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第五話 遊びは文化だ

 王都南区。


 石畳の大通りを外れた先に、工房街はあった。


 荷車が行き交う。


 鉄を打つ音が響き、


 煤の匂いが鼻を刺す。


 石畳の街並みだけではない。


 電子音も、自動車も、蛍光灯も存在しない。


 人力と家畜と火によって回る社会。


 そこには、自分たちの知る現代とはまるで異なる生活の熱気があった。


「……なんか、マジで時代違うよな」


 黒田が辺りを見回した。


「王宮より、こっちの方が“生きてる”感じがする」


 だが、人は多い。


 安藤も頷く。


 鍛冶屋。


 石工。


 木工。


 革細工。


 染物。


 ガラス工房。


 王国の“生産”が集まる場所だった。


 その時だった。


「どけどけ!」


 怒鳴り声と共に、荷車が角を曲がってくる。


 積荷は木材。


 車輪が石畳へ跳ね、通行人たちが慌てて道を開けた。


「危なっ」


 黒田が安藤の腕を引く。


 荷車はぎりぎりを通り過ぎ、職人が舌打ちした。


「最近、人増えすぎなんだよ!」


「道も狭ぇしな!」


 別の職人が怒鳴り返す。


 ロッティが小さく呟いた。


「南区はずっと拡張が追いついてないんです」


 安藤は荷車の轍を見つめる。


 石畳。


 運搬。


 流通。


 都市人口。


 人が増えれば、道路が必要になる。


 その途中。


 黒田が腰の革袋を持ち上げ、顔をしかめた。


「重っ……」


 革袋の中で、金貨と銀貨が鈍い音を立てる。


「金貨って、こんな重かったんだな」


「大量輸送は基本、荷馬車ですよ」


 ロッティが言う。


「大商会なんかは護衛も雇います」


 安藤は革袋を見つめた。


 財務府から渡された予算。


 金属そのものに価値がある世界。


 だから重い。


 だから盗まれる。


 だから運ぶだけで金がかかる。


「紙幣がないと、ここまで不便なのか……」


「しへい?」


「紙で作られた金貨みたいなものです」


 ロッティは半信半疑の顔をした。


 黒田が笑う。


「まあ、金は天下の回り物ってやつよ」


「財務大臣のおっさんは、渋い顔してたけどな」


 払った金は、消えるわけじゃない。


 職人の売上になり、材料を買う金になり、誰かの食事代になる。


 お金は、場所を移動しているだけなのだ。


「ところでさ」


 黒田が歩きながら言った。


「騎士団預かりって、結局どんな扱いなんだ俺」


 ロッティが答える。


「正式な常備兵ではありません」


「ですが、王国側が身元を保証した協力者、という立場ですね」


「主に魔物討伐や、街道巡察隊への同行になると思います」


「やった」


 黒田が笑う。


「やっと異世界っぽくなってきたぜ」


 安藤が嫌そうな顔をした。


「普通に死亡率が上がるぞ」


「お前が格闘技かじってて、フィジカル強いのも知ってるが……」


「武装した相手を殺傷する能力とは別物だ」


「野生動物や武装した人間は、正拳突きじゃ倒せない」


「戦争になれば召集もかかるだろうし、街角で刺されて死ぬことだってある」


 黒田は肩をすくめる。


「だからって、毎日遊んでるわけにもいかねぇだろ」


「優遇されてる理由だって、お前のその魔力量だ」


「王女の治療もそうだし、土魔術も国家機密級」


「俺にも何か仕事させてくれよ」


 安藤は少し黙った。


 それは分かっていた。


 自分だけが特別扱いされていることも。


 黒田がそれを気にしていることも。


「……まあ」


 安藤は息を吐く。


「死ぬなよ」


「おう」


 黒田は軽く笑った。


 それから腰の革袋を軽く叩く。


