第68話 城門が開く
「市民への攻撃命令を拒否する!」
城門の上から、兵士の声が響いた。
白い布の下へ、十数人の守備兵が並んでいる。
「王太子殿下の命令は、王都の民を敵と定めた! 我々は王国を守る兵であり、市民を殺す兵ではない!」
広場から歓声が上がる。
「まだ動くな!」
ガレスの声で、こちらの兵士たちは踏みとどまった。
城門は開き始めている。
だが、内側の状況は見えない。
罠かもしれない。
守備隊が二つへ割れている可能性もある。
「先頭は盾隊。十人ずつ入る」
「大軍で押し込まないのか」
「開けた連中を、こちらの勢いで潰す気か」
「ありません」
「なら待て」
重い門が、少しずつ開く。
最初に見えたのは、剣を床へ置いた兵士たちだった。
次に、負傷した将校。
腕を二人に支えられている。
「指揮官は?」
ガレスが問う。
「私だ」
将校が答える。
昨日、城壁の上からマリアンヌへ反論した声だった。
「攻撃命令を拒否したのか」
「部下が先に拒否した」
「お前は?」
「止めようとした」
広場の空気が張る。
将校は自分の剣を鞘ごと差し出した。
「だが、部下を斬ってまで市民へ矢を放たせる理由を、説明できなかった」
ガレスは剣を受け取らず、地面を指した。
「そこへ置け」
将校は従った。
「処罰は受ける」
「裁判で決める」
俺が言う。
「ここでは決めません」
将校は俺を見る。
「ハルフォード卿か」
「はい」
「王太子殿下を殺さないというのは本当か」
「私刑にはしません」
「処刑しないとは言わないのだな」
「裁判の結果を、今ここで決められません」
彼は長く俺を見てから、うなずいた。
「なら、門を開く」
「条件は?」
「市民への略奪禁止。降伏兵の保護。王宮内の病人と使用人の安全」
「受け入れます」
セラフィーナが記録へ書きつける。
「双方の代表が署名を」
革命の城門が、口約束ではなく記録で開く。
ずいぶん地味だが、俺たちらしい。
「先に救護者を入れます」
クレアが申し出た。
「負傷者がいます」
ガレスが門内を確認し、うなずく。
「護衛を二人つける」
「承知しました」
クレアは迷わず城門をくぐった。
後ろから、医師と包帯を持つ若者が続く。
最初に入ったのが剣ではなく救護者だったことで、城内の兵士たちの顔が変わった。
「本当に、攻撃しないのか」
一人が尋ねる。
「武器を置いた者へは」
俺が答える。
「王宮へ逃げた部隊は?」
「武器を向ければ止めます。降伏すれば同じです」
開門の署名が終わると、守備隊側の兵士が戸惑いながら尋ねた。
「我々の給金は、どうなる」
革命の城門で最初に出た質問が給金だった。
少し拍子抜けしたが、大切なことだ。
「未払い分は記録します」
セラフィーナが答える。
「王太子個人ではなく、王都防衛の職務へ支払われるべきものです」
「反逆した扱いで没収されないのか」
「市民攻撃を拒んだことを理由にはしません」
「家族への配給は?」
「継続します」
兵士たちの肩が下がる。
良心を選べと言うだけでは足りない。
その選択で家族が飢えるなら、武器を下ろせない者もいる。
アニエスが横から帳簿を差し出した。
「当面三日分なら、商人同盟が立て替えるわ」
「後で新政府へ請求を?」
「利息は相談ね」
「この状況でも商売を」
「だから商人なの」
兵士の一人が、初めて笑った。
門が完全に開いた。
市民たちの歓声が、城壁へ反響する。
マリアンヌは、動かなかった。
「殿下」
俺が呼ぶ。
「入らないのですか」
「ここは、私が幼い頃から何度も通った門です」
彼女は石の門柱へ手を触れた。
「兄上と馬車で出たこともあります」
「はい」
「今は、兄上を止めるために入る」
その手が震えている。
