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婚約破棄された公爵令嬢を辺境へ連れ帰ったら、俺の領地が王国で一番幸せになりました!?  作者: ぱるめりあ
第三部 王国で一番幸せな領地

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第36話 王国で一番幸せな領地

 市場へ着いた新聞を、領民たちは遠巻きに見ていた。


 紙は一枚しかない。


 それをアニエスが木箱の上へ広げ、読める者が声に出している。


「次。『王国で一番幸せな領地』」


 見出しが読まれた瞬間、周囲がざわついた。


「どこの話だ?」


「南の豊かなところじゃないか」


「王都だろ」


 アニエスが紙を叩く。


「ハルフォード領よ」


 市場が静かになった。


「うちが?」


「何かの間違いじゃ」


「その下に、学校の作文が載ってる」


 孤児の少年が書いた作文だった。


 言葉は少し整えられているが、意味は変わっていない。


 帰ってきていいと言ってくれる人がいるから、ここは幸せだ。


 読み終えると、誰もすぐには声を出さなかった。


 最初に笑ったのは、パン屋の主人だった。


「王国で一番だとよ」


「うちの店のパンは、王国で一番か?」


「それは言いすぎだ」


「水車なら負けないぞ」


「この前また軸が鳴ってたじゃないか」


 あちこちで笑いが起きる。


 けれど、皆うれしそうだった。


 子どもたちは新聞の周りへ集まり、自分の知っている文字を探している。


 裁縫室の女性たちは、記事を切り抜いて壁へ貼ろうと言った。


「領主館にも一枚必要ね」


 アニエスが俺へ紙を渡す。


「王都でもかなり読まれているそうよ」


「大げさに広がらなければいいけど」


「もう手遅れね。近隣領から見学の問い合わせも来てる」


「見学?」


「水車、学校、裁縫室。あと、幸せの作り方」


「最後は見せられるものじゃない」


「だから見に来るのよ」


 新聞を読めない者のために、学校の子どもたちが交代で記事を読み上げた。


 途中で難しい字につかえると、大人が教える。


 大人も読めなければ、別の子が助ける。


「王国で一番だって!」


 小さな少女が胸を張る。


「何が一番なの?」


 弟に聞かれ、少女は考え込んだ。


「帰ってきていいって言う人が、一番多いの」


 新聞の言葉を、自分なりに理解したらしい。


 市場の年寄りが笑う。


「それなら、わしも一人分だな」


「私もよ」


「俺もだ」


 次々に声が上がる。


 数えられるものではない。


 けれど皆、自分もこの呼び名を作る一人なのだと受け取っていた。


 領主館へ戻ると、セラフィーナは記事を慎重に読んだ。


「見出しが強すぎます」


「俺もそう思います」


「王国で一番という表現は、他領との比較を招きます」


「反発もありそうです」


「王都では、成功した地方が王権へ挑戦していると解釈される可能性も」


 喜ぶより先に、政治的な危険を考えている。


 彼女らしい。


「掲載を断るべきでしたか」


「子どもの作文です。政治のために言葉を止めるのも違うでしょう」


「では、今後の問い合わせには慎重に対応します」


 セラフィーナは新聞を机へ置いた。


「視察は受け入れても、誇示はしない。成果だけでなく、失敗も見せます」


「完璧な領地だと思われると困りますからね」


「実際、足りないものは多いです」


 穀物庫はまだ十分ではない。


 洪水で壊れた家の修理も残っている。


 学校へ通えない遠方の子どももいる。


 裁縫室の注文は増えたが、布の仕入れは不安定だ。


「王国で一番幸せ、というのは言いすぎでしょうか」


 俺が聞く。


 セラフィーナはすぐには答えなかった。


「市場を見に行きましょう」


 二人で外へ出た。


 パン屋では、以前より一枚多くパンを買う家がある。


 学校の窓からは、読み上げる声が聞こえる。


 裁縫室の前では、女性が自分の稼いだ銅貨で、子どもへ靴を買っていた。


 水車は今日も回っている。


 少し軸が鳴っているのは、あとで直さなければならない。


「最初に来た時は、穀物庫が空でした」


 セラフィーナが言う。


「はい」


「皆さんは税の話を信じてくださいませんでした」


「百軒回りました」


「水車は壊れ、学校も裁縫室もありませんでした」


