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婚約破棄された公爵令嬢を辺境へ連れ帰ったら、俺の領地が王国で一番幸せになりました!?  作者: ぱるめりあ
第五部 幸せを守るための反逆

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第58話 王家ではなく、国へ

「アルヴェリア王国の兵士と、ここに暮らす皆さんへ、お話しします」


 マリアンヌ王女の声が、広場へ響いた。


 王家の旗は掲げていない。


 演台の後ろにあるのは、ハルフォード領の簡素な布旗と、白い休戦旗だけだ。


 広場には領民、守備隊、捕虜となった王国兵が集まっている。


 橋の向こうにも、白旗の下で来た王国軍の使者たちが立っていた。


 王女が離反したという噂は、一晩で広がった。


 それでも、本人の口から聞くまでは信じられない者が多い。


「私は、王太子ヴィクトル・アルヴェリアの妹です」


 マリアンヌは外套を外した。


 王家の紋章が入った衣服が現れる。


 領民たちが息を呑む。


「同時に、アルヴェリア王国の国民です」


 彼女の前には、昨夜持ち出した書類の写しが並んでいる。


「私は、王宮から不正の記録を持ち出しました」


 王国軍の使者が声を上げた。


「王女殿下、その文書は王家の機密です!」


「国民を飢えさせる命令を隠すための機密ですか」


「殿下は、反逆者に利用されています!」


 広場がざわめく。


 マリアンヌは怒鳴り返さなかった。


「誰に、どのように利用されているのかを示してください」


「ハルフォード家は王命へ逆らいました!」


「王命ではありません」


 彼女は一枚の書状を掲げる。


「国王陛下の署名も、評議会の承認もない。兄上が王太子の権限を越えて出した命令です」


「王太子殿下は、国王陛下の代理として」


「代理権の文書は?」


 使者が黙る。


 セラフィーナが記録卓で、やり取りを一言ずつ書き留めている。


 公の場なので、俺は彼女を愛称では呼ばない。


「私は、兄上を愛しています」


 マリアンヌの言葉に、広場が静かになった。


「優しかった兄を覚えています。王国を良くしたいと語った兄も」


 声が少し震える。


「だからこそ、今の兄上の行いを、兄上自身と同じものだとは思いたくありません」


 王国兵たちが顔を上げる。


「命令へ逆らうことが、王家への反逆だと教えられた者もいるでしょう」


 捕虜の若い兵が、膝の上で手を握る。


「私も、そう教えられました」


 王女は続ける。


「王家は国家を守るためにある。王家を守ることが国家を守ることだと」


「その通りです!」


 使者が叫ぶ。


 マリアンヌは彼を見る。


「では、王家が国民を飢えさせる時も?」


「戦時には犠牲が必要です」


「誰が犠牲になるかを、説明も同意もなく決めてよいのですか」


「国を守るためです」


「国とは、誰ですか」


 使者は答えられない。


 マリアンヌは広場を見渡した。


 パン屋。


 農夫。


 負傷した守備兵。


 捕虜となった王国兵。


 子ども。


 広場の後ろで、年配の農夫が帽子を胸へ当てた。


 捕虜の一人は、残していたパンの包みを握っている。


 負傷した守備兵は、包帯を巻いた腕で杖を支えていた。


 マリアンヌが指す「国」は、抽象的な地図ではない。


 そこにいる一人ずつだった。


「王冠がなくても国民は生きています」


 王女は言う。


「ですが、国民がいなければ王冠はただの金属です」


 使者の護衛兵が目を伏せた。


 王家を敬う教育を受けた者ほど、その言葉を簡単には受け入れられない。


 だからこそ、マリアンヌは彼らを嘲らなかった。


「国は、王冠ではありません」


 彼女は言った。


「ここにいる人々です。王都で暮らす人々も、遠い村で畑を耕す人々も、橋の向こうで命令を待つ兵士も」


 王国兵の一人が、ゆっくり立ち上がった。


「殿下」


「はい」


「俺たちは、何に従えばいいんです」


 若い兵だった。


 弟のためにパンを残した者だ。


「上官へ逆らえば処刑される。従えば、村から食料を奪う」


「簡単な答えはありません」


 マリアンヌは答えた。


