↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
婚約破棄された公爵令嬢を辺境へ連れ帰ったら、俺の領地が王国で一番幸せになりました!?  作者: ぱるめりあ
第八部 あなたのいない世界

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
79/113

第79話 帰ると約束したのに

 革命一周年記念祭の広場は、朝から人で埋まっていた。


 白い布旗。


 焼きたてのパン。


 子どもたちの歌。


 歌詞の一部がやはり収穫祭になっていたが、誰も気にしなかった。


「革命を祝う歌としては、農作物が多すぎませんか」


 セラが小声で言う。


「国民の生活に結びついているということで」


「便利な解釈ですね」


「間違えた子を叱るよりは」


 壇上から見ると、広場の端まで笑顔が続いている。


 王都から来た代表者。


 ハルフォード領の人々。


 橋を開けた兵士。


 革命に反対票を入れた老人まで、同じ列でパンを受け取っていた。


「一年前は、三千人で王都へ向かっていました」


 マリアンヌが言う。


「今日は、その倍以上が集まっています」


「戦わないために集まった人数なら、喜べます」


 俺が答える。


 アニエスは配給台の確認で忙しい。


 クレアは来賓の席と救護所を行き来している。


 ガレスは広場を見渡しながら、少し不満そうな顔をしていた。


「警備を増やすべきだ」


 式典が始まる前、三度目の提案だった。


「増やしています」


「足りん。壇の周囲へ二列」


「それだと、市民が近づけません」


「近づけなくていい」


「今日は、皆と話す日です」


「英雄を見に来た連中は、遠くからでも満足する」


「英雄ではありません」


「わかっている。だから余計に、お前は近づきすぎる」


 ガレスは真面目だ。


 俺も、警備をなくすとは言っていない。


 入口の持ち物確認。


 壇の左右の兵士。


 屋根の監視。


 救護所。


 必要なものは用意した。


「二列は多いです」


「一列半」


「半分って何です」


「交互に立たせる」


「子どもが怖がります」


「一列」


「それで」


 ガレスは深い溜息をついた。


「お前は、王にならないくせに、市民へ近づきたがる」


「王ではないからです」


「何かあったら、俺がセラフィーナ様に殺される」


「私が?」


 セラが振り返る。


「比喩です」


「ガレス。適切な警備は必要ですが、祝祭の意味もあります」


「お二人とも同じことを言う」


「夫婦ですので」


 セラが少し得意そうに言った。


 俺は笑う。


「最近、その言葉が便利になっていますね」


「事実です」


 広場の一角では、各地方の料理を並べる催しが開かれていた。


 北部の塩漬け肉。


 南部の果物。


 王都の柔らかい白パン。


 ハルフォード領からは、豆と蕪のスープ。


「なぜ蕪なんですか」


 俺が聞く。


 料理人が胸を張る。


「領地改革の原点だと、若奥様が」


「私は、そこまで申し上げておりません」


 セラが訂正する。


「苦い蕪を、皆でおいしく食べられるよう工夫した話はしました」


「十分、原点ですよ」


 料理人が椀を差し出す。


 セラは一口飲み、慎重にうなずいた。


「以前より、苦くありません」


「蜂蜜を少し」


「甘すぎない?」


 俺も飲む。


「おいしいです」


「夫婦で評価が違いますね」


「味覚の多様性です」


 近くの市民が笑う。


 革命一周年の催しが、税制や憲法ではなく蕪の味から始まるのも悪くない。


 次の屋台では、子どもたちが自分で書いた権利札を展示していた。


『まちがえても、なおせる』


『おなかがすいたら、パンをたべる』


『おとなも、こどものはなしをきく』


「最後は耳が痛いですね」


 俺が言う。


「聞いていますか」


 セラが尋ねる。


「今、聞きました」


「では合格です」


 子どもが札を一枚渡してくる。


『いえにかえっていい』


 俺はセラへ見せた。


 彼女は両手で受け取る。


「これは、領主館へ飾りましょう」


「食堂に?」


「家族肖像画の近くへ」


「子どもの字ですけど」


「だからこそです」


 未来の家族にも見せられる。


 俺たちは、そんな話をしていた。


 式典が始まる。


 長い政治演説はしないと決めていた。


 暫定議会の報告。


 地方協議の進捗。


 焼失した村への支援。


 それぞれを担当者が短く話す。


 俺の番では、去年の失敗と、協力した人々の名を読み上げた。


「革命は、一人の英雄が起こしたものではありません」


 広場へ声を届ける。


「パンを運んだ人。門を開けた兵士。反対意見を記録した人。傷ついた者を治療した人」


 壇の下で、クレアが少しだけ目を伏せる。


「これからも、誰か一人へ国を預けないでください」


