第71話 王にならない男
「ハルフォード卿に王位を!」
翌日の評議室でも、同じ声が上がった。
聞き間違いではなかったらしい。
長い卓には、貴族、市民代表、地方の使者、軍人、商人が座っている。
俺は端の席を選んだのに、全員がこちらを見る。
「王位でなくとも、非常大権を」
軍人が言った。
「期限付きで構いません。軍、財政、治安を一元的に指揮できる権限が必要です」
「外国はすでに国境へ兵を集めています」
地方の使者が続く。
「中央政府が弱いと見れば、侵攻されます」
「各地では、旧王家派と反王家派の衝突も」
「一人の象徴がいなければ、地方が分裂します」
提案は、単なる英雄崇拝ではなかった。
混乱を止めたい。
今すぐ決める者が必要だ。
その不安は現実だ。
「王位を空けたままにすれば、旧王家派が別の継承者を立てます」
貴族の一人が地図を開く。
「北部では、すでに複数の領主が独自に兵を集めています。中央の象徴がなければ、各地が別々の正統性を主張するでしょう」
「王都の市民も、不安です」
職人代表が言う。
「昨日までの法が、今日から無効になるのか。契約は。貨幣は。税は。誰も答えられない」
「だから、顔の見える一人が必要だと?」
「はい」
その気持ちはわかる。
制度は見えにくい。
王冠をかぶった一人なら、誰が決めるかは明確だ。
「一人を選べば、質問の数は減ります」
俺は言った。
「ですが、その一人が間違えた時、止める人も減ります」
「なぜ俺なんですか」
尋ねると、市民代表が答えた。
「軍が従う」
「全部ではありません」
「商人同盟も協力している」
「アニエスに従っているだけです」
「地方領民から信頼されている」
「失敗もしました」
「だからこそです」
焼かれた村の代表がいた。
「失敗を認め、逃げなかった」
胸が痛む。
彼らの信頼はうれしい。
でも、それを王冠の根拠にしてよいのか。
「ハルフォード卿」
年長の貴族が言う。
「今だけです。制度が整うまで、一人へ権力を集める」
「今だけ、が終わる保証は?」
「期限を設けます」
「誰が、俺を辞めさせますか」
評議室が静かになる。
「俺が期限を延ばすと言ったら?」
「あなたは言わないでしょう」
「なぜ」
「あなたは権力を望んでいない」
それは評価としてはありがたい。
だが、制度としては危険だ。
「俺が善人であることを前提に国を作るんですか」
「善人だから任せるのです」
「明日も善人とは限りません」
ざわめきが起きる。
俺は続けた。
「俺は救援判断を誤り、村を焼かせました」
「情報が不足していた」
「それでも、決めたのは俺です」
「王になれば、もっと多くの情報を得られる」
「もっと多くの判断もします」
一度の失敗で、家が焼けた。
国全体の判断を一人で重ねれば、失敗の規模も大きくなる。
「俺は万能ではありません」
自分で言うと、少し情けない。
だが、隠す必要はない。
「農業と天候と街道は多少わかります。法律はセラフィーナの方が詳しい。軍事はガレス。交易はアニエス。王宮の事情はマリアンヌ殿下です」
「だからこそ、彼らを使えばよい」
「使う、という言葉が違います」
俺は首を振った。
「皆が俺の道具になるのではありません。それぞれが判断し、反対できる必要があります」
軍人が反論する。
「戦場では、一つの命令が必要です」
「戦場では」
「国家も今は戦場です」
「ずっと戦場にするつもりですか」
彼は言葉を止めた。
「非常時を理由に権力を集めれば、権力を持つ者は非常時を終わらせたくなくなります」
セラフィーナが、卓の向こうでこちらを見ている。
何も言わない。
俺が自分で答えるのを待っている。
「王太子殿下も、最初は王国を守ろうとしたのだと思います」
俺は言った。
「国庫が足りない。軍が必要。地方が反対する。だから、自分が決めるしかないと」
「あなたは違う」
「違うと証明する方法は、俺へ王冠を渡すことではありません」
評議室の空気が変わる。
「俺にもできないことを制度で止めることです」
「では、王位を拒否すると?」
「拒否します」
はっきり答えた。
「非常大権も?」
「一人へ集中する形では受けません」
「国が割れたら、責任を取れるのか」
「取ります」
「権力なしで?」
「権力は必要です。でも、分けます」
市民代表、地方代表、軍、商人、法務官。
互いに監督し、期限を定め、決定を記録する。
遅くなる。
面倒になる。
きっと、喧嘩も増える。
「一人で決めるより遅いです」