「今はあります」


「洪水も防ぎきれませんでした」


「でも、皆で避難できました」


 道の向こうから、作文を書いた少年が走ってくる。


「アレンさま、セラフィーナさま!」


「新聞を見ましたか」


「見た! ぼくの字じゃないみたいに、きれいだった!」


「印刷ですからね」


 少年は笑い、学校へ戻っていく。


「うれしそうですね」


 セラフィーナが言う。


「俺たちも、少し喜んでいいんじゃないですか」


「少しだけです」


 市場の端で、領民が新聞の見出しを木の板へ写していた。


 王国で一番幸せな領地。


 文字は少し曲がっている。


「看板にするつもりでしょうか」


「止めます?」


 セラフィーナは迷った。


「いいえ。皆さんがそうしたいなら」


 午後には、近隣領から来た商人が市場を歩いていた。


「本当に税がなくなったのか」


「なくなってはいません」


 セラフィーナが訂正する。


「収穫量に応じた負担へ変え、凶作時の猶予を明文化しただけです」


「新聞には、奇跡の改革と」


「奇跡ではありません。百軒へ説明し、水車を直し、失敗もしました」


 商人は少し拍子抜けした顔をした。


「では、真似をすればすぐ豊かになるわけでは?」


「土地も人も違います。仕組みだけ持ち帰っても、同じ結果にはなりません」


 俺が横から言う。


「でも、話を聞いてから決めることなら、どこでも始められると思います」


 商人は手帳へそれを書き留めた。


 華やかな秘訣より、地味な答えだった。


 それでも、見学に来た者へ伝えるなら、その方が正しい。


 領主館へ戻り、二人で新聞をもう一度見る。


 窓の外から、学校の鐘が聞こえた。


「アレン」


「はい」


「この呼び名が、今の私たちにふさわしいかは、まだわかりません」


「そうですね」


「けれど、いつか、本当にそうしましょう」


 彼女は新聞の上へ指を置いた。


 王国で一番幸せな領地。


 その文字を、二人で見る。


「俺一人では無理です」


「私も一人では無理です」


「では、一緒に」


「はい」


 簡単な約束だった。


 けれど、領地の仕事も、彼女との関係も、いつもそうやって始まった。


 空の穀物庫を見て。


 泥の畑を歩いて。


 帰ってきた人へ、ただいまと言って。


「今でも十分幸せだ、と言った方が格好よかったですかね」


「いいえ」


 セラフィーナは笑う。


「足りないものを知りながら、一緒に目指す方が、アレンらしいと思います」


「褒められています?」


「もちろんです」


 約束のあと、セラフィーナは新聞を丁寧に折り、学校の作文と同じ箱へしまった。


「保管するのですか」


「はい。評判が変わっても、最初の言葉は残しておきたいので」


「評判は変わりますか」


「良くも悪くも。外からつけられた名前は、私たちだけでは決められません」


「では、中身を守るしかない」


「守るだけではありません。育てます」


 彼女は窓を開けた。


 外から、水車の音と子どもの声が入る。


「幸せとは、完成した状態ではないのでしょう」


「今日より明日、帰りやすくすること?」


「はい。失敗しても、また戻れるように」


 俺はうなずいた。


「なら、看板に負けないよう働きましょう」


「ただし、倒れない範囲で」


「それも共同目標ですか」


「最優先です」


 机の端には、これから直すべきものの一覧もあった。


 洪水で傷んだ橋。


 遠い村へ通う教師の宿舎。


 不足している薬草。


 幸せという見出しの隣に、未完成の仕事が並んでいる。


「この二つを同じ机へ置けるうちは、大丈夫な気がします」


 俺が言う。


「誇りながら、足りないものを忘れないという意味ですか」


「はい」


「では、新聞はしまわず、しばらくここへ置きましょう」


 セラフィーナは記事の横へ、修繕一覧を揃えて置いた。


 その日の夕方、王都から一通の書状が届いた。


 封には、王家の紋章が押されている。


 まだ開いていない。


 俺とセラフィーナは、机の上のそれを見た。


「評判が届いたようですね」


「たぶん」


 幸福な領地の名前が、王都へ届いた。


 そのことが何を連れてくるのかは、封を開かなければわからなかった。

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