第七話 国家の血管
王都西門前には、朝靄の中、数頭の馬が並んでいた。
荷袋。
木箱。
巻かれた羊皮紙。
読み書きのための教材。
反復計算のための百マスの数字表。
教会の掲示板へ貼るための問題板。
簡易な算術板。
王都で流行り始めた盤上遊戯。
それに、革製の球。
「サッカーボール、本当に作ったんだな」
安藤は感心したように呟いた。
牛革を縫い合わせた球体。
中には豚の膀胱を膨らませた空気袋。
完全ではない。
少し歪だ。
だが、十分“ボール”だった。
「王都の工房街総出だぞ」
黒田が笑う。
「職人のおっちゃん達、途中から意地になってた」
「こんなもん誰が蹴るんだって顔してたけどな」
その隣には、三十前後の男が立っていた。
短髪。
日に焼けた肌。
槍を背負っている。
「そっちは?」
安藤が聞く。
黒田が親指で示した。
「同じ巡察隊のラルフ」
「ラルフ・ディートリヒだ」
男は軽く会釈した。
「軍務院直属、街道巡察隊所属」
「護衛と雑用と死骸処理が仕事だ」
「最後物騒だな」
「街道勤務はそんなもんだ」
さらに、その後ろ。
少し大きめの革鎧を着た少年が、緊張した様子で立っていた。
「ルーカス・ベルナーです!」
十六歳。
まだ少年だった。
「見習い巡察兵です!」
声だけは元気だった。
「クロダさんには、いつもお世話になってます!」
「いや、そんな大したことしてないけど」
「王国にはない体術を教わりました!」
「腕立て百回で音上げてたろ」
「うっ……」
ルーカスが赤くなる。
黒田は笑った。
安藤は、その様子を少し眩しく感じていた。
十六歳。
日本なら、まだ高校生だ。
だがこの世界では、既に武器を持ち、街道へ立っている。
◇
「アンディさん、こちらへ」
ロッティが馬上から手を差し出す。
「……マジで二人乗りするのか」
「乗れないのでしょう?」
「まあ……」
安藤は渋々、後ろへ跨った。
思ったより高い。
怖い。
「うわっ」
馬が少し動いただけで身体が揺れる。
思わず、安藤はロッティの腰へしがみついた。
「ちょっ――」
ロッティが振り返る。
「そんなに掴まないでください!」
「落ちたら死ぬだろ!」
「腰じゃなくて鞍を持ってください!」
「無理だ!」
「情けないですね……!」
黒田が吹き出した。
「アンディ、顔が死んでるぞ」
「いや、おまえが普通に乗れてるのはなんなんだよ」
「昔ふれあい乗馬体験で、少しだけ乗ったことがある」
「その時はポニーだったけどな」
「馬の種類が違うぞ」
ラルフが真顔で言った。
◇
街道は、思っていたより整備されていた。
石畳。
轍。
荷馬車。
巡礼者。
農民。
行商人。
干草を積んだ荷車が王都へ向かっていく。
逆方向には、塩や鉄器を積んだ商隊。
人も、物も、情報も、この道を通って流れている。
道が止まれば、王都も止まる。
それはまるで、王都へ繋がる血管のようだった。
「意外とちゃんとしてるな」
安藤が言う。
「王都周辺だけだ」
ラルフが答えた。
「地方は雨で道が消える」
「橋も崩れる」
「魔物も出る」
軍務院直属、街道巡察隊。
それが黒田たちの所属だった。
平時は巡回。
盗賊退治。
魔物退治。
荷馬車護衛。
有事には、そのまま戦場へ投入される。
「まるで便利屋だな」
「否定はしない」
ラルフが肩を竦める。
「ヴァルデン王国の軍務院って、軍隊そのものか?」
安藤が聞く。
「“院”は専門家組織です」
ロッティが説明した。
「軍務院、典礼院、宮廷魔術院……」
「財務府や宮内府は、王家直属ですね」
「局は実務機関」
「王領管理局とか、商工監督局とか」
「なるほどな……」
安藤は少し感心した。
封建制の色は濃い。
完全な近代官僚制とは程遠い。
だが、確かに国家だった。
◇
「教会って、そんな色々やってんのか?」
黒田が聞く。
ルーカスが不思議そうに答えた。
「え?」
「普通、みんな教会行きますよ?」
「病気になった時も?」
「はい」
「困った時も?」
「はい」
「文字習う時も?」
「はい」
黒田が少し驚いた顔をする。
ロッティが補足した。
「典礼院の管理下ですが、地方では実質的な行政機関です」
「出生」
「婚姻」
「埋葬」
「施療」
「孤児保護」
「全部、教会が担っています」
安藤は静かに街道の先を見た。
学校。
福祉。
戸籍。
記録。
近代国家以前では、それを担っていたのは、こうした共同体だった。
◇
昼過ぎ。
一行は小さな教会へ到着した。
鐘楼。
井戸。
畑。
質素な石造建築。
だが、人の気配は濃かった。
「ようこそ」
穏やかな声。
痩せ型の司祭が、一礼した。
「カスパル・ラインホルトです」
「アンドウです」
「アンディと呼んでください」
「クロダです」
「シャルロット・アイヒナーです」
挨拶が終わると、カスパルは教材へ目を向けた。
「これが噂の……」