 拍手が起きる。


 俺は壇を降りた。


「短かったですね」


 セラが言う。


「褒められています?」


「はい」


「昨日練習した半分を忘れました」


「やはり」


「顔に出ていました?」


「途中で原稿を逆さに持っていました」


「誰も気づいていないと」


「最前列は気づいていました」


 子どもたちが笑っている。


 俺も笑った。


 昼食では、俺たちは来賓席を抜けて市民の長卓へ座った。


 ガレスは嫌そうだったが、一列の警備を保ったまま許した。


「肉を取ってください」


 セラが皿を差し出す。


「自分で取れます」


「遠いでしょう」


「夫なので?」


「隣にいるので、です」


 焼いた肉が一切れ。


 豆。


 そして蕪。


「俺の蕪だけ多くない?」


「健康のためです」


「妻の権限?」


「家庭内規則です」


 向かいの老夫婦が笑う。


「うちも同じだ」


 夫が言う。


「妻が皿を決める」


「長生きしたでしょう」


 妻が返す。


「確かに」


 二人の髪は真っ白だった。


 俺はセラと目を合わせる。


 昨夜の約束を、互いに思い出していた。


「私たちも」


 セラが小さく言う。


「はい」


 何十年後も、同じように蕪の量で言い合う。


 自然にそう思えた。


 昼食後、子どもたちの競走へ巻き込まれた。


「若旦那様も走って!」


「礼服です」


「去年、王都まで走ったんでしょ!」


「馬と徒歩です」


「じゃあ速い!」


 理屈がつながっていない。


 俺は短い距離だけ走り、普通に子どもへ負けた。


「革命の英雄、遅い!」


「英雄は仕事ではありません!」


 広場中から笑いが起きる。


 セラは口元を押さえていた。


「笑いすぎです」


「申し訳ありません」


「全然そう見えません」


「夫が、子どもへ本気を出さなかったことを誇りに思います」


「本気でも負けていました」


「それは、今は言わない方が」


「もう言いました」


 息を整えながら、俺も笑った。


 特別な一周年は、こうして普通の祭りになっていった。


 昼になると、花束を渡す列ができた。


 市民が代表者へ直接、花や手紙を渡す時間だ。


 ガレスはまた嫌そうな顔をした。


「列を短くしろ」


「皆、並んでいます」


「長すぎる」


「祭りなので」


 セラは子どもから白い花を受け取る。


「ありがとうございます」


「若奥様、歌、間違えた」


「知っています」


「怒らない?」


「次は、正しい歌詞も覚えてください」


「来年?」


「はい、来年です」


 子どもは笑って走っていく。


 次は老夫婦。


 次は元兵士。


 次は市場の女性たち。


 花束が増え、壇の脇へ積まれていく。


「今夜の紅茶に、一輪飾りましょう」


 俺が言う。


「どれがよいでしょう」


「セラが選んで」


「では、最後にいただいた花を」


「なぜ最後?」


「公平に選べないので、順番で」


「政治家らしいですね」


「家庭内です」


「では、妻として選び直します」


 次の列が進む。


 列の途中で、クレアが水を持ってきた。


「少しお休みください」


「あと何人?」


「三十人ほどです」


「皆、待っています」


「待つことも祝祭の一部です」


 セラが杯を受け取り、俺へ渡す。


「飲んでください」


「妻として?」


「水分管理の担当として」


「新しい役職?」


「今、決めました」


 水を飲む。


 セラも一口。


「今夜の紅茶へ使う花、まだ決まっていません」


「最後の花でしたね」


「はい」


「三十人後」


「楽しみです」


 俺は空の杯をクレアへ返した。


「夕食には何を?」


「祭りの残りを少しずつ」


「蕪は?」


「入っております」


「逃げられませんね」


「健康でいていただくためです」


 セラの笑顔が近い。


 俺は次の人へ向き直った。


 若い男が、大きな花束を抱えていた。


 顔は花に半分隠れている。


 前の人が動く。


 男が一歩近づいた。


 花束の奥で、黒い筒がこちらを向いた。


 考えるより先に、体が動いた。


 セラの肩を押す。


 自分の体を、その前へ入れる。


 乾いた音がした。


 一瞬、祭りの拍手に聞こえた。


 白い花びらが宙へ舞う。


 胸の奥で、熱いものが弾けた。


 息が消えた。


 足元の石畳が傾く。


「アレン!」


 セラの声が、広場のすべての音を切り裂いた。


 俺の腕の中で、彼女の体は無事だった。


 それだけを確かめる。


 次の瞬間には膝から力が抜け、俺は彼女を巻き込むように崩れた。


「アレン、私を見てください。アレン!」


 頬へ両手が触れる。


 白い手袋が、みるみる赤くなる。


 セラはそれを見ない。


 見ないまま、俺の顔だけを見ている。


「救護を! 早く!」


 クレアの声。


 ガレスの怒鳴り声。