「私も、王宮を出れば戻れないと知っていました」


「怖くなかったんですか」


「怖かったです」


 迷わず認める。


「今も怖い」


「それでも来た?」


「はい」


「なぜ」


 マリアンヌは、兄の名が記された命令書へ目を落とした。


 指が震える。


 それから顔を上げる。


「兄への忠誠と、アルヴェリアへの忠誠を混同しないでください」


 広場が静まり返った。


 風が布旗を揺らす音だけがする。


「兄上が国民を守るなら、私は兄上を支えます」


 マリアンヌは続けた。


「兄上が国民を傷つけるなら、止めます。それは兄を憎むからではありません」


「王家へ背くことになっても?」


 使者が問う。


「王家の一員だからこそです」


 彼女の声は震えていた。


 それでも、届いた。


「王家の誤りを王家の名で正当化する方が、私は裏切りだと思います」


 広場の端で、一人の王国兵が兜を脱いだ。


 次に、もう一人。


 捕虜たちではない。


 白旗の下で来た使者の護衛兵だ。


「何をしている!」


 使者が怒鳴る。


「殿下の話を聞いています」


「兜をかぶれ!」


「村から穀物を取る命令に、国王陛下の署名はないのですか」


「兵が文書へ口を出すな!」


 兵士の顔が変わった。


 命令へ従ってきた者ほど、その言葉に傷つく。


「俺たちは、王国を守るために入隊した」


 彼は言った。


「王太子殿下の倉庫を満たすためじゃない」


 使者は何も言えなかった。


 マリアンヌは兵士へ近づかない。


 離反を求める言葉も言わない。


「今すぐ武器を置けとは申しません」


 彼女は言う。


「ただ、命令の根拠を確かめてください。誰を守る命令なのかを」


「確かめた結果、違法だったら?」


「従わない勇気が必要です」


 広場の領民から拍手が起きた。


 最初は小さい。


 やがて、守備隊、捕虜、商人へ広がる。


 勝利の歓声ではない。


 王女が兄を捨てたことを祝う声でもない。


 国家への忠誠を、王家への服従から取り戻した言葉への拍手だった。


 広場の中央へ、捕虜の年配兵が一歩出た。


「殿下。俺は二十年、王家へ忠誠を誓ってきました」


「はい」


「その誓いは、間違いだったのですか」


 マリアンヌは首を振る。


「国民を守る王家へ忠誠を誓ったことは、間違いではありません」


「では、今は?」


「誓いを利用して国民を傷つけさせる者が、誓いを裏切っています」


 兵士の目から涙が落ちた。


「俺は、仲間へどう話せばいい」


「自分が見たことを話してください。捕虜として何をされたか。どんな命令書だったか。私が何を持ってきたか」


「殿下へ従えとは言わない?」


「言いません」


 マリアンヌは答えた。


「考えることまで、王族が命令してはならないと思います」


 使者は書類の写しを持ち、橋へ戻ることになった。


「軍へ届けます」


 彼は言った。


「ただし、将校が受け取るかはわかりません」


「受け取らなくても、兵士へ見せてください」


 マリアンヌが答える。


「あなた自身の判断で」


 使者は一礼した。


 王女へではなく、一人の国民へ向けるような礼だった。


 広場を離れた後、防衛本部への道で、マリアンヌの足が止まった。


 セラフィーナがそばへ寄る。


「殿下」


「足に力が入りません」


「座りましょう」


 木箱へ腰かけると、王女は両手で顔を覆った。


「兄上へ、背いたのですね」


「はい」


 セラフィーナは否定しなかった。


「でも、国へ背いたのではありません」


 マリアンヌは涙を拭う。


「私の言葉で、兵士が傷つくかもしれません」


「だから、責任を引き受ける必要があります」


 俺が言う。


「一緒に」


 彼女はうなずいた。


 その日の夕方、王国軍の陣地で命令への再確認を求める兵士が現れたという報せが届いた。


 軍はまだ撤退していない。


 橋も、戦も終わっていない。


 けれど、反逆者と王国軍という二つの呼び名だけでは、人々を分けられなくなった。


 王家ではなく、国へ。


 その言葉が、橋の向こうへ渡り始めていた。

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