「明日、グレタちゃんと会う約束してるし」


「お土産のネックレスも買った」


「お前、そういうとこ本当マメだよな」


「レオーネ自由都市同盟の工芸品らしい」


 黒田は少し得意げに、小さな赤い装飾品を見せた。


 牛の角を模したネックレスだった。


「コルノっていう幸運のお守りだってさ」


「へぇ」


「女ウケしそうじゃね?」


 ロッティが呆れ半分に言う。


「クロダさんあなた、女性との距離の詰め方ちょっとおかしいですよ」


「えっ」


「まだ知り合って数日でしょう」


「いやでも、向こうも結構ノリ良かったから」


「なんか軽いです……」


 黒田は少し考えるように顎へ手をやった。


「思いきりと思いやりだよ。人付き合いって、要は『お前に興味あるぞ』って伝えることだからな」


 ロッティがぽかんとする。


「なんですか、それ」


「こっちの世界でも案外大事だと思うぞ」


「その割に軽薄なんですよあなたは……」


「えぇ?」


 そんなやり取りをしているうちに、一軒の木工工房へ辿り着いた。


 大きな木材。


 削りかけの家具。


 木屑。


 壁には道具が整然と並んでいる。


 そして。


「おうロッティ、帰ってたのか」


 奥から現れた青年は、ロッティと同じ銀髪だった。


 二十代半ばほど。


 無精髭。


 筋肉質。


 木屑だらけの前掛けをしている。


「兄です」


 ロッティが少し嫌そうに言った。


「エルマー」


「なんだその紹介」


 青年は苦笑した。


「王宮勤めになっても愛想ねぇな」


「仕事で来てるんです」


「へいへい」


 そう言いながらも、エルマーの口元は少し緩んでいた。


 妹が王宮勤めになったことを、内心では誇りに思っているのだろう。


 その後ろで、エルマーは無言で木材を削り始める。


 鉋の動きは滑らかで、迷いがない。


 ロッティと違い、こちらは完全に職人肌らしかった。


「兄ちゃんも職人なのか」


 黒田が声をかける。


 エルマーは手を止めずに答えた。


「見りゃ分かるだろ」


「はい無愛想!」


「愛想で木は削れねぇからな」


「違いねぇ」


 黒田が吹き出した。


 その奥から、さらに低い声が響いた。


「……誰だ」


 現れた男は五十代ほどだった。


 無骨。


 大柄。


 腕が太い。


 職人そのもの、という風貌。


 木屑だらけの前掛けを着けている。


「父です」


 ロッティが硬い声で言った。


 一瞬の沈黙。


 そして。


「なんだ、泣き虫ロッティか」


「その呼び方やめてください!」


 ゲルハルトは鼻を鳴らした。


「昔は工房で指切っただけで泣いてたくせによ」


「お、お父ちゃん!」


 ロッティが顔を赤くする。


「客の前で昔話しないで!」


 黒田が吹き出した。


「マジで泣き虫だったんだ」


「クロダさん!?」


 安藤は少し意外そうにロッティを見た。


 王宮で見せる冷静さとは違う。


 年相応の娘だった。


「ロッティ嬢ちゃんも出世したもんだな」


 奥の職人が笑う。


「王宮勤めなのに、まだ工房来るのか」


「当然です」


 ロッティは少し胸を張った。


「現場を知らない魔術師なんて、役に立ちませんから」


 ゲルハルトが鼻を鳴らす。


「生意気になったもんだ」


     ◇


 工房の中は、外から見る以上に広かった。


 木材の香りが強い。


 棚には細工品が並び、机には設計図らしきものも置かれている。


「意外とちゃんとしてる」


 黒田が呟く。


「意外とはなんだ」


 ゲルハルトが睨む。


「いや、もっと脳筋の職人かと」


「脳筋?」


「なんでもないです」


 ロッティが深々とため息をついた。


 黒田は棚へ並ぶ武器を見ていた。


 剣。


 短槍。


