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婚約破棄された公爵令嬢を辺境へ連れ帰ったら、俺の領地が王国で一番幸せになりました!?  作者: ぱるめりあ
第四部 偽りの庇護から本当の婚約へ

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第49話 セラ

 正式な婚約は、領主館の小さな食堂で認められた。


 豪華な儀式はない。


 父が署名し、俺とセラフィーナが署名し、クレア、ガレス、アニエスが証人として名を連ねた。


 マリアンヌからは、王都へ戻った後に書かれた祝福の手紙が届いている。


「本当に、これでよいのですか」


 セラフィーナが婚約書を見つめる。


「何か不足が?」


「公爵家の承認がありません」


「公爵家は、あなたを追放しました」


 父が穏やかに答える。


「それでも、血縁上の手続きは」


「王国法では、成年した貴族女性が家を離れ、自ら婚約へ同意することを禁じていない」


 セラフィーナ自身が以前確認した法だった。


「王家は異議を唱えるでしょうが、それは別に考えよう」


 父は羽根ペンを置く。


「今日、確認したいのは二人の意思だ」


 俺を見る。


「アレン」


「はい」


「セラフィーナさんを婚約者として、生涯尊重するか」


「はい」


「守るだけではなく?」


「隣に立ってもらいます」


 父がうなずく。


 次にセラフィーナを見る。


「セラフィーナさん。君は、恩義ではなく、自分の意思でアレンを選ぶかい」


「はい」


 彼女は迷わなかった。


「私は、自分の意思でアレンを選びます」


 父が笑う。


「なら、私から言うことはない。婚約を認める」


 クレアが一礼した。


「おめでとうございます」


 アニエスは遠慮なく拍手する。


「やっとね」


「やっと、とは」


「全員知ってたもの」


 ガレスが腕を組む。


「俺は知らなかった」


「お前は恋愛の細部を知らないだけで、二人が互いを優先していたことは気づいていただろう」


「それは警備上の把握だ」


「便利な言葉ですね」


 食堂へ笑いが広がる。


 署名の後、父は小さな箱を開いた。


 中には、銀の指輪が二つ入っている。


「領内の職人が急いで作ってくれた」


「二つ?」


「婚約は片方だけの約束ではないからね」


 俺の指輪は飾りのない銀。


 セラフィーナのものには、細い葉の模様が刻まれている。


 市場で贈った髪飾りと同じ意匠だった。


「気に入らなければ、後で直せるそうだ」


 父が言う。


「直しません」


 セラフィーナはすぐに答えた。


「このままがよいです」


 俺が彼女の指へ輪を通す。


 次に、彼女が俺の指へはめる。


 皆が見ているため、手が少し震えた。


「アレン、緊張している?」


 アニエスが楽しそうに言う。


「細い指輪を落とさないよう集中しています」


「言い訳が実務的すぎるわ」


 祝いの料理は、いつもの食事より少し豪華だった。


 焼いた肉。


 蜂蜜を使ったパン。


 市場で一番大きかった夏の果物。


 そして、誕生日の時よりは形の整ったケーキ。


「今回は崩れていません」


 俺が言う。


「アレン様を飾りつけから外しましたので」


 クレアが答えた。


「理由がひどい」


「結果をご覧ください」


 反論できない完成度だった。


 セラフィーナは、自分の家族用の皿へ料理を取り分けてもらう。


 婚約したから新しい席を作ったのではない。


 彼女の席は、ずっとそこにあった。


「お祝いの言葉を」


 アニエスに促され、俺は立ち上がる。


「急ですね」


「領主代理でしょう」


「それは関係あります?」


「ないわね」


 皆が待っている。


 俺はセラフィーナを見る。


 公的な場では、まだローゼンフェルト公爵令嬢と呼ぶ必要がある。


 王家との問題も残っている。


 それでも、この食卓では名前を呼べる。


「セラフィーナ」


「はい」


「これからも、よろしくお願いします」


「こちらこそ、よろしくお願いいたします」


 簡単な言葉だった。


 でも、皆が拍手してくれた。


 食事が終わると、父は疲れたからと部屋へ戻った。


 ガレスは見回りへ。


 アニエスは市場の宿へ帰り、クレアは片づけを始める。


 俺とセラフィーナは、食堂の隣にある小さな談話室へ移った。


 二人きりになると、急に婚約という言葉が現実味を持つ。


「婚約者、なんですね」


 俺が言う。


「先ほど署名しました」


「わかっています」


「まだ実感がありませんか」


「少し」


