第二十二話 土魔術の攻城戦
グランフェルトの戦いはヴァルデン王国の勝利に終わった。
ルーシェ皇国軍は敗走し、ルドルフ四世自ら騎兵を率いて追撃を開始している。
安藤は近くの騎兵を呼び止めた。
「国王陛下へ伝えてください。リッターシュタットへ向かい、追撃のための兵を借り受けます」
「承知しました」
騎兵は馬首を返すと、王のいる方角へ馬を走らせた。
安藤もまた、数騎の護衛騎兵を伴い、西へ馬首を向ける。
目指すのはリッターシュタット。
ヴァルデン王国南東方面を守る堅城である。
グランフェルトで勝利した今、ルーシェ皇国軍は当面、侵攻する余力を失った。
ならば、城を守る兵を一部借り受け、追撃へ回した方が戦局全体に利益をもたらす。
そう判断したのだった。
◇
リッターシュタットでは、領主代理が政務を執っていた。
領主コンラート・フォン・ヘルヴィッツは、王の招集に応じて出陣しており、現在も城へは戻らず行軍を継続している。
ちょうど伝令によって勝利の報が届いた直後だったらしく、領主代理は安藤を見るなり深々と頭を下げた。
「アンディ殿、此度の戦勝、お見事でした」
「ありがとうございます」
「土魔術のお話は伝令から伺いました。敵の進軍路を読み、土壁によって戦場そのものを作り変えたと聞いております。あれがなければ、我が軍の被害はさらに大きくなっていたでしょう」
安藤自身も、その価値を改めて理解していた。
「お願いがあります」
安藤は率直に切り出した。
「ここリッターシュタットはしばらく安全です。追撃戦へ兵を回したい。騎兵を百騎ほど、お借りできないでしょうか」
領主代理は迷わなかった。
「現在の敵情ならば、城の守備兵を減らしても問題はありません。ですが、念のため歩兵ではなく騎兵を中心に編成しましょう」
「こちらとしても、機動力のある騎兵の方がありがたい」
「コンラート様も同じご判断をなさるでしょう」
すぐに命令が下り、ヘルヴィッツ・リッターの中から軽騎兵百騎が集結する。
しかし、安藤の表情は晴れなかった。
(魔術師がいない……)
期待していた魔術師の増援は得られなかった。
グランフェルトでは、ヴァルデン王国側の魔術師は人数不足を補うため、序盤から魔術を惜しみなく投入した。
その結果、安藤を除く魔術師は魔力をほぼ使い果たしていた。
彼らは追撃戦に参加できる状態ではなく、後方へ下がるしかなかった。
一方、敗走するルーシェ皇国軍では、重騎兵の突撃によって軍勢そのものが崩壊したものの、生き残った魔術師の中には魔力を温存している者がいる可能性があった。
つまり、ヴァルデン王国軍で今すぐ戦力として使える魔術師は、安藤ただ一人だった。
(やっぱり足りない)
安藤は以前、全国の教会台帳を統一し、住民の魔力量と魔術属性を記録させた。
それも、魔術適性を持つ者を育成し、王国の魔術戦力を増やすためだった。
魔術適性を持つ子どもを早期に発見し、王都で教育を施す。
王国全体の魔術師を計画的に増やさなければならない。
その必要性を、改めて痛感していた。
◇
安藤は百騎の騎兵を率い、アウエンハーフェンへ到着した。
城はすでにヴァルデン王国軍によって包囲されていた。
その中心には、アイゼンブルク領主オットー・フォン・グライフェン率いる重騎兵団。
そして、ヘルヴィッツ・リッター本隊を率いるコンラート・フォン・ヘルヴィッツの姿もあった。
「アンディ殿!」
コンラートは豪快に笑った。
「百騎、借りてきました」
「助かる。陛下も喜ばれるだろう」
オットーが地図を広げた。
「陛下とヴォルフラム殿の軍は、敗走する皇国軍を追撃中です。その後方を西部諸侯軍とヴィクトル・アイゼンハルト率いる傭兵団が続いています。この勢いなら、そのまま国境を越えるかもしれませんな」
「アウエンハーフェンの様子は?」
安藤が城を見上げる。
「あの城へは、皇国大将軍ドミトリー・コルサコフが入城しています」
