す。


「今夜は、休んでください。明日、議会で話します」


「権限を」


「考えます」


「本当に?」


「はい」


 彼女は立ち上がった。


 扉の前で振り返る。


「嫌われても構いません」


「嫌っていません」


「ありがとうございます」


 扉が閉じる。


 クレアが残る。


「何か、お召し上がりになりますか」


「いいえ」


「紅茶を替えます」


「そのままで」


 冷めたカップの向こうに、空席がある。


 以前、アレンが使っていた椅子。


 私は、その背へ触れた。


「クレア」


「はい」


「ハルフォード領の屋敷は、今も住めますか」


 彼女の目がわずかに見開かれる。


「はい」


「私の部屋も?」


「毎週、整えております」


「家族肖像画は」


「階段の踊り場に」


 私は目を閉じた。


「帰る準備を」


 声が出ない。


 もう一度、息を吸う。


「クレア。明日、話があります」


「承知しました」


 クレアが冷めた紅茶を下げようとした。


「待ってください」


 私はカップを取る。


 一口飲む。


 味はしない。


「アレンがいないことを理由に、国へ同じ穴を開けているのかもしれません」


 声にしたのは初めてだった。


 クレアは慰めなかった。


「お戻りになる場所は、残っております」


「私が壊していなければ」


「壊したものは、直すこともできます」


「すべては戻りません」


「はい」


 その返事が、決断を現実にした。


 権限を返す。


 政治を離れる。


 帰る。


 その言葉を、初めて本気で考えた。

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