第86話 これで終わりです
実行犯の刑は、秋の朝に執行された。
私は立ち会わなかった。
被害者遺族であり、暫定政府の法務委員でもある私が、執行の場へ立つ必要はない。
報告書だけを受け取る。
「午前六時。刑の執行を確認」
法務官が読み上げる。
「医師二名が死亡を確認。立会人の署名は別紙の通りです」
紙を受け取る。
時刻。
手順。
異常なし。
最後の言葉は記録されていない。
本人が希望しなかったとある。
「ヴィクトル元王太子の刑も、予定通り執行されました」
別の報告書。
マリアンヌ様は、立ち会わなかった。
彼女も、執行後の確認だけを受け取った。
同じ執務室の向こう側に座っている。
顔は白い。
「兄上は」
声が止まる。
法務官が待つ。
「何か、残しましたか」
「書面が一通ございます」
封書が差し出される。
宛名はマリアンヌ。
彼女の手が震える。
「後で、一人で読みます」
「承知しました」
報告が続く。
執行施設の記録。
遺体の扱い。
家族への引き渡し。
墓所。
すべて、法に従って進む。
私が求めた通り。
報復による遺体損壊もない。
見世物にもしていない。
国民へは、簡潔な公告だけを出す。
「これで、主要被告への刑は完了しました」
法務官が言った。
完了。
私はその言葉を待っていたはずだった。
「はい」
声は、いつも通り出た。
「これで終わりです」
窓の外で、時計塔が七度鳴った。
執行の時刻から一時間。
世界は、何も変わらない速度で動いている。
通りでは荷車が進み、役人が書類を運び、厨房から朝食の匂いが上がる。
法が一つの命を終えた日にも、人々はパンを食べる。
アレンが亡くなった日も、そうだった。
会議室の全員が、少し息を吐いた。
長い捜査。
裁判。
抗議。
請願。
国中を覆った怒り。
それらへ一つの区切りがついた。
「暗殺捜査本部は縮小します」
私は指示を出す。
「未解決の資金経路と武器取引は、通常の司法機関へ移管してください」
「旧王党派の監視は?」
「具体的な犯罪の証拠がある者だけです」
「急進派は」
「同じです」
「特別拘禁者は?」
「再審査を。法定期限を超えている者がいれば釈放してください」
まだ、私は法の内側にいる。
終わったからこそ、非常の扱いを戻す。
アレンなら。
その言葉を考え、止めた。
彼なら何と言うかを、私は知らない。
知っているふりをしてはいけない。
会議が終わり、皆が退出する。
マリアンヌ様だけが残った。
封書を両手で持っている。
「セラフィーナ様」
「はい」
「これで、終わったのでしょうか」
私は答える。
「法的には」
「心は?」
答えられない。
彼女も、答えを求めていなかった。
「兄上を許せません」
マリアンヌ様が言う。
「でも、死んだことが悲しい」
「はい」
「矛盾していますか」
「いいえ」
「セラフィーナ様は」
彼女は私を見る。
「実行犯が死んで、何か変わりましたか」
私は机の上の報告書を見る。
紙が二枚。
死者が二人。
「終わりました」
同じ言葉を繰り返す。
マリアンヌ様は目を伏せた。
「私は、少し休みます」
「はい」
「セラフィーナ様も」
「後で」
扉が閉じる。
執務室に一人になる。
午後の光が、空席へ落ちている。
以前、アレンが使っていた椅子。
王都で共同執務をしていた頃のもの。
片づける案は何度も出た。
私は許可しなかった。
資料を置く席として必要だと説明した。
今、何も置かれていない。
「終わりました」
向かいの椅子へ言う。
返事はない。
「犯人は裁かれました」
返事はない。
「ヴィクトルも、過去の罪で」
返事はない。
「法を守りました」
声が少し揺れる。
「あなたが作った国の法を」
返事はない。
私は報告書を閉じた。
印章箱へ入れる。
鍵をかける。
これで終わり。
そうすれば、次へ進める。
国の仕事へ戻れる。
ハルフォード領へ帰れる。
家族肖像画の前で食事ができる。
夜に一人分の紅茶を淹れられる。
できるはずだ。
夕方、私室へ戻る。
クレアが夕食を用意していた。
一人分。
食器の位置は正確だった。
「向かいの席は」
口にしてから止める。
クレアは待つ。
「何でもありません」
「はい」
食事をする。
パンを一口。
スープを一口。
味は薄くない。
塩も適切。
それでも、何も残らない。
「紅茶を」
「一杯でよろしいでしょうか」
クレアが尋ねる。
私はうなずく。
「一杯で」
茶器が運ばれる。
湯気が立つ。
今度は、向かいに冷めるカップがない。
正しい数。
必要な分だけ。
「これでよいのです」
私は言った。
クレアは何も答えない。
紅茶を飲む。
温かい。
香りもある。
けれど、昨夜までと同じ茶葉なのかわからない。
「セラフィーナ様」
「はい」
「今夜は、お休みください」
「眠れます」
「眠れなくても、横になってください」
「はい」
素直に答える。
クレアは髪を解く。
銀の葉の髪飾りを外し、机へ置く。
鏡の中に、私だけがいる。
「クレア」
「はい」
「終わったのです」
「はい」
「これで、アレンを殺した者はいません」
クレアの手が止まる。
「生きて、罰を逃れている者は」
「捜査は続きます」
「主要な者は裁かれました」
「はい」
「なら、終わりです」
クレアは鏡越しに私を見る。
終われば、何かが戻ると思っていた。
朝になれば、胸の痛みが少しだけ軽くなる。
彼を奪った者がいなくなれば、私の中で止まった時間も動き出す。
そうでなければ、何のために裁いたのかわからない。
「終わったことに、なさりたいのですね」
私は振り返った。
「何が違うのですか」
「申し訳ございません」
「答えてください」
声が強くなった。
クレアは逃げない。
「法的な手続きは終わりました」
「はい」
「ですが、セラフィーナ様の悲しみには、期限がありません」
「悲しみは、裁判の対象ではありません」
「存じております」
「なら」
「終わらなくてもよいのではありませんか」
胸の奥で、何かが崩れそうになる。
私は立ち上がった。
窓辺へ行く。
外は暗い。
王都の灯りが並んでいる。
「終わらなければ、私は何をすればよいのです」
クレアはすぐに答えない。
「生きてください」
あまりに簡単な言葉だった。
「それだけですか」
「はい」
「どうやって」
「今日の分を」
アレンも、似たことを言った。
役に立たない日があっても、ここにいてよい。
けれど、彼はいない。
その言葉を今の私へ言う声がない。
「今日は、終わりました」
クレアが言う。
「明日のことは、明日で構いません」
私は窓から離れた。
寝台へ座る。
指輪を外さない。
髪飾りも、机の上にある。
「これで終わりです」
もう一度言う。
今度は、誰も同意しなかった。
紅茶は、一杯だけ。
冷める前に飲み切った。
それでも、夜は終わらなかった。