 兵士が誰かを地面へ押さえつける音。


 全部が遠い。


「ここです。私はここにいます」


 セラが俺の頭を膝へ載せる。


「息をしてください。ゆっくり。私に合わせて」


 彼女が大きく息を吸う。


 俺も真似をする。


 胸が焼けた。


 吐くと、喉の奥が濡れた。


「上手です。もう一度」


 褒める声が震えている。


 俺はもう一度、息を吸った。


 痛い。


 でも、セラが見える。


 それだけで、もう一度できた。


「傷を押さえます」


 救護員が服を切る。


 布が胸へ当てられた瞬間、視界が白く弾けた。


「圧迫を続けて!」


「出血が止まりません」


「止めてください」


 セラの声は命令だった。


「止めなさい。何を使っても構いません。医師を。馬車を。王都からでも――」


「セラ」


 呼ぶと、彼女はすぐに俺へ戻った。


「はい。ここです」


「怪我は」


「ありません。アレンが庇ったから」


「よかった」


「よくありません!」


 叫んだ声が、途中で折れた。


「どうして、またご自分だけを数から外すのですか」


 涙が俺の頬へ落ちる。


「二人で守ると約束したのに。帰ると。白髪になるまで一緒にいると」


 昨日、俺が言った言葉。


 約束した。


 できると思っていた。


「ごめん」


「謝らないでください」


 彼女は俺の手を両手で包んだ。


「謝るなら、帰ってからにしてください。私が何度でも怒りますから」


「怖いです」


 約束どおり、正直に言う。


「私もです」


「セラが、一人になるのが」


「なりません」


 即答だった。


「絶対に、なりません。アレンが帰ってくるからです」


 彼女は未来を並べ始めた。


「市場の新しいパン屋へ行きます」


「うん」


「学校の窓を見ます。三枚ではなく、五枚割れました」


「増えたんだ」


「子どもたちを叱ってください」


「一緒に」


「はい。一緒に」


 言葉を重ねるたび、彼女は帰り道を作っている。


「肖像画も増やします。壁が足りなければ広げます」


「工事費が」


「私が計算します」


「子どもの名前も」


「まだ決めていません。だから、帰って話し合わなければなりません」


 声が急いでいる。


 俺が立ち止まれば、彼女まで暗い場所へ落ちると思っている。


「担架を!」


「脈が弱い」


「言わないで!」


 セラが救護員へ叫ぶ。


 すぐに俺へ顔を戻し、無理に微笑んだ。


「聞かなくてよいことです。アレンは私の声だけを聞いてください」


「聞いてる」


「では、返事を」


「はい」


「私の名前を」


「セラ」


 青い瞳が崩れる。


「もう一度」


「セラ」


「はい。私はここにいます」


 彼女の指が、俺の指輪へ触れた。


「妻です。あなたの妻です。だから一緒に帰ります」


 担架へ移される。


 体が揺れるたび、光が遠ざかる。


 空には白い花びらがまだ舞っていた。


 祝祭の旗。


 パンの匂い。


 子どもたちの泣き声。


 全部が、朝とは違うものに変わっている。


 昨日の夜を思い出す。


 紅茶。


 焼き菓子。


 まだ見ぬ子どもの名前。


 白髪になったセラ。


 食堂の壁いっぱいの家族肖像画。


「今夜の紅茶は……俺が淹れるって、約束したのに」


 セラの顔が完全に崩れた。


「淹れられます」


 彼女は何度もうなずく。


「遅くなっても構いません。薄くても、渋くても。私が全部飲みます」


 息が続かない。


「だから、帰って」


 彼女の額が、俺の手へ触れる。


「帰りましょう、アレン。家へ帰れば、まだ間に合います」


 家。


 領主館の玄関。


 家族用の皿。


 二つのカップ。


 帰れば、セラがただいまと言う。


 俺が、おかえりと言う。


「うん……帰ろう、セラ」


 指へ力を込めたつもりだった。


 彼女の手は温かい。


 その温かさが、急に遠くなる。


「アレン?」


 声が近い。


「アレン、返事をしてください」


 返したい。


 大丈夫ではないと。


 怖いと。


 愛していると。


 まだ何一つ言い終えていない。


「目を閉じないでください」


 まぶたが重い。


「私を見て。お願いです。命令ではありません。お願いですから」


 セラの顔が、光の向こうへ滲む。


「アレン」


 名前が揺れる。


「アレン、帰るのでしょう?」


 帰る。


 そう言いたい。


 声が出ない。


「嫌です」


 初めて聞く、子どものような声だった。


「いや。置いていかないで。アレン、お願い。私を一人にしないで」


 世界が暗くなる。


 最後まで聞こえたのは、彼女が俺の名を呼ぶ声だった。


「アレン――っ!」


 その絶叫だけが、暗くなる世界の向こうまで、俺を追ってきた。


 せめて、彼女を一人にしたくなかった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。