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第三話 土属性公共事業

 王都郊外の演習場は、春先の冷たい風に晒されていた。


 乾いた土。


 まばらな草地。


 遠くには森林が見える。


 王宮の石造りとは違い、こちらは土と風の匂いが強かった。


 広い演習場の一角には、木製の標的と簡易な柵が並んでいる。


 兵士たちが、遠巻きに異世界人たちを眺めていた。


「では本日は、属性測定と魔術発現を行います」


 ロッティが木箱を開く。


 中には、水晶や金属板、紋章の刻まれた魔道具が整然と収められていた。


 黒田が覗き込む。


「なんか健康診断っぽいな」


「いや、こっちの話です」


 ロッティは聞き慣れない単語を流しながら言う。


「金属類は外してください。干渉するといけないので」


 安藤はベルトへ手をやった。


「レントゲン思い出すな」


「れんと……?」


「病院の検査だよ。金具が駄目だったんだ」


 やがて準備が整った。


「まずクロダさんから」


 黒田が前へ出る。


 測定盤へ手を置いた瞬間、風が巻いた。


 紋様が淡く発光する。


「風属性ですね」


 ロッティが頷いた。


「機動性に優れ、伝令、騎兵支援、索敵などに適性があります」


「火属性魔術の延焼を制御したり、矢の軌道を逸らしたりする運用もありますね」


「おお、なんか主人公っぽい」


 黒田はちょっと嬉しそうだった。


「ロッティちゃんは?」


「わたしは水属性です」


「なんか納得」


「どういう意味ですか」


 ロッティが少し頬を膨らませた。


 次。


「アンディさん」


 安藤が前へ出る。


 紋章へ手を置いた瞬間。


 淡い黄土色の光が広がった。


「……土属性です」


 ロッティが言う。


 黒田が顎へ手をやった。


「ほう、土属性……。当たりか外れかで言うと?」


「まあ、その……割と外れですかね」


 ロッティは少し申し訳なさそうに答えた。


「なんといっても、魔術の花形は火属性なんです」


 ロッティが説明する。


「戦争で主力となるのは火属性です。次に水属性。防御、治療、浄化などに優れています」


「土属性魔術は魔力効率が悪いんです。土や岩そのものを直接動かしますから」


 安藤は測定盤を見ながら呟いた。


「そりゃ質量のある物体を動かすんだから、燃費も悪いか……」


「しかも遅いです」


 ロッティは続けた。


「当たれば危険ですが、回避もしやすい。戦場では弓矢の方が実用的だと言われています」


「夢がねぇ……」


「実際、魔術師の死亡原因は弓矢が多いですよ。詠唱中を狙われますので」


 黒田は嫌そうな顔をした。


「思ったより命懸けだな」


 ロッティは木箱から二本の杖と、分厚い魔術書を取り出した。


「次は魔術発現です」


 安藤が眉をひそめる。


「今まで魔術なんて使ったことがない。というか、俺たちの世界ではそんなもの使える人はいない」


「魔術を発現させるには、最初のきっかけが必要なんです」


 ロッティが説明する。


「とはいえ、偶然発現してしまう人もいます。アンディさんたちの世界で誰も魔術を使えないのだとしたら、大気中の魔素濃度が関係しているのかもしれません」


「魔素?」


「薄い地域では、魔術はほとんど発現しませんから」


 ロッティは魔術書を開いた。


「もう大丈夫です。詠唱してみてください」


 黒田が先に挑戦する。


 杖を握り、ぎこちなく詠唱する。


 だが、何も起きない。


「……あれ?」


 もう一度。


 風が少し揺れただけだった。


「やっぱできねぇ」


「魔術発現は個人差があります」


 ロッティがフォローする。


「十分な魔力量があっても、一生発現できない人も珍しくありません」


 黒田は肩を落とした。


「でも俺、平均より上なんだろ?」


「はい」


「宝の持ち腐れじゃねぇか」


「魔力量が高いと、魔術耐性や回復適性に優れます。無意味ではありません」


「つまり、戦闘なら前に出る戦士向きか」


「そうとも言います」


 次。


 安藤が杖を握る。


 右手に杖。


 左手には、開かれた魔術書。


 古い羊皮紙へ、複雑な術式と詠唱文が並んでいる。


 安藤は眉を寄せた。


「長いな……」


「本来、土属性は長詠唱が基本です」


 ロッティが言う。


「今どきの宮廷魔術師は短縮詠唱が主流ですが」


 安藤は小さく息を吐いた。


 そして、詠唱を始める。


 地面が微かに震えた。


 土塊が浮き上がる。


「おお」


 黒田が声を上げた。


「出た」


 安藤は土塊を前方へ射出する。


 鈍い音を立て、標的へぶつかった。


 だが速度は遅い。


「なんか地味だな」


「土属性ですから」


 ロッティが真顔で言う。


 安藤は土塊を見つめながら考え込む。


「ピストルの弾って……こう、先端が尖ってるだろ」


「ぴすとる?」


 ロッティが首を傾げた。


 黒田が適当に補足する。


「小さい鉄の弾を、めちゃくちゃ速く飛ばす武器」


 ロッティは完全には理解できていない顔だった。


 だが、アンディなりに理屈があることだけは分かったらしい。


「空気抵抗を減らせば、飛び方も変わるかと思ったんだけど」


 再び詠唱する。


 今度は細長い楕円形。


 弾丸を意識した形状だった。


 射出。


 先ほどより鋭く飛ぶ。


 だが、劇的な変化とまではいかなかった。


「変わったか?」


「少し速い……ですけど」


 ロッティが慎重に答える。


「根本的な問題は変わっていません」


 安藤は小さく頷いた。


