第77話 革命の英雄は仕事になりません
共同執務室では、俺とセラはかなり有能だった。
少なくとも、午前中までは。
「地方税制の暫定基準は、三案へ絞れます」
セラが書類を並べる。
「農村部は収穫量、都市部は営業利益、輸送業は距離と積載量を基準に」
「小規模商人には固定額の方が簡単では?」
「利益を把握できない場合のみです。固定額を原則にすると、貧しい商人ほど負担が重くなります」
「では、簡易申告を」
「学校の成人講座で帳簿の付け方を教えましょう」
「賛成です」
書記たちが次々記録する。
昼前には、未処理だった書類の山が半分になった。
「さすが革命の英雄ご夫妻」
若い役人が感心したように言う。
「その呼び方はやめてください」
俺とセラが同時に答えた。
「息が合っていますね」
「仕事ですから」
セラは平静だ。
「英雄という役職はありません」
「お給金も出ません」
俺が続ける。
役人たちが笑う。
「では、午後の書類を持ってきます」
「まだあるんですか」
「革命後ですので」
嫌な便利さのある言葉だ。
昼食は執務室の隣で取った。
役人たちは食べながらも書類を広げようとしたため、セラが全員から紙を取り上げた。
「汁がこぼれます」
「時間がありません」
「濡れた法案を後で読み直す時間の方が無駄です」
役人たちは素直に食事へ戻った。
俺もパンを片手に一枚だけ書類を見ようとする。
セラが無言で抜き取った。
「俺も?」
「全員、です」
「夫なので例外は」
「公務ではありません」
「家庭では?」
「食卓へ書類を持ち込まない規則を作ります」
「憲法より厳しい」
「違反者が目の前におりますので」
役人たちが笑いをこらえている。
俺はパンを食べるしかなかった。
公の場で頼れる指導者に見えているかは怪しいが、少なくとも昼食は守られた。
昼休憩を挟み、午後も会議が続いた。
兵士の退職手当。
市場の計量基準。
地方間の道路修繕費。
セラは数字を整理し、俺は現場で運用できるかを確認する。
意見が違っても、相手の話を最後まで聞く。
夫婦になっても、その部分は変わらない。
「この案では、雨季に橋の点検が集中します」
「では、北部は雪解け後、南部は雨季前へ分けます」
「賛成です」
書記が最後の記録を終える。
「以上です」
「本当に?」
「本日の公開会議は」
役人たちが退室する。
扉が閉じる。
共同執務室に、俺とセラだけが残った。
「終わりましたね」
「まだ署名が十二件あります」
「英雄は仕事になりませんが、署名は仕事ですね」
「はい」
向かい合う机へ戻る。
椅子の位置を少し直した。
その時、机の下で足が触れた。
「すみません」
「いえ」
すぐ離す。
書類へ目を戻す。
数行読む。
内容が頭へ入らない。
「アレン」
「はい」
「先ほどの道路修繕案ですが」
「はい」
「……何でしたか」
セラも集中できていない。
「足が触れただけですよ」
「承知しています」
「夫婦ですし」
「公務中です」
「今は二人きりです」
「それでも公務です」
声は冷静。
耳が赤い。
「椅子を離しますか」
「そこまでではありません」
「では、このまま?」
「はい」
向かいの机ではなく、隣へ座れば手は触れにくいのでは、と考えた。
「席を変えますか」
「効率のためですか」
「はい」
セラは俺の隣へ椅子を移す。
結果、肩が近くなった。
書類は渡しやすい。
顔も近い。
「これは効率が」
「よくなりました」
「集中は?」
「検証中です」
セラの髪から、朝の香油の匂いがする。
数字へ視線を戻す。
三行目で、どこを読んでいるかわからなくなった。
「検証結果は?」
「配置変更を提案します」
「元へ?」
「少しだけ離れます」
椅子を指一本分ずらした。
「その程度で?」
「大きく離す必要はありません」
真顔で言う。
この人は時々、意図せず俺を困らせる。
いや、最近は意図的かもしれない。
書類を一枚取ろうと、同時に手を伸ばす。
今度は指が触れた。
