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第四話 文明の記憶

 宮廷魔術院は、ヴァルデン王国最大の知識集積地だった。


 魔術。


 歴史。


 天文。


 地理。


 薬学。


 王国中から集められた知識が、この場所へ蓄積されている。


 だが、宮廷魔術師長アーデルハイト・フォン・シュネーベルクの執務室だけは例外だった。


 本が積まれている。


 羊皮紙も積まれている。


 机には謎の鉱石。


 床には空瓶。


 椅子の背にはローブ。


 どこかでは香草が燻され、どこかではインクが零れていた。


「お前らよくここで仕事できるな」


 黒田が呆れた声を出す。


「研究室なんて大体こんなもんだ」


 アーデルは悪びれもしない。


「違います」


 ロッティが即答した。


「この人だけです」


「細かいことを気にするな」


「国家機密書類の上に酒瓶置かないでください」


 安藤は苦笑しながら部屋を見回した。


 だが、積み上がった魔術書や測定器具を見ると、この世界にも確かな学術体系が存在していることが分かる。


 単なる中世ではない。


 魔術文明。


 そう呼ぶ方が近かった。


「で」


 アーデルが椅子へ深く座る。


「昨日の土属性騒ぎについて報告しろ」


「騒ぎってほどでもないですよ」


 ロッティが言った。


「アンディさんが少し派手に、荒地を開墾しただけです」


「“少し”で用水路と農地を再生するな」


 アーデルが酒瓶を揺らす。


「土属性であんな継続施工を見たのは初めてだ」


 安藤は肩をすくめた。


「魔力量の問題でしょう」


「でしょう、で済ますな」


 黒田が笑う。


「こいつ、ほぼ公共事業だったぜ」


「依頼も増えてましたしね」


 ロッティが苦笑する。


「『あそこの森も耕してくれ』って」


「完全に土木業者じゃねぇか」


「国家予算級召喚の結果が、公共インフラ特化型だったわけだ」


 アーデルは面白そうに笑った。


「王国としては当たりかもしれんな」


「いや俺、帰りたいんですけど」


「知ってる」


 即答だった。


 アーデルは酒瓶を揺らしながら、ふと安藤を見た。


「ところで少年」


「はい?」


「……わたしなんか、どうだ?」


「なにがです?」


「決まっておろう。異性としてだ」


 黒田が吹き出した。


「急になに?」


「研究へ人生を使っていたら、気づけば二十八だ」


 アーデルは肩をすくめる。


「知識は増えたが、家族は増えなかった」


「同期には、もう孫がいる者までいるというのに、わたしは未だ変人か化石扱いだ」


 安藤は少し意外そうな顔をする。


「俺たちの国だと、むしろ平均くらいですよ」


「なに?」


 今度はアーデルが驚く番だった。


「平均初婚年齢、それくらいだったはずです」


「本当……ですか?」


 ロッティが引いた顔になる。


「この国じゃ普通に遅い方ですよ」


「貴族でも平民でも、十五、十六で結婚するものですし」


「二十を過ぎると、“行き遅れ”扱いですね」


「うわぁ……」


 黒田が露骨に顔をしかめた。


「感覚ちげぇ……」


 アーデルは鼻で笑う。


「まあ、王家から高給も貰ってるしな」


「男に養ってもらう必要もない」


「完全にキャリア女性じゃん」


 黒田が笑う。


 安藤は少し考えながら言った。


「俺たちの世界でも、専門職ほど初婚年齢は高かったです」


「研究者、医師、法律家、技術者……」


「教育を受ければ、一人でも生きていける」


「仕事もできるし、高い所得も得られる」


 ロッティが不思議そうに聞く。


「それは……悪いことなんですか?」


「単純ではないです」


 安藤は静かに答えた。


「女子の教育機会や所得が増えるほど、子供の数が減っていく傾向もありました」


「豊かさや幸福、社会の持続可能性が、必ずしも一致するわけではなかった」


 少しだけ部屋が静かになる。


 だが、安藤はそこで話を切り替えた。


「とはいえ、この国は教育制度そのものを整えないと駄目です」


