第二十一話 グランフェルト会戦(後編)
「左右の敵騎兵を押し返せ!」
「重装歩兵を向かわせろ!」
ドミトリー・コルサコフの怒号が戦場へ響き渡る。
その直後だった。
轟音。
皇国軍の目前を塞いでいた巨大な土壁が、一斉に崩れ始めた。
土煙が空高く舞い上がる。
兵士たちは思わず目を覆った。
「何だ!?」
「見えん!」
数瞬後。
風に流された土煙の向こうから現れたのは――
中央。
王直属軍。
白銀の甲冑をまとったルドルフ四世を先頭に、槍を構えた重騎兵たちが、怒涛の勢いで突撃してきていた。
「正面の敵を迎え撃て!」
「隊列を崩すな!」
ドミトリーの命令は正しかった。
しかし、それを実行する時間が足りない。
土壁への対処。
左右からの騎兵急襲。
その対応に兵を割いた直後だった。
そこへ、今度は正面から王国軍本隊が雪崩れ込んできたのである。
皇国最前列。
軽装の魔術師たちが慌てて杖を構える。
「撃て!」
火球が生成される。
雷撃が走る。
暴風が唸る。
しかし、間に合わない。
「突破しろぉぉぉっ!!」
ヴァルデン王国騎兵隊が、そのまま魔術師部隊へ突っ込んだ。
槍が閃く。
悲鳴が上がる。
軽装ゆえに防御力の低い魔術師たちは、騎兵突撃に耐え切れない。
盾兵たちが必死に割って入る。
「魔術師を守れ!」
重装歩兵も続々と前へ出る。
だが、一度乱れた陣形は容易には戻らなかった。
◇
一方、ヴァルデン王国軍。
アーデルは前線を一瞥すると、すぐに後方へ向き直る。
「魔術師部隊、全員後退!」
「弓兵も下がれ!」
命令は簡潔だった。
十八人の魔術師たちは、もはや限界だった。
杖を支えにしなければ立っていられない者もいる。
ロッティも肩で息をしていた。
「皆さん、急いでください!」
負傷者を支えながら後退する。
ジークも苦笑した。
「もう火花一つ出せる気がしない」
「生きているだけで十分です」
アーデルは静かに答えた。
「役目は果たした」
「ここからは騎兵の戦いだ」
魔術師たちは大きく息を吐いた。
誰も悔しそうな顔はしていない。
全員が理解していた。
自分たち単独で勝つのではなく、この瞬間を作るために戦ったのだと。
◇
ただ一人、その場へ残る男がいた。
安藤悠真。
戦場中央。
誰もいなくなった場所へ静かに立つ。
杖を握る。
再び目を閉じた。
「アンディ」
アーデルが振り返る。
「頼んだぞ」
安藤は答えない。
ただ、小さく頷いた。
次の瞬間。
再び低い詠唱が始まる。
◇
皇国軍本陣。
ドミトリーは戦場を睨み続けていた。
王国軍主力。
左右の騎兵。
魔術師部隊の後退。
そして、戦場中央へ残った黒髪の青年。
「あの男……」
副官も気付く。
「また土魔術です!」
ゴゴゴゴゴ……
地面が低く唸る。
しかし今度は横ではない。
一点だけ。
大地が盛り上がっていく。
「何だ?」
「塔……?」
盛り上がった土は、空へ向かって伸び始めた。
五メートル。
十メートル。
二十メートル。
なお止まらない。
まるで巨大な円柱だった。
戦場の誰もが思わず動きを止める。
「あれは何を作っている……」
兵士たちが見上げる。
敵も味方も関係ない。
これほど巨大な土魔術は、誰も見たことがなかった。