オットーは肩をすくめた。
「敵は籠城戦を選んだようです」
「そういえばアンディ殿」
コンラートが笑みを浮かべた。
「陛下から大事な伝言を預かっている」
「伝言?」
「『土魔術をもってアウエンハーフェンを攻略してみせよ。成功すれば爵位を与える』とのことだ」
安藤は思わず苦笑した。
「俺が領地も爵位も望んでいないことくらい、陛下も分かっているはずなのに」
「だからこその発破だろう」
コンラートは豪快に笑う。
「攻城兵器も用意しておらん。さて、どうやって城を落とす?」
安藤は改めて城壁を見上げた。
アウエンハーフェンは典型的な城砦都市だった。
街全体が高い石造りの城壁で囲まれ、その外側には幅広い堀が巡らされている。
正面から攻めれば、多くの兵を失う。
(俺の土魔術は、防御より攻撃向きだ)
地形そのものを書き換える。
それが安藤の魔術だった。
普通の魔術師なら、火球を放ち、雷を落とし、敵を直接攻撃する。
だが、安藤の魔術は違う。
敵を倒すためではなく、戦場そのものを変えるための力だった。
それは魔法というより、工兵の仕事に近い。
城壁を崩す。
地下へ坑道を掘る。
川をせき止め、水攻めにする。
あるいは巨大な土塁を築き、そのまま敵陣へ押し込む。
思いつく方法はいくつもあった。
だが――。
(城壁を壊したら、この街の復旧が大変だ)
ここは奪い返すべき自国の都市である。
敵の城ではない。
できる限り傷を残さず攻略したい。
安藤はしばらく黙って城壁を眺めていた。
そして、不意に口元を緩める。
「そうか」
誰にも聞こえないほど小さく呟いた。
「壊す必要なんて、ないじゃないか」
◇
その頃。
アウエンハーフェン城内。
ルーシェ皇国大将軍ドミトリー・コルサコフは、静かに城壁の上から敵陣を見つめていた。
ヴァレンティン九世はすでに撤退している。
殿軍はアレクセイ・ドラゴミロフ。
副官セルゲイ・ヴォルコフも健在。
魔術師ミハイル・ヴォローニン。
その弟子イワン・オルロフ。
有能な彼らなら、本隊を本国まで無事に帰還させるだろう。
自分の役目は違う。
ここで敵を引き留めること。
一刻でも長く。
一人でも多く。
ヴァルデン王国軍へ損害を与えること。
それだけだった。
しかし、報告は受けていた。
王国が召喚した異世界人。
常識外れの魔力量を持つとも噂される土魔術師。
数日間、不眠不休で山を削り、街道を築き、巨大な隧道まで掘り抜いた男。
もし、その男がここへ来たら。
(この城壁は……本当に意味があるのか)
一瞬だけ、その考えが頭をよぎる。
だが、すぐに打ち消した。
一戦も交えず城を放棄すれば、兵の士気は下がり、皇国の威信も地に落ちる。
ここは戦うしかない。
勝つためではない。
皇国が生き延びるために。
時間を稼ぐために。
それが、自分へ与えられた最後の使命だった。
◇
安藤は城壁の前へ立つと、ゆっくり周囲を見渡した。
「攻めるのは西側だけにします」
オットー・フォン・グライフェンが頷く。
「他の三方は?」
「そのまま残します」
コンラートも意図を察したように笑う。
「逃げ道を残すということか」
「ええ。追い詰めれば敵は死兵になります」
安藤は西側城壁だけを指差した。
「北門、東門、南門は開けておいてください。もし敵が逃げるなら、それで構いません」
オットーは即座に部下へ命じた。
「西門正面へ兵を集中させよ。他の三方は監視のみでよい」
コンラートも続ける。
「敵が西門から打って出れば迎え撃つ。他の門から逃げるなら、城外で騎兵が追撃する」
命令はすぐ全軍へ伝わった。
安藤は右手に持った杖を地面へ向けた。
そして静かに土魔術を詠唱する。
地面が低く唸った。
城壁へ向かって、大地がわずかに盛り上がっていく。
その光景を見た皇国兵は、何が起きているのか理解できなかった。
城壁を破壊するのではない。