「質量か……」


「いや、こっちの話です」


 黒田が、ふと思い出したように言った。


「そういやお前、全然バテてなくね?」


 安藤は自分の身体を見下ろした。


 言われてみれば、息も乱れていない。


 ロッティも驚いたように言う。


「普通、土属性魔術は数回の発動だけでも術者がかなり消耗します」


 視線が、地面へ転がる土塊へ向く。


「攻撃にせよ防御にせよ、重い土塊を動かすのは、それだけ魔力を使うんです」


 ロッティはゆっくり安藤を見た。


「アンディさん、あれだけ連続で土魔術を使っても、疲れた様子がありません」


「これが九十八万ってやつか……」


 黒田が半笑いで言った。


 ロッティは小さく息を呑んだ。


「理論上、今の長詠唱だけでも、通常の土属性術師なら数日寝込んでもおかしくありません……」


 視線が、地面へ向く。


「必要魔力量の計算が、まるで合わない……」


 その声には、純粋な困惑が混じっていた。


 ロッティが小さく手を叩いた。


「では、一旦休憩しましょう」


     ◇


 演習場の外では、農民たちが畑を耕していた。


 春蒔き前の麦畑だった。


 鍬。


 汗。


 硬い土。


 石混じりの痩せた土地。


 何人もがかりで、少しずつ土を返している。


 去年の収穫が悪かったのか、農民たちの顔色は良くない。


 痩せた子供の姿も見えた。


 安藤はそれをぼんやり見つめた。


 非効率だ、と自然に思った。


 さっきまで、自分は土を動かしていた。


 なら。


 あれも、できるのではないか。


「……ロッティ」


「はい?」


「あの土地、勝手に触ったら怒られるか?」


 ロッティが瞬きをする。


「え?」


     ◇


 風は静かだった。


 城壁の外。


 切り株の残る荒地。


 石混じりの痩せた土地を前に、農民たちは困惑した顔で立っている。


 安藤はゆっくりと膝を折った。


 指先で土を掬う。


 乾いている。


 栄養も薄い。


 だが、死んではいない。


 右手に杖。


 左手に魔術書。


 安藤は静かに目を閉じた。


 呼吸を整える。


 魔力が、肺ではなく、もっと深い場所から満ちてくる。


 ロッティが小さく呟いた。


「……長詠唱をやる気ですか?」


 安藤は答えない。


 ゆっくりと、大地へ杖を向けた。


 低く、静かな声。


 まるで祈りのように。


「地は眠り――」


 風が止まる。


「閉ざされし息吹を開け」


 黄褐色の光が、足元から広がっていく。


 ロッティの喉が鳴った。


 周囲の魔素密度が、明らかに異常だった。


 地面へ亀裂が走る。


 乾いた土が裏返る。


 下から、湿った黒土が現れた。


「砕けよ、礫」


 石が跳ねる。


 次々と畑の端へ弾かれていく。


「流れよ、水脈」


 地下水が滲み出した。


 さらに地面が低く削れ、緩やかな傾斜を持った排水路が形成されていく。


 水は自然に低地へ流れ始めた。


 農民たちがどよめく。


 地面が波打つ。


 硬くひび割れていた荒地が、柔らかく均されていく。


 まるで巨大な見えない鋤が、大地そのものを耕しているようだった。


「人の糧となれ」


 その瞬間。


 大地が静かに脈動した。


 轟音ではない。


 巨大なものが、ゆっくり呼吸するような音。


 荒地が姿を変えていく。


 傾斜は均され。


 硬土は砕かれ。


 水路が自然な曲線を描いて伸びていく。


 まるで、何年もかけて耕された畑だった。


 農民の一人が、崩れるように畑へ駆け寄った。


 黒い土を掴む。


 震える指。


「……柔らかい」


 日に焼けた掌へ、湿った土がこぼれる。


「水を撒いても弾かん……」


 別の農夫が呆然と呟く。


「耕せるぞ……これ……」


 女たちも集まり始める。


「畑だ……」


「本当に畑になってる……!」


「去年は三度耕しても芽が出なかったのに……」


「ありがとうございます……!」


「ありがとう……!」


 いつの間にか、安藤の周囲へ人が集まっていた。


 中年の農夫が、恐る恐る口を開く。


「あ、あの……」


 安藤が振り向く。


「向こうの荒地も……もし可能なら……」


 遠くの痩せた土地を指差している。


 黒田が吹き出した。


「依頼増えてんじゃねぇか」


 そして、呆れたように笑った。


「うわ……ほぼ公共事業じゃん……」


「いやもう、ブルドーザーだろ……」


 ロッティは呆然と畑を見つめていた。


「土属性で土地造成を行う魔術自体は存在します……」


「でも普通は、城壁工事や短時間の地盤整備程度なんです」


 視線が安藤へ向く。


「こんな規模を、個人で継続できる術者なんて……」


 安藤はその声を聞きながら、静かに畑を見渡した。


 たった数分。


 それだけで、数十人が何日もかけて行う作業が終わっていた。


 感謝される。


 それは妙な感覚だった。


 自分は英雄でも聖人でもない。


 ただ、少し効率の良いやり方を知っていただけだ。


 それでも、人は喜ぶ。


 頭を下げる。


 元の世界では、就職だの資格取得だの、ただ漠然と考えていた。


 だが、人間は所得のためだけに働くわけじゃない。


 必要とされること。


 ここにいていいと、誰かに認められること。


 そういうものが案外、生きる理由になる。


 ――そんなことを少しだけ思った。


 だが同時に、ここはまだ自分の帰る場所ではなかった。

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