セラフィーナが隣へ立った。
「一緒に参りましょう」
「セラフィーナ様」
「私も、ここから追い出されました」
二人は顔を見合わせる。
「戻る理由は違っても、入る道は同じです」
マリアンヌはうなずいた。
俺たちは、先頭ではなく、盾隊の後ろから城門をくぐった。
王都の内城。
広い街路。
王宮へ続く石畳。
両脇の建物から、使用人や兵士の家族が顔を出している。
「武器を置け!」
ガレスが叫ぶ。
「降伏する者は壁際へ! 市民を傷つけた者も、今は拘束だけだ!」
一人の兵士が槍を捨てた。
次に三人。
別の路地からは、王太子直属らしい部隊が盾を構えて現れた。
「止まれ!」
こちらも盾を上げる。
両者の距離は二十歩。
矢を放てば、また戦が始まる。
「王太子殿下への道を開けろ!」
相手の隊長が叫ぶ。
「門は反逆兵に奪われた! 王宮を守れ!」
城門を開けた将校が前へ出た。
「市民への攻撃命令は違法だ!」
「裏切り者!」
「王都の民を殺して、何を守る!」
互いの兵士が睨み合う。
その背後で、パンを持った子どもが路地へ出てきた。
母親が慌てて抱き戻す。
王太子直属の兵士が、その様子を見た。
盾がわずかに下がる。
「俺の家も、この区画だ」
誰かがつぶやいた。
隊長が振り返る。
「構えろ!」
だが、兵士たちは動かない。
「命令だ!」
一人が槍を置いた。
「俺は、ここで育った」
別の兵士も。
「王宮は守る。でも、街は壊さない」
盾が一枚ずつ地面へ置かれていく。
隊長は剣を抜いたまま立ち尽くした。
やがて、剣先を下げる。
「……身柄を預ける」
「剣を置いてください」
俺が言う。
彼は従った。
大きな衝突は起きなかった。
それでも、簡単な勝利ではない。
武器を置いた兵士たちは、忠誠を捨てた罪悪感と、市民を撃たずに済んだ安堵を同時に抱えている。
市民の中には、彼らへ罵声を浴びせる者もいた。
「徴発へ来た兵だ!」
「家族を飢えさせた!」
「止めてください!」
マリアンヌが間へ入る。
「怒りは裁判と証言へ持ってきてください。今、武器を置いた者を殴れば、次に降伏する者がいなくなります!」
男の拳が止まる。
完全に納得した顔ではない。
それでも、下ろした。
城門は開いた。
それは扉が動いたというだけではない。
命令へ従うしかないと思っていた兵士が、自分の良心で止まった。
怒りに任せたい市民が、拳を下ろした。
俺たちも、大軍で押し込まず、一歩ずつ入った。
城内を進む途中、道の脇に負傷者が横たわっていた。
開門を巡る内輪の争いで斬られた守備兵だ。
こちらへ味方した者だけではない。
最後まで門を閉じようとした兵士もいる。
「この人も治療します」
クレアが膝をつく。
若い救護者が戸惑う。
「ですが、敵側です」
「傷は所属を確認してから血を止めてくれません」
クレアは包帯を渡す。
「押さえてください」
救護者は言われた通り、傷口へ布を当てた。
負傷兵が目を開ける。
「なぜ」
「話は治ってからです」
クレアの答えは簡潔だった。
その様子を見た周囲の兵士が、武器を置いても殺されないという言葉を、ようやく信じ始めた。
夕刻、王宮前の広場へ着いた。
宮殿の窓には灯りがついている。
まるで、今夜も何事もなく夜会が始まるようだった。
「王太子殿下は大広間にいるそうです」
守備兵が報告する。
「貴族と法務官を集め、反乱軍の断罪を宣言すると」
セラフィーナが宮殿を見上げた。
「同じ場所ですね」
あの断罪の夜。
彼女が一人で断罪された大広間。
「行けますか」
公の場なので、正式に尋ねる。
「はい、ハルフォード卿」
彼女は背筋を伸ばした。
「今度は、記録を持って参ります」
俺たちは王宮へ入った。




