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婚約破棄された公爵令嬢を辺境へ連れ帰ったら、俺の領地が王国で一番幸せになりました!?  作者: ぱる子
第二部 公爵令嬢は普通の幸せを知らない

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第17話 領主代理が倒れました

 目を覚ますと、机の上に顔を伏せていた。


 いつの間に執務室へ移動したのか、自分でも覚えていない。


 窓の外は明るい。


 昨日の雨はやんでいた。


「まずい」


 朝の見回りに遅れている。


 立ち上がろうとした瞬間、床が大きく傾いた。


 机へ手をつく。


 視界が白くなり、次に気づいた時には誰かの腕へ支えられていた。


「アレン!」


 セラフィーナの声が近い。


「大丈夫です」


「大丈夫な人は、立っただけで倒れません」


 額へ冷たい手が触れる。


 彼女の青い瞳が険しくなった。


「熱があります」


「少し寝れば」


「寝ていたのに倒れたのでしょう」


「では、もう少し長く」


「寝室へ運びます」


 有無を言わせない声だった。


 俺より細いセラフィーナに運ばれるわけにはいかないと思ったが、すぐにクレアと使用人が来た。


 俺は両側から支えられ、寝室へ連行された。


 領主代理としての威厳は、廊下の途中で完全に失われた。


「今日の予定を」


 寝台へ寝かされながら言う。


「中止です」


「水門の職人と」


「私が対応します」


「倉庫の床板は」


「アニエスへ連絡します」


「屋根の修理は」


「ガレスが手配しております」


「父上の薬は」


「クレアが確認済みです」


 全部終わっている。


「俺、いなくても大丈夫ですね」


 冗談のつもりだった。


 セラフィーナの表情が固まった。


「そのようなことを言わないでください」


「仕事の話です」


「仕事であってもです」


 彼女は俺の布団を直した。


 動きは丁寧だが、少し乱暴だ。


「アレンは、ご自分が倒れるまで働くことを責任だと思っているのですか」


「昨日は屋根のことで」


「昨日だけではありません。朝は誰より早く起き、夜は最後まで帳簿を見ています。領民の相談をすべて自分で聞き、壊れた家具まで直す」


「人手が足りないので」


「その言葉を使えば、何をしても許されると思わないでください」


 熱のせいか、返す言葉が出ない。


 セラフィーナは水へ浸した布を絞り、俺の額へ置いた。


「あなたが倒れれば、もっと人手が必要になります」


「正論です」


「正論でなければ、聞かないでしょう」


「たぶん」


「聞いてください」


 声が震えた。


 怒っているだけではない。


 俺はようやく、彼女が怖がっていることに気づいた。


「すみません」


「謝罪より、休養を」


「はい」


「心配をかけました」


「はい。とても」


 ごまかさず認められ、胸が痛んだ。


「次からは、倒れる前に助けを求めます」


「その言葉を記録しても?」


「契約書にするつもりですか」


「守られない可能性がありますので」


「信用がないですね」


「これから取り戻してください」


 扉の外から、ガレスの声がした。


「入るぞ」


 大きな足音とともに現れ、俺を見下ろす。


「情けない顔だな」


「病人への最初の言葉か?」


「昨日、俺が交代すると言ったのに屋根裏へ残った馬鹿への言葉だ」


「板の位置を説明していただけだ」


「説明に一時間かかるか」


 セラフィーナが振り返る。


「一時間?」


「ガレス」


「俺は事実を報告しただけだ」


 裏切られた。


 ガレスは書類を一枚、セラフィーナへ渡す。


「今日の見回りは俺がやる。こいつが何を言っても外へ出すな」


「承知しました」


「二人で決めないでくれ」


「病人に決定権はありません」


 セラフィーナが即答した。


 ガレスは満足そうに出ていった。


 セラフィーナは俺の机から運ばせた予定表を開いた。


「明日の村の相談は三件です。一件目は私が聞きます。農具の修理は職人へ直接。納税猶予については、アレンが回復してから最終判断を」


「全部、自分で抱えないでください」


「承知しています。クレアへ記録を、ガレスへ移動の手配を頼みました」


「俺より上手ですね」


「比較して喜ぶところではありません」


「少し悔しいです」


「ならば、回復後は仕事を分けてください」


「善処します」


「善処ではなく、約束を」


 熱で逃げ道を考える力もなく、俺はうなずいた。


「約束します」


 セラフィーナは予定表へ一本線を引く。


「では、本日のアレンの仕事は休むことだけです」


「一番苦手な仕事です」


「私が監督します」


 しばらくして、クレアが薄いスープを持ってくる。


「お食事を」


「自分で食べられます」


 匙を持ったが、手へ力が入らない。


 少しこぼした。


 見なかったことにしてほしい。


 セラフィーナは黙って匙を受け取った。


「口を開けてください」


「そこまでは」


「先ほど、ご自分で食べられるとおっしゃいました」


「少し失敗しただけです」


「失敗を認め、助けを受けてください。アレンの得意なことでしょう」


 自分の言葉を返された。


 仕方なく口を開く。


 スープは薄いが、温かかった。


「味は?」


「おいしいです」


「クレアが作りました」


「セラフィーナでは?」


「私は味見を」


「それなら半分はセラフィーナの功績ですね」


「功績の配分は必要ありません」


 彼女はまた匙を運ぶ。


 いつもなら、こうして世話をされるのは落ち着かない。


 だが今は、不思議と嫌ではなかった。


「セラフィーナは、仕事へ戻らなくていいんですか」


「必要な指示は出しました」


「ずっとここに?」


「熱が下がるまでです」


「長引いたら?」


「その分、ここにいます」


 何でもないことのように言う。


 俺は目を閉じた。


 額の布が温かくなるたび、彼女が取り替える。


 紙をめくる音がする。俺の寝室へ簡易の机を入れ、ここで政務をしているらしい。


「無理をしないでください」


「それをアレンが言いますか」


「言う資格はないですね」


「ありません」


 少し間が空く。


「ですが、心配してくださることは許します」


 目を開けると、セラフィーナは書類を見ていた。


 頬がほんの少し赤い。


 俺は笑いそうになったが、頭が重く、代わりに息だけが漏れた。


「何ですか」


「いえ。安心しました」


「何に?」


「俺がいなくても仕事は回るのに、ここにいてくれることに」


 彼女の手が止まった。


「仕事のためだけに、ここにいるのではありません」


 それ以上は言わず、また書類へ目を落とす。


 熱でぼんやりした頭では、意味を考えきれなかった。


 ただ、その声を聞いていると眠くなる。


「お休みください、アレン」


「はい」


 目を閉じる。


 眠りへ落ちる直前、誰かが俺の手へそっと触れた気がした。


 確かめる力は、もう残っていなかった。

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