第27話 辺境の学校
学校は、使われていなかった倉庫から始まった。
水車修理で余った木材の机。
裁縫室で作った窓布。
壁へ掛けた黒い板。
それでも開校の朝には、三十人以上の子どもが集まった。
「全員、座れますか」
「詰めれば」
「教育の最初が、詰めることですか」
「辺境では譲り合いも重要です」
子どもたちは笑いながら机を寄せた。
農家の子。
職人の子。
親を亡くし、村で育てられている子。
「今日は字を覚えるの?」
「字と数。それから、暮らしを守る方法を学びます」
セラフィーナが答える。
「契約へ勝手なことを書かれていないか。市場の値段が正しいか。遠くの人へ手紙を出すにはどうするか」
「公爵令嬢様も、最初は読めなかった?」
彼女が一瞬止まる。
「はい。学んで読めるようになりました」
「じゃあ、僕も?」
「もちろんです」
俺は親たちへ説明した。
「皆を同じ仕事へ就かせる場所ではありません。畑を継ぐ人も、職人になる人もいる。まだ決めない人もいる」
学校へ通う時間、家の働き手は減る。
だから授業は朝と夕方に分け、繁忙期は短くする。
「女子も同じ授業を?」
父親の一人が尋ねた。
「裁縫にも材料費と売値があります。契約も手紙も必要です」
セラフィーナが答える。
「うちの娘は頭がよくない」
娘が父親の足を踏んだ。
「まだ勉強してないのに決めないでよ!」
教室が笑いに包まれる。
開校前、倉庫の外では親たちの相談が続いていた。
「字を覚えたら、農家を嫌がるようにならないか」
一人の母親が尋ねる。
「嫌がるかどうかを、本人が考えられるようになります」
俺が答えると、父親が顔をしかめた。
「家を継がなかったら困る」
「継ぐ選択をするにしても、契約や種の値段を読めた方が畑を守れます」
セラフィーナが言う。
「学校は、村から子どもを奪う場所ではありません」
「じゃあ、戻ってきてもいいのか」
「どこへ進んでも、戻る道を閉じないための場所です」
親たちはすぐには納得しなかった。
それでも、扉の前にいた子どもを連れ帰る者はいなかった。
最初の授業は、自分の名前だった。
線が曲がる。
字が逆になる。
隣の子の顔を描く者もいる。
「最後の字が反対です」
「反対でも僕だよ」
「あなたであることは変わりません」
セラフィーナはうなずく。
「ですが、遠くの人へ伝えるなら、同じ向きの方が届きます」
「遠くへ手紙を出せる?」
「書ければ」
少年は急に真剣になった。
一番年下の子が泣き出した。
「字が書けない」
「今日が最初です」
「皆は書けてる」
木板を見回す。
ほとんど間違っている。
「間違えてよい場所が、学校です」
セラフィーナが小さな手へ炭を握らせた。
歪んだ一文字ができる。
「書けた」
「はい。あなたが書きました」
昼休みには、年上の子が年下の子へ炭の持ち方を教えた。
「先生みたいだね」
声をかけると、少年は胸を張る。
「一個だけなら教えられる」
「一個教えられれば、十分です」
セラフィーナが言う。
学ぶ者と教える者は、固定されない。
昨日まで字を知らなかった子が、今日覚えた一文字を隣へ渡す。
それだけで、教室は少し広くなった。
午後は、大人向けの授業を試した。
市場の値札を使い、布三枚の代金を計算する。
「これで合ってますか」
「合っています」
「商人に違う値を言われても、聞き返せる」
字と数は偉くなるためだけではない。
自分の働きと品物を、自分で守る道具になる。
大人向けの授業には、裁縫室の女性と市場の荷運び人も来た。
布の長さを計り、銅貨の釣りを計算し、契約書の「破損時」という文字を探す。
「今まで、印を押せと言われたら押してた」
荷運び人が言う。
「次からは、読める人へ尋ねてください」
「自分で全部読めるまで待ったら、仕事が逃げる」
「では、相談できる人を学校へ置きます」
セラフィーナは、授業外でも契約を見せられる相談日を書き足した。
学校は、知識を持つ者だけが強くなる場所ではない。
知らないと言える場所にもなろうとしていた。
授業後、親たちが床と机を掃除した。
「毎日は通わせられません」
「来られる日に」
俺が答える。
「途中でやめても?」
「また来たくなったら、戻れます」
セラフィーナが付け加えた。
昼には、木炭と薄板と小さなパンを入れた布袋を配った。
「勉強するとパンがもらえるの?」
「パンのために学ぶのではありません」
彼女が真面目に言う。
「最初はパン目当てでもいいでしょう」
俺が口を挟むと、子どもたちはもう食べ始めていた。
少女が自分のパンを半分にし、セラフィーナへ差し出す。
「先生も一緒に」
「私は先生では」
「今日は教えてくれた」
彼女は戸惑いながら受け取った。
夕方、教室に木板が一枚残っていた。
歪んだ名前。
その隣に、大きな家。
「明日、取りに来るでしょう」
俺が言う。
「明日も来るのですね」
セラフィーナは木板を机へ置いた。
今日覚えたのは、一文字だけかもしれない。
それでも、その一文字の先には、昨日まで選べなかった道がある。
「よい学校になりそうです」
「まだ初日ですよ」
「だからです」




