第110話 悪女の裁判
公開法廷の傍聴席は、満席だった。
王都の市民。
政治犯の家族。
秘密警察で拷問を受けた者。
戦争で家を失った者。
元兵士。
旧議員。
ハルフォード領から来た人々もいる。
誰も私を「大統領閣下」とは呼ばない。
「被告、セラフィーナ・ローゼンフェルト」
裁判長が正式名を告げる。
「起立してください」
私は立った。
黒でも白でもない、灰色の服。
装飾はない。
指輪だけが左手にある。
外すよう求められなかった。
「代表的な罪状を読み上げます」
すべてを列挙すれば、一日では終わらない。
議会の軍事包囲と解散。
令状のない拘束。
政治犯への拷問を許した組織運用。
無実の青年の死亡後も秘密警察を存続させたこと。
抵抗地域への封鎖。
軍事衝突を継続し、多数の死傷者を生じさせたこと。
違法な処刑命令。
「認否を」
裁判長が問う。
「議会解散を命じました」
「認める?」
「はい」
「秘密拘束制度を存続させた?」
「はい」
「無実の者が死亡した後も?」
「はい」
「抵抗地域への封鎖を」
「命じました」
「戦争の継続を」
「選びました」
傍聴席から罵声が飛ぶ。
「人殺し!」
「悪女!」
裁判長が静粛を命じる。
私は顔を上げたまま立っている。
反論できる点はある。
すべてを私一人が実行したわけではない。
議会の承認を得た時期もある。
軍の現場判断も。
秘密警察の違法行為を命じていない場合も。
それでも、制度を残した。
責任者を処刑し、組織を使い続けた。
弁護人が立つ。
「被告の責任能力について、鑑定結果を提出します」
法廷が静まる。
「被告は夫アレン・ハルフォードを目の前で失った後、長期にわたり重度の睡眠障害、味覚の低下、強迫的な危機回避行動を示しました」
私は弁護人を見る。
事前に読んだ内容だ。
「さらに、爆破事件と学校襲撃を契機に、判断の柔軟性が著しく損なわれています」
医師の記録。
クレアの証言。
官邸使用人の日誌。
食事量。
睡眠時間。
一人分しかない紅茶。
私の日常が、責任能力の資料として並ぶ。
「弁護側は、完全な心神喪失を主張するものではありません」
弁護人が続ける。
「しかし、深い喪失と恐怖による判断能力低下は、量刑上考慮されるべきです」
「被告は理解していますか」
「はい」
「異議は?」
「あります」
法廷がざわつく。
弁護人がこちらを見る。
「どの点に」
「私の苦痛が、判断へ影響したことは認めます」
「では」
「それを、責任を減らす理由として用いることに異議があります」
「被告」
裁判長の声が低くなる。
「弁護を受ける権利を放棄する必要はありません」
「放棄しません」
「なら、専門家の意見を」
「意見は記録してください」
私は答える。
「ただし、私自身の認識も記録してください」
許可が出る。
私は傍聴席を見る。
マリアンヌ様が前列にいる。
クレアは少し後ろ。
無実の青年の母親も。
焼かれた村の人も。
「アレンを失ったことは、私を変えました」
声が法廷へ響く。
「紅茶の味がしなくなりました。眠れない夜が続き、同じ失敗を繰り返すことだけが恐ろしくなった」
指輪へ触れる。
「私は、彼を守れなかった自分を許せませんでした」
傍聴席は静かだった。
「だから、次は必ず守ると決めました。学校を。病院を。食糧を。国を」
「それは、被告の行為の動機ですか」
「はい」
「免責理由では?」
「ありません」
弁護人が息を吸う。
「被告、慎重に」
「慎重に話しています」
私は続ける。
「私は情報を読み、反対意見を聞き、法を知っていました」
「判断能力が低下していた可能性は」
「あります」
「なら」
「それでも、決めたのは私です」
マリアンヌ様の目から涙が落ちる。
「議会を解散した時、何をしているか理解していました」
「はい」
「秘密警察の組織を残した時も?」
「はい」
「戦争継続も?」
「はい」
「ガレス・ロークが死ぬ可能性を?」
胸が痛む。
「理解していました」
言葉にする。
「生け捕りを命じました。ですが、戦争を続ければ命令が届かない可能性もあった」
「結果として、彼は死亡した」
「はい」
裁判長は記録を確認する。