やがて、円柱状の巨大建造物は、戦場のどこからでも見える高さまでそびえ立った。
青空を突き刺すような土の塔。
ドミトリーは眉をひそめる。
「攻撃……ではない?」
副官も困惑する。
「見張り台でしょうか」
ドミトリーはゆっくり首を振った。
「違う。誰も乗っていない」
「ならば何だ」
答えは誰にも分からない。
だが、あの男が意味のない土魔術を使うとは思えなかった。
「警戒を怠るな!」
「何か来るぞ!」
その命令だけが、戦場へ響いた。
◇
戦場の遥か北西。
程よく距離を置いた小高い丘の上。
ヴィクトル・アイゼンハルト率いる傭兵団。
そして王国西部諸侯による連合軍。
合わせて五千。
彼らは、まだ一兵たりとも戦場へ入っていなかった。
眼下では主力同士の激戦が続いている。
それでも誰一人として丘を下りない。
「まだだ」
先頭へ立つ傷だらけの男が短く言った。
ヴィクトル・アイゼンハルト。
四十を過ぎた顔には無数の古傷が刻まれている。
肩まで伸びた髪。
伸び放題の髭。
幾度もの戦場を潜り抜けてきた歴戦の傭兵団長だった。
副官が戦場を見つめる。
「ですが、本隊が……」
「俺たち五千だけで突っ込めば、敵の十五万に飲み込まれる」
ヴィクトルは視線を戦場から動かさない。
「丘を下りるのは合図が出てからだ」
契約は絶対だった。
安藤が土の塔を築くまで、戦場へ入るな。
それだけが彼らに与えられた命令だった。
不用意に近づけば、各個撃破される恐れもある。
誰も異を唱えない。
それが、この戦場で生き残ってきた男の判断であり、金で雇われた傭兵たちの流儀でもあった。
◇
やがて、副官が遠くの戦場を指差した。
「団長!」
「合図です!」
戦場中央。
巨大な土の塔が、青空を突き刺すようにそびえ立っていた。
丘の上からでも見失うことのない高さ。
ヴィクトルは小さく笑う。
「ようやくか」
ゆっくりと剣を抜いた。
刀身が陽光を受けて鈍く光る。
「合図だ」
静かな一言だった。
しかし、その一言だけで二千の傭兵たちの表情が変わる。
隣では、西部諸侯連合軍の諸侯たちも次々と剣を抜いた。
ヴィクトルは丘の下を指差す。
「全軍」
一拍置く。
「突撃だ!」
「おおおおおおおっ!」
五千の雄叫びが丘を震わせる。
軍馬が一斉に駆け出した。
歴戦の傭兵団と西部諸侯連合軍が、雪崩のように坂を駆け下りる。
まだ皇国軍は、誰一人としてその存在に気付いていなかった。
◇
戦場中央。
王国軍の突撃は止まらない。
「右翼前進!」
「グライフェン家、続け!」
アイゼンブルク領主、オットー・フォン・グライフェンが剣を振る。
「おおっ!」
長男の歩兵隊。
次男の騎兵隊。
家臣団が一斉に前へ押し出す。
親子で築き上げた陣形だった。
皇国歩兵が次々と押し返されていく。
「前へ!」
「今だ!」
王国兵の士気は最高潮だった。
◇
だが、皇国軍にも一人、戦場の流れを変える男がいた。
セルゲイ・ヴォルコフ。
黒い軍馬へ跨り、巨大な大剣を肩へ担ぐ。
皇帝より貸与された国宝級の魔剣。
刀身へ刻まれた魔法陣が淡く輝いている。
「邪魔だ」
静かな一言。
次の瞬間だった。
ブォンッ!!
