第15話 嫉妬は税制問題ではありません
その日の夕方、俺は談話室へ呼び出された。
呼んだのはセラフィーナだ。
部屋へ入ると、卓の上にはモロー商会との契約書が積まれていた。セラフィーナは正面に座り、クレアとアニエスが左右を固めている。
裁判でも始まるのだろうか。
「アレン、そこへ座ってください」
「はい」
声が真剣だったので、素直に従う。
セラフィーナは一枚の紙を俺の前へ滑らせた。
「モロー商会との取引について、いくつか確認があります」
「何か問題が?」
「現在、商会からの定期便は月に二度ですね」
「冬は一度ですが、春からは二度です」
「アニエス本人が来る必要は?」
「大きな契約や積み荷の確認がある時は」
「手紙だけでは不足ですか」
「現物を見ないと決められないこともあります」
「では、面会時間をあらかじめ定めるべきです」
俺は契約書を見る。
「商談の時間を?」
「はい。必要以上に長くならないように」
「昨日は倉庫の床まで見てもらったので、少し長くなりましたが」
「肩を叩く必要もありません」
「肩?」
「到着時です」
そこでようやく、話の方向が契約書からずれていることに気づいた。
アニエスが俺の肩を叩いた件まで、交易規則へ入れるつもりなのか。
「セラフィーナ様」
クレアが穏やかに口を挟む。
「それは商会との契約上の問題ではございません」
「ですが、交渉相手との距離は、取引の公平性へ影響します」
「しません」
アニエスが即答した。
「少なくとも、私がアレンの肩を叩いたことは塩の価格に影響しないわ」
「心証には影響します」
「誰の?」
セラフィーナは黙った。
俺は助け舟を出そうとする。
「王都では、商人と貴族の距離に規則があったんですか」
「そういう問題ではありません」
「では、どういう?」
「今、説明を受けているところです」
説明する側であるはずのクレアとアニエスが、顔を見合わせた。
「セラフィーナ様」
アニエスが身を乗り出す。
「昨日、私とアレンが親しそうに見えて、落ち着かなかったのよね」
「取引関係が不透明に見えただけです」
「私がアレンを恋愛対象として見ていないと聞いて、安心した?」
「供給上の危険が減ったとは思いました」
「それ、どういう危険?」
「……人員配置の変化です」
「結婚したら商会の担当が変わるとか?」
「その可能性はあります」
アニエスはにやりと笑った。
「私がアレンと結婚する可能性を考えたのね」
「仮定の一つとしてです」
「嫌だった?」
「領地経営上の不確定要素は、少ない方が望ましいでしょう」
「アレンがほかの女性と結婚するのは?」
セラフィーナの指が、契約書の端を押さえた。
「それは……ハルフォード家の問題です」
「嫌?」
「私は関与する立場にありません」
「嫌じゃないの?」
「質問が反復しています」
「答えが返ってこないからよ」
俺は二人の間で視線を往復させた。
なぜ俺の結婚の話になったのだろう。
「念のため言っておくけど」
アニエスが俺へ向き直る。
「私はあなたと結婚する気はないから」
「昨日も聞いた」
「セラフィーナ様の前で、もう一度はっきりさせているの」
「なぜ?」
「黙ってて」
ひどい。
クレアが紅茶を配る。
セラフィーナの前へ置く時だけ、少し声を落とした。
「セラフィーナ様。これは嫉妬でございます」
「違います」
「まだ説明しておりません」
「結論が誤っています」
「では、アニエス様とアレン様が親しくなさっていても、何も感じませんか」
「業務上必要な範囲なら」
「必要でない範囲では?」
「……適切ではありません」
「なぜでしょう」
セラフィーナは紅茶へ視線を落とした。
「アレンは、誰にでも距離が近いわけではありません」
小さな声だった。
「私が名前で呼んでいただくまで、あれほど時間がかかったのに、アニエスとは最初から自然に呼び合っていました」
俺は思わず口を開く。
「アニエスとは何年も取引していますから」
「説明は求めておりません」
「はい」
「でも、聞きたかったのでしょう?」
アニエスが笑う。
「アレンとの関係が、自分より特別かどうか」
「私は、そのような比較を」
「してるわよ。ずっと」
セラフィーナの頬が赤くなる。
彼女は契約書を一枚持ち上げた。
「仮にそうだとしても、感情は整理しなければなりません。嫉妬が原因で判断を誤れば、領地へ損害が」
「嫉妬は税制問題ではありません」
クレアがきっぱり言った。
セラフィーナが止まる。
「税率を調整するように、適正値へ戻すことはできないのですか」
「できません」
「記録して傾向を分析することは」
「お勧めいたしません」
「相手との接触回数を減らせば」
「悪化する場合がございます」
「では、どうすれば?」
クレアは微笑んだ。
「まず、ご自分が嫌だったと認めることです」
セラフィーナは長い間、何も言わなかった。
やがて、俺を見た。
「アレン」
「はい」
「昨日、アニエスがあなたの腕をつかんだことは、必要な行為でしたか」
「倉庫へ急いでいただけです」
「そうですか」
「嫌でした?」
尋ねると、彼女はまた黙った。
青い瞳が、俺から契約書へ逃げる。
「……少しだけ」
驚いた。
同時に、胸の奥が妙に温かくなる。
「では、次から自分で歩きます」
「え?」
「アニエスに引っ張られなくても、倉庫の場所はわかりますから」
「そういう解決でよろしいのでしょうか」
「駄目ですか」
セラフィーナは迷い、ほんの少し笑った。
「いいえ。合理的だと思います」
「ほら、結局また合理性へ戻った」
アニエスが呆れる。
「少しずつでよろしいのです」
クレアが言った。
アニエスは契約書の束を閉じた。
「念のため言っておくけれど、嫉妬したからって相手を縛っていいわけじゃないわ。でも、嫌だったことを言葉にするのは悪くない」
「命令ではなく、希望として伝えるということですか」
「そういうこと」
セラフィーナは少し考え、俺を見る。
「では、先ほどの件は命令ではありません。私の希望です」
「わかりました」
「……笑わないのですね」
「笑う理由がありませんから」
彼女はようやく、契約書から手を離した。
外で雷が鳴った。
窓を打つ雨音が急に強くなる。
「ひどい雨ね」
アニエスが立ち上がる。
「今夜は帰れそうにないわ」
「客室を用意します」
俺も窓辺へ向かった。
屋根から落ちる水が、妙な方向へ流れている。
「……まずいな」
「どうしました、アレン」
「セラフィーナの部屋の真上です」
次の瞬間、廊下から使用人の声が響いた。
「雨漏りです!」
談話室の空気が一変した。