「被告は、夫への愛情を繰り返し動機として述べています」
「はい」
「その愛情が、正常な判断を妨げたと?」
法廷の全員が待つ。
「私はアレンを愛していました」
声は震えなかった。
「今も?」
「はい」
短く答える。
「ですが、愛していたから許されるとは思っていません」
沈黙。
誰も赦しの言葉を言わない。
それでよい。
「彼なら許すと思いますか」
検察官が問う。
「わかりません」
「夫の名を使い、国家を支配したのでは?」
「はい」
「彼の理想を守ると称して?」
「はい」
「それが裏切りだったと?」
私は答えるまで時間がかかった。
「はい」
胸元の肖像画の紙片は、証拠品として保管されている。
ここにはない。
それでも、ガレスが持っていた全員の顔を思い出す。
「被害者へ、謝罪は」
「あります」
「述べますか」
私は傍聴席へ向く。
「申し訳ありませんでした」
罵声が飛ぶ。
「今さら!」
「返せ!」
「息子を返して!」
私は頭を下げる。
「返せません」
顔を上げる。
「謝罪で戻らないことを知っています」
「なら、言うな!」
青年の母親が泣きながら叫ぶ。
私は反論しない。
「赦しを求めません」
「当たり前だ!」
「はい」
裁判長が再び静粛を求める。
無実の青年の母親が、証言台へ呼ばれた。
「息子は、政治に関わっていませんでした」
彼女は手に、小さな木片を持っている。
「家具職人でした。爆破犯と同じ工房へ木を卸した、それだけです」
「拘束後の連絡は」
「ありませんでした」
「遺体の引き渡しは」
「三日後でした」
母親は私を見た。
「責任者を処刑した時、あなたは正義をしたと思いましたか」
裁判長が質問の範囲を確認しようとする。
「答えます」
私は言った。
「はい」
法廷が静まる。
「その時は、責任者を処刑すれば組織を正せると考えました」
「息子は戻らなかった」
「はい」
「組織は残った」
「はい」
「次の母親も泣いた」
「はい」
「それでも、あなたは終身大統領を名乗った」
「はい」
彼女は木片を握る。
「私は、あなたを赦しません」
「承知しています」
その言葉を聞くために、私は法廷にいる。
最終陳述。
弁護人は終身拘禁を求めた。
責任能力低下。
初期の非常措置が実際に多数の命を救ったこと。
自首に近い降伏。
裁判への全面協力。
検察は死刑を求めた。
制度的犯罪の規模。
権力の集中。
違法な処刑。
戦争。
私はどちらにも口を挟まない。
判決までの間、拘束席で待つ。
クレアと目が合う。
彼女は泣いていない。
マリアンヌ様は両手を握りしめている。
判決が読み上げられる。
代表的な罪状の大半で有罪。
心神喪失は認められない。
判断能力の低下は一部考慮。
しかし、法知識と権限、継続的な選択、反対意見を退けた経緯から、責任は重大。
「被告セラフィーナ・ローゼンフェルトを、死刑に処する」
法廷に音がない。
私は立つ。
「判決を理解しましたか」
「はい」
「控訴の権利があります」
「行使しません」
弁護人が振り返る。
「被告」
「十分に審理されました」
「控訴審で量刑を」
「必要ありません」
死を望んでいるのではない。
生きるのが怖くないわけでもない。
ただ、ここで責任だけを薄める言葉を探したくなかった。
マリアンヌ様が立ち上がる。
「セラフィーナ様」
兵士が制止しようとする。
「発言を許可してください」
裁判長がうなずく。
彼女は私を見る。
「私は、あなたを止めました」
「はい」
「でも、死んでほしいとは」
「わかっています」
「兄上の時も」
声が途切れる。
「あなたの責任ではありません」
「そう言わないでください」
彼女は泣く。
「私は、自分の責任を引き受けます」
「それでは、私たちは」
「生きてください」
無責任な命令かもしれない。
それでも、他に言葉がない。
「国を、誰か一人のものにしないでください」
彼女はうなずけなかった。
クレアが立つ。
「処刑前夜の面会を申請いたします」
裁判長が記録を確認する。
「許可します」
私の身柄は兵士へ引き渡される。
法廷から出る直前、傍聴席を振り返った。
赦す者はいない。
憎む者。
泣く者。
目を逸らす者。
それが、私の判決だった。




