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婚約破棄された公爵令嬢を辺境へ連れ帰ったら、俺の領地が王国で一番幸せになりました!?  作者: ぱる子
第一部 公爵令嬢を連れ帰りました

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第4話 一部屋しかありません

「申し訳ないねえ。空いてる部屋は、そこ一つだけなんだ」


 街道沿いの宿屋で、主人は本当に申し訳なさそうに頭を下げた。


 外では冷たい雨が降っている。


 馬は疲れている。俺たちも疲れている。次の宿場までは、夜道を三時間以上走らなければならない。


 そして、空いているのは一部屋だけ。


(来たな。旅の問題としてはよくあるが、俺の人生では来なくてよかったやつが)


「一部屋で構いません」


 セラフィーナ様が答えた。


 俺は思わず横を向く。


「セラフィーナ様?」


「この雨の中で先へ進む方が危険です。馬にも休息が必要でしょう」


「それはそうですが……」


「部屋には寝台が一つと、長椅子が一つございます」


 主人が付け足す。


 長椅子。


 その言葉に一瞬だけ希望を持ったが、案内された部屋の長椅子は、俺の肩幅より少し広い程度だった。


 座るための家具であって、人間一人が横になるための家具ではない。


「問題ありません」


 俺は即座に言った。


「俺は床で寝ます」


 セラフィーナ様の顔が固まった。


「床、ですか」


「毛布を一枚借りれば十分です。旅では野宿もありますし」


「私と同じ部屋で休むことが、それほどお嫌なのですか」


「え?」


 今度は俺の顔が固まった。


 クレアが荷物を置く手を止める。


 宿の主人は、空気を読んだのか、そっと扉を閉めて出ていった。非常に正しい判断である。


「嫌ではありません」


「では、なぜ床へ」


「それは、セラフィーナ様の寝台だからです」


「まだ誰の寝台とも決まっておりません」


「決めるまでもなく、セラフィーナ様です」


「私だけ寝台を使い、アレン様を床で眠らせる理由がありません」


「あります。俺が男で、セラフィーナ様が女性だからです」


 言った直後、ものすごく直接的なことを言った気がして、顔が熱くなった。


 セラフィーナ様も、わずかに頬を染める。


 そこで宿の女将が、頼んでいた夕食を運んできた。湯気の立つ豆の煮込みと黒パンが一皿ずつ。女将は寝台の中央へ積まれた毛布と、向かい合ったまま固まる俺たちを見て、何も聞かずに盆を置いた。


「仲よくお使いくださいね」


 言い残し、扉が閉まる。


「誤解されましたね」


「何をでしょう」


「聞かない方がいいと思います」


 俺たちは小さな机を挟んで夕食を取った。セラフィーナ様は初めて見る豆の煮込みを慎重に口へ運び、二度まばたきをした。


「口に合いませんか」


「いいえ。見た目から想像したより、ずっと温かい味です」


「温度の話ではなく?」


「……両方です」


 彼女は黒パンを小さくちぎった。王宮の食卓なら銀器が何本も並ぶのだろう。だが今夜は木の匙一本しかない。それでも不満を言わず、むしろ煮込みの中身を真剣に確認している。


「干した根菜が入っていますね。保存食として合理的です」


「食事中まで財政官みたいな感想を言うんですね」


「ほかに、どう感想を述べればよいのでしょう」


「おいしい、とか」


 彼女はもう一口食べた。


「……おいしいです」


 少し照れたような言い方に、俺の方が匙を落としかけた。


「性別は理解しております」


「それは何よりです」


 何を言っているんだ、俺は。


 クレアが咳払いした。


「私はこちらの衝立の奥で休みます。宿の方から、使用人用の敷布を借りておりますので」


 部屋の隅には、小さな衝立がある。その裏なら、一人分の敷布は置けそうだ。


「ですから、お二人で寝台と長椅子をお使いください」


「では俺が長椅子を」


「アレン様」


 セラフィーナ様の声が少し低くなる。


 まずい。何がまずいのかはわからないが、たぶんまずい。


「私は、あなたに無理をさせたいわけではありません」


「無理ではありません」


「その長椅子では、足が半分以上出ます」


「曲げれば何とかなります」


「明日の御者を務める方が、腰を痛めてどうするのですか」


 正論だった。


 俺が黙ると、セラフィーナ様は寝台を見た。


 幅は二人で寝られなくもない。だが、出会って数日の男女が並んで寝るには、あまりにも十分すぎる距離の近さだ。


 彼女も同じことを考えたらしく、視線が止まる。


「……寝台の中央に、毛布を丸めて境界を作るのはいかがでしょう」


 クレアが提案した。


「境界?」


「はい。お二人とも端を使えば、触れることはありません」


「触れませんか」


「寝返りを打たなければ」


 条件が厳しい。


 俺は床を見た。冷たい。長椅子を見た。短い。寝台を見た。セラフィーナ様と目が合った。


 彼女はすぐに視線をそらした。


「俺はやはり床で――」


「嫌なのですね」


「ですから、嫌ではありません!」


 思わず声が大きくなった。


 隣室から壁を叩く音がした。


「すみません!」


 壁へ向かって謝る。


 セラフィーナ様の口元が、ごくわずかに震えた。


「今、笑いましたか」


「いいえ」


「笑いましたよね」


「アレン様が、壁へとても真剣に謝罪なさるので」


「宿では隣人関係が大事なんです」


「領主代理らしい配慮です」


 からかわれている。


 公爵令嬢に、俺が。


 それが少し意外で、そして悪くなかった。


 結局、寝台の中央へ毛布を太く丸め、俺たちは両端を使うことになった。


 燭台の火を消すと、雨音だけが部屋へ満ちた。


 寝台の端は想像以上に狭い。


 少しでも動けば、背中から床へ落ちそうだ。反対側には毛布の壁。その向こうにセラフィーナ様がいる。


「アレン様」


「はい」


「起きていますか」


「寝台から落ちないよう、全身へ力を入れています」


 暗闇の向こうで、小さく息を漏らす音がした。


 笑ったらしい。


「先ほどは、失礼いたしました」


「何がですか」


「私と同じ部屋にいることを嫌がっていると、決めつけました」


「嫌なわけがありません」


 即答してから、言葉の意味に気づく。


 暗くてよかった。


「ただ、その……セラフィーナ様が安心して休めるようにしたかっただけです」


「私も、アレン様に休んでいただきたかったのです」


 雨音の間に、静かな声が落ちる。


 互いに相手を気遣って、互いに勝手な誤解をした。


 ずいぶん不器用な話だ。


「では、今夜は二人とも休むことを仕事にしましょう」


「承知しました」


 しばらくして、毛布の壁が少しだけこちらへ押された。


 俺は反射的に身を固くする。


「申し訳ありません。寝返りを」


「大丈夫です。境界は越えていません」


「国境警備のようですね」


「この国境は、朝まで厳守します」


 また、小さな笑い声がした。


 その夜、俺はほとんど眠れなかった。


 けれど不思議と、つらくはなかった。


 朝、宿の主人から、街道の先の宿場町へ王都の兵が入ったと聞くまでは。


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