第7話 最後まで共犯で
夕暮れの野営地で、セラフィーナは一枚の紙をたき火のそばへ置いた。
昼に通った料金所の掲示板から、クレアが写してきたものだ。
そこには、ローゼンフェルト家から追放された元公爵令嬢を匿う者には、王家への反逆を疑う、と記されている。
俺たちが王都を出て、まだ二日しか経っていない。
「対応が早いですね」
俺が言うと、セラフィーナは淡々とうなずいた。
「ヴィクトル殿下は、私が地方貴族へ接触することをもっとも警戒しています。ハルフォード領へ到着する前に、あなたの家を孤立させるつもりでしょう」
「だから急ぎましょう。明日の夕方には領境へ入れます」
「いいえ」
彼女は俺を見た。
「ここで別れます」
一瞬、たき火の音が遠くなった。
「……何を言っているんですか」
「私が街道を南へ戻ります。追跡者の目を引き、王都へ出頭する」
「却下です」
「まだ説明を終えていません」
「説明を聞けば賛成すると思いますか」
セラフィーナの眉がわずかに寄る。
「ハルフォード領は小さく、王家の圧力に耐えられる余力がありません。私を匿えば、交易を止められ、徴税を増やされる。領民が飢えます」
「だから、あなた一人を差し出すと?」
「私が戻れば済むことです」
「済みません」
思ったより強い声が出た。
少し離れた場所で鍋を洗っていたクレアが、こちらを見る。だが近づいてはこなかった。
「保護宣誓をした俺は、あなたを安全な場所へ連れていく責任があります」
「その宣誓を利用すれば、私を引き渡すこともできます。被保護者本人の意思として記録を残せば、あなたの責任は軽くなる」
「法律の話をしているんじゃありません」
「私は法律の話をしています」
「知っています。あなたは、そうやって自分のことだけ計算から外す」
セラフィーナの表情が止まった。
「領民の損害。俺の家の危険。クレアさんの立場。それは全部数えるのに、自分が王都へ戻ったら何をされるかは、まるで費用に入れない」
「私一人で済むなら、もっとも損失が少ない選択です」
「私一人で済む」という言葉を、彼女は何の迷いもなく使った。
王宮ではきっと、そう教えられてきたのだろう。国のため。王家のため。婚約者のため。必要なら自分の望みは最後へ回す。
けれど、その計算方法を正しいままにしておけば、彼女はこれからも自分だけを簡単に切り捨てる。
「クレアさん」
俺は少し離れた侍女へ声をかけた。
「セラフィーナが王都へ戻るなら、あなたはどうしますか」
「同行いたします」
即答だった。
「クレア」
「セラフィーナ様だけを戻すことはできません」
「あなたまで処罰されます」
「存じております」
セラフィーナの顔が初めて大きく揺れた。
「ほら。一人では済みません」
「それは、クレアが命令を聞かないからです」
「長年仕えてくれた人の意思まで、損失計算から消さないでください」
クレアは何も付け足さず、再び鍋へ視線を戻した。その沈黙の方が、どんな説得より重かった。
「あなた一人なら損失が少ない、という前提が間違っています」
俺はたき火の向こうへ回った。
「クレアさんはどうなるんです」
セラフィーナが侍女を見る。
「俺はどうなるんです」
「アレンには領地があります」
「領地があれば、目の前で見捨てた人を忘れられるんですか」
彼女は答えなかった。
俺も声を荒らげたくはなかった。
けれど、彼女があまりにも静かに自分を切り捨てようとするから、腹が立った。
「ハルフォード領は貧しいです。王家に目をつけられれば、本当に苦しくなるでしょう。俺が宣誓したせいで、領民に迷惑をかけるかもしれない」
「でしたら――」
「だから俺は、領地へ着いたら全員に説明します」
言い切る。
「俺が何を見て、何を考えて、なぜあなたを連れてきたのか。反対されれば聞きます。失敗すれば謝ります。その上で、どう守るかを一緒に考えます」
「それは、領主として合理的ではありません」
「俺は合理的な判断しかできないほど有能ではないんです」
「威張るところではありません」
「知っています」
思わず返すと、セラフィーナの目が少しだけ丸くなった。
緊張が一瞬緩む。
俺は呼吸を整えた。
「あなたを助けると決めたのは俺です。でも、あなたを荷物のように運ぶつもりはありません。領地の危険を一緒に考えてください。俺に見えていないことを教えてください」
「私が残ることで、事態が悪化しても?」
「その時は、一緒に責任を取ります」
「あなたは、すでに十分な責任を負っています」
「では、半分持ってください」
セラフィーナが瞬きをした。
「半分?」
「俺だけがあなたを守るんじゃない。あなたも、俺と領地を助ける。それなら、一方的な善意ではありません」
俺は手を差し出した。
「王太子殿下の言う通りなら、俺たちはもう同じ疑いをかけられています。今さら片方だけ戻っても、きれいには終わりません」
セラフィーナは差し出された手を見つめた。
その表情は、王宮の大広間で一人立っていた時と同じように静かだった。
けれど、今は完全な孤独ではない。
「アレンは、後悔しませんか」
「たぶん、何度も怖くなります」
「後悔について尋ねました」
「見捨てれば、確実に後悔します」
彼女の指先が、そっと俺の手へ触れた。
握るというより、確かめるような触れ方だった。
「では、最後まで共犯でいてください」
セラフィーナが、初めて小さく笑った。
公爵令嬢として作った微笑ではない。
年相応の、少し困ったような笑顔だった。
「もちろんです」
握った手の温度は、たき火よりずっと確かだった。
「到着したら、まず王家から止められそうな交易路を洗い出しましょう」
セラフィーナは早くも考え始めている。
「街道だけでなく、川運びも確認します。王都の許可が必要な取引と、領主間で完結する取引を分ける必要があります」
「父上とガレスに相談します。領民への説明は俺がします」
「帳簿と法令は私が」
「クレアさんには?」
「まず私たちを寝かせることを命じられると思います」
「正解でございます」
離れていたはずのクレアが、いつの間にかすぐそばに立っていた。
「王家への対策は、温かい食事を召し上がってからになさってください」
セラフィーナは少し目を丸くし、俺と顔を見合わせた。
「簡単に答えるのですね」
「ここで考え込むと、また戻ると言い出しそうなので」
「否定はいたしません」
「しないんですか」
今度は、彼女の笑みがほんの少し深くなった。
クレアが鍋を持って戻ってくる。
「お話はまとまりましたか」
「はい」
セラフィーナは俺の手を離し、掲示の写しを折り畳んだ。
「ハルフォード領へ向かいます。到着後、王家の制裁に備える案を作りましょう」
「承知しました」
クレアはそれ以上何も聞かなかった。ただ、三人分の温かいスープを器へ注いだ。
明日の夕方には、領境へ着く。
そこから先は、逃げる旅ではない。
俺たち三人で、帰る場所を守るための相談が始まるのだ。




