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婚約破棄された公爵令嬢を辺境へ連れ帰ったら、俺の領地が王国で一番幸せになりました!?  作者: ぱる子
第二部 公爵令嬢は普通の幸せを知らない

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19/71

第19話 生まれてきてくれて

 その朝、セラフィーナはいつも通り執務室へ来た。


「本日は、水門工事の費用配分を確認します」


「はい」


「午後は市場の価格記録を」


「そうですね」


「夕方には、学校予定地の確認を」


「今日は早めに戻りましょう」


 セラフィーナが怪訝そうに俺を見る。


「なぜですか」


「父上の体調を見たいので」


「今朝は安定していると伺いました」


「夕方に変わるかもしれません」


「それは、どなたにも起こり得ます」


 鋭い。


 俺は机の書類へ視線を落とした。


 今日はセラフィーナの誕生日だ。


 クレアが王都から持ってきた古い記録の中で見つけ、数日前に教えてくれた。


 本人へ尋ねると、予定表を確認するような顔で日付だけ答えた。


 祝いの予定はない。


 誕生日とは、王太子妃としての公式行事や、公爵家同士の贈答を処理する日だったらしい。


 だから俺たちは、内緒で準備を進めていた。


「アレン」


「はい」


「先ほどから、私を見ては書類へ目を戻しています」


「気のせいです」


「クレアも朝から落ち着きません。ガレスは私を見ると倉庫へ逃げました。アニエスは荷馬車の積み荷を見せてくれません」


「皆、忙しいんでしょう」


「私へ隠していることがありますね」


「ありません」


「目を見て答えてください」


 見られない。


「本日の執務は、ここまでにしましょう」


「まだ午前です」


「体調が」


「アレンの熱は下がっています」


「父上の」


「安定しています」


「空模様が」


「快晴です」


 逃げ道をすべて塞がれた。


 どうにか昼まで仕事を続けたが、セラフィーナは完全に警戒していた。


 昼食後、クレアが食堂へ呼びに来る。


「セラフィーナ様、少々よろしいでしょうか」


「何があるのです」


「お越しいただければわかります」


「皆さん、今日はその答え方ばかりです」


 食堂の扉の前で、彼女は一度立ち止まった。


 俺たちは先に中へ入る。


 卓の中央には、形の崩れたケーキが置かれていた。


 クレアと料理人が焼き、俺とガレスが飾りつけをした。


 途中までは丸かった。


 ガレスが蜂蜜を一度に流し込み、俺が支えようとして片側を潰した。


 結果、少し傾いた丘のようになった。


 その周囲には、小さな包みが並んでいる。


「どうぞ」


 クレアが扉を開けた。


 セラフィーナが入ってくる。


 室内には父、ガレス、アニエス、クレア、使用人たち。それから、贈り物を届けに来た領民が数人いた。


「お誕生日、おめでとうございます」


 皆の声が重なる。


 セラフィーナは動かなかった。


 最初にケーキを見る。


 次に人々を見る。


 最後に俺を見る。


「今日は、私の誕生日です」


「知っています」


「なぜ、皆さんが?」


「誕生日だからです」


「それは理由になっていません」


 彼女は困惑していた。


 王太子からの婚約祝いを受けた時より、王宮で告発された時より、どうすればよいかわからない顔をしている。


「まず、座りましょう」


 俺が椅子を引く。


「ですが、これはどのような功績への?」


「功績は関係ありません」


「公爵家との関係も、政治的な意味もないのですか」


「ありません」


「では、なぜ」


 父が穏やかに笑った。


「君が生まれた日だからだよ」


 セラフィーナは椅子へ座った。


 最初の贈り物は、クレアからだった。


 白い布へ、小さな青い花が刺繍されている。


「ハンカチでございます。セラフィーナ様がお好きな色を選びました」


「私のために?」


「はい」


 次はアニエス。


 丈夫な革張りの帳面だった。


「市場価格を書いても、十年は壊れないわ。仕事用だけど、表紙の色は私が選んだの」


「ありがとうございます」


 ガレスからは、小さな護身用の笛。


「吹けば守備隊が来る。飾りじゃないから持ち歩け」


「誕生日の贈り物としては、ずいぶん実用的ですね」


「アレンに選ばせるよりは役に立つ」