 セラフィーナも同じらしい。


 窓辺へ座り、指へはめた簡素な指輪を見る。


 華美な宝石はない。


 領内の職人が磨いた銀の輪だ。


「気に入りませんか」


「逆です」


 彼女は指輪を胸元へ寄せる。


「私のために、こちらの職人が作ってくださったのでしょう」


「はい」


「なら、これがよいです」


 しばらく、二人で指輪を見る。


「アレン」


「はい」


「お願いがあります」


「何でしょう」


「私の名前を、別の呼び方で呼んでいただけませんか」


「別の?」


「婚約書へ署名しても、皆の前で呼ばれる名前は変わりません」


「公的には、そうですね」


「ローゼンフェルト公爵令嬢。法務補佐。婚約者」


 彼女は指輪を撫でた。


「どれも間違いではありません。でも、役割の名前です」


「セラフィーナも名前では?」


「長い間、それも公爵家の娘として呼ばれる名前でした」


「俺が呼ぶ時も?」


「今は違います」


 青い瞳が俺を見る。


「だからこそ、もう一つ欲しくなりました」


「公爵家では、幼い頃に愛称で呼ばれることもありました」


「その呼び方を?」


「いいえ」


 彼女は首を振った。


「過去の家で使われたものではなく、ここで生まれた呼び方が欲しいのです」


「ここで?」


「アレンだけが呼ぶ名前です」


 胸が強く鳴る。


「俺だけ?」


「はい」


「クレアさんたちも?」


「呼びません」


「父上も?」


「呼びません」


「かなり特別ですね」


「特別にしたいのです」


 セラフィーナは頬を赤くしながらも、目を逸らさなかった。


「セラフィーナは少し長いので」


「それを理由にするのですか」


「緊張しているので、現実的な話を」


「では、現実的に短くしてください」


 意外と厳しい。


「どんな音がよいですか」


「短く、呼びやすいものを」


「市場で急いで呼べるくらい?」


「市場で使ってはいけません」


「二人きりでしたね」


「はい」


「では、朝食の前に呼べるくらい」


「それは構いません」


「仕事中は?」


「私的な執務なら」


「規則が細かいですね」


「大切な呼び方ですから」


 彼女は真剣だった。


 俺も、軽く決める気はなくなった。


 セラフィーナという名前の中から、誰にも奪われず、彼女自身が選べる音を探す。


「セラ、では?」


 彼女の呼吸が止まった。


 まだ呼びかけではない。


 候補を口にしただけだ。


「それが、よいです」


「本当に?」


「はい」


「では」


 急に喉が乾く。


 告白より短い言葉なのに、なぜか同じくらい緊張する。


 彼女は待っている。


 指輪をはめた手を膝の上へ置き、少しだけ身を乗り出して。


「セラ」


 青い瞳が大きくなる。


 次に、ゆっくり細められた。


 笑顔になるまでの短い沈黙が、ひどく長く感じた。


「はい、アレン」


 たったそれだけだった。


 でも、今まで何度も呼んだ名前とは違う。


 この家で、俺だけが彼女へ渡す呼び方。


 彼女が、自分で望んだ名前。


「もう一度、呼んでも?」


「何度でも」


「セラ」


「はい」


「少し恥ずかしいですね」


「私もです」


「やめますか」


「やめません」


 即答だった。


 俺たちは笑う。


 手を伸ばすと、セラが指を重ねた。


「公的な場では、正式な呼び方に戻します」


「承知しています」


「皆の前では、セラフィーナと」


「はい」


「二人の時だけ」


「それがよいです」


「クレアさんが聞いたら?」


「聞こえない場所で呼んでください」


「父上が来たら?」


「セラフィーナへ戻してください」


「間違えそうです」


「練習が必要ですね」


「では」


 俺は少し離れ、もう一度向き直った。


「セラ、明日の朝は何を食べたいですか」


「蜂蜜を少し塗ったパンを」


「蕪は?」


「必要ありません」


「好き嫌いを認めましたね」


「婚約者の前では、少しだけ」


 彼女は照れたように笑った。


 新しい名前は、完璧な公爵令嬢ではない彼女にも似合っていた。


 彼女の肩が、俺の肩へ触れる。


 婚約者として初めて二人きりで過ごす時間。


 特別なことはしなかった。


 窓の外の灯りを見て、明日の仕事を少し話し、父の体調を気にした。


 ただ、その間に何度か、新しい名前を呼んだ。


「セラ」


「何でしょう」


「呼びたかっただけです」


「では、私も。アレン」


「はい」


 何でもない呼び合いが、何よりうれしかった。

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