 木盾。


 革鎧。


「武器も作ってんのか」


「木工だけじゃ食えん」


 ゲルハルトが答える。


「槍の柄、盾、鞘、荷車。なんでも作る」


「騎士団の装備も?」


「ランスや盾、鎧は軍に納品している」


 ゲルハルトが言った。


「ただ、帯剣用の剣なんかは、個人で用意する騎士もいます」


 ロッティが補足する。


「リアルだなぁ……」


「戦争は金がかかる」


 ゲルハルトが吐き捨てるように言った。


「武器も馬も、壊れりゃ終わりだ」


 その言葉に、安藤は少し反応した。


 兵士。


 武具。


 補給。


 荷車。


 すべて誰かが作っている。


 王宮では見えにくかった現実だった。


「俺には木刀を作ってください」


 安藤が言った。


「木刀?」


「護身用です」


「剣じゃなくていいのか?」


「俺、剣術なんてやったことないので」


 安藤は棚の木剣を手に取る。


「学校の授業で竹刀なら触ったことあります」


「杖だけだと心もとないですし」


 黒田が吹き出した。


「お前、“国家予算級の魔術師”様じゃねぇか」


「杖だけ持ってりゃ十分だろ」


「それがそうでもない」


 安藤は木刀の重さを確かめながら言う。


「あれは発動まで時間がかかりすぎる」


「詠唱してる最中に殴られたら、普通に終わるからな」


 ゲルハルトが腕を組んだ。


「なるほど、魔術師ってのも楽じゃねぇんだな」


「それに」


 安藤は少し考えながら続ける。


「木刀の方が、相手を殺さず制圧するのに向いている」


「俺にはそれが、合ってる気がするんです」


 ゲルハルトは少しだけ目を細めた。


「変わった兄ちゃんだな」


「まあ、よく言われます」


 安藤は苦笑した。


「それで」


 ゲルハルトが椅子へ座る。


「今日は何を作らせる」


 安藤は荷物から紙を取り出した。


「教育用の遊具と、初等教材です」


「教材?」


「読み書きと計算を覚えるためのものです」


 ロッティが少し驚いた顔になる。


「……本気で学校を作るつもりなんですか?」


「いずれは」


 安藤は紙を広げた。


 最初に描いたのは、リバーシ盤だった。


 八×八の盤面。


 白黒へ塗り分けられた丸い木片。


 単純な構造。


「つまり、裏と表で色の違う木片が必要なんだな?」


 ゲルハルトは図面を見る。


「そうです」


「簡単じゃねぇか」


 理解が早い。


 職人の目だった。


「あと、こういう数字盤も……」


 安藤は、百マスの簡単な計算表を見せる。


「子供向けの計算訓練です」


「遊びじゃねぇのか?」


「遊びです」


 安藤が答える。


「でも遊びって、人間を鍛えるので」


 ゲルハルトは少し黙った。


「……面白ぇ発想だな」


     ◇


 気づけば、工房の喧騒も少し変わっていた。


 工房の一角で、試作されたリバーシ盤が置かれている。


 白と黒の木片が盤へ並べられていく。


「ほう」


 ゲルハルトが木片を指で弾く。


「最後に数が多い方が勝つんだな?」


「そうです」


 最初の対局は、安藤と黒田だった。


 木片を置く。


 返る。


 また返る。


 単純だ。


 だが、奥深い。


 いつの間にか、工房の職人たちが集まっていた。


「なんだあれ」


「新しい遊びか?」


「でも静かだな」


 盤面だけが静かに変化していく。


 やがて。


「……そこか」


 安藤が呟く。


「うわっ、待て待て待て!」


 黒田が叫ぶ。


 一気に盤面が返った。


 周囲がどよめく。


「おお……!」


「ひっくり返ったぞ!」


「なんだそれ!」


 ゲルハルトが低く唸った。


「なかなか面白ぇな」


 職人の一人が盤面を覗き込む。


