第75話 白百合の結婚式
式場は、白百合で埋め尽くされていた。
領主館の庭へ木の壇を組み、裁縫室で作った白布を張り、子どもたちが摘んだ花を道の両側へ並べている。
花の数が多すぎて、少し香りが強い。
「減らすか?」
ガレスが聞く。
「今さら?」
「お前がくしゃみを連発したら、誓いが聞こえん」
「大丈夫です」
「昨夜三回しただろ」
「花のせいではなく、埃です」
礼服の襟が苦しい。
裁縫室が作った新しい礼服で、以前の古い服よりずっと立派だ。
その分、どこへ手を置けばいいかわからない。
「手は前です」
クレアがいつの間にか隣へ立っていた。
「組む?」
「自然に」
「自然が一番難しいです」
「存じております」
クレアは俺の襟を直す。
「セラフィーナ様は?」
「準備が整いました」
「緊張していますか」
「アレン様ほどではございません」
「そんなに?」
ガレスが答える。
「さっきから同じ花を五回数えている」
「確認です」
「何の」
「配置の」
「花婿の仕事じゃない」
返す言葉がない。
庭には領民が集まっている。
パン屋も、水車番も、学校の子どもも。
王都から来たマリアンヌは、王女の席ではなく友人の席へ座った。
アニエスは商人同盟の代表としてではなく、セラの友人として花籠を持っている。
政治家も兵士も商人も、今日は肩書きを少しだけ脇へ置いていた。
式の直前、学校の子どもたちが花籠を巡って揉めていた。
「僕が右!」
「昨日は左って言った!」
「どちらでも、花は同じでは?」
俺が間へ入ると、二人とも首を振る。
「右は若旦那様側!」
「左は若奥様側!」
「では、途中で入れ替わってください」
「式の途中で?」
「花を投げ終えた後に」
二人は真剣に相談し、最終的に一人が行き、もう一人が帰りを担当することになった。
「帰りにも花を投げるの?」
「多い方が祝っている感じがします!」
白百合が足りるか心配になった。
アニエスは花籠を数えながら笑う。
「国家予算より難しい顔をしてるわよ」
「花が足りなくなったら」
「庭にまだある。今日は全部使っていいって、村の人たちが」
領地中から集めた白い花だ。
誰か一人の豪華な贈り物ではなく、何十もの家から一輪ずつ届いたものだった。
音楽が始まる。
全員が入口を見る。
セラが、クレアとともに歩いてきた。
言葉を失った。
白い衣装は、王宮の豪華な礼装ほど飾りが多くない。
領地の女性たちが縫った柔らかな布。
銀色の髪には、昨夜クレアが試していた白百合。
笑うと、編み込んだ髪が少し揺れる。
「何か言え」
ガレスが小声で言う。
「今?」
「口が開いてる」
慌てて閉じた。
セラが壇の前へ着く。
「アレン」
「はい」
「お顔が固まっています」
「きれいすぎて」
言った後、周囲から小さな歓声が上がった。
公の場で言うつもりではなかった。
セラの頬が赤くなる。
「ありがとうございます」
その返事も小さい。
式を進める法務官が咳払いをした。
「始めてもよろしいでしょうか」
「すみません」
俺たちは並んだ。
革命後の新しい婚姻法では、家の許可ではなく、本人同士の意思を確認する。
だから、最初の問いは簡単だった。
「アレン・ハルフォード。あなたは、自らの意思でセラフィーナ・ローゼンフェルトを伴侶として選びますか」
「はい」
今度は迷わなかった。
「セラフィーナ・ローゼンフェルト。あなたは、自らの意思でアレン・ハルフォードを伴侶として選びますか」
「はい」
セラの声もはっきりしていた。
次に、誓いの言葉。
昨日、何度も練習した。
やはり半分忘れた。
「俺は」
少し詰まる。
セラがこちらを見る。
その顔を見たら、覚えた文章でなくてもいいと思えた。
「朝、同じ食卓へ座ります」
庭が静かになる。
「帰りが遅い日は待ちます。仕事で意見が違えば、勝手に決めず話します」
セラの目が柔らかくなる。
「病気の日は休ませます。役に立たない日にも、席をなくしません」
父上の言葉。
俺たちがここまで来た理由。
「失敗したら謝ります。謝るだけで終わらず、次を一緒に考えます」
息を吸う。
「俺は、セラと同じ家へ帰り続けます」
公の場で愛称を呼んだ。
会場がざわつく。
俺だけが呼ぶ名前だと、皆も知っている。
