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婚約破棄された公爵令嬢を辺境へ連れ帰ったら、俺の領地が王国で一番幸せになりました!?  作者: ぱる子
第一部 公爵令嬢を連れ帰りました

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2/11

第2話 俺が責任を取ります

 王宮の控えの間は、大広間よりずっと狭い。


 なのに、息苦しさは何倍にもなっていた。


 長机の上には法典、誓約書、赤い封蝋。机の向こうには法務官が二人。背後には近衛兵。扉のそばにはヴィクトル殿下が立ち、俺の一挙手一投足を見ている。


 そして隣には、婚約も家も身分も奪われたばかりのセラフィーナ様。


(さっきまで俺、大広間の隅で静かに帰ることだけ考えてたんだよな)


 人生というものは、ほんの数分でずいぶん遠くまで来られるらしい。できればもっと穏やかな行き先がよかった。


「保護宣誓の条件を読み上げます」


 年配の法務官が、感情を消した声で告げた。


「宣誓者は、裁判または王国評議会による再審理が行われるまで、被保護者の身柄と生活を保証する。逃亡、証拠隠滅、反逆行為を助けた場合、宣誓者の家名および所領も処罰対象となる」


 一つ一つの言葉が、石のように胃へ落ちてくる。


「被保護者が王家へ刃を向けた場合は?」


 ヴィクトル殿下が尋ねた。


「宣誓者が関与していれば同罪。関与がなくとも、監督責任を問われます」


「聞いたか、ハルフォード卿」


「はい」


「今なら、大広間での発言を若さゆえの混乱として処理してやってもよい」


 ありがたい申し出に聞こえる。


 実際、ありがたいのだろう。


 ここで頭を下げれば、俺は古い礼服を着た辺境貴族へ戻れる。父の病床へ帰り、空の穀物庫を見て、壊れかけた水車の修理費を考える生活へ戻れる。


 少なくとも、王太子を敵に回した領地にはならない。


 俺が黙っていると、セラフィーナ様が口を開いた。


「二人きりで、ハルフォード卿へ確認する時間をいただけますか」


「必要ない」


 ヴィクトル殿下が即答する。


「公的な宣誓です。圧力なく本人の意思を確かめるのが法の手順ではありませんか」


 静かな声だった。


 だが、法務官たちが互いに目を見合わせた。


 年配の法務官が咳払いする。


「……形式上、短い確認は必要です」


 ヴィクトル殿下は不快そうに眉を寄せたが、控えの間の奥にある小さな窓辺まで下がることを許した。


 俺とセラフィーナ様は、数歩だけ人々から離れた。


 それだけで、彼女の顔から公爵令嬢の仮面が少し薄くなったように見えた。


「ハルフォード卿」


「今は、アレンで構いません。公的な場ではありませんから」


 言った直後、早まったかと思った。


 ほぼ初対面の公爵令嬢に、いきなり名前を許す辺境貴族。距離感がおかしいと思われても仕方がない。


 けれど彼女は、短く息を吸った。


「では、アレン様」


 自分の名前が、妙にきれいな音に聞こえた。


「この宣誓が何を意味するか、本当に理解していらっしゃいますか」


「今、説明を受けました」


「説明を受けた、という意味ではありません」


 青い瞳がまっすぐ俺を見る。


「私は王太子殿下から反逆者と認定されました。王家の命令に反対してきたことも事実です。私を引き受ければ、ハルフォード領への補助金や交易許可が止められるかもしれない。徴税を厳しくされる可能性もあります。あなたの父上や領民まで巻き込むのですよ」