俺は言った。
「でも、間違えた時に止められる」
「民衆は強い指導者を求めています」
「今は、かもしれません」
歓声は変わる。
支持も変わる。
だから、人気を正統性のすべてにしてはいけない。
「仮に俺が王になったとします」
俺は卓上の紙へ、簡単な図を描いた。
「今は皆さんが俺を信じている。だから、俺の命令へ従う」
「はい」
「十年後、俺の判断がおかしくなったら?」
「議会が諫める」
「無視したら?」
「軍が」
「軍の長を俺が任命していたら?」
返事が止まる。
「財政も、裁判官も、地方長官も俺が選べるなら、止める制度は形だけになります」
「あなたは、そのような任命をしない」
「俺の次の人は?」
誰も答えない。
「良い王を選び続ける仕組みより、悪い指導者でも国を壊しにくい仕組みを作る方が現実的です」
自分で言いながら、ずいぶん地味な結論だと思う。
だが、暮らしを守る制度は、たいてい地味だ。
「王になる男を選ぶのではなく、誰が選ばれても暴走できない仕組みを作りたい」
沈黙が続く。
最初に口を開いたのはマリアンヌだった。
「私も、即位しません」
全員が王女を見る。
「王位継承権を持つ私が即位すれば、混乱は一時的に収まるでしょう」
「殿下なら」
「ですが、同じ仕組みが残ります」
彼女は兄が使っていた王家の印章を卓へ置いた。
「私は王家を守る側ではなく、憲法を守る一人になります」
セラフィーナが続く。
「暫定議会を設けます」
書類を広げる。
「地方代表、市民代表、商人、軍、法務官。いずれも単独で全権を持たない」
「軍事指揮は?」
軍人が問う。
「期限付きの防衛委員会へ。作戦指揮は専門家へ委ねますが、徴発と財政には議会承認を必要とします」
「遅い」
「だから、緊急命令には短い有効期限を設けます」
「更新は?」
「議会の再承認です」
軍人は、なおも納得していなかった。
「議会が作戦へ口を出せば、兵は動けません」
「作戦そのものは指揮官へ任せます」
ガレスが口を開く。
「ただし、何のために戦うか、どれだけ徴発するか、いつまで権限を持つかは軍だけで決めない」
「現場を知らない者が止めるのか」
「現場を知る者だけで決めれば、戦を続けることが仕事になる」
軍人たちがガレスを見る。
「俺は兵士だ。だからこそ、軍に限界が必要だと思う」
彼の言葉は重かった。
「兵に市民を撃たせないためにもな」
橋と城門で、命令へ苦しむ兵士を見てきた。
軍を信頼することと、軍へ無制限の権限を渡すことは違う。
議論が始まる。
誰が代表を選ぶ。
地方の票をどうする。
王都へ偏りすぎないか。
兵士の命令系統は。
税を誰が集める。
さっきまで俺を王にする話だったのに、もう面倒な実務の話へ変わっている。
それでいい。
王冠一つなら、議論は早い。
だが、速さだけで国を決めれば、また同じ場所へ戻る。
休憩へ入ると、俺は窓辺へ逃げた。
「逃げましたね」
セラフィーナが来る。
二人きりに近い距離なので、小さく呼ぶ。
「セラ。俺、王様に向いていないと思うんですが」
「存じています」
「即答ですね」
「王になりたい方は、王位を勧められて最初に予算表を確認しません」
「維持費が気になったので」
「その点も含めて、向いていません」
彼女は笑う。
「ですが、断ることには向いていました」
「褒められています?」
「はい」
俺は息を吐いた。
「怖いです」
「何がですか」
「王にならないことで、国が混乱するかもしれない」
「王になっても、混乱します」
「慰めになっていません」
「事実です」
セラは俺の手へ触れた。
「だから、皆で責任を負います」
「一人ではなく?」
「はい」
休憩が終わる鐘が鳴る。
「もし、皆が失望したら?」
俺が小さく尋ねる。
「王にならないことで、逃げたと思われるかもしれません」
「逃げる方は、ご自分の権限を減らす制度案へ署名しません」
セラは答えた。
「責任とは、すべてを自分で決めることではありません」
「任せることも?」
「監督されることもです」
「監督されるのは、あまり格好よくないですね」
「格好よさを目的に政治をなさるのですか」
「まさか」
「なら、問題ありません」
彼女の指が一度だけ俺の手を握る。
「私は、王ではないアレンを選びました」
「男爵でも?」
「肩書きがなくても」
その言葉で、評議室へ戻る足が軽くなった。
俺たちは評議室へ戻った。
王にならない男として。
新しい国を、一人ではなく作るために。




