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第二話 九十八万の魔力

 謁見の間を出たあと、安藤たちは王宮の奥へ通されていた。


 深夜だった。


 石造りの廊下には等間隔で燭台が並び、揺れる炎が長い影を作っている。


 足音だけが静かに響いていた。


 先導しているのは、亜麻色の髪をした女魔術師だった。


 年齢は二十歳前後だろうか。


 理知的な目をしている。


「シャルロット・アイヒナーです」


 女は歩きながら軽く一礼した。


「宮廷魔術師として、アンドウ様とクロダ様の対応を担当します」


「なんだその呼び方。様とかいらねーよ」


 黒田が笑う。


「俺はクロダ、こいつは……アンディでいいよな? よろしく」


 安藤は軽く肩をすくめた。


「まあ、それでいい」


 ロッティは少しだけ目を瞬かせたあと、小さく頷いた。


「それではアンディさん、クロダさん。これからよろしくお願いします」


 そして、少しだけ柔らかく微笑む。


「わたしのことも、ロッティと呼んでください」


 その時だった。


 後方から、気だるそうな声が割り込んだ。


「なんだ、もう仲良しか、弟子よ」


 ――昨夜、召喚陣の中心で術式を指揮していた女魔術師だった。


 長い金髪。


 眠そうな赤い瞳。


 片手には酒瓶。


 どう見ても、真面目に働くタイプには見えない。


「アーデルハイト・フォン・シュネーベルク。宮廷魔術師長だ」


 女は気だるそうに片手を上げた。


「アーデルでいい」


 そして、眠そうな顔のまま続ける。


「ちなみに、“キューティー魔術師アーデルちゃん”と呼んでもいいぞ」


「絶対嫌です」


 ロッティが即答した。


「なんでだ」


「年齢を考えてください」


「殺すぞ弟子」


「勤務中の飲酒をやめてください」


 ロッティが即座に言う。


「これは研究用だ」


「その言い訳、朝まで続けるつもりですか」


「魔術研究に昼夜の概念はない」


「あります」


 ロッティは即答した。


 黒田が吹き出した。


「なんだこの職場」


「安心しろ異世界人。一応、王国最高戦力だ」


 アーデルが酒瓶を揺らしながら言う。


「最高戦力のトップが、そんなんでいいのか?」


 安藤が呆れたように言う。


「問題ない。たぶん」


「たぶん言うな」


 ロッティが額を押さえた。


     ◇


 王宮の廊下を歩きながら、黒田がふと思い出したように口を開く。


「なあ、ロッティちゃん」


「はい?」


「安藤が召喚された理由は分かったよ。魔力みたいなのが高いから網にかかった」


「で、俺まで呼ばれたのって何でなんだ?」


 ロッティは少し考えるように視線を落とした。


「お二人は、召喚時にすぐ近くにいたのですよね?」


「まあ、いたな」


「以前、お師匠……アーデル様が、グレーターデーモン召喚を行った際、使役していた獣魔も一緒に召喚された事例があります」


「状況から見てクロダさんも、アンディさんの召喚に巻き込まれた可能性が高いかと」


 黒田は少しだけ黙った。


「俺、付属のモンスター扱いかよ」


「召喚事故の巻き添えだな」


 安藤がため息混じりに言う。


「ひでぇ話だな、おい」


 やがて、一行は重い扉の前で止まった。


 ロッティが扉を開く。


 中は、妙に散らかった部屋だった。


 机。


 羊皮紙。


 魔術書。


 燭台。


 棚へ並ぶ奇妙な鉱石。


 そして酒瓶。


 持ち主の性格が、そのまま内装へ表れていた。


「わたしの執務室だ」


 アーデルが椅子へ腰を下ろす。


「さて」


 頬杖をつきながら、安藤たちを見た。


「まず確認だが、お前たちは本当に人間なんだな?」


「たぶん」


 黒田が答える。


「少なくとも昨日までは日本人だった」


「ニホン」


 ロッティが羊皮紙へ書き留める。


「国家名ですか?」


「国……まあ、そうです」


 安藤は頷いた。


「島国です」


「島?」


 アーデルが眉を上げた。


「四方を海に囲まれてるのか」


