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婚約破棄された公爵令嬢を辺境へ連れ帰ったら、俺の領地が王国で一番幸せになりました!?  作者: ぱるめりあ
第五部 幸せを守るための反逆

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第52話 穀物徴発令

 父の葬送を終えて三週間後、王家から新しい命令が届いた。


 封を切る前から、嫌な予感はしていた。


 王家の紋章が押された書状を見ると、最近は胃が痛くなる。貴族として、あまり誇らしくない反応だと思う。


「読みます」


 評議室で、セラが書状を開いた。


 俺、セラ、ガレス、アニエス。


 四人の前へ、羊皮紙が広げられる。


「北西部諸領は、王国軍の冬営に必要な穀物を供出せよ」


 セラの声が止まる。


「量は?」


 ガレスが尋ねた。


「領内備蓄の六割です」


 誰も言葉を出さなかった。


 六割。


 王家は数字として書いたのだろう。


 けれど、俺の頭には穀物倉庫の棚が浮かぶ。


 冬を越すパン。


 春に蒔く種。


 洪水の時に避難所へ回す備蓄。


 六割を持っていかれれば、それらが消える。


「期限は十日後。輸送は各領の負担です」


 アニエスが乾いた笑いを漏らした。


「奪うだけじゃなく、運ばせるのね」


「拒否した場合は?」


「王国軍への兵站妨害。反逆行為として処罰する、とあります」


 ガレスが卓を拳で叩いた。


「最初から徴発じゃない。服従の確認だ」


「王都の軍は、本当に食料が不足しているのか」


 俺が聞く。


 アニエスは持参した帳簿を開いた。


「不足はしてる。でも、王都の倉庫が空というわけじゃない。軍需商人が値上がりを待って出し渋ってる」


「王家は商人から買わず、地方から取る?」


「払わなくて済むからね」


 セラが別紙を確認する。


「対象はハルフォード領だけではありません。周辺六領へ同じ命令が出ています」


「なら、全部の領地が苦しくなる」


「はい。特に昨年の収穫が悪かった東側は、五割でも飢えます」


 命令書には、家族の顔は書かれていない。


 冬の朝、パンを半分に割る子どもも。


 種籾を守る農夫も。


 家へ帰る老人も。


 ガレスは命令書を裏返し、末尾の署名を確かめた。


「王太子の直筆じゃない」


「側近の代筆です」


 セラが答える。


「ただし、王太子印は本物です。現場の役人は王命として扱うでしょう」


「国王陛下の承認は?」


「ありません」


 父の葬送で王都へ届けを出したばかりだ。


 返ってきたのは悔やみの言葉ではなく、倉庫を開けろという命令だった。


「近隣領と連絡を取れる?」


 俺がアニエスへ聞く。


「商隊を使えば。けれど、王家に知られれば談合と呼ばれるわ」


「同じ命令を受けた領同士が被害を確認するだけでも?」


「向こうが反逆と呼びたければ、何でも理由になる」


 アニエスは肩をすくめた。


「それでも送る?」


「送ってください。従った場合に冬を越せるか、それだけでも聞きたい」


 俺たちだけの問題として閉じれば、王家は領地ごとに孤立させられる。


「倉庫を見に行きましょう」


 俺は立ち上がった。


 評議室だけで決めれば、数字の争いになる。


 俺たちは穀物倉庫へ向かった。


 扉を開けると、乾いた麦の匂いがした。


 棚には袋が積まれている。


 以前は空だった場所だ。


 税制を変え、水車を直し、皆で少しずつ増やした備蓄。


「ここから六割です」


 セラが倉庫の床へ線を引くように手を動かす。


 右側の棚から、奥の種籾まで。


 想像すると、胸が冷たくなった。


 倉庫番の老人が、帽子を握りしめる。


「若旦那様。持っていかれるんですか」


「まだ決めていません」


「春の種まで?」


「命令通りなら、そうなります」


 老人の後ろにいた少年が、穀物袋へ手を置いた。


「これ、来年のパンだよね」


 前に徴税官が来た時、母親がそう教えていた。


「そうだ」


 俺が答える。


「土へ返して、増えて帰ってくる」


「持っていったら、帰ってこない?」


 答えに詰まった。


「王国軍が食べれば、兵士は助かります」


 セラが少年へ言う。