「俺も贈りますよ」


 領民からは、蜂蜜の小瓶、木で作ったしおり、乾燥させた花、手編みの手袋。


 どれも高価ではない。


 それぞれに、短い言葉が添えられていた。


 水路の相談へ乗ってくれたから。


 子どもの話を聞いてくれたから。


 市場で名前を覚えてくれたから。


 セラフィーナは一つずつ、両手で受け取った。


「これほどの品をいただく理由がありません」


 ついに、そう言った。


「水門はまだ完成していません。市場の価格も安定していない。私は皆さんへ、十分なお返しを」


「返さなくていいんです」


 俺は口を挟んだ。


「ですが」


「今日は仕事の成果を評価する日ではありません」


「では、私は何をすれば」


「何もしなくていいです」


 彼女の表情が強張る。


「何もしない者に、価値はありません」


 静かな声だった。


 食堂の空気が止まる。


 セラフィーナは自分が何を言ったのか気づき、すぐに言い直そうとした。


「少なくとも、私は」


「セラフィーナ」


 呼ぶと、彼女がこちらを見る。


「誕生日は、役に立ったことへの報酬ではありません」


「ですが、私は何も」


「あなたが生まれてきてくれたから、俺はあなたに会えました」


 言葉にした瞬間、食堂が静かになった。


 口説くつもりはなかった。


 ただ、それが一番わかりやすい理由だと思った。


 彼女が生まれていなければ、王都の大広間で出会うこともなかった。


 名前を呼び合うことも、泥の畑で笑うことも、この食卓を囲むこともなかった。


「それだけで、俺には祝う理由があります」


 セラフィーナの唇が震えた。


 何か答えようとして、声が出ない。


 青い瞳へ涙がたまる。


 彼女は慌てて顔を伏せた。


「申し訳ありません」


「なぜ謝るんです」


「皆さんの前で、このような」


 クレアがそっと隣へ座る。


「泣いてよろしいのです」


「ですが、困らせます」


「困りません」


 父が言った。


「この家では、うれしい時にも泣いていい」


 セラフィーナの頬を涙が伝った。


 彼女は刺繍のハンカチを胸元へ握る。


「生まれてきたことを祝われたのは、初めてです」


 誰もすぐには言葉を返さなかった。


 クレアが背中を撫でる。


 アニエスは目元を指で拭いながら、ケーキの方を向いた。


 ガレスは窓の外を見ている。


 父だけが、穏やかに笑っていた。


「では、最初の誕生日だね」


 父は使用人へ合図し、木箱を運ばせた。


 中には、七人分の食器が入っていた。


 高級な物ではない。


 白い陶器へ、青い線が一本ずつ描かれている。


「家族用の食器だ。今までは人数が少なくて、揃える必要もなかった」


「家族……」


「君の分もある」


 父は一枚の皿を差し出した。


「ここで食べる時は、これを使いなさい」


 セラフィーナは皿を受け取った。


 また涙が落ちる。


「ありがとうございます」


 今度は謝らなかった。


 ケーキを切ることになった。


 俺が刃を入れると、傾いていた部分がさらに崩れた。


「あっ」


「だから俺に任せろと言っただろう」


 ガレスが言う。


「飾りつけを壊した人に言われたくない」


「蜂蜜は多い方がうまい」


「多すぎて滑ったんです」


 アニエスが笑い、クレアも肩を震わせる。


 セラフィーナは涙を拭いながら、崩れたケーキを見た。


「とても、美しいケーキですね」


「無理に褒めなくていいです」


「形のことではありません」


 彼女は家族用の皿を差し出す。


「皆さんで作ってくださったのでしょう」


「はい」


「なら、私には一番きれいに見えます」


 俺は一番崩れていない部分を彼女の皿へ載せた。


 皆で食卓を囲む。


 ケーキは少し固く、蜂蜜は一か所へ偏っていた。


 それでもセラフィーナは、ゆっくり味わって食べた。


「おいしいです」


「本当に?」


「はい。来年は、私も作ります」


「誕生日の人が作るんですか」


「改善点を確認しましたので」


 いつもの彼女らしい言葉だった。


 ただ、その手には新しいハンカチがあり、目の前には家族の皿がある。


 泣いたあとの顔で笑う彼女を見て、俺は思った。


 来年も皆で祝えばいい。


 その次も。


 役に立った日ではなく、ただ彼女が生まれた日を。

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