表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
婚約破棄された公爵令嬢を辺境へ連れ帰ったら、俺の領地が王国で一番幸せになりました!?  作者: ぱる子
第三部 王国で一番幸せな領地

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
28/113

第28話 役に立たない日

 セラフィーナが朝食へ来なかった。


 寝坊ではない。


 彼女は熱があっても、時間通りに起きようとする人だ。


 だからこそ、来ない時は本当に具合が悪い。


「昨夜から微熱がございます」


 クレアが静かに教えてくれた。


「朝には下がるとおっしゃって、知らせることを禁じられました」


「なぜ従ったんです」


「朝になっても下がらなければお伝えすると約束しました」


「先に教えてください」


「次回からそういたします」


 次回がある前提なのが嫌だった。


 セラフィーナの部屋へ行くと、本人は寝台ではなく机の前にいた。


 寝間着の上へ外套を羽織り、書類を読んでいる。


「何をしているんですか」


 声をかけると、彼女の肩が跳ねた。


「本日の予定を確認しています」


「熱がある人の予定は、休むことです」


「学校の教材費について、確認が必要です」


「俺が見ます」


「裁縫室の契約も」


「アニエスとクレアさんがいます」


「新税の最初の納付記録は」


「明日でも逃げません」


 書類を取ろうとすると、彼女は手を離さなかった。


「セラフィーナ」


「私は働けます」


「顔が赤いです」


「室温のせいです」


「手が冷たい」


「それは、室温が低いからです」


「どちらなんですか」


 答えが止まる。


 俺は書類をそっと引き抜いた。


「寝てください」


「できません」


「なぜ」


 セラフィーナは視線を伏せた。


「今日、私が休めば、皆さんへ迷惑をかけます」


「かけません」


「すでにアレンが仕事を引き受けています」


「俺の仕事でもあります」


「私は、この領地で役に立つと申し上げました」


「役に立っています」


「今日は、何もできていません」


 声が細くなる。


 病気で弱っているからではない。


 彼女は本気で、働けない自分に価値がないと思っている。


 誕生日の日に聞いた言葉が、まだ彼女の中に残っている。


「セラフィーナ。庭へ行きましょう」


「休めとおっしゃったのでは?」


「部屋で仕事を探すので、場所を変えます」


 クレアに毛布を借り、庭の木陰へ椅子を出した。


 夏の日差しは強いが、風は涼しい。


 セラフィーナを座らせ、肩へ毛布を掛ける。


「私は、ここで何を?」


「何もしません」


「何もしないために、わざわざ外へ?」


「部屋にいると書類へ手を伸ばすでしょう」


 彼女は不満そうだったが、反論する力もないらしい。


 庭では、裁縫室の女性たちが洗った布を干している。


 遠くから学校帰りの子どもたちの声が聞こえる。


 厨房の窓からは、パンを切る音。


 誰もセラフィーナへ仕事を求めてこない。


 それでも、領地は動いている。


「私がいなくても、問題ありませんね」


 ぽつりと言った。


「今日一日は」


「では、私は必要ないのでは」


「違います」


「何が違うのですか」


 俺は隣の椅子へ座った。


「俺が熱を出した時、仕事は回りました」


「はい」


「だから俺は不要ですか」


「違います」


 即答だった。


「アレンは、この領地に必要です」


「仕事ができない日でも?」


「当然です」


「同じです」


 セラフィーナが黙る。


「役に立たない日があっても、ここにいていいんです」


 風が、木の葉を揺らした。


 彼女の指が毛布の端を握る。


「それでは、私は何によって、ここにいることを許されるのですか」


「許可なんていりません」


「ですが」


「朝食の席がある。部屋がある。皆が名前を呼ぶ。帰れば、おかえりと言う」


 俺は彼女を見る。


「それでは足りませんか」


 青い瞳へ涙が浮かぶ。


 セラフィーナはすぐに拭おうとしたが、手を下ろした。


「私は、何も返していません」


「昨日まで、十分すぎるほど返しています」


「今日の話です」


「今日、ここにいます」


「それだけですか」


「それだけでいい日もあります」


 彼女は長い間、庭を見ていた。


 学校の子どもが門の外からこちらに気づき、大きく手を振る。


「セラフィーナ様、お大事に!」


 別の子も叫ぶ。


「明日は来てね!」


 彼女は驚き、それから小さく手を振り返した。


 裁縫室の女性が、干した布の間から顔を出す。


「今日は私たちに任せてください!」


 厨房からクレアも姿を見せる。


「お昼までお休みにならなければ、スープをお出しいたしません」


「それは脅迫ですか」


「看病でございます」


 セラフィーナの口元が、ようやく緩んだ。


「皆さんは、私が休んでいることを知っているのですね」


「クレアさんが、仕事を持ち込まないよう伝えました」


「領地中へ?」


「領主館の中だけです。子どもたちは、たぶん自分で気づきました」


 彼女は椅子の背へ体を預ける。


 これまでなら、誰かの前で力を抜くことなどしなかった。


「アレン」


「はい」


「本当に、何もしなくてよいのですか」


「眠ってもいいです」


「ここで?」


「俺がいます」


 セラフィーナは目を閉じた。


 少しして、呼吸が静かになる。


 俺は政務書類を一冊だけ持ってきていたが、開かなかった。


 働かないよう言った隣で、自分だけ仕事をするのも落ち着かない。


 だから二人で、何もしない午後を過ごした。


 日が少し傾いた頃、セラフィーナが目を覚ます。


「眠ってしまいました」


「よく眠っていました」


「申し訳ありません」


「謝らない」


「……はい」


 彼女は毛布を握り直し、庭を見る。


「明日は、役に立てるでしょうか」


「元気なら」


「元気でなければ?」


「また、ここにいればいいです」


 セラフィーナは目を伏せ、静かにうなずいた。


「では、そうします」


 まだ完全には信じていないのだろう。


 それでも初めて、役に立てない自分を追い出さずに済んだ。


 夕方前、父が使用人に椅子を押させて庭へ来た。


「今日は休暇だそうだね」


 セラフィーナが起き上がろうとする。


「そのままでいい。病人同士、座って話そう」


「お父様は病人でいらしても、私より多くのことをご存じです」


「知っていても、できない日は多いよ」


 父は自分の細い手を見る。


「以前は、それが悔しかった。領主なのに、アレンへ任せることばかりでね」


「どう受け入れられたのですか」


「受け入れきってはいない」


 父は笑った。


「ただ、任せた相手が育つのを見るのも、できることの一つだと知った」


 セラフィーナは庭で働く人々を見る。


 彼女が教えた記録方法を使う者。


 クレアから縫い方を学ぶ者。


 学校で字を覚え始めた子ども。


「何もしない日にも、残るものがあるのですね」


「君が昨日までしたことは、今日も動いている」


 父の言葉に、彼女はゆっくりうなずいた。


 役に立たない日とは、本当に何もない日ではない。


 誰かへ渡したものが、自分の手を離れて働く日でもあるのだ。


 その日の夕食、彼女は仕事の報告を一つも求めなかった。


 家族用の皿の前へ座り、温かなスープを飲んだ。


 何も成し遂げなかった一日を、この家で終えた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