 アーデルが片眉を上げる。


「ほう」


「今のヴァルデン王国は、識字率がまだ低すぎる」


「役人も、技術者も、記録官も足りないですし」


「税、土地台帳、兵站、徴税、動員」


「全部、記録と計算が必要です」


 ロッティが真剣な顔になった。


 安藤は続ける。


「教育が進むと問題も増える」


「でも、教育しなければ国家そのものが発展できない」


「少なくとも、計算と事務処理のできる人材を、もっと増やさないと駄目です」


 アーデルは酒瓶を揺らしながら笑った。


「お前、本当に土属性か?」


 黒田が吹き出す。


「そいつ、土木と帳簿と統計の話になると急に元気になるんだよ」


「次は学校でも作る気か?」


「それも、いずれは」


 安藤は普通に答えた。


 アーデルが笑う。


「きみらの話は面白いな」


「異なる文化や文明の情報というだけでも刺激的だが……」


 彼女は少し真顔になった。


「これは“知識”ではない」


「文明そのものの記録だ」


 その時だった。


「あっ」


 安藤が顔を上げる。


「どうした?」


「スマホ」


 ポケットから取り出す。


 バッテリーの残量表示。


 あと数%。


 安藤の顔色が変わった。


「失敗した……」


「すまほ?」


「これ、もう充電できないんです」


 部屋が静まる。


「クロダ、お前の残量は?」


「昨日ゲームしてたら速攻なくなったわ」


「なにやってんだよ、ったく……」


 安藤は額を押さえた。


「もっと早く気づくべきだった」


「この中に入ってる情報、全部消える可能性があります」


 沈黙。


 そして安藤は真剣な顔で言った。


「アーデルさんみたいな、学問や魔術を扱う人たちには、もっと見てもらいたいものが沢山ある」


「できれば王国の知識層、為政者とも映像を共有したい」


 黒田が横で笑う。


「急に使命感出てきたな」


「頼めますか」


     ◇


「宮廷魔術師長より、話は聞いた」


 ヴァルデン王国国王、

 ルドルフ四世・フォン・ヴァルデンが低く言った。


「石板の魔道具が魔力切れを起こす前に、そなたらの世界について、できるだけ多くの情報を残したい――そういう話だな?」


「全然ちげぇーよ!」


 黒田が即座に突っ込んだ。


「なに伝えてんだアーデルさん!」


「いや、だいたい合ってるぞ」


 安藤は冷静だった。


 財務大臣ハインリヒが露骨に顔をしかめる。


「私は予算編成で忙しいのだ」


「南部街道の改修予算も止まっておりますのでな」


「ああ、それなら」


 安藤は静かに言った。


「街道整備、手伝いますよ」


 部屋が静まる。


「……なに?」


「昨日、用水路と開墾やったんで」


 黒田が吹き出した。


「お前さらっと公共事業請け負うなよ」


「入札なしの随意契約で受注完了ってか」


「ずいい……?」


「こっちの話です」


 安藤が流した。


 王が静かに笑った。


「実に愉快な若者たちよの」


「では見せてもらおう」


 安藤はスマホを起動した。


 画面が光る。


 王宮の空気が変わった。


「……光った」


 王女エリーゼが小さく呟く。


 写真。


 動画。


 スクランブル交差点の人混み。


 高層ビル群と夜景。


 車列。


 空を横切る航空機。


 異世界には存在しない光景が流れていく。


「こちらが、俺たちの世界の、日本という国の都市群です」


「巨大な建造物が、地平線の彼方まで続いている……」


 王が目を細める。


「城壁が……ない?」


「ほとんどありません」


 アーデルが静かに口を開く。


「人口は一億二千万人を超えるそうです、陛下」


 場が静まり返る。


「……なんだと?」


 財務大臣ハインリヒが絶句する。


「ヴァルデン王国の四十倍ではないか……!」


「常備軍は二十万程度となります」


 ざわめき。


「王国が動員できる兵の総数と、そこは大差がない」


 マティアス王子が静かに言った。


「つまり、それだけ平和ということか」


 安藤は少し驚いた。


「ええ。周囲を海で隔てられていましたから」