「そうです」


 ロッティが少し不思議そうな顔をした。


「海って、そんなに広いものなんですか?」


 安藤は少し考える。


「地平線まで、ずっと水しかない感じです」


 ロッティは目を丸くした。


「そんな場所に、人が住めるんですか……?」


「日本は人口一億人以上いるぞ」


「い、一億……!?」


 ロッティが絶句する。


 アーデルが酒瓶を揺らした。


「ヴァルデン王国の人口が、およそ四百万前後だ。想像もつかんな」


「その規模で島国とか、むしろ化け物国家じゃねぇか?」


 黒田が苦笑した。


「だから海が防壁になるんです」


 安藤が静かに言った。


「簡単には攻め込めない」


「なるほどな」


 アーデルは面白そうに笑った。


     ◇


 ロッティは、水晶のような球体を机へ置いた。


「では、魔力測定を始めます」


 黒田が先に触れる。


 淡い光が広がった。


 水晶内部へ数字が浮かび上がる。


 130。


「平均よりやや高めですね」


「おお」


 黒田はちょっと嬉しそうだった。


「なんか異世界っぽい」


「一般兵士なら優秀な部類だ」


 アーデルが補足する。


「鍛えれば実戦投入も可能だな」


「マジ?」


「ただし死ぬ時は死ぬ」


「急に現実」


 黒田が苦笑した。


「次、アンディさん」


 ロッティが促す。


 安藤は水晶へ手を置いた。


 その瞬間。


 空気が震えた。


 水晶が眩く発光する。


「っ!?」


 ロッティが目を見開く。


 数字が高速で跳ね上がった。


 1000。


 5000。


 12000。


「おい」


 アーデルが立ち上がる。


 さらに増える。


 50000。


 120000。


 300000。


 部屋の空気が軋む。


 水晶表面へ細かな亀裂が走った。


 980000。


 そこで、水晶が悲鳴のような音を立てる。


「や、やめてください!」


 ロッティが慌てて手を引き離した。


 安藤が反射的に手を離す。


 水晶は白煙を上げていた。


 部屋が静まり返る。


 アーデルが呟く。


「……人型魔力炉か?」


「こんな数値……」


 ロッティは呆然としている。


「魔道具の故障では……」


「いや」


 アーデルは首を振った。


「昨夜の召喚に消費された魔石の量を考えれば、辻褄は合うか」


 安藤は自分の手を見た。


 実感はない。


 だが、数字として測定できる以上、魔力もまた、この世界では資源なのだ。


 その時だった。


 扉の外から、小さな咳が聞こえた。


 アーデルとロッティの視線がそちらへ向く。


 扉が静かに開いた。


     ◇


 部屋に入ってきたのは、銀髪の少女と、一人の少年。


 さらに後ろにもう一人、侍女服姿の少女が続いていた。


 銀髪の少女は、十六歳前後だろうか。


 透けるように白い肌と、華奢な身体。


 今にも倒れてしまいそうな儚さがある。


 だが、その瞳には静かな知性と、育ちの良さを感じさせる気品が宿っていた。


「王女殿下」


 ロッティが片膝をつく。


 アーデルも椅子へ座ったまま、静かに頭を下げた。


 安藤と黒田も、慌ててそれに倣う。


 銀髪の少女も、静かに会釈した。


「夜分に失礼します」


 落ち着いた声だった。


「ヴァルデン王国第一王女、エリーゼ・フォン・ヴァルデンです」


 華奢で儚げに見える外見とは裏腹に、その所作には確かな気品を漂わせていた。


 そして、隣の少年も小さく頭を下げる。


「余……失礼。私はマティアス・フォン・ヴァルデンです」


 真面目そうな声だった。


 王子らしい気品はある。


 だがどこか、自信なさげでもあった。


 さらに、侍女服の少女も一礼する。


「王女付き侍女、マルガレーテと申します」


「今回の召喚魔術は、わたくしの命を救うためのものでした」


 エリーゼが静かに言った。


 黒田は少し困ったように頭を掻く。


「いや、まあ……こっちも状況分かってないんだけどな」


 ロッティが説明する。


