第69話 最後の夜会
王宮大広間は、あの断罪の夜と同じように明るかった。
天井の燭台。
磨かれた大理石。
壁際へ並ぶ貴族たち。
正面の高壇に立つ王太子ヴィクトル。
違うのは、音楽がないこと。
華やかな衣装の代わりに、兵士と市民代表がいること。
そして、セラフィーナが一人ではないことだった。
かつて彼女が立たされた広間の中央へ、俺たちは並んで進む。
「ローゼンフェルト公爵令嬢」
ヴィクトルが呼んだ。
「反逆軍を率いて王宮へ戻るとは、随分な名誉回復だな」
セラフィーナは一礼した。
「殿下。私は軍を率いておりません」
「言葉遊びか」
「事実の確認です。軍事指揮はハルフォード卿と守備隊長。物流は商人同盟。私は法務と記録を担当しております」
「役割を分ければ反逆ではないと?」
「反逆かどうかを、これから証拠に基づいて確認します」
ヴィクトルの目が冷たくなる。
「お前は、国家を分裂させた」
高壇から声が響く。
「地方領主が王命を拒み、商人が物流を止め、兵士が上官へ背いた。外国がこの混乱を見逃すと思うか」
広間にいる貴族たちがざわつく。
彼の言葉には理屈がある。
王権が崩れれば、隣国が動くかもしれない。
地方が独立を唱えれば、国は割れる。
ヴィクトルは広間の窓へ視線を向けた。
外では、市民の声と鐘の音がかすかに聞こえる。
「東の国境では、昨年から兵が増えている。南部では交易路を巡る争いが起きた」
彼は集めた貴族たちへ向き直る。
「地方へ判断を任せれば、各領は自分の利益を優先する。商人は価格を上げ、兵士は故郷へ帰り、国境は破られる」
軍人の何人かが、わずかにうなずいた。
「私は、国が割れるのを見過ごせなかった」
単なる欲望ではない。
恐怖があったのだ。
国を失う恐怖。
自分以外へ任せれば失敗するという恐怖。
その恐怖が、反対者を敵へ変えた。
「だから、記録を偽造したのですか」
セラフィーナの問いは静かだった。
「国家へ必要な措置だった」
「必要だと判断したのは、殿下お一人です」
「王太子とは、そういう責任を負うものだ」
「責任を負うことと、検証を拒むことは同じではありません」
「私は国を守ろうとした」
ヴィクトルは続ける。
「国庫は不足していた。軍の冬営には穀物が必要だった。反対する地方へ強制力を使わなければ、王国全体が危機に陥る」
「その不足の原因から確認いたします」
セラフィーナは、卓の上へ最初の書類を置いた。
「王宮財務局の支出原簿です」
「盗まれた機密文書だ」
「内容を否定されますか」
「入手経路が違法だ」
「証拠能力は法務官が判断します。ですが、今は公開確認です」
法務官の一人が書類を受け取る。
マリアンヌが前へ出た。
「私が持ち出しました」
「マリアンヌ」
ヴィクトルの声が変わる。
王太子ではなく、兄の声になった。
「戻れ。今なら、お前が脅されていたと処理できる」
「脅されていません」
「理解していないのだ。王家が崩れれば、お前も守られない」
「守られるために、国民を犠牲にはできません」
マリアンヌは震えていた。
それでも、兄から目を逸らさない。
セラフィーナが次の書類を置く。
「国庫不足の直前、軍需契約の価格が市場価格の二倍へ変更されています。差額は王太子側近が管理する複数の口座へ移されました」
「軍備拡張には秘匿費用が必要だ」
「その一部が、宮廷祝典と私兵の報奨へ使われています」
「忠誠を維持するためだ」
「国民の税を、殿下個人への忠誠へ使ったと認めるのですか」
ヴィクトルは口を閉じた。
セラフィーナは勝ち誇らない。
次の記録へ進む。
「次に、私へ向けられた穀物横流しの告発です」
あの夜、読み上げられた紙。
俺が北街道の雪崩に気づいた記録。
「輸送日は北街道が封鎖されていました。修繕記録、宿泊記録、現場作業員の証言があります」
「記録は後から作れる」
「では、王宮の通行許可台帳も後から作られたと?」
マリアンヌが原本を示す。
法務官が照合する。
「印章は本物です」
「署名した役人は、その日、南部会議へ出席しています」
別の証言書。
「告発書の署名は偽造です」
広間が静まり返る。
かつては、セラフィーナを疑う視線が四方から向けられた。
今は、証拠が一枚ずつ高壇へ視線を押し返していく。
「殿下は、私を政治的脅威と見て排除しました」
セラフィーナが言う。
「違う」
ヴィクトルは即座に否定した。
「お前は公爵家の財力と民衆の人気を持っていた。私の政策へ公然と異議を唱え、評議会で地方負担の制限を求めた。王国の統一を崩す危険があった」
「反対意見を持つ者が存在することを、分裂と呼ぶのですか」
「王国は一つの意思で動かなければならない」
「誰の意思ですか」
「王家だ」
「国民ではなく?」
「王家は国民全体を代表する」
「選ばれても、監督されてもいないのに?」
ヴィクトルの眉が動く。
「王統は歴史と責任によって正統性を持つ」