「数字を覚えるための教材です」
安藤が答える。
「こっちは数字遊び」
「こっちは盤上遊戯」
「遊戯ですか?」
「考える力が身につきます。遊びだと思った方が、子供は勝手に覚えるので」
さらに、黒田が革球を持ち上げた。
「あとこれ!」
「サッカーボール!」
ルーカスが嬉しそうに叫ぶ。
「蹴る遊びです!」
「兵舎でめちゃくちゃ流行ってますよ!」
「もう流行ってるのか……」
安藤は少し呆れた。
◇
教会の奥。
小さな教室。
木板を持った子供たちが並んでいる。
文字を書ける者。
書けない者。
かなり差があった。
「識字率は?」
安藤が聞く。
カスパルは少し考えた。
「都市部で三割ほど」
「農村では、一割を切ります」
「低いな……」
「それでも、この国は高い方です」
安藤は息を吐く。
教室の隅では、小さな子供が必死に文字を書いていた。
何度も失敗し。
何度も書き直している。
日本では当たり前だった光景が、この世界ではまだ当たり前ではない。
安藤は、少しだけ胸の奥が重くなった。
そして、王都から持参した羊皮紙を広げた。
「王命です」
カスパルが表情を変える。
「教会台帳を統一します」
「住民記録を整理したい」
「氏名」
「年齢」
「性別」
「世帯」
「分かる範囲で、魔力量と魔術属性も」
カスパルは静かに紙を見る。
「……かなり大規模ですね」
「農村じゃ、名前しか持ってない人も多いでしょう」
安藤は続ける。
「だから今後は、村名や家名も登録していきたい」
「誰がどこで、どれだけ生きてるのか……」
「まずそれを、王国側で把握したいと思っています」
カスパルは少し黙った。
やがて。
「文字を書けない者は?」
「自分の名前だけは、全員が書けるようお願いしたい」
安藤は答えた。
「それから、署名には拇印も使います」
ルーカスが目を丸くする。
「指で?」
「署名代わりだ」
安藤は続けた。
「教会を、地域教育や住民管理の拠点にしたいんです」
「農村では、子供も貴重な働き手なのは分かっています」
「だから、子供たちの昼食は、王国側で負担することになりました」
「最低限、通わせることで損はしない形にしたい」
ラルフが小声で呟いた。
「財務府の連中が頭抱えそうだ」
◇
帰路。
森沿いの街道。
その時だった。
「止まれ」
先頭を進むラルフの声。
空気が変わる。
木々の奥。
小さな影。
緑色。
「……ゴブリンだ」
黒田が剣へ手を掛ける。
湿った獣臭。
そこへ腐肉のような臭気が混ざる。
黄色く濁った目が、木陰からこちらを見ていた。
人間に似た手。
だが爪は黒く汚れ、
歯は獣のように尖っている。
「ギギッ!!」
四体。
粗末な革布。
木を削っただけの貧相な槍。
錆びた短刃。
人間の子供ほどの背丈。
だが、明確な敵意があった。
対してこちらは、巡察隊の剣と盾。
ラルフは槍。
黒田も剣を抜いている。
数は同じでも、装備の差は大きい。
ロッティは杖へ手を添えたまま、周囲を警戒していた。
不用意に攻撃魔術を放てば、街道脇の荷車や馬を巻き込む。
それに、森の奥に伏兵がいない保証もない。
前衛は足りている。
今、彼女が見るべきは全体だった。
「ルーカス、下がれ!」
「は、はい!」
黒田が前へ出る。
速い。
一閃。
血飛沫。
ラルフの槍が、二体目を突き飛ばした。
巡察兵の一人が盾で三体目の槍を受ける。
錆びた穂先が、盾板へ鈍く食い込んだ。
だが浅い。
装備が違う。
練度が違う。
黒田はそこへ踏み込み、三体目を斬り伏せた。
最後の一体が木陰へ回り込む。
「アンディ!」
「分かってる!」
安藤は杖を構え、土魔術を発動。
街道脇の石を弾き飛ばす。
だが、外れた。
「やっぱり当てるのは難しいか……!」
代わりに、今度は地面を揺らした。
ゴブリンの足場が崩れる。
「ギャッ!?」
その瞬間。
黒田が叩き斬った。
静寂。
血の匂い。
ルーカスが青い顔をしている。
「……はじめて見ました」
「これが、魔物討伐……」
黒田は息を吐く。
「俺も最初はビビったさ」
ルーカスが少しだけ顔を上げる。
◇
安藤は、森の端へ歩いた。
土魔術。
地面が盛り上がる。
大穴。
まるで重機だった。
「埋めるのか?」
ラルフが聞く。
「放置すると病気出る」
安藤は答える。
「死体は腐る」
ゴブリンの死体が穴へ落とされる。
土が落ちる。
死体が埋まっていく。
辺りは静かだった。
ルーカスがぽつりと呟く。
「……そこまで考えるんですね」
安藤は、埋め終えた地面を見つめた。
日本でも、災害現場や感染症では、衛生管理が何より優先される。
人は簡単に病気で死ぬ。
それは、この世界でも変わらない。
道路だけでは、人は生きられない。
教育も衛生も、人を把握する仕組みも必要なのだ。
最後に、地面が静かに均される。
ルーカスは、その光景をじっと見つめていた。




