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婚約破棄された公爵令嬢を辺境へ連れ帰ったら、俺の領地が王国で一番幸せになりました!?  作者: ぱるめりあ
第四部 偽りの庇護から本当の婚約へ

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第48話 俺はあなたが好きです

 夜の執務室へ、セラフィーナを呼んだ。


 庭でもよかった。


 けれど、俺たちが最も長く一緒にいた場所はここだ。


 机の上には領地の帳簿。


 窓辺には、雨漏りの夜に乾かした法令集。


 壁には、学校の子どもからもらった小さな木札。


 特別な飾りはない。


 俺たちらしいと思う。


「お待たせしました」


 セラフィーナが入ってくる。


 深い青の普段着。


 銀色の髪には、市場で贈った髪飾りがついている。


「座りますか」


「いいえ」


「俺も立ったままの方が?」


「お任せします」


「一番困る答えです」


 彼女が少し笑った。


 緊張しているのは、俺だけではないらしい。


「昨日、父上と話して」


「はい」


「言葉にしなければならないと思いました」


「私もです」


 向かい合う。


 机一つ分の距離が邪魔に感じ、横へ移動する。


 今度は近すぎる気がした。


 結局、二歩ほど離れた場所で止まった。


「俺は、貴族として大したものを持っていません」


 最初から、あまり格好よくない。


「領地はまだ貧しい。礼服は古い。王家から目をつけられています」


「承知しています」


「踊りも下手です」


「改善しました」


「紅茶も、セラフィーナの方が上手です」


「それは議論の余地があります」


「ありますか?」


「アレンの紅茶は、味が毎回違います」


「褒められていませんね」


 少しだけ、息がしやすくなる。


「俺が与えられるものは多くありません」


 セラフィーナの表情が変わる。


「また、ご自分の価値を低く見積もるのですか」


「そうではありません」


 逃げずに続ける。


「足りないことは認めます。でも、足りないから諦めるとは言いません」


 彼女が黙る。


「俺は、正しい言葉をいつも選べるわけではありません」


「存じています」


「即答ですね」


「婚約破棄の夜から、何度も確認しました」


「交渉も、セラフィーナほど上手くない」


「それも存じています」


「礼法も」


「教えます」


「自信をなくすために話している気がしてきました」


 彼女が笑う。


「不足を数えるなら、私にもあります」


「セラフィーナに?」


「料理はクレアほどできません。長靴で歩けば泥へ取られます。恋愛については、今も正しい順序がわかりません」


「それは俺もです」


「なら、二人分の不足です」


「増えましたね」


「補い合えばよいのでは?」


 その言葉に、胸の力が少し抜けた。


「俺が言おうとしていたことを、先に言われました」


「では、続けてください」


「俺は、セラフィーナと暮らしたいです」


「領地運営のために?」


「違います」


「お父様のため?」


「違います」


「私を守る責任として?」


「違います」


 一つずつ否定するたび、言葉が自分の中で明確になる。


「朝食で同じ皿を使ってほしい。仕事の相談をしたい。市場へ行きたい。帰りが遅ければ待ちたい」


 セラフィーナの青い瞳が、少しずつ潤む。


「何もない日にも、同じ家にいてほしい」


「アレン」


「役に立つからではありません」


 俺は深く息を吸った。


「俺はあなたが好きです」


 静かな執務室へ、言葉が落ちた。


 言ってしまえば短い。


 けれど、王都で彼女を連れ帰ると決めた夜から、ここへ辿り着くまで随分かかった。


「セラフィーナ・ローゼンフェルトとしても」


 俺は続ける。


「泥へ長靴を取られて笑う人としても。蕪の苦みを我慢する人としても。正しい案を作って、百軒へ説明へ行く人としても」


「蕪の話は必要でしょうか」


「大切な思い出です」


 彼女が涙のまま笑う。


「完璧だから好きなのではありません。失敗した時に考え直すところも、自分のことだけ後回しにして叱られるところも」


「後半は、アレンも同じです」


「だから、似ているのかもしれません」


 俺は手を差し出した。


「俺と婚約してください、と今すぐ言うのは、順番が違う気がします」


「告白の次では?」


「セラフィーナが何を望むのか、先に聞きたい」


「私の望み」


「家格や政治の利点ではなく」


 彼女の視線が、差し出した手へ落ちる。


「私がハルフォード家へ加われば、領地の法務と外交を」


「それは仕事です」


「王家に対抗する正当性も」


「政治です」