城壁そのものへ、道を作ろうとしている。
ドミトリー・コルサコフは、城壁の上からその光景を見つめていた。
これは、いまだかつて誰も経験したことのない攻城戦だった。
坂は止まらなかった。
ゆっくりと、しかし確実に城壁へ向かって伸びていく。
まず一本。
続いて、その少し南側へもう一本。
城門だけは避ける。
城門は内側から開けば、そのまま味方の進入口となる。
「な……」
城壁の上から見守っていた皇国兵は、目の前の光景に絶句した。
「何だ、あれは……!」
坂は止まらない。
大地そのものが、ゆっくりと城壁へ近づいていく。
「弓兵!」
指揮官の怒号が飛ぶ。
「撃て!」
無数の矢が降り注ぐ。
だが、大盾歩兵が安藤の前へ幾重にも壁を築く。
矢は盾へ突き刺さるだけだった。
「投石だ!」
今度は石が降る。
鈍い音が響く。
それでも安藤は一歩も動かなかった。
土魔術は止まらない。
城壁の上からできることは、それだけだった。
矢を放ち、石を落とす。
しかし、造成され続ける坂そのものを止める術はない。
掘って崩そうにも、届かない。
打って出れば、城壁という最大の利点を自ら捨てることになる。
ドミトリーは城壁の上から、その光景を見つめていた。
城壁は、本来なら敵を拒むために存在する。
だが今、その城壁は敵へ道を与える高台へ変わろうとしていた。
その瞬間、ドミトリーは理解した。
これはもう攻城戦ではない。
敗北までの時間を計る戦いなのだ。
それでも命令は変わらない。
「持ち場を離れるな!」
将兵たちへ叫ぶ。
「一刻でも長く敵を止めろ!」
誰も逃げなかった。
敗北を悟りながらも、それぞれが持ち場へ立ち続ける。
◇
数時間後。
二本の坂は、ついに城壁と同じ高さへ到達した。
「前進!」
ヴァルデン王国軍の大盾歩兵が坂を駆け上がる。
城壁の上で白兵戦が始まった。
狭い城壁の上では、大盾歩兵が圧倒的な強さを見せる。
皇国弓兵は次々と討ち取られた。
「城門を開けろ!」
内側へ突入した兵士たちが門楼を制圧する。
重い城門が軋みながら開いていく。
待機していた騎兵と歩兵が雪崩れ込んだ。
「最後まで戦う!」
ドミトリー・コルサコフは剣を抜いた。
逃げなかった。
降伏もしなかった。
その前へ、コンラート・フォン・ヘルヴィッツが進み出る。
「見事だった」
「皇国軍人として当然の務めだ」
二人の剣が激しくぶつかり合う。
数合の末。
コンラートの剣がドミトリーの胸を貫いた。
皇国の大将軍はゆっくりと膝をつく。
「……時間は、稼いだか」
それが最後の言葉だった。
その日のうちにアウエンハーフェンは陥落した。
歓声が街中へ響き渡る。
ヴァルデン王国は、ついに東の要衝を奪還したのである。
しかし安藤は、その歓喜の輪へ加わらなかった。
「魔術師の数が足りない」
静かにそう呟く。
「追撃に加わります」
コンラートは黙って頷いた。
「ヘルヴィッツ・リッター百騎、そのまま貸し出そう」
「ありがとうございます」
安藤は再び馬へ跨った。
目指す先は東。
すでに国境を越えて追撃を続けるルドルフ四世の軍勢だった。
国家運営や経済なら、自分にも役に立てる知識がある。
だが、戦争は違う。
火器が存在する以前の戦術も、この世界特有の魔術戦も、安藤の知識では判断できなかった。
そうした戦い方は、現代では継承されなくなっているからだ。
この分野では、自分の知識は武器にならない。
戦場での判断は、この世界の将軍たちに任せるべきだ。
だから彼らの領分に口を出すつもりはない。
それでも、一つだけ気掛かりなことがあった。
国王自ら敵国へ踏み込んでいるという事実だった。
報告では、ルドルフ四世の追撃は順調に進んでいる。
しかし、戦場では最後の瞬間まで何が起こるか分からない。
黒田は無事だろうか。
まずは友軍へ追いつく。
そのため、安藤は百騎の騎兵とともに再び馬を走らせた。