「もう一回やらせろ」


 別の職人が言う。


「字が読めなくても遊べるな、これ」


 安藤はその言葉に、少しだけ目を細めた。


 読み書きができなくても、身分が違っても、同じ盤を囲める。


 遊びは案外、人と人とを繋ぐ。


     ◇


 工房を出る頃には、空が赤く染まり始めていた。


 人通りも少し変わる。


 酒場帰り。


 荷運び。


 酔っ払い。


 昼より空気が荒い。


 その時だった。


「――っ!」


 横を何かが走り抜ける。


 次の瞬間。


 ロッティの鞄が消えていた。


「ひったくり!」


 路地へ逃げ込む男。


 痩せた青年だった。


 頬がこけている。


 服は汚れ、靴も擦り切れていた。


 食事もまともに取れていないのか、腕は細い。


 だが、手には短刀。


 黒田の顔から笑みが消える。


「おい、刃物持ってるぞ」


 ロッティは即座に杖を構えた。


 詠唱。


 速い。


 安藤とは比較にならない。


「《流水拘束》」


 空中に水が走る。


 高粘度の液体へと変わり、男の足へ絡みついた。


「ぐあっ!?」


 石畳で滑る。


 転倒。


 短刀が地面へ転がった。


 黒田はそれを確認した瞬間、飛び込んだ。


「危ねぇだろ!」


 男の背後へ回り込み、首と腕を絡める。


 そのまま体重をかけ、石畳へ押し倒した。


「ぐっ――!」


「動かないでください」


 ロッティの声が冷たい。


 王宮で見せる柔らかさはなかった。


 完全に実務の声だった。


 周囲の通行人たちが遠巻きに見る。


 誰も助けには来ない。


 衛兵が駆けつけたのは、その後だった。


「盗人か」


 年配の衛兵が男の顔を蹴る。


「おいっ、やめろ!」


 安藤が思わず声を上げた。


 衛兵は怪訝そうな顔をした。


「抵抗したなら当然だろ」


「こいつ、刃物持ってたんだぞ」


 男は鼻血を流していた。


 まだ若い。


 十代後半くらいだった。


「返せ……!」


 男が呻く。


「それ売れば、三日は食えるんだ……!」


 衛兵は鼻で笑った。


「知るか」


「牢屋行きだな」


「運が悪けりゃ腕一本落とされる」


 それから小さく鼻を鳴らす。


「まあ、捕まる方が間抜けだ」


「ひったくりなんざ、毎日ある」


「逃げ切っちまえば、まず見つからん」


 安藤は少し黙った。


 監視カメラもない。


 指紋照合もない。


 防犯ブザーもない。


 衛兵が来るまで、自分の身は自分で守るしかない。


 ロッティが静かに言った。


「王都はまだマシな方です」


 安藤は、倒れた青年を見る。


 貧困。


 治安。


 暴力。


 犯罪。


 文明が未熟であるということは、こういうことなのだ。


 黒田が転がった短刀を見下ろし、小さく呟く。


「……マジで刺される世界なんだな」


 安藤は静かに頷いた。


 王宮にいる時だけが、まだ安全だった。


 自分たちもまた、あの短刀一本で、簡単に死ぬ側なのだ。


 しばらく気まずい沈黙が続いたあと、黒田がふと、思い出したように笑った。


「でも、あの盤は絶対流行るぞ」


「もう職人さんたち、量産用の盤を作り始めてましたね」


 ロッティが苦笑する。


「賭博化しないといいですけど……」


「絶対するだろ」


 安藤と黒田の声が揃った。


 ロッティが呆れた顔になる。


 だが、三人とも少しだけ笑っていた。


 遊び。


 工房。


 市場。


 人の集まり。


 そういう小さなものが、少しずつ国を変えていくのかもしれない。


 安藤は夕暮れの王都グランツハイムを見上げながら、そんなことを考えていた。

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