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婚約破棄された公爵令嬢を辺境へ連れ帰ったら、俺の領地が王国で一番幸せになりました!?  作者: ぱるめりあ
第十部 アレンの国を取り戻す

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第109話 王女の帰還

 王宮の最後の守備隊は、旧玉座の間へ続く廊下で武器を置いた。


 戦闘ではない。


 扉の向こうから、抵抗軍の代表が降伏条件を読み上げた。


 市民への危害なし。


 武器を置いた兵士への報復なし。


 大統領の身柄は公開裁判へ。


 守備隊長は文書を読み、私へ確認を求めた。


「従わないでください」


 私は答えた。


「大統領閣下」


「王宮を守りなさい」


 彼は目を伏せる。


「兵は、もう戦えません」


「命令です」


「申し訳ございません」


 剣が床へ置かれる。


 一人。


 また一人。


 金属音が広い廊下へ続く。


 誰も私へ刃を向けない。


 ただ、従うことをやめる。


 それだけで、権力は消えた。


 私は短銃を持って旧玉座の間へ入った。


 弾は二発。


 手入れはされている。


 引き金も軽い。


 クレアは半歩後ろにいる。


「逃げてください」


 私は言った。


「どちらへでしょう」


「ハルフォード領へ」


「セラフィーナ様を置いて?」


「私は、もう帰れません」


「なら、私もここにおります」


「命令です」


「その命令は、お聞きできません」


 彼女まで。


 私は笑いそうになった。


 誰も従わない。


 大統領なのに。


「逮捕されます」


「承知しております」


「私への協力者として裁かれる」


「名簿を流したことも含めて、必要なら」


 私は彼女を見る。


「認めるのですか」


「今さら隠す必要もございません」


 クレアは静かだった。


「怒っていますか」


「いいえ」


「では、悲しい?」


「はい」


 旧玉座の間には、まだ晩餐の用意が残っていた。


 銀の皿。


 手をつけていないパン。


 一人分の紅茶。


 クレアはそれを下げなかった。


「お食事は」


「要りません」


「朝から何も」


「今は」


「これが最後の機会になるかもしれません」


 私は彼女を見る。


「最後だから食べろと?」


「生きている間は、食事の時間がございます」


 アレンの死後も、クレアは同じことを言った。


 私はパンを一口だけ取る。


 味はしない。


 それでも飲み込む。


「ありがとうございます」


「礼を言うことではございません」


「では、命令に従ったことに」


「先ほど、命令を拒否したばかりです」


 ほんの一瞬、昔の食堂の空気が戻った。


 すぐに足音がそれを消す。


 扉の向こうから足音が近づく。


 多くない。


 十人にも満たない。


 先頭の声が、停止を命じる。


 マリアンヌ様の声。


「ここからは、私だけで入ります」


 扉が開く。


 彼女は白い外套を着ていた。


 王族の紋章はない。


 胸元に、旧憲法の小さな写しを結んでいる。


 護衛は扉の外で止まった。


「お久しぶりです」


 マリアンヌ様が言う。


「数か月です」


「ずいぶん長く感じます」


「私もです」


 彼女は、使われなくなった玉座を見た。


 その後、私の短銃を見る。


「降伏してください」


「あなたが王位へ就くのですか」


「いいえ」


「では、誰が国をまとめる」


「議会です」


「また同じ失敗を繰り返す」


「失敗しても、止められる国へ戻します」


「遅い」


「はい」


「分裂する」


「可能性はあります」


「襲撃も」


「起きるかもしれません」


 彼女は否定しない。


「それでも、一人の正しさへ国を預けません」


「私が間違っていると?」


「はい」


 即答だった。


「学校と病院を守ったことも?」


「違います」


「火薬を押収したことも?」


「違います」


「食糧を配ったことも?」


「違います」


「なら」


「正しいことをしたから、その後の間違いまで正しくなるわけではありません」


 私は短銃を持ち直す。


「あなたは、私を殺しに来たのですか」


「止めに来ました」


「同じでしょう」


「生きて裁判を受けてください」


「ヴィクトルと同じように?」


 彼女の顔が揺れる。


「はい」


「兄を死刑へ送った法廷へ、今度は私を?」


「はい」


 涙が落ちる。


 それでも、彼女は前へ進む。


