第45話 今度は私が守ります
目を覚ますと、最初に見えたのは銀色の髪だった。
寝台の脇へ置かれた椅子で、セラフィーナが眠っている。
腕を組んで机へ伏せるのではなく、背筋を伸ばしたまま、俺の手を握って。
器用なのか不器用なのか、判断に困る眠り方だった。
「……セラフィーナ」
小さく呼ぶと、青い瞳がすぐに開いた。
「アレン?」
「はい」
「痛みは。息苦しさは。目眩はありますか」
一息で三つ聞かれた。
「おはようございます」
「挨拶より先に答えてください」
「脇腹が少し。肩も動かすと痛いです。目眩はありません」
正直に答える。
洪水の夜に、怖い時も痛い時も隠さないと約束した。
ここで強がれば、たぶん傷より先にセラフィーナに叱られる。
「熱を測ります」
彼女の手が額へ触れた。
ひんやりして気持ちがいい。
「熱は高くありません」
「セラフィーナの手が冷たいんじゃなくて?」
「眠っている間も、何度も確認しました」
「ずっといたんですか」
「はい」
「何時間くらい」
「数えていません」
答えながら、彼女は水差しへ手を伸ばす。
その指先がわずかに震えていた。
「水を」
「自分で飲めます」
「寝たままではこぼします」
「起きれば」
「起きてはいけません」
以前、熱を出した時と同じやり取りだった。
違うのは、今の彼女が少しも笑わないことだ。
上体を支えられ、杯を口元へ運ばれる。
水を飲み終えるまで、セラフィーナは俺の顔から目を離さなかった。
「そんなに見られると、飲みにくいです」
「見ていなければ、あなたは無茶をします」
「水を飲むだけですよ」
「昨夜も、傷を押さえながら立とうとしました」
「馬車から降りる時だけです」
「立とうとしたことに変わりはありません」
杯が机へ置かれる。
セラフィーナは、俺の包帯へ視線を落とした。
「医師は、傷は急所を外れていると言いました。出血も止まっています」
「なら、大丈夫です」
「その言葉を、もう使わないでください」
強い声だった。
俺は黙る。
「大丈夫ではありませんでした」
彼女は包帯の端を確認する。
「夜道で襲われました。アレンは二度、刃を受けました。屋敷へ着くまで、何度も意識が遠のいた」
「でも、戻れました」
「戻れなかったかもしれません」
指が止まる。
青い瞳が伏せられた。
「その可能性を、今になって理解しました」
昨夜の彼女は、傷を押さえ、指示に従い、俺を起こし続けていた。
泣いてはいたが、動きを止めなかった。
今、危険が去ったからこそ、恐怖へ追いつかれたのだろう。
「セラフィーナ」
「私が馬車の中で、もっと早く何かできていれば」
「できることはしていました」
「書類を窓へ立てただけです」
「矢を一本止めました」
「アレンは、私を庇って」
「考える前に動いただけです」
「それが怖いのです」
彼女は顔を上げた。
「あなたは、自分の命を判断の外へ置く」
言葉が刺さった。
否定できない。
セラフィーナを守らなければと思った時、自分が傷つく可能性は考えなかった。
正確には、考える時間がなかった。
「すみません」
「謝罪を求めているのではありません」
「では、どうすれば」
「約束してください」
セラフィーナは俺の手を握り直した。
「次は、私にも守らせてください」
「守る?」
「危険を見つけること。助けを呼ぶこと。逃げ道を考えること。アレンが一人で前へ出ないよう止めること」
「かなり具体的ですね」
「昨夜から考えていました」
「眠っていないんじゃ」
「少しは眠りました」
椅子に座ったまま、俺の手を握って。
あれを睡眠へ数えていいのだろうか。
「セラフィーナも、一人で背負わないでください」
「私の話ではありません」
「同じ話です」
「違います」
「違いません」
しばらく見つめ合う。