「アレンの妻として必要な教育は受けています」


「役割です」


 彼女は言葉を失った。


 今までなら、それらを自分の価値として並べたはずだ。


 俺も、以前なら安心したかもしれない。


 領地に役立つから、父上が喜ぶから。


 でも、今はそれでは足りない。


「役に立つ答えを探してしまいます」


 セラフィーナは自分の指先を見る。


「それが、一番安全だからです」


「安全?」


「役に立てば、拒まれにくい。必要とされれば、追い出されにくい」


 静かな声だった。


「好きだと言われても、何を返せばよいか考えてしまうのです」


「返さなくていいです」


「受け取るだけで?」


「俺も受け取っています」


「何を?」


「毎朝の挨拶。仕事を一緒に考えてくれること。無茶を止めてくれること」


 少し考え、付け加える。


「蕪を苦そうに食べる顔も」


「それは受け取らなくて結構です」


「もう覚えました」


 セラフィーナの口元が緩む。


「好きという言葉へ、同じ量の何かを返す必要はありません」


「では、私は何を答えれば」


「セラフィーナの望みを」


「何が欲しいですか」


 尋ねる。


「俺が与えられるかどうかは、その後で考えます」


 セラフィーナは窓の外を見る。


 庭は暗い。


 領主館の窓だけが、温かな灯りを落としている。


「私は、豪華な屋敷を望んでいません」


「助かります」


「領地の広さも、爵位の高さも」


「それも助かります」


「宝石も、式典も、王宮の地位も」


 彼女は髪飾りへ触れた。


「もう、私のために選ばれたものを知っていますから」


 俺の方を見る。


「私が欲しいのは、帰る場所です。そこにあなたがいれば十分です」


 差し出した手へ、彼女の手が重なる。


 言葉を返そうとして、声が出なかった。


 俺が彼女へ与えたいと思っていたもの。


 ここへ帰ってきていいと言える場所。


 それを、彼女自身が望んでくれた。


 彼女は、差し出した手へ完全に掌を重ねた。


「王宮には、帰るべき場所がありませんでした」


 指が絡む。


「公爵家にも、自分の席があるとは思えなかった」


 窓の外の灯りを見る。


「ここでは、遅くなれば待ってくださる。失敗しても、次を一緒に考えてくださる。役に立たない日にも、皿が置かれている」


「はい」


「私は、その日々を失いたくありません」


 政治的な利点でも、恩返しでもない。


 彼女自身が欲しい暮らしだった。


「俺で、いいんですか」


「その質問は、今の告白を台無しにします」


「すみません」


「謝るところでもありません」


 セラフィーナは指を絡める。


「アレンがいいのです」


 胸の奥へ、その言葉がゆっくり沈んだ。


「俺も、セラフィーナがいいです」


「はい」


「身分差があります」


「知っています」


「王家との問題も」


「一緒に考えます」


「領地は忙しいです」


「その方が、私には合っています」


「俺は無茶をします」


「止めます」


「かなり厳しく?」


「必要なだけ」


 笑い合う。


「明日、婚約を申し込んでもよいですか」


 尋ねると、セラフィーナは少し驚いた。


「今ではないのですか」


「今は告白への返事を受け取ったところです」


「手順を気にするのですね」


「今回は丁寧にしたいので」


「では、明日まで待ちます」


「長いですか」


「少し」


「今、申し込みましょうか」


「いいえ」


 彼女は笑う。


「アレンが丁寧にしたいと思った順序で、お願いいたします」


 正式な婚約の手続きは、父へ相談しなければならない。


 王家へどう届け出るかも難しい。


 問題はいくつもある。


 それでも、今は急いで解決しなくていい。


 俺たちは、手をつないだまま、互いの言葉を受け止めた。


「口づけても?」


 尋ねると、セラフィーナは少し目を伏せた。


「傷は、もう大丈夫ですか」


「医師から、普通に歩いてよいと言われました」


「口づけについては?」


「聞けませんでした」


「では、自己判断ですね」


「危険でしょうか」


「以前よりは低いと思います」


 彼女が一歩近づく。


 俺も近づく。


 今度は、最初の時より迷わなかった。


 それでも急がず、互いの目を見てから唇を重ねる。


 短く、温かい。


 離れた後も、手はつないだままだ。


「明日、父上へ話しましょう」


「はい」


「婚約を」


「はい」


 セラフィーナが微笑む。


 俺は、ようやく帰る場所の意味を理解した気がした。


 建物ではない。


 領地でも、爵位でもない。


 帰った時に、ただいまと言いたい相手がいることだった。

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