「怖くないのですか」


「怖いです」


「私が撃つかもしれない」


「わかっています」


「護衛を呼べば」


「ここへ来る前に、全員へ待つよう命じました」


「なぜ」


「兵士に、あなたを撃たせたくないからです」


 胸の内側が崩れる。


「私は、ガレスを死なせました」


「聞きました」


「アニエスを追放した」


「はい」


「あなたまで来れば」


「私も失う?」


「はい」


「だから、止まってください」


 マリアンヌ様は、さらに一歩進んだ。


 短銃を上げる。


 銃口が彼女の胸へ向く。


 距離は近い。


 外さない。


「止まりなさい」


「嫌です」


「命令です」


「あなたは、もう共和国の大統領ではありません」


 引き金へ指をかける。


 力を入れれば終わる。


 私は撃てる。


 撃ち方も知っている。


 前線で何度も使った。


「この銃で、何人を撃ちましたか」


 マリアンヌ様が問う。


「戦場で二人」


「覚えていますか」


「はい」


「顔も?」


「一人は覚えています。もう一人は、背中でした」


「私の顔は、忘れませんね」


「やめてください」


「忘れないでください」


 彼女はまっすぐ立つ。


「私が死ねば、あなたはまた守るためだったと言う」


「言いません」


「今まで、何度もそう言いました」


「あなたを撃つとは言っていない」


「銃口が、答えています」


 私は照準を下げられない。


 下げれば、終わる。


 上げ続ければ、まだ大統領でいられる。


「兄上の時、私は止められませんでした」


 マリアンヌ様が言う。


「王家が壊れるのが怖かった。兄を失うのが怖かった。だから、最後まで決定的なことを言えなかった」


「あなたは証拠を持って逃げました」


「遅すぎました」


「それでも、国を救った」


「兄を救えなかった」


 彼女の声が震える。


「あなたも、救えないかもしれません」


「なら、帰ってください」


「帰りません」


 また一歩。


「兄を止められなかった私が、今度こそあなたを止めます」


 短銃の照準が、彼女の心臓に合う。


 私は息を止める。


 引き金へ力を入れる。


 少し動く。


 彼女は目を閉じない。


 私を姉のように慕っていた少女。


 王宮の廊下で、セラフィーナ様と呼びながら追いかけてきた。


 辺境で恋路応援同盟などという紙へ署名した。


 兄を失い、ガレスを失い、それでも私を止めに来た。


 撃てば、国は守れるかもしれない。


 少なくとも、今夜は。


 指が動かない。


「撃ってください」


 マリアンヌ様が言う。


「それが、今のあなたの国なら」


「黙って」


「撃てば、私はもう止めません」


「黙りなさい」


「でも、撃てないなら」


 彼女は手を差し出す。


「終わりにしてください」


 短銃が重い。


 腕が下がる。


 銃口が床を向く。


 指を離す。


 金属が石へ落ちた。


 乾いた音。


 クレアが息を吐く。


 扉の外の兵士は動かない。


「私は、間違いを認めたわけではありません」


 声が震える。


「はい」


「あなたたちの国が正しいとも」


「はい」


「私は、無罪を求めません」


「わかっています」


「ただ」


 言葉が出ない。


「もう、あなたまで殺せません」


 マリアンヌ様の涙が止まらない。


「それで、十分です」


「十分ではありません」


「今は」


 彼女は近づき、短銃を遠くへ蹴らなかった。


 ただ、私の手を取る。


 拘束具を持つ兵士が扉から入る。


 私は抵抗しない。


 手首へ冷たい金属が触れる。


 その時、誰も私を短い名前で呼ばなかった。


「前大統領セラフィーナ・ローゼンフェルト」


 兵士が正式名を告げる。


「議会解散、違法拘束、戦争犯罪その他の容疑により、身柄を拘束します」


「承知しました」


 使われなくなった玉座を振り返らない。


 クレアが隣を歩こうとする。


「あなたは」


「後ほど事情聴取を受けます」


 兵士が答える。


「では、そこまで」


 クレアは私の外套の襟を最後に整えた。


「お寒くありませんか」


「大丈夫です」


「大丈夫ではない時に、その言葉を使わないお約束でした」


 胸が痛む。


「怖いです」


「はい」


「でも、歩けます」


「はい」


 マリアンヌ様が前を歩く。


 私はその後ろを、拘束されたまま進む。


 王女が帰還した夜。


 私の独裁は終わった。

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