第30話 恋路応援同盟
翌朝、談話室の扉が閉まっていた。
中から、女三人の声がする。
クレア、アニエス、マリアンヌ。
セラフィーナはいない。
俺は帳簿を届けに来ただけだが、なぜか入ってはいけない雰囲気がある。
「まず確認です」
マリアンヌの声。
「アレン様は、セラフィーナ様をどう思っているのでしょう」
俺は扉を叩こうとして、手を止めた。
俺の話だった。
「おそらく、ご本人はまだ十分に理解しておられません」
クレアが答える。
「鈍いからね」
アニエスが続く。
「でも、セラフィーナ様が市場で少し咳をしただけで医者を呼ぼうとしたわ」
「それは心配だったので」
思わず小声で反論する。
当然、中には届かない。
「兄上より、よほど大切にしてくださっています」
マリアンヌの声が少し低くなる。
「だからこそ、急がせたくありません」
「意外ね。王女様なら、二人を部屋へ閉じ込めるくらいするかと思った」
「そのような下品なことはいたしません」
「一部屋しかない宿は、すでに経験済みでございます」
クレアの発言に、室内が静まった。
「詳しく」
「お話しできる範囲で」
俺は扉から離れた。
聞いてはいけない。
少なくとも、続きは。
廊下を戻ろうとすると、背後から声がした。
「アレン」
セラフィーナだった。
「何をしているのですか」
「何も」
「談話室の前で、帳簿を抱えたまま立っていました」
「届けようとしたんですが、会議中のようなので」
「何の会議です?」
「知りません」
知っているが、言えない。
セラフィーナが扉へ手を伸ばす。
中からアニエスの声が響いた。
「恋路応援同盟としては、自然な機会だけ作ればいいのよ」
セラフィーナの手が止まった。
俺も止まった。
「……何の同盟でしょう」
「さあ」
扉が開いた。
クレアが立っている。
「お二人とも、こちらにいらしたのですね」
平然とした顔だ。
室内では、アニエスが口笛を吹き、マリアンヌが紅茶を飲んでいる。
「恋路応援同盟とは?」
セラフィーナが尋ねる。
「領地内の結婚を支援するための仮称です」
クレアが即答した。
「初耳ですが」
「今、発足したところです」
「対象者は?」
「希望するすべての方です」
「先ほど、自然な機会を作ると」
「独身者同士が知り合う食事会などを検討しております」
見事な答えだった。
だがアニエスが耐えきれず、机へ突っ伏している。
「アニエス」
「ごめん、何でもない」
マリアンヌが立ち上がる。
「セラフィーナ様。私たちは、無理に誰かと誰かを結びつけるつもりはありません」
「では、なぜ私を見て話すのですか」
「大切なことだからです」
王女は真面目だった。
「王宮では、婚姻は家と家の契約でした。相手を好きかどうかを尋ねられることはありません」
セラフィーナの表情が少し固くなる。
「ここでは、違ってよいと思うのです。選ぶのは本人であるべきです」
「それは同意します」
「なら、セラフィーナ様も、ご自分の気持ちを大切にしてください」
「私の?」
「はい」
マリアンヌは俺を見ない。
あえて見ないことで、余計に何を言っているかわかってしまう。
「私たちは応援します。でも、急かしません。困らせることもしません」
クレアもうなずいた。
「お二人が安全に、ご自身の言葉で進めるよう、必要な余白をお作りするだけです」
「余白?」
「たとえば、散歩へ行く時に、護衛を少し離れた位置へ置くなど」
「それは通常の警備配置では」
「通常より少しだけ、です」
アニエスが顔を上げる。
「私は、余計な誤解を起こさない担当ね。アレンの腕をつかまない」
「覚えていたのですか」
セラフィーナの声が少し上ずる。
「もちろん」
皆の視線が、俺とセラフィーナの間を行き来する。
落ち着かない。
「俺たちの意見は?」
俺が尋ねる。
「最優先です」
クレアが答えた。
「嫌なことはしません。二人きりになるのが困るなら、必ず誰かつきます」
「困るわけでは」
セラフィーナが言いかけて止まる。
「では、今朝の庭の視察はお二人で」
マリアンヌが提案した。
「私は学校を拝見します。クレアとアニエスに案内していただきます」
「護衛は」
「ガレスが配置します」
「視察するのは庭だけですよ」
「庭にも危険はあります」
「どんな?」
「……蜂など」
苦しい理由だった。
「それから、同盟には規則が必要です」
セラフィーナが言う。
「第一に、本人の許可なく接触を作らないこと。第二に、誤解を利用しないこと。第三に、職務へ支障を出さないこと」
「もう制度化してる」
アニエスが笑う。
「必要でしょう」
「恋路応援同盟に規約ができましたね」
マリアンヌが真剣にうなずく。
クレアは紙へ三項目を書き留めた。
「では、第四に、お二人が嫌だとおっしゃった場合は即時中止を」
「当然です」
「第五に、見守る者が楽しみすぎないこと」
俺が追加すると、三人が黙った。
「それは守れるんですか」
「努力いたします」
クレアだけが答えた。
マリアンヌは規約の紙へ、小さく署名した。
「王女の名は書けませんので、書記官の娘として」
「その署名に効力はあるのですか」
「気持ちの問題です」
セラフィーナはため息をつきながらも、その紙を破ろうとはしなかった。
結局、俺とセラフィーナは二人で庭へ出た。
とはいえ、館の窓という窓から視線を感じる。
「見られていますね」
「見られています」
「落ち着きません」
「戻りますか」
「いいえ」
セラフィーナは歩みを止めなかった。
「せっかく作っていただいた余白ですから」
その言葉に、胸が少し速くなる。
花壇の前で、彼女が立ち止まる。
「アレン」
「はい」
「皆さんの配慮を、どう思いますか」
「ありがたいですが、少し恥ずかしいです」
「私もです」
「嫌では?」
「嫌なら、ここへ来ていません」
セラフィーナは前を向いたまま答えた。
俺も、それ以上は聞かなかった。
花壇を見て、雨で傾いた支柱を直し、次に植える薬草の相談をする。
特別なことは何も起こらない。
それでよかった。
窓の向こうでは、三人がこちらを見ていた。
俺が振り返ると、全員が一斉に隠れた。
「見守るというより、監視ですね」
「まだ距離感を学んでいる途中なのでしょう」
「同盟の方が?」
「ええ」
セラフィーナが笑う。
「私たちも、同じですから」
並んで歩く距離は、昨日より少しだけ近かった。