「でも、こちらの人々が食べる分がなくなります」


「じゃあ、半分ずつじゃだめ?」


「半分でも、足りない家があります」


 子どもの問いは単純だ。


 だから、こちらもごまかせない。


 兵士を飢えさせたいわけではない。


 王都の人々を敵だと思っているわけでもない。


 だが、一方の飢えを、別の土地へ押しつける命令は間違っている。


「軍へ売ることはできます」


 アニエスが袋の量を見ながら言った。


「適正な価格で、余剰分だけ。代金があれば春までに別の地域から買い戻せる」


「王家は払わないでしょう」


「払う気がないから徴発なのよ」


 ガレスは倉庫の入口から外を警戒している。


「拒否すれば、軍が来る」


「何人くらいだ」


「周辺領の徴発をまとめて行うなら、千人以上。討伐の名目がつけばもっとだ」


 こちらの守備隊では、正面から勝てない。


 俺は怖かった。


 父を送ったばかりの領地へ、今度は戦を呼ぶかもしれない。


 領主になった実感が、爵位の届け出より先に、こういう形で来るとは思わなかった。


「アレン」


 セラが隣へ立つ。


 公の場なので、俺は彼女を愛称では呼ばない。


「命令へ従えば、春までに不足する穀物量を計算しました」


「どれくらいです」


「少なく見積もっても、成人二千人が二か月食べる量です」


 倉庫番が息を呑む。


「配給を減らせば?」


「子どもと高齢者から先に体調を崩します」


「外から買えば」


 アニエスが首を振る。


「冬の街道よ。王家が交易を止めれば届かない」


 逃げ道が一つずつ消えていく。


「逆に、拒否した場合は」


 俺が尋ねる。


「軍事的危険があります」


 セラは目を逸らさない。


「徴税権の停止、交易封鎖、領主家の処罰。最悪の場合、武力による徴発です」


「どちらも安全ではない」


「はい」


「なら、何を基準に決めるべきでしょう」


 セラは倉庫の棚を見る。


「命令の形式ではなく、守るべき人です」


 王家へ従うことが、国を守ることだと思っていた。


 少なくとも、貴族はそう教えられる。


 でも、目の前の命令に従えば、国民が飢える。


 それでも忠誠と呼べるのか。


 倉庫の外では、知らせを聞いた領民が集まり始めていた。


 誰も怒鳴らない。


 不安そうに、俺たちの判断を待っている。


 倉庫の奥では、職人たちが袋の口を確認していた。


 一袋ずつ、収穫した村と用途が木札に記されている。


「これは学校の冬用です」


 倉庫番が一つの札を示す。


「こちらは洪水備蓄。奥は種籾」


 王家の書状では、すべて同じ穀物だ。


 けれど、ここでは一袋ごとに待っている人と季節が違う。


「六割という言葉だけなら、紙の上で済みます」


 セラが小さく言った。


「ですが、実際には六割分の約束を奪うことになります」


「約束?」


「冬も食べられる。春も畑を作れる。災害が来ても見捨てられないという約束です」


 父が守ろうとした家も、俺たちが増やしたパンも、その約束の上にある。


「今日中には決めません」


 俺は皆へ言った。


「明日、公開で協議します。命令の内容も、従った場合の不足も、拒否した場合の危険も、全部話します」


「若旦那様が決めればいい」


 農夫の一人が言う。


「俺たちは従う」


 その言葉が重かった。


「だからこそ、聞いてほしいんです」


 俺は答えた。


「俺が決めるとしても、結果を負うのは皆です」


「怖くないんですか」


 別の女が尋ねた。


「怖いです」


 隠さなかった。


「王国軍が来るのも、冬に食べ物が足りなくなるのも、どちらも怖い」


 倉庫の前が静かになる。


「でも、怖いから考えるのをやめることはできません」


 セラが命令書を折り、俺へ渡した。


「明日の協議資料を作ります」


「俺も」


「今夜は眠ってください」


「努力します」


「努力ではなく」


「眠ります」


 少しだけ、彼女の表情が緩んだ。


 日が傾き、倉庫の棚へ長い影が落ちる。


 六割を示す影は、想像より大きかった。


 王家の命令と、領民の生存。


 どちらも守ることはできない。


 明日、俺は初めて、公の場でどちらを選ぶか言わなければならなかった。

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