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婚約破棄された公爵令嬢を辺境へ連れ帰ったら、俺の領地が王国で一番幸せになりました!?  作者: ぱるめりあ
第六部 王冠のない国へ

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第66話 帰ってきた公爵令嬢

 冬の朝、王都グランセルの城壁が見えた。


 灰色の空の下で、石造りの壁だけが長く横たわっている。


 俺にとっては、以前一度だけ訪れた大きな都だ。


 けれど、セラにとっては違う。


 生まれ育った場所。


 王太子妃となるために学び、笑い、働き、そして追い出された場所だ。


「セラ」


 馬上で隣へ寄り、小さく呼ぶ。


 私的な距離にいる時だけの名前だ。


「はい、アレン」


「大丈夫ですか」


「大丈夫ではありません」


 すぐに答えた。


 約束通り、強がらなかった。


「怖いです」


「俺もです」


「アレンは、王都へ来るのが初めてではありませんね」


「舞踏会へ一度。古い礼服で、壁際にいました」


「覚えています」


「本当に?」


「会場で、唯一、料理より窓の外を見ていた方でしたので」


「領地へ戻る馬車の時間を気にしていました」


「やはり、アレンらしいです」


 セラの口元がわずかに緩んだ。


 それだけで、胸の中の硬いものが少しほどける。


 俺たちの後ろには、約三千人の軍勢が続いている。


 ただし、全員が兵士ではない。


 剣や槍を持つ者。


 荷車を引く商人。


 負傷者のための薬を運ぶ者。


 王都へ提出する証拠書類を守る若者。


 パンを焼くための粉を積んだ荷車まである。


 革命軍という言葉から想像するより、ずっと生活臭のする隊列だった。


「前方の村から人が来る」


 ガレスが言った。


 数十人の市民が道の脇に立っている。


 最初は、俺たちを警戒しているのかと思った。


 だが、一人の女が籠を持って前へ出た。


「パンです」


 差し出されたのは、小さく固い黒パンだった。


「王都では不足していると聞きました」


「だから、皆さんへ」


 彼女は首を振る。


「だからこそ、あなた方に。都へ入って、倉庫を開けてもらうためです」


 俺はすぐに受け取れなかった。


 自分たちが食べる分だ。


「代金を払います」


「いりません」


「でも」


「子どもが言ったんです」


 女は後ろに隠れていた少年を見る。


「辺境の人たちは、敵兵にもパンを渡したって」


 少年は緊張しながら、俺たちを見上げている。


「なら、私たちも一つくらい渡せるって」


 俺はパンを受け取った。


「ありがとうございます」


「王都を壊さないでください」


「壊しに来たのではありません」


 セラフィーナが前へ進む。


 公の場なので、俺は愛称では呼ばない。


「市民を守り、違法な命令を止めるために来ました」


 女が、彼女の顔を見つめた。


「ローゼンフェルト公爵令嬢……?」


 周囲がざわつく。


 王都では、彼女は反逆者として追放された。


 その名は、罪人の名として広められていたはずだ。


「はい」


 セラフィーナは否定しなかった。


「私は、王都へ戻りました」


 声は震えていない。


 けれど、馬の手綱を握る指へ力が入っている。


「自分の名誉だけを取り戻すためではありません。王家の命令で苦しむ人々と、法を取り戻すために」


 一人の老人が杖をつき、道の前へ出た。


「公爵令嬢が穀物を横流ししたと聞きました」


「偽造された記録です」


 セラフィーナは答える。


「証拠を持ってきました」


「王太子殿下が嘘を?」


「その判断も、証拠を見てください」


 責める言葉を飲み込み、記録を示す。


 それが彼女の戦い方だ。


 老人は長く彼女を見た後、道を空けた。


「なら、見届けます」


 その言葉を合図にするように、市民たちが左右へ分かれた。


 俺たちの隊列が進む。


 グランセルの外町へ入ると、窓という窓から人が顔を出した。


 歓声だけではない。


 不安そうな顔。


 扉を閉める者。


 王家の兵を家族に持つ者。


 商人同盟の封鎖で商品を失った者もいるだろう。


 俺たちは、全員から歓迎される正義の軍ではない。


「略奪を禁じます!」


 ガレスの声が隊列へ飛ぶ。


「水一杯でも、所有者の許可なく取るな! 宿営地は指定された場所だけだ!」


 兵士たちが復唱する。


 アニエスの商人たちは、通りの角ごとに小さな机を置き始めた。


 パンの配給所。


 負傷者の救護所。


 行方不明者の名簿。


「進軍中に店を開く人を、初めて見ました」


 俺が言うと、アニエスが振り返る。


「店じゃないわよ。無料よ」


「それは商人として不安では?」


「代金は新しい国から取り立てる」


「もう請求先を決めてるんですね」


「革命にも帳簿は必要なの」


 彼女らしい。


 セラフィーナが少し笑った。


 けれど、市街へ入るほど、その表情は硬くなっていく。


 街路。


 石畳。


 広場の噴水。


 すべてが記憶と重なっているのだろう。


「この道を」


 セラフィーナが言う。


「追放された夜にも通りました」


「馬車で?」


「いいえ。王宮から外門までは歩かされました」


 俺の手が無意識に拳を作る。


「人々が見ていました」


「誰か、声をかけましたか」


「いいえ」


 彼女は前を向いたまま答える。


「私も、誰にも助けを求めませんでした」


「今は?」


「今は、一人ではありません」


 後ろから、荷車の車輪が鳴る。


 兵士たちの足音。


 商人の呼び声。


 市民へパンを渡す声。


 マリアンヌは王家の紋章を隠さず馬に乗り、クレアはセラフィーナの外套が風で乱れないよう近くを進んでいる。


「セラ」


 周囲へ聞こえないほど小さく呼ぶ。


「はい」


「手を」


 馬上では握れない。


 だから、俺は手袋をした拳を軽く差し出した。


 彼女も拳を重ねる。


 ほんの一瞬。


 それで十分だった。


 大通りへ出ると、誰かが叫んだ。


「公爵令嬢が帰ってきた!」


 次の声が続く。


「追放された令嬢だ!」


「証拠を持って戻った!」


 噂は俺たちより速く通りを走る。


 窓から白い布が垂らされる。


 降伏の印ではない。


 市民攻撃へ反対する意思表示として、王都で広まり始めた印だ。


 一枚。


 二枚。


 やがて、通りの両側へ白い布が並んだ。


 セラフィーナの目に涙が浮かぶ。


 それでも、彼女は顔を上げて進んだ。


 追放された夜と同じ道。


 だが、今度は誰も沈黙していない。


「おかえりなさい!」


 若い女の声が飛ぶ。


 別の場所からも。


「おかえりなさい、セラフィーナ様!」


 公爵令嬢へ向けるには、少し庶民的すぎる呼びかけかもしれない。


 けれど彼女は、胸へ手を当てて一礼した。


「ただいま、戻りました」


 声が通りへ響く。


 歓声が上がる。


 俺は隣で、彼女が自分の足で王都へ戻ったことを見ていた。


 復讐者としてではない。


 王太子妃へ戻るためでもない。


 辺境で家族を得て、国民の側へ立つことを選んだ一人として。


 王宮へ続く坂の先に、閉ざされた城門が見えた。


 高い壁の上に、弓兵の影が並んでいる。


 歓声が、少しずつ静まっていく。


 セラフィーナは涙を拭い、証拠書類を抱え直した。


「ここからですね」


「はい」


 俺たちは並んで、城門へ向かった。

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