表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
婚約破棄された公爵令嬢を辺境へ連れ帰ったら、俺の領地が王国で一番幸せになりました!?  作者: ぱる子
第二部 公爵令嬢は普通の幸せを知らない

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
16/36

第16話 雨漏りの夜

 セラフィーナの部屋は、見事に雨漏りしていた。


 天井から落ちる水を、クレアと使用人たちが桶で受けている。


「この部屋は昨日まで何ともなかったはずですが」


 セラフィーナが天井を見上げる。


「春の雨で古い板が浮いたんでしょう」


 俺は壁際の机を持ち上げた。


「書類を先に出します。衣装箱はクレアさんに」


「アレン、屋根へ上がるつもりではありませんね」


「板を押さえないと被害が広がります」


「この豪雨の中で?」


「縄をつけます」


「安全になる理由として不足しています」


 正論だ。


 だが、このままでは隣の部屋まで水が回る。


 結局、ガレスと二人で屋根裏へ入り、内側から板を仮留めした。雨風へ直接さらされるよりはましだが、隙間から吹き込む水で服はすっかり濡れた。


 作業を終えて廊下へ戻ると、セラフィーナが腕を組んで待っていた。


「説明をお願いします」


「応急処置は終わりました」


「そうではありません。なぜ領主代理が自分で濡れているのですか」


「大工を呼ぶには遅い時間ですし」


「ほかの者へ指示することもできたでしょう」


「屋根裏の梁の位置を知っているのが俺だったので」


 彼女は言い返そうとしたが、俺の袖から床へ水が落ちるのを見て、ため息をついた。


「まず着替えてください」


「セラフィーナの今夜の部屋を決めてから」


「私はどこでも休めます」


「そう言う人ほど、どこでも仕事を始めるんです」


「アレンに言われたくありません」


 その通りだった。


 客室はアニエスが使っている。


 父の隣室は薬の匂いが強く、クレアはセラフィーナの衣装と書類を乾かすため、使用人部屋を借りている。


 残ったのは、俺の執務室に続く小さな休憩室だけだった。


「寝台は一つあります。俺は執務室の長椅子を使います」


「また床や椅子で眠るおつもりですか」


「以前より進歩しています。長椅子です」


「進歩の方向が間違っています」


 セラフィーナは休憩室を見回した。


 狭いが、雨は入っていない。小さな暖炉と、一人用の寝台。執務室との間には扉がある。


「では、私は休憩室をお借りします。アレンは執務室で仕事をするのでしょう」


「少しだけ」


「今夜は休んでください」


「少しだけです」


「信用できません」


 着替えを済ませ、俺は執務室へ戻った。


 机の上には、雨で濡れる前に運び出したセラフィーナの書類が積まれている。


 彼女も休憩室へ入らず、向かいの椅子へ座った。


「眠らないんですか」


「書類が乾くまで確認します」


「今夜は仕事をしないと言ったのは?」


「アレンに対してです」


「不公平ですね」


「私は濡れておりません」


 反論できない。


 乾かす書類の中には、セラフィーナが王都から持ってきた古い法令集もあった。


 端の濡れた頁を俺がめくると、細かな書き込みが並んでいる。


「これ、全部セラフィーナが?」


「幼い頃から、間違いを許されませんでしたので」


「こんな小さな字まで」


「紙を無駄にするなとも教えられました」


 俺は自分の帳簿を見る。余白には天気の印や、領民から頼まれた買い物まで書いてある。


「俺の帳簿を見たら、先生は倒れますね」


「すでに拝見しました」


「いつ?」


「昨日です。鼠の絵がありました」


「あれは倉庫の被害記録です」


「尻尾が笑っていました」


「記録にも愛嬌は必要です」


 彼女はしばらく堪えたあと、声を立てずに笑った。


 濡れた紙を前にしても、失敗を責める人はいない。乾かせばまた使えると、二人で頁を並べていく。


 外では雨が屋根を叩き続けていた。


 時折、雷が鳴る。


 セラフィーナは紙を一枚ずつ広げ、端へ重しを置く。俺は濡れた帳簿の表紙を布で拭いた。


 最初は、屋根の状態や明日の修理について話していた。


 やがて必要な会話がなくなる。


 雨音だけが部屋を満たした。


 以前の俺なら、何か話さなければと焦っただろう。


 公爵令嬢と二人きりの部屋で沈黙するなど、礼儀に反しているように感じたはずだ。


 けれど今は、彼女がそこにいることが不自然ではなかった。


 セラフィーナも、無理に話題を探していない。


 乾きかけた紙へ指を滑らせ、時々、暖炉の火を見る。


 俺は湯を沸かし、紅茶を二つ淹れた。


「どうぞ」


「ありがとうございます」


 一口飲んだ彼女が、少し眉を上げる。


「以前より上達しましたね」


「父の薬草茶よりは簡単です」


「比較対象が低すぎませんか」


「褒められたと思っておきます」


 また沈黙が戻る。


 今度は、少しも気まずくなかった。


 窓の外はひどい嵐なのに、この小さな部屋だけは落ち着いている。


 セラフィーナが紅茶の湯気越しに俺を見る。


「アレン」


「はい」


「何かお話ししなくても、よいのでしょうか」


「話したいことがあれば話します。なければ、雨の音を聞いていればいいんじゃないですか」


「私は、沈黙が苦手だと思っていました」


「王宮では?」


「沈黙すると、弱みを探られているように感じました。何か失言をしたのではないかと」


「ここでは、俺が話題を思いついていないだけです」


「それは安心してよい理由なのでしょうか」


「少なくとも陰謀ではありません」


 セラフィーナが笑った。


「では、安心します」


「王宮では、黙っているだけで怠慢だと思われることもありました」


「ここでは、黙っていても紙は乾きます」


「ずいぶん実用的な慰めですね」


「辺境向きでしょう」


「ええ。私には、その方が合っているようです」


 彼女は椅子の背へ少し体を預けた。


 公爵令嬢らしい完璧な姿勢ではない。


 俺も帳簿から手を離す。


 しばらく、二人で雨の音を聞いた。


 何も起こらない。


 手も触れない。


 特別な言葉も交わさない。


 それでも、こんな夜が嫌ではなかった。


「アレン」


「何でしょう」


「この部屋は、狭いですね」


「申し訳ありません」


「苦情ではありません」


 彼女は暖炉へ目を向ける。


「広い部屋で一人でいるより、落ち着きます」


 胸が少しだけ速く鳴った。


「それなら、よかったです」


 雨が弱くなった頃、セラフィーナはようやく休憩室へ入った。


「おやすみなさい、アレン」


「おやすみなさい、セラフィーナ」


 扉が閉じる。


 俺は長椅子へ横になった。


 体が妙に重い。


 屋根裏で濡れたせいだろう。


 明日の修理の順番を考えながら目を閉じる。


 あと少しだけ休めば、また動ける。


 そう思った時には、もう朝まで眠り込んでいた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