「責任を問う仕組みがない権力は、責任を持っているとは言えません」
「理想論だ」
ヴィクトルは高壇から一歩下りる。
「戦場で議論をしている間に、国は滅びる。一人が決めるから、軍は動く」
「緊急時の指揮と、恒常的な専断は別です」
「地方領主が皆、自分の領民を理由に命令を拒めばどうなる」
「だから、法が必要です」
「法を作るのは王家だ」
「法は王家をも制限しなければなりません」
二人の声が大広間でぶつかる。
俺は口を挟まなかった。
ここはセラフィーナの告発だ。
彼女の言葉を奪う必要はない。
ヴィクトルが俺を見る。
「ハルフォード卿。お前は、この女に操られている」
「違います」
それだけ答える。
「なら、なぜ黙っている」
「彼女が自分で話せるからです」
セラフィーナが一瞬だけこちらを見る。
青い瞳が柔らかくなる。
すぐに高壇へ戻る。
「殿下」
彼女は最後の文書を掲げた。
「地方徴発令には、国王陛下の署名も、評議会の承認もありません」
「父上は病床だ。私が代理した」
「正式な代理権は発行されていません」
「非常時だ」
「非常時を宣言する法的手続きもありません」
「手続きを待っていれば軍が飢える!」
「だから、市民を飢えさせたのですか」
沈黙。
「王都の倉庫には穀物がありました。軍需商人から適正価格で購入する予算もありました」
「値上げを認めれば国庫が尽きる」
「側近へ流れた資金を戻せば、足りました」
法務官が計算書を見る。
「数字は一致します」
ヴィクトルの顔から、初めて余裕が消えた。
「すべて、王国を守るためだ」
「いいえ」
セラフィーナは静かに言った。
「殿下は、王家を守ることと、王国を守ることを同じだと考えた」
「王家が崩れれば王国も崩れる」
「国民がいなくなれば、王家だけ残っても国ではありません」
大広間の後方に、市民代表がいる。
配給所でパンを分けた女。
橋を守った兵士。
徴発へ反対した商人。
彼らは王冠ではなく、暮らしを背負ってここに立っている。
セラフィーナは、偽造された告発書を手に取った。
紙の端は、保管中に少し擦れている。
「この一枚で、私は家を失いました」
広間の視線が彼女へ集まる。
「友人だと思っていた方々は、私から離れました。使用人は解雇され、財産は封印され、私は冬の夜へ追放された」
声は震えた。
それでも、紙を握りつぶさない。
「殿下へ同じ苦痛を返したいと思ったことがないとは申しません」
マリアンヌが息を呑む。
「ですが、その感情で国を裁くことはしません」
セラフィーナは告発書を法務官へ渡した。
「これは私の復讐の道具ではなく、権力が一人の人生を壊した証拠です」
法務官は両手で受け取った。
「だから、私の感情とは別に確認してください」
そこまで言って、彼女は一度だけ俺を見た。
俺は何も言わず、うなずいた。
彼女は一人で話している。
でも、一人で立っているわけではない。
「私は、殿下を憎むために戻ったのではありません」
セラフィーナが続ける。
「私の名誉だけを取り戻すためでもない」
「なら、何のためだ」
「誰か一人の恐怖や善意が、法より上へ置かれない国にするためです」
法務官たちが、提出された証拠へ順番に印を押す。
「穀物横流し告発の署名偽造を確認」
「地方徴発令の手続き違反を確認」
「軍需会計の不正支出を確認」
貴族の一人が高壇から距離を取る。
次に、兵士が王太子へ向けていた礼を解いた。
市民代表は、怒声ではなく、記録の確認を求めた。
「王太子殿下の命令は、法的根拠を失っています」
法務官が宣言する。
ヴィクトルは周囲を見る。
命令を待つ兵士はいる。
だが、動く者はいない。
「私を逮捕するのか」
彼はマリアンヌへ尋ねた。
王女の目から涙が落ちた。
「兄上にも、法に従っていただきます」
市民代表の女が、証拠台帳へ手を置いた。
「私はパンの列で、子どもが倒れるのを見ました」
次に、王国兵が前へ出る。
「徴発へ向かう途中、三日間まともな食事がありませんでした」
地方の役人も続く。
「命令へ異議を出した同僚は、翌日解任されました」
証拠は紙だけではない。
命令を受けた人々の生活が、一つずつ広間へ持ち込まれる。
ヴィクトルは全員を見た。
「それでも、国を守るには犠牲が必要だ」
「犠牲を求める前に、真実を示すべきでした」
セラフィーナが答える。
「誰が、何のために、どれだけ負うのかを」
「民衆は理解しない」
「理解させる努力を捨てて、服従だけを求めたのです」
王太子は反論しようとした。
しかし、かつて命令を受けた兵士たちが、もう目を伏せなかった。
王宮守備隊の兵士が前へ出る。
剣は抜かない。
「ヴィクトル・アルヴェリア殿下。身柄をお預かりします」
大広間の誰も歓声を上げなかった。
セラフィーナも。
ただ、かつて一人の令嬢を断罪した場所で、今度は証拠と法が王太子の命令を止めた。




