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婚約破棄された公爵令嬢を辺境へ連れ帰ったら、俺の領地が王国で一番幸せになりました!?  作者: ぱるめりあ
第四部 偽りの庇護から本当の婚約へ

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第40話 私が選びます

 朝日が、厩舎の床へ長い線を作っていた。


 セラフィーナは、王都へ続く道を見ている。


 俺は何も言わない。


 言えば、また彼女の判断へ自分の望みを重ねてしまいそうだった。


「王都へ戻れば」


 セラフィーナが口を開く。


「少なくとも、王家がすぐに兵を送る理由は失われます」


「はい」


「私が残れば、領民は危険へ巻き込まれるかもしれません」


「はい」


「合理的に考えれば、戻るべきです」


 俺の胸が沈む。


 それでも、うなずいた。


「そうかもしれません」


「止めないのですね」


「止めたいです」


「同じ答えです」


「気持ちは変わっていません」


 彼女は荷物の持ち手へ触れた。


「恩を返すために戻る。皆を守るために戻る。公爵令嬢として責任を取るために戻る」


 一つずつ、自分の中で確かめるように言う。


「どれも、私がこれまで選んできた理由です」


「はい」


「でも、それは本当に私の選択だったのでしょうか」


 俺は答えなかった。


 彼女が答えるべき問いだから。


「王太子妃になることも、家の役に立つためでした。学ぶことも、笑うことも、役に立つため」


 セラフィーナは指を荷物から離した。


「ここへ来てからも、同じでした」


「領地のために働いてくれました」


「働けば、いてよいと思えたからです」


 声が震える。


「役に立たない日にも、ここにいてよいと言われたのに、私はまだ信じきれていなかった」


 厩舎の外で、朝の鐘が鳴った。


 領主館の使用人たちが動き始める音がする。


 セラフィーナは目を閉じた。


「王都へ戻った後のことを、ずっと考えていました」


「どんなことを?」


「拘束されること。裁判を求めること。クレアや皆さんへ危険が及ばないよう、何も話さないこと」


「怖かった?」


「はい」


「それでも戻ろうとした」


「怖いことと、必要なことは両立します」


 洪水の時、俺が言ったような理屈だった。


「では、残ることも怖い?」


「もっと怖いかもしれません」


「なぜ」


「自分の望みで選ぶからです」


 その答えに、俺は何も返せなかった。


 命令へ従って失敗すれば、命じた者を責められる。


 正しさのために犠牲になれば、自分へ言い訳ができる。


 けれど、幸せになりたいから残る選択には、逃げ道がない。


「もし間違っていたら、私自身の間違いになります」


「一人の間違いにはしません」


「それは慰めですか」


「共同経営の確認です」


 セラフィーナが泣きながら、少し笑った。


「王都へ戻りたいのですか」


 俺は尋ねた。


 セラフィーナは、道を見る。


 長い沈黙。


「いいえ」


 はっきりした声だった。


「では、ハルフォード領へ残りたい?」


「はい」


 彼女が俺を見る。


 涙は残っている。


 けれど、目は逸らさなかった。


「私は、ここにいたいです」


 胸の奥に張りつめていたものが、少しほどける。


「皆さんに必要とされるからではありません」


「はい」


「恩を返すためでも、仕事を完成させるためでもない」


「はい」


「アレンのそばで、朝食を食べて、仕事をして、帰ってきたいからです」


 息が止まりそうになる。


「それは、理由として十分でしょうか」


「俺に聞かないでください」


 言ってから、少し笑った。


「選ぶのはセラフィーナです」


 彼女も、涙のまま笑った。


 セラフィーナは足元の二本の轍を見た。


 一方は王都へ向かう街道へ続き、もう一方は屋敷の裏庭で消えている。


「王都へ行く道は、ずっと誰かが私へ示してきた道でした」


「公爵家や王家が?」


「はい。正しい令嬢になり、正しい王太子妃になり、正しい役目を果たす道です」


「屋敷へ戻る道は?」


「私が、歩きたいと思った道です」


 彼女は自分の靴を見る。


 王都から来た時の絹靴ではない。


 市場で選んだ、丈夫な革靴だ。


「この靴なら、泥道でも戻れます」


「長靴ほどではありませんが」


「アレンの長靴は、もう結構です」


 こんな時なのに、二人で少し笑った。


 その笑いが、彼女自身の選択を現実のものへ変えたように思えた。


「では、私が選びます」


 セラフィーナは荷物を持ち上げた。


 一瞬、心臓が跳ねる。


 彼女は王都へ続く道ではなく、屋敷へ向かって歩き出した。


「私は、ハルフォード領へ残ります」


 俺は追いかける。


 隣へ並ぶ。


「ありがとうございます」


「なぜ、アレンが礼を?」


「選んでくれたから」


「勝ったとは思わないのですか」


「誰に?」


「王太子殿下に」


「これは勝負じゃありません」


 セラフィーナの口元が柔らかくなる。


「アレンらしいですね」


 屋敷の裏口では、クレアが待っていた。


 外套を羽織り、両手を前で組んでいる。


 俺たちを見ると、何も聞かずに扉を開けた。


「おかえりなさいませ、セラフィーナ様」


 セラフィーナの足が止まる。


「ただいま、クレア」


 クレアは深く頭を下げた。


 目元が少し赤い。


「朝食の準備ができております」


「私の分も?」


「もちろんです」


 裏口から厨房へ向かう途中、早起きの使用人とすれ違った。


 彼はセラフィーナの荷物を見て、一瞬だけ驚く。


 けれど何も聞かず、いつものように頭を下げた。


「おはようございます」


「おはようございます」


 セラフィーナも、いつものように返す。


 その普通の挨拶で、彼女の歩幅が少し軽くなった。


 庭では、昨日干した布が朝風に揺れている。


 学校へ運ぶ薪が積まれている。


 帰ってきた日常は、彼女が何を決めたのか知らない顔で動き始めていた。


 食堂へ入ると、いつもの皿が並んでいた。


 セラフィーナの家族用の皿も、いつもの席にある。


 父はまだ来ていない。


 窓から朝の光が差し、焼いたパンの匂いがする。


「座ってください」


 俺が椅子を引く。


「アレンも」


 向かいへ座る。


 クレアが二人へスープを配る。


 俺たちは、同時に息を吐いた。


 大きな決断をしたはずなのに、目の前にあるのは普段の朝食だった。


「温かいですね」


 セラフィーナがスープを口へ運ぶ。


「冷める前に戻れました」


「それを考えていたのですか」


「少し」


「王都へ戻るかどうかを決めながら?」


「朝食を食べたいと、昨日から思っていました」


 俺は笑った。


 彼女も笑う。


 呼吸が、ようやく普通に戻った。


「この後、王家への返答を作り直します」


 セラフィーナが言う。


「残ると決めた者として」


「俺も一緒に」


「はい」


「でも、食べてからです」


「もちろんです」


 パンを一枚取る。


 彼女も同じ籠へ手を伸ばし、指先が触れた。


 二人とも少し止まり、どちらからともなく笑った。


 残るという選択は、英雄的な勝利ではない。


 ただ、同じ食卓へ戻ることだった。


 そして、その朝からセラフィーナは、守られる客人ではなく、自分でこの場所を選んだ一人になった。

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