第24話 壊れた水車
水車が止まったのは、収穫前の一番困る時期だった。
川沿いへ着くと、大きな車輪は斜めに傾き、羽根板が三枚折れていた。
「軸も割れています」
職人が泥のついた手で示す。
「全部替えるなら、木材が足りません」
周囲には、粉を挽けずに待つ農夫たちが集まっている。
水車が止まれば、麦を粉にできない。
遠くの水車へ運べば、往復だけで一日かかる。
「修理費は?」
セラフィーナが尋ねる。
職人が金額を答える。
俺は思わず顔をしかめた。
新しい税制で集めたばかりの資金の、かなりの部分が消える。
「王都から木材を買えば、さらに輸送費がかかります」
セラフィーナは川と水車を見比べた。
「近隣領との共同購入分は?」
「学校と橋の修理へ使う予定です」
「予定を変えます」
「学校を遅らせるんですか」
「いいえ。使える木材を分けます。水車の軸に必要なのは、長くて硬い材です。机や床板には、短い材でも足ります」
職人がうなずく。
「軸一本なら取れます。ただ、羽根板が」
「壊れた倉庫の戸を使えないか?」
俺が言う。
「厚さは足りる。乾燥もしている」
「加工すれば使えるかもしれません」
次の問題は人手だった。
修理には職人だけでなく、重い軸を持ち上げる者が必要だ。
「守備隊を出すか」
ガレスが腕を組む。
「訓練を半日ずらせば、十人は動かせる」
「警備は?」
「半日なら問題ない。ただし、水車を直すのは軍務じゃない」
「新税の労働代納を使いましょう」
セラフィーナが言う。
「税を現金で納められない家から、希望者を募ります。水車修理は領内全体の利益になります」
農夫たちの一人が手を挙げた。
「うちは、今月の分を労働で納めたい」
「俺もだ」
「荷車を出せる」
声が次々に上がる。
人は集まった。
だが、作業を始めると別の問題が出る。
「綱を引く者が多すぎる!」
職人が叫ぶ。
「右が先だ! 右!」
「どっちから見て右だ!」
「川側だ!」
「川は両方にあるだろ!」
水車は川岸にある。
当然だ。
俺は高い石の上へ登った。
「綱を三つに分けます! ガレスの組は軸、俺の組は車輪、残りは支え木!」
「お前の組は声が小さい!」
ガレスが怒鳴る。
「領主代理に声量まで求めるな!」
「現場では必要だ!」
セラフィーナは少し離れた場所で、人と道具の動きを記録していた。
「アレン、軸を上げる前に支え木を一段低くしてください」
「なぜ?」
「今の高さでは、最後に軸穴へ入らない角度になります」
職人が確認し、顔を上げる。
「その通りです。先に直しましょう」
俺は合図を変えた。
資金計画だけでは水車は動かない。
現場の勢いだけでも、軸は穴へ入らない。
セラフィーナが全体の順序を見て、俺とガレスが人を動かし、職人が最後の判断をする。
途中、古い軸を外す作業で綱が一本切れた。
大きな木材が傾き、人々が一斉に後退する。
「下がれ!」
ガレスの声が響く。
俺は近くにいた少年の肩をつかみ、石垣の外へ押し出した。
軸は支え木へぶつかり、そこで止まった。
誰も怪我はない。
だが、作業場は静まり返った。
「人数を増やせば安全になると思っていました」
セラフィーナが切れた綱を見つめる。
「合図が伝わらない人数なら、逆に危険です」
「組を小さくしよう」
俺は作業を止め、役割を組み直した。
「綱を引くのは経験者だけ。ほかの人は材木運びと水路の泥出しへ」
「時間が延びるぞ」
ガレスが言う。
「怪我人が出るよりいい」
「それなら賛成だ」
セラフィーナも記録表を書き換えた。
「作業を急ぐための費用より、安全のための費用を先に確保します。次回から綱は予備を二本」
職人がうなずく。
「正直、今まで予備は贅沢だと思っていました」
「切れた後では、もっと高くつきます」
失敗を隠さず、方法を変える。
集会所で学んだことが、川岸でも役に立った。
夕方までに、軸が収まった。
新しい羽根板を取り付け、堰を開く。
水が流れ込む。
最初、水車は動かなかった。
皆が息を止める。
「水量が足りない」
俺は上流を見る。
泥が水路を塞いでいる。
「そこを掘れ!」
十人が鍬を持って走った。
泥を除くと、水の勢いが増した。
車輪が、ぎしりと音を立てる。
一度止まり、もう一度動く。
ゆっくり。
それから、確かな速さで回り始めた。
「動いた!」
歓声が上がった。
水車小屋の中では、石臼が低い音を立てる。
農夫が麦を入れると、白い粉が少しずつ落ちてきた。
子どもが手を伸ばそうとして、母親に止められる。
「まだ熱を持つから触るな」
「でも、粉だよ!」
「粉だな」
父親が笑う。
セラフィーナは水車を見上げていた。
頬に泥が一筋ついている。
「セラフィーナ」
「はい」
「ここです」
自分の頬を指す。
彼女は反対側を拭いた。
「逆です」
「こちら?」
「もう少し上」
結局、俺が布を渡す。
「ありがとうございます」
彼女は泥を拭い、回る水車を見る。
「帳簿上では、修理費が支出として減りました」
「現場では、粉が増えます」
「数字だけを見れば損失ですが」
「明日のパンを見れば、利益です」
セラフィーナが笑う。
「アレンの計算方法は、時々ずるいですね」
「食べられる計算の方が好きなんです」
試運転が終わっても、セラフィーナはすぐに帰ろうとしなかった。
「明日以降の管理を決めます」
水車番と職人、利用する農家を集め、点検の順番を確認する。
「壊れた時だけ集まるのでは遅いです。羽根板は七日に一度、軸は月に一度。異音があれば、その日のうちに記録してください」
「誰が費用を持つんです」
水車番が尋ねる。
「利用料の一部を、修理用として別に積み立てます」
「領主館へ納めるんじゃなく?」
「修理以外へ使えない箱を、水車小屋に置きます。鍵は水車番と村の代表が別々に持ってください」
俺がうなずく。
「一人では開けられない仕組みですね」
「信頼は必要ですが、確認できる仕組みも必要です」
集会所で聞いた不安が、ここにも生かされている。
修理用の箱へ、最初の銅貨を入れたのは水車番だった。
「今日の利用料からです」
続いて農夫たちも、少しずつ入れる。
「直った日に、次に壊れる時の金を貯めるのか」
「壊れないように使う金です」
セラフィーナが答えると、水車番は笑った。
「それなら、箱がいっぱいになるまで長持ちさせましょう」
水車が回るだけでは成功ではない。
来年も回り続けて、初めて暮らしの一部になる。
その夜、水車で最初に挽いた粉が、領内のパン屋へ運ばれた。
誰も、修理を一人の功績だとは言わなかった。
資金を組んだ人。
材木を選んだ人。
綱を引いた人。
泥を掘った人。
皆の手で回り始めた水車だった。




