第83話 暗殺の網
暗殺には、一人の黒幕がいる。
私は、そう考えたかった。
命じた者がいる。
金を出した者がいる。
実行した者がいる。
一本の線で結べれば、その先へ法を進められる。
けれど、机の上に広がった記録は、線ではなく網だった。
「旧王党派が、実行犯へ接触した記録です」
マリアンヌ様が一枚の報告書を置く。
「革命一周年を、王政復古の契機にしようとしていた」
「資金は?」
私が問う。
「一部は旧貴族の隠し口座から。ただし、暗殺命令そのものは確認できません」
ガレスが別の束を出す。
「警備担当者の一人が、花束列の検査を省略した」
「買収ですか」
「金は受け取っている。だが、相手は武器商人の仲介人だ」
アニエスが帳簿を開く。
「その武器商人は、王党派だけじゃない。革命急進派にも短銃を売ってる」
「両方へ?」
「不安が広がるほど売れるからね」
彼女の声に、いつもの快活さはない。
「外国の商会を経由した火薬もある。でも、国家命令か、ただの密輸かは不明」
机の中央へ、五つの印を置く。
旧王党派。
革命急進派。
武器商人。
警備担当者。
外国勢力。
どれも関与している。
どれも、全体を支配してはいない。
「急進派の目的は?」
「革命の象徴を殺し、穏健な暫定議会を崩すこと」
マリアンヌ様が答える。
「アレン様が生きている限り、暴力革命へ進まないと考えていたようです」
旧王党派は、彼を共和国の象徴として憎んだ。
急進派は、彼を穏健すぎる障害として憎んだ。
正反対の者たちが、同じ死を望んだ。
「実行犯は、どちらの指示を受けたのですか」
私が尋ねる。
「本人は、旧王党派の使者から依頼されたと供述しています」
法務官が記録を示す。
「しかし、受け取った金の一部は急進派の募金口座から流れている」
「では、両者が共謀?」
「直接の接触はありません」
アニエスが指で帳簿をなぞる。
「武器商人が、両方へ同じ計画を売った可能性がある」
「計画を売る?」
「王党派には、共和国の英雄を殺せると。急進派には、穏健派を排除できると」
「同じ実行犯を?」
「実行犯本人は、自分が誰の目的を果たしているか知らなかったのかもしれない」
私は短銃の記録を見る。
安価な部品。
複数の工房。
偽造された製造印。
花束列の許可証は、本物の様式を使った偽物。
警備担当者は金を受け取り、検査を一つ省略した。
暗殺を望んだとは認めていない。
ただ、面倒な手順を飛ばした。
武器商人は、利益のために短銃を渡した。
誰が死ぬかへ関心がなかった。
外国の仲介人は、共和国が混乱すれば交易条件が有利になると考えた。
急進派は、混乱後に非常評議会を作るつもりだった。
旧王党派は、混乱後に王族傍系を担ぐつもりだった。
皆が違う未来を望み、同じ引き金へ金を重ねた。
「誰が、アレンを殺したのですか」
私は聞いた。
会議室が静かになる。
「引き金を引いたのは実行犯だ」
ガレスが答える。
「だが、そこまで運んだ手は一つじゃない」
「法は、どこまで責任を問えますか」
「証拠があるところまでです」
法務官が答えた。
正しい。
正しすぎる。
私が欲しいのは、彼を殺した全員の名前だった。
けれど、網の一部は影の中にある。
意図の証明ができない者。
関与はあるが、殺害を予見できたか不明な者。
違法な利益を得たが、暗殺との直接関係がない者。
ガレスが、警備担当者の供述を机へ置いた。
「こいつは、花束の検査を一つ飛ばせば銀貨をもらえると思っただけだと言っている」
「暗殺計画を知っていた証拠は?」
「ない。だが、規則を守っていれば短銃は入らなかった」
「過失と収賄は問えます」
「殺人の共犯は?」
「予見していた証拠が必要です」
ガレスの顎が硬くなる。
「アレンは、その証拠の不足まで守るのか」
私はすぐに答えられなかった。
「法が守ります」
やがて言う。
「誰のためでもなく」
「一人の黒幕を作れば、説明は簡単です」
マリアンヌ様が言った。
「国民も納得するでしょう」
「ですが、嘘になります」
「はい」
兄を裁いた彼女は、簡単な物語を選ばない。
「王党派の首領がすべて命じたことにする案が、議会内で出ています」
「却下します」
「証拠がないから?」
「それもあります」
私は網の図を見る。
「一人を処刑して終わりにすれば、武器商人も、警備の腐敗も、急進派の暴力も残ります」
暗殺を生んだ条件が残る。
次の誰かが、別の引き金を引く。
「では、個別に」
アニエスが言う。
「殺人。共謀。違法な武器取引。買収。文書偽造。外国資金の未申告」
「罪を分けます」
私はうなずいた。
「同じ刑へまとめません」
「国民は、甘いと言う」
ガレスが言う。
「言わせてください」
「お前が耐えられるか」
彼は私を見た。
公の場では役職名を使うべきところだが、昔からの言葉が出たのだろう。
アレンへ向けていた口調と同じだった。
「耐えます」
答える。
「耐えられなくても、法を変えません」
ガレスは何も言わなかった。
会議が終わっても、私は閲覧室へ残った。
網の図を一人で見る。
中央に、空白がある。
本来なら、そこへ「黒幕」と書けばよい。
けれど、書けない。
アレンは、一人の英雄が国を救う物語を拒んだ。
ならば、一人の悪人がすべてを壊した物語も、拒まなければならない。
人々の小さな選択。
利益。
怠慢。
怒り。
恐怖。
それらが重なり、彼を奪った。
クレアが紅茶を持ってくる。
一杯だけ。
「お食事の前ですので、薄めにいたしました」
「ありがとうございます」
カップを持つ。
温かい。
「クレア」
「はい」
「もし、一人の名前が見つからなかったら」
続きが出ない。
「終われないのでしょうか」
クレアは答えを急がなかった。
「終わらせるために、誰か一人を選ぶのですか」
私は目を閉じた。
「いいえ」
「では、見つかった事実を、そのまま残してください」
「それでは、足りません」
「足りなくても、事実です」
厳しい言葉だった。
アレンなら、同じことを言っただろうか。
わからない。
彼の新しい答えを作ってはいけない。
私はカップを置き、図の中央の空白を消した。
黒幕の欄そのものを削る。
代わりに、各事件を結ぶ線へ証拠番号を書いた。
一人へ収束しない網。
わかりにくく、終わりにくい真実。
それを法廷へ持っていく。
「ヴィクトルの裁判資料も、分けてください」
私は法務官へ命じた。
「暗殺の責任と、過去の国家犯罪を混同しないように」
彼の罪は、彼の罪として。
証拠のある範囲で。
机の上の網は、夜が明けても一つの顔にはならなかった。