「王女殿下は、生まれつき極端に魔力循環が弱いのです」


「要するに、慢性的な魔力欠乏状態だな。放っておくと命にかかわる」


 アーデルが補足した。


「本来であれば、高位幻獣を召喚し、精神支配によって使役。魔術刻印を用いて、王女へ直接魔力供給を行う予定であった」


「物騒な話だな」


 黒田が顔をしかめる。


「実験動物みたいになる予定だったのか」


「幻獣や精霊が相手なら、割と一般的な手法だ」


 アーデルは平然と言った。


「だが、アンディ殿の魔力量が異常すぎた」


 ロッティが、小さな銀色の腕輪を取り出す。


「この魔道具を通して近くにいるだけで、王女殿下の魔力循環が安定する可能性があります」


 エリーゼは少し申し訳なさそうに微笑んだ。


 空気が静まる。


 安藤は王女を見た。


 王宮全体が、彼女を中心に動いている。


 そんな感覚があった。


「つまり、わたくしの近くにいていただくだけでよいのですね」


 エリーゼが静かに言う。


 ロッティは頷いた。


「はい。少なくとも現時点では、その可能性が高いです」


     ◇


 安藤たちは、王女の私室へ案内されていた。


 暖炉の火が静かに揺れている。


 天蓋付きの大きなベッド。


 薬品の匂い。


 窓際には、小さな花が飾られていた。


「グレタ、皆さんに飲み物を」


「かしこまりました」


 王女付き侍女――マルガレーテが静かに頭を下げる。


 落ち着いた所作だった。


 王女のベッドの横へ、簡易な寝台が二つ並べられていく。


 ロッティは、エリーゼと安藤それぞれの腕へ銀色の腕輪を装着した。


 淡い光が、腕輪の紋様をゆっくり流れていく。


「日中は王女殿下も公務がありますので、主に夜間、就寝時間を利用して治療を行っていきます」


「まあでも、魔王を倒してこいとか、無茶ぶりじゃなくてよかったじゃん」


 黒田が気楽そうに言う。


 安藤は少し考え込むように視線を落とした。


「ああ。こういう時、条件整理しないと落ち着かない」


「王女への魔力供給、症状緩和や治療に協力する」


「帰りの動力源……魔石か。その資源エネルギーが用意されるまで待機。準備が整えば帰還」


 そして、小さく息を吐く。


「今のところは、そんな感じだろう」


「ゲームのクエスト整理みたいだな」


「現実だけどな」


 安藤が即座に返した。


 黒田は苦笑した。


「オレは別室らしいから、そっち行くわ」


 そして安藤に笑いかける。


「じゃあなアンディ。異世界看病生活、頑張れよ」


「他人事みたいに言うな。あと、その呼び名やめろ」


 黒田は肩を揺らして笑う。


 その横へ、グレタが静かに並んだ。


「クロダ様。お部屋へご案内いたします」


「おう。よろしくな」


 二人は部屋を後にする。


 扉が閉まると、急に静かになった。


 ロッティが小さく欠伸を噛み殺した。


「……すみません。召喚儀式の補助で、昨夜からほとんど寝ていなくて」


 そう言いながら、彼女は壁際へ積まれていた羊皮紙を手早く片づけ、寝台の横へ簡易結界用の魔導杭を並べていく。


 完全に寝落ちする前に、最低限の安全確認だけは終わらせるつもりらしい。


「何か不測の事態があってはいけないため、初日の今日はわたしもここへ泊まります。何かあれば起こしてくださいね」


 そして。


「それでは、おやすみなさい」


 数秒後。


 すう、と寝息が聞こえ始めた。


 安藤は目を瞬かせる。


「……本当に限界だったんだな」


 暖炉の火が揺れる。


 静かな部屋だった。


 だが、安藤の頭は冴えたままだった。


 病気や虫歯になったらどうする。


 抗生物質は存在しないかもしれない。


 異なる文明との接触は、未知の感染症を引き起こす危険もある。


 考え始めると止まらなかった。


 安藤は天井を見上げる。


「……早く帰りたい」


 その呟きを聞いたのか。


 ベッドの上のエリーゼの表情が、ほんの少しだけ曇った。

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