セラは驚いた後、笑った。
「私も、誓います」
彼女は俺の手を取る。
「食卓の料理が思ったより苦くても、無理をせず伝えます」
笑いが起きる。
蕪のことだ。
「アレンが仕事を抱え込みましたら、止めます」
「ほどほどに」
「必要なだけ」
また笑い。
「私も、失敗を隠しません。役に立つことだけで、自分の居場所を測りません」
指が強く重なる。
「嬉しい日は一緒に笑い、悲しい日は支えるのではなく、隣で悲しみます」
父上を失った夜に、俺たちはそうした。
「そして、毎日帰ります」
セラは言った。
「アレンの待つ家へ。アレンと帰る家へ」
法務官が指輪を差し出す。
婚約時の銀の指輪を、結婚の輪として作り直したものだ。
俺がセラの指へはめる。
少し手が震えた。
「落とさないでください」
「集中しています」
「婚約の時も同じことを」
「細いので」
今度はセラが俺の指へ。
「アレンも、動かないでください」
「はい」
指輪が収まる。
法務官が微笑んだ。
「両名の婚姻を、ここに認めます」
拍手が起きる。
まだ、口づけが残っている。
これだけ人がいる前で。
「皆さん、見ていますね」
俺が小声で言う。
「結婚式ですので」
「知っています」
「逃げますか」
「まさか」
セラが一歩近づく。
俺も近づく。
白百合の香り。
春の風。
重なった手。
唇を重ねる。
短く、静かに。
離れた瞬間、会場が大きな歓声に包まれた。
学校の子どもたちが花びらを投げる。
投げる量が多すぎて、顔に当たる。
「前が見えません!」
「祝福です!」
子どもが叫ぶ。
「痛い祝福ですね」
セラが笑う。
クレアは口元へ手を当て、目に涙を浮かべていた。
「クレア」
セラが呼ぶ。
「はい」
「毎日、幸せになります」
クレアは深く一礼する。
「はい、セラフィーナ様」
ガレスが俺の肩を叩いた。
「痛い」
「祝いだ」
「剣で叩かれなかっただけよかったです」
「お前の礼服に剣を当てたら、裁縫室に殺される」
アニエスはセラを抱きしめた。
「本当に結婚したのね」
「書類にも署名しました」
「そこを確認するの、あなたらしいわ」
マリアンヌは少し離れたところで泣いていた。
「殿下」
「今日は殿下ではありません」
「では、マリアンヌ」
セラが手を差し出す。
マリアンヌはその手を取り、次に俺たち二人を抱きしめた。
「おめでとうございます」
「ありがとうございます」
「王宮の結婚式より、こちらの方が好きです」
「それは私的な感想にしてください」
「もちろんです」
誓約書へ署名する時、セラの羽根ペンが一度止まった。
「緊張しましたか」
「いいえ」
「では?」
「名前が変わるのかと思いまして」
新しい制度では、婚姻後も生まれた家名を残せる。
「変えなくていいです」
「アレンは寂しくありませんか」
「名前が変わらなくても、妻でしょう」
「はい」
「俺も、セラの夫です」
彼女は少し考え、二つの家名を並べて署名した。
俺も同じように署名する。
「書類の上でも、隣ですね」
「はい」
法務官が証人印を押した。
紙一枚の手続きなのに、二人の名前が並んでいるだけでうれしかった。
式の後は庭で宴になった。
長い卓へ、皆が持ち寄った料理が並ぶ。
黒パン。
焼いた肉。
豆の煮込み。
形の少し崩れた大きなケーキ。
「今回は誰が飾りつけを?」
俺が聞く。
クレアが答える。
「領民の皆様です」
「俺ではありません」
「見ればわかります」
「どういう意味です?」
「崩れておりますが、意図は伝わります」
褒められているのかわからない。
セラが最初の一切れを切る。
また少し崩れる。
「美しいです」
俺が言う。
「まだ食べていません」
「ケーキではなく」
「皆さんの前です」
「妻なので」
初めて、その言葉を自然に使った。
セラの動きが止まる。
「では」
彼女は小さな一切れを俺の皿へ置く。
「夫へ、最初の一切れです」
今度は俺が固まった。
周囲から笑いが起きる。
英雄でも、指導者でもない。
夫と妻として照れ、皆に笑われる。
夕方、宴が終わりに近づいた頃、白百合は少し風に揺れ、卓には食べ終えた皿が並んでいた。
俺とセラは同じ家へ戻る。
明日の朝も、その次の朝も。
そのことを、今日は共同体全体が祝ってくれた。