先に視線を逸らしたのは、彼女だった。
「……では、二人ともです」
「はい」
「どちらかが危険な時は、もう一人へ知らせる」
「はい」
「自分だけを犠牲にする結論を、勝手に出さない」
「はい」
「怖い時は、怖いと言う」
「それも」
セラフィーナは一度、深く息を吸った。
「私は、怖かったです」
握られた手へ力が入る。
「アレンを失うことが」
部屋が静かになった。
窓の外から、鳥の声が聞こえる。
「領地を失うよりも、名誉を失うよりも。あなたがいなくなることが、一番怖かった」
それは告白に近い。
けれど、彼女は恋という言葉を使わなかった。
俺も、何と答えればいいのかわからない。
ただ、胸の奥が熱くなった。
「俺も、セラフィーナを連れていかれるのが怖かったです」
「それは、保護の責任として?」
「違うと思います」
言った自分が一番驚いた。
セラフィーナのまばたきが止まる。
「違う、とは」
「責任だけなら、あそこまで怖くなかった」
襲撃者が馬車へ向かった時、頭にあったのは保護宣誓でも王命でもなかった。
彼女が傷つく。
それが嫌だった。
「まだ、うまく言えません」
「はい」
「でも、いなくなってほしくないです」
セラフィーナの唇がかすかに震えた。
「私もです」
指先が絡む。
恋人ではない。
正式な約束もない。
それでも、以前の俺たちへは戻れないのだとわかった。
扉が静かに開き、クレアが盆を持って入ってきた。
「お目覚めでしたか」
「はい」
セラフィーナが慌てて手を離そうとする。
俺は反射的に握ったままにした。
二人で固まる。
クレアは俺たちの手を一度だけ見た。
「朝食をこちらへ置きます」
何も言わず、机へ盆を置く。
「セラフィーナ様も、お食事を」
「後で」
「今です」
「ですが、アレンの看病が」
「アレン様は逃げません」
クレアはきっぱり言った。
「それに、守る方が倒れては困ります」
セラフィーナは反論できず、椅子へ座り直した。
俺たちは同じ盆から、薄いスープとパンを食べた。
「領地の状況は?」
「ガレスが警備を増やしました。捕らえた二人は別々に拘束しています」
「王家との関係は」
「今は考えないでください」
「領主代理として」
「今の仕事は治ることです」
また言われた。
「守られる側は、ずいぶん仕事が少ないですね」
「難易度は高いようですが」
セラフィーナが、ようやく少し笑った。
数日間、彼女は本当に俺の寝室へ通い続けた。
薬の時間を記録し、傷の状態を医師へ伝え、領地から届く書類を必要なものだけ選んで持ってくる。
俺が机へ手を伸ばせば、少し離れた場所へ移す。
起き上がろうとすれば、無言で枕を増やす。
過保護だと思う。
だが、嫌ではなかった。
三日目の夕方、熱もなく、傷も落ち着いた。
「明日から、少し歩いてよいそうです」
「室内だけです」
「廊下は?」
「医師に確認します」
「庭は」
「却下です」
「まだ聞いていません」
「却下です」
セラフィーナは窓辺の花へ水をやる。
その横顔を見ながら、俺は尋ねた。
「ずっと、ここにいるつもりですか」
「ご迷惑ですか」
「まさか」
すぐに答えた。
「むしろ、治った後にいなくなる方が困ります」
彼女の手が止まる。
「看病の話ですか」
「それだけではないです」
また、うまく言えない。
けれど彼女は、待ってくれた。
「俺は、セラフィーナがここにいると安心します」
「私も」
彼女は水差しを置き、寝台のそばへ戻った。
「アレンが目を開けて、私の名前を呼ぶと安心します」
手が差し出される。
俺はその手を取った。
「今度は私が守ります」
「はい」
「ですが、アレンも私を守るのでしょう」
「もちろん」
「では、競争ではありませんね」
「共同作業です」
セラフィーナは笑った。
握った手の温度が、今度は冷たくなかった。