「海が防壁か……」


 王子は低く呟く。


「二千年もの長い間、他民族に本土を蹂躙されたことがありません」


「……羨ましい話だ」


 王が静かに言った。


 その時。


「よし」


 黒田が立ち上がった。


「動画だけじゃ弱いな」


 嫌な予感がした。


「おいクロダ」


 だが遅い。


 黒田はスマホを操作し、音楽を流した。


 当然、ネット通信は繋がらない。


 ローカルへ保存していたダンス用の音源だった。


 アップテンポなビートが石造りの部屋へ響く。


 そして。


 黒田が踊り始めた。


「…………」


 部屋が静まり返る。


 回転。


 跳躍。


 ステップ。


 床を滑るような動き。


 石造りの王宮とは、あまりにも異質だった。


 ロッティが呆然と呟く。


「……なんですか、それ」


「戦闘舞踊か?」


 アーデルが真顔で聞いた。


「ただのダンスだよ。ブレイキン」


 黒田は笑う。


 侍女グレタが、完全に見惚れていた。


 安藤は思わず苦笑する。


 身長百八十三センチ。


 昔から、こういう場では妙に目立つ男だった。


 曲が終わる。


 拍手はなかった。


 価値観そのものが違いすぎて、誰も反応できなかった。


 黒田が笑う。


「記念に写真撮ろうぜ」


「しゃしん?」


「景色を保存するんだよ」


 財務大臣ハインリヒが警戒した顔をする。


「……余計に不安になる説明だな」


「メイドの子も入れよ」


「えっ?」


 グレタが目を丸くする。


「せっかくなんだからさ」


「で、ですが……」


「いいからいいから」


 黒田は笑いながら手招きした。


 グレタは困惑しながらも、おずおずと列へ加わる。


 王。


 王子。


 王女。


 アーデル。


 ロッティ。


 安藤。


 黒田。


 そして侍女グレタ。


 異世界で初めて撮られる集合写真だった。


「こ、こうか?」


 半ば押し付けられる形で、ハインリヒがスマホを構える。


 カシャッ。


 短い電子音。


 そして。


 画面に、先ほどの光景が表示された。


 ハインリヒが青ざめる。


「ま、待て……」


「今ので魂を抜かれたのではあるまいな?」


 黒田が吹き出した。


「違いますよ!」


 マティアスが静かに画面を見る。


「……いや」


「恐らく、光景そのものを固定している」


 安藤は少し驚いた。


「理解が早いですね」


 王が画面を覗き込み、豪快に笑った。


「ははは!」


「余もなかなか聡明そうな、いい男に映っておるわ」


 場が少し和む。


 エリーゼはしばらく黙っていた。


 高層建築でもない。


 光る街でもない。


 ただの集合写真。


 なのに彼女は、そこから目を離せなかった。


 やがて少しだけ、珍しく積極的に言った。


「……あなたの家族の写真はないのですか?」


 安藤は少し黙った。


 そして静かにスマホを操作する。


 表示されたのは、一枚の家族写真だった。


 父。


 母。


 弟。


 妹。


 そして安藤。


 庭には、大型犬が寝そべっている。


 エリーゼはその犬へ視線を止めた。


「……大きいのですね」


「温厚ですよ」


 安藤は少しだけ笑った。


「子供の頃からいました」


 エリーゼは静かに写真を見つめる。


「……温かそうなご家族」


 その声は、小さかった。


 その時。


 ピーッ――


 短い電子音。


 そして画面が暗転した。


 沈黙。


「あ」


 黒田が小さく声を漏らす。


 ボタンを押す。


 反応はない。


 黒い画面には、

 もう何も映らなかった。


 画面へ映っていた家族写真も、

 ゆっくりと闇へ沈んでいった。


 アーデルが静かに呟く。


「……この小さな板の中へ、一つの文明が詰まっていたのか」


 もう二度と、戻れないかもしれない。


 その現実だけが、

 静かに胸へ沈んでいった。

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