表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
婚約破棄された公爵令嬢を辺境へ連れ帰ったら、俺の領地が王国で一番幸せになりました!?  作者: ぱる子
第二部 公爵令嬢は普通の幸せを知らない

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
13/23

第13話 恋という病気

 夜、俺は一冊の帳簿を抱えて、セラフィーナの部屋へ向かった。


 昼の市場で彼女が気づいた卵と布の価格差について、倉庫の記録を確認したいと言われたからだ。


 扉の前まで来たところで、中からセラフィーナの声が聞こえた。


「胸が苦しいのです」


 俺は足を止めた。


「いつからでございますか」


 クレアの落ち着いた声。


「正確にはわかりません。ただ、アレンと話している時に多いようです」


 帳簿を落としかけた。


(俺と話すと胸が苦しい?)


 思い当たることを必死に探す。


 領地の食事が合わない。逃避行の疲れ。王都での心労。


 それとも、俺の話が長いのか。


 水路の修理方法を熱心に説明しすぎたことはある。倉庫の湿気対策について、食後に二十分ほど話したこともある。


「ほかに症状は?」


「顔が熱くなります。鼓動も速くなります。それから、姿が見えないと落ち着かないことがあります」


 かなり深刻ではないか。


「本日は、髪飾りをつけていただいた時に、もっとも強く感じました」


 俺の指先が髪へ触れたせいで、何かの発作が起きた?


 思わず扉へ近づいた時、腕の中の帳簿が滑った。


 床へ落ちる。


 どん、と大きな音が廊下へ響いた。


 室内が静まり返る。


「……アレン?」


 逃げるのは不自然だ。


 俺は覚悟を決め、扉を叩いた。


「帳簿を持ってきました」


 しばらくして、クレアが扉を開ける。


 なぜか、ひどく楽しそうな顔をしていた。


「どうぞ、アレン様」


 部屋へ入ると、セラフィーナは椅子へ座っていた。


 昼に贈った髪飾りを、まだつけている。


 ただし頬が赤い。


「具合が悪いんですか」


「なぜ、そのように」


「聞こえてしまいました。胸が苦しいと」


 彼女の顔がさらに赤くなった。


「どこから、お聞きに?」


「アレンと話している時に多い、というあたりから」


「ほぼ最初です」


「申し訳ありません」


「謝罪で済む問題でしょうか」


「では、医者を呼びます」


「必要ございません」


 セラフィーナが即答する。


「ですが、動悸や熱まで」


「クレアの見立てでは、病気ではないそうです」


 俺はクレアを見る。


「では、何ですか」


 クレアは少しも迷わず答えた。


「恋の初期症状でございます」


 沈黙が落ちた。


 俺はクレアを見る。


 次にセラフィーナを見る。


 彼女は両手で顔を覆いたそうな表情をしながら、どうにか姿勢を保っている。


「恋?」


「はい」


「誰の?」


 聞いた瞬間、クレアが目を閉じた。


 セラフィーナは凍った。


 俺も、自分が何を聞いたのか遅れて理解した。


「いえ、答えなくて結構です」


「当然です」


 声が冷たい。


 ただ、耳まで赤い。


「しかし、症状の原因が特定できたなら、対処が必要です」


 セラフィーナが無理に平静を取り戻そうとする。


「クレア、治療法は?」


「一般には、気持ちを認めることかと」


「ほかには」


「相手と話す」


「悪化しています」


「お会いする」


「それも症状を強めます」


「距離を置く」


 セラフィーナの表情が止まった。


「……それは」


 彼女は視線を落とす。


「それは、あまり望ましくありません」


 クレアの口元が緩んだ。


 俺は話についていけない。


 ただ、セラフィーナが俺と距離を置きたくないと言ったことだけは、胸へ残った。


 クレアは机の上の髪飾りへ視線を落とした。


「セラフィーナ様。念のため申し上げますが、恋は発熱のように治して消すものではございません」


「では、放置するのですか」


「大切に観察するものかと」


「症状を?」


「ご自身のお気持ちを、です」


 セラフィーナは難しい法令を示された時のように黙り込んだ。


「感情は、判断を誤らせます」


「隠した感情も、判断を誤らせます」


「クレアは、いつからそのような議論をするようになったのですか」


「セラフィーナ様が、ご自分のことだけは議論から外されるので」


 どこかで聞いた話だと思った。


 俺が口を挟むべきではない。そう思いながらも、セラフィーナが胸元で握った手を見ていると、黙って帰ることもできなかった。


「俺にできることはありますか」


 尋ねると、彼女は顔を上げた。


「ありません」


「即答ですね」


「この件について、アレンにできることは何も」


「では、しばらく話しかけない方が?」


「それは困ります」


 今度も即答だった。


 俺はますますわからなくなる。


「話すと苦しくて、話さないと困る?」


「私も整理している途中です」


 彼女は政治資料を読む時のように眉を寄せた。


「まずは症状の発生条件を確認します」


「確認?」


「アレン、そこへ座ってください」


 言われた通り、向かいの椅子へ座る。


 セラフィーナは自分の手首へ指を当てた。


「何か話してください」


「急に言われても」


「領地のことでも構いません」


「では、今日の市場で気づいたことを」


 俺は卵の値上がりと飼料不足について話し始めた。


 セラフィーナは真剣に脈を測っている。


「どうですか」


「通常より速いです」


「市場価格の話でも?」


「内容は関係ないようです」


 クレアが後ろを向いた。肩が震えている。


「次に、少し離れてください」


 俺が椅子を後ろへ引く。


「もっとです」


 さらに引く。


 セラフィーナの眉が寄る。


「どうですか」


「先ほどとは別の不快感があります」


「病気って複雑ですね」


「まったくです」


「では、部屋を出ましょうか」


「そこまでは必要ありません」


 また即答だった。


 クレアがとうとう耐えきれず、小さく咳をした。


「セラフィーナ様。診断は十分ではございませんか」


「まだです」


「私には、かなり明確に見えます」


「私には明確ではありません」


 俺にも明確ではない。


 ただし、これ以上続ければ、彼女がもっと困ることだけはわかった。


「今日はここまでにしましょう。体調が本当に悪くなったら、すぐ知らせてください」


 俺は帳簿を机へ置き、立ち上がった。


「では、おやすみなさい」


「おやすみなさい、アレン」


 扉へ手をかける。


「アレン」


 呼び止められた。


「はい」


「明日の朝、価格記録について相談したいことがあります」


「わかりました」


「朝食の前に」


「早いですね」


「症状の確認も兼ねます」


 クレアが天井を仰いだ。


「承知しました」


 俺が答えると、セラフィーナは少しだけ安心したように息をついた。


 胸が苦しくなる相手と、翌朝いちばんに会いたいらしい。


 恋という病気は、どうやら領地のどんな病より理解が難しい。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