また止まる。
「今日は、よく触れますね」
「机が狭いのでは」
「昨日まで同じ机でした」
「夫婦になると狭く感じる説が、再び」
「距離の問題です」
セラが真顔で答える。
昨日の朝と同じ言葉。
こちらの胸が跳ねる。
「その言い方、ずるくないですか」
「事実です」
「真顔で甘いことを言うのは」
「甘いこと?」
「わかっていない?」
「距離が近いことは、婚姻後の客観的変化です」
「そこを論理で押し切るんですね」
セラは首をかしげる。
本当に半分くらいはわかっていない。
残り半分は、わざとかもしれない。
「書類を」
彼女が手を差し出す。
俺は渡す。
指がまた触れる。
「今のは避けられましたね」
「そうですか?」
「幅があります」
「では、次から注意します」
少し残念そうに見える。
「避けなくてもいいです」
「公務中では?」
「業務効率に影響しない範囲で」
「どの程度ですか」
「指が触れるくらい」
「足は?」
「それは、少し影響しました」
「同感です」
二人とも真面目に規則を決めようとしている。
たぶん、普通の夫婦はここまでしない。
署名を再開する。
一件。
二件。
三件。
今度は集中できた。
四件目で、セラの髪が書類へ落ちる。
彼女が耳へかけようとするより先に、俺が手を伸ばした。
銀髪をそっと避ける。
「ありがとうございます」
「邪魔そうだったので」
「アレン」
「はい」
「公務中です」
「すみません」
「ですが」
セラは俺の手首を軽くつかむ。
「夫なのですから、その程度は許可します」
今度は完全に集中が切れた。
「無理です」
「何がですか」
「今の後に、税率の書類へ戻るのが」
「残り八件です」
「現実的ですね」
「終わらせてから帰りましょう」
「同じ家ですが」
「執務室から食堂へ」
「はい」
扉が一度開き、若い役人が顔を出した。
「追加の書類を」
「今日は受け付けません」
俺とセラが同時に答える。
「ですが、急ぎで」
「期限は?」
「三日後です」
「明日で間に合います」
セラが言う。
「お二人とも、まだお仕事を」
「家庭へ帰る時間です」
「同じ建物では?」
「部屋が違います」
役人は納得したような、していないような顔で扉を閉じた。
「革命の英雄は、追加書類を断るのですね」
「英雄ではなく、勤務時間を守る役人です」
「俺たち、役人なんですか」
「暫定議会から俸給を受けています」
「それなら、残業手当は」
「制度設計が必要ですね」
「今度にしましょう」
書類を増やす話をして、また残業になるところだった。
五件目。
六件目。
順調だ。
七件目で、俺は無意識に言った。
「セラと仕事をすると早いです」
「二人の得意分野が違いますので」
「それだけではなく」
「では?」
「隣にいてくれると、失敗しても相談できるので安心します」
セラの羽根ペンが止まった。
「アレン」
「はい」
「今の言葉へ、論理的な返答が見つかりません」
「なくてもいいです」
「公平では」
「返さなくて」
「いいえ」
彼女はしばらく考えた。
それから、真顔で言う。
「私は、アレンと同じ机で老いるまで仕事をしたいです」
今度は俺の羽根ペンが止まった。
「それは、かなり甘いです」
「事実です」
「論理的な返答が見つかりません」
「なくても構いません」
やり返された。
二人で笑う。
それでも、書類は終わらせた。
最後の署名へ二人の名を書き、束を揃える。
「革命の英雄は仕事になりませんね」
俺が言う。
「はい」
「夫は?」
「家庭内の役割です」
「給金は?」
「出ません」
「何がもらえますか」
セラは少し考え、手を差し出した。
「一緒に帰る権利を」
俺はその手を取る。
「十分です」
執務室を出る。
廊下では役人たちがまだ働いているため、手はすぐ離した。
それでも、肩は近い。
公の場では国家運営の共同者。
二人きりなら、足が触れただけで集中を失う夫婦。
どちらも俺たちで、どちらも悪くなかった。