 彼女は自分の危険ではなく、俺の領地の危険を数えている。


 自分を助けてくれとは一言も言わない。


「それでも、ですか」


 俺は窓の外を見た。


 晩冬の夜。王宮の庭は白く凍り、遠くの街灯だけが揺れている。


「正直に言うと、大広間で手を挙げた時は、そこまで全部考えられていませんでした」


 セラフィーナ様の眉がわずかに動く。


「無責任だと思いますか」


「……判断を急いだとは思います」


「俺もそう思います」


 胸を張って言うことではない。


 けれど、格好をつけて「何も怖くありません」と言えば、それこそ彼女に嘘をつくことになる。


「宣誓の条件を聞いて、父や領民の顔が浮かびました。今さら手が震えています」


 実際、指先は冷えていた。


「ならば撤回してください」


 彼女はすぐに言った。


「私はあなたの善意のために、見知らぬ領民を危険へ巻き込みたくありません。今ならまだ――」


「理解してから怖くなりました。でも、見捨てる方がもっと後悔します」


 セラフィーナ様の言葉が止まった。


 俺は続けた。


「街道記録の矛盾は事実です。あなたが無実だと断言できるほど、俺は何も知りません。でも、疑いがあるのに調べもせず、全部奪って終わりというのはおかしい」


「それは正義感ですか」


「たぶん、そんな立派なものではありません」


 少し考え、肩をすくめる。


「目の前で困っている人を見捨てたあと、平気な顔で領民に『困った時は助け合え』と言えなくなるのが嫌なんです」


 セラフィーナ様は、しばらく何も言わなかった。


 やがて、胸元で握っていた指をゆっくりほどく。


「アレン様は、不思議な方ですね」


「褒められている気がしません」


「私にも、まだ判断できません」


 ほんの少しだけ、声が柔らかかった。


 俺たちは机へ戻った。


 ヴィクトル殿下が冷ややかに問う。


「結論は」


「宣誓します」


 法務官が誓約書を差し出した。


 そこには、被保護者の逃亡や反逆を助けないこと、裁定まで生活を保障すること、虚偽があれば家名と所領を処罰の対象とすることが記されている。


 俺は一度、最後まで読んだ。


 父から、契約書は相手が急かす時ほど丁寧に読めと教えられている。こういう時だけは、辺境の実務が役に立つ。


「何か異議があるか」


「一か所だけ。『王家の任意の命令に従う』という文言は、保護宣誓の定型には含まれないはずです」


 法務官の手が止まった。


 ヴィクトル殿下の目が細くなる。


「領地の契約書でも、空欄のまま署名はしませんので」


 声は震えたが、引かなかった。


 セラフィーナ様が隣で、書面の該当箇所へ視線を落とす。


「ハルフォード卿の指摘が正しいです。その文言は保護ではなく、王家への無条件服従を追加するものです」


 法務官は沈黙の後、その一文へ線を引き、訂正印を押した。


 俺は署名する。


 アレン・ハルフォード。


 続いて、家の印章を赤い封蝋へ押しつけた。


 蝋が冷え、紋章が固まる。


「宣誓は成立しました」


 法務官の声が告げた。


 近衛兵が、セラフィーナ様の腕から手を離す。


 たったそれだけの動きに、俺はようやく息を吐いた。


「今宵のうちに王都を出るがよい」


 ヴィクトル殿下が言う。


「ただし、再審理の召喚には必ず応じろ。逃げれば、そなたの領地を反逆領として扱う」


「承知しました」


 殿下が去ると、控えの間に残った空気が一気に冷えた。


 セラフィーナ様が俺を見る。


「これで、あなたは本当に責任を負いました」


「はい」


「後悔していませんか」


 俺は手のひらを開いた。まだ少し震えている。


「後悔するには、忙しすぎそうです」


 彼女は驚いたように目を見開き、それからごくわずかに唇を緩めた。


 その直後、廊下の向こうで複数の靴音が響いた。


 法務官が顔を強張らせる。


「急いだ方がよろしい。宣誓は成立しましたが、王宮内には別の拘束命令を受けた者もいます」


 俺は誓約書の写しを懐へ入れた。


「セラフィーナ様、行きましょう」


「はい、アレン様」


 領地を賭けた責任は、署名した瞬間から始まっていた。


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