大剣が横薙ぎに振るわれる。
槍ごと。
騎兵ごと。
二人まとめて吹き飛んだ。
「なっ……!」
王国兵が目を見開く。
普通ではない。
あの大剣は、本来なら片手で扱えるような重さではなかった。
だがセルゲイは片腕だけで振り回している。
しかも速い。
「退け」
再び一閃。
槍が折れる。
盾が砕ける。
軍馬ごと騎士が地面へ叩き付けられた。
瞬く間に十数騎が倒れる。
その進路だけが、まるで巨大な鎌で刈り取られたように空白となった。
◇
「こいつ化け物か……!」
ラルフが思わず呻く。
隣を走る黒田も息を呑んだ。
「強い……!」
ここまでの相手とは明らかに違う。
一騎当千。
その言葉が似合う男だった。
「行くぞ!」
ラルフが槍を構える。
黒田も続く。
二騎同時。
左右から挟み込む。
セルゲイは僅かに笑った。
「ようやく骨のある相手か」
大剣が閃く。
ガァンッ!!
ラルフの槍が弾かれる。
その勢いのまま、黒田へ切り返す。
「っ!」
黒田は辛うじて受け流した。
腕へ痺れが走る。
(重い……!)
違う。
ただ重いだけではない。
剣そのものへ魔力が宿っている。
まともに受ければ、槍ごと叩き折られる。
「離れるな!」
ラルフが叫ぶ。
「同時に仕掛ける」
「分かってる!」
二人掛かり。
それでも押される。
セルゲイは笑みすら崩さない。
「悪くない」
「だが、まだ甘いな」
大剣が地面を薙ぐ。
二頭の軍馬が同時に飛び退いた。
◇
その様子を見たヴォルフラム・アイゼンは即座に馬首を返した。
「どけ!」
王国騎兵が左右へ散る。
騎士団長自ら前へ出る。
ガァァンッ!!
剣と大剣が激突した。
互いの軍馬が数歩後退する。
セルゲイが初めて真顔になる。
「ほう」
「貴様が騎士団長か」
ヴォルフラムは短く答えた。
「そうだ」
一合。
二合。
三合。
鋼が火花を散らす。
周囲の兵は誰も近付けない。
強者同士の間合いだった。
しかし、ヴォルフラムはそれ以上追わなかった。
剣を引き、ラルフと黒田へ命じる。
「十分だ」
「二人とも、そのまま奴を押さえろ」
一瞬だけセルゲイを見る。
「倒す必要はない」
「誰とも戦わせるな」
「俺が先に本隊を崩す」
「はっ!」
ラルフが応じる。
ヴォルフラムは迷わず馬首を返した。
「全軍!」
「前進!」
騎士団長は再び軍全体の指揮へ戻る。
その判断は正しかった。
一人の強敵へ時間を使うより、戦場全体を勝たせる方が重要だった。
◇
セルゲイは去っていくヴォルフラムの背を見送り、小さく笑った。
「なるほど」
「将としては正解だ」
再び視線を前へ戻す。
そこにはラルフと黒田。
二人とも槍を構え直していた。
「では」
「続きを始めようか」
再び大剣が唸る。
ラルフと黒田は歯を食いしばった。
勝つ必要はない。
この男を、この場へ縛り付ける。
それだけが二人へ与えられた任務だった。
◇
その頃、戦場中央。
ドミトリー・コルサコフはなお戦場を見据えていた。
王国軍は正面から押し込んでくる。
左右両翼では騎兵同士が激しくぶつかり合っている。
セルゲイ・ヴォルコフも奮戦し、崩れかけた戦線を必死に支えていた。
それでも、頭から離れないものがあった。
戦場中央に聳え立つ、あの巨大な土の塔。
「……あれは何だ」
静かに呟く。
攻撃ならば、配置転換の時間稼ぎならば、先ほどの土壁で十分なはずだ。
防御にも使えない。
見張り台でもない。
ならば、何のために築いた。
嫌な予感だけが胸へ残る。
◇
その時だった。
一人の伝令が全速力で駆け込んできた。
「大将軍!」
「北西方向!」
「新たな敵騎兵です!」
ドミトリーの目が見開かれる。
「何だと」
「その数、約五千!」
「丘の向こうから突撃してきます!」
その瞬間、ドミトリーの胸に、一つの考えがよぎる。
「なるほど……そういうことか」
静かに息を吐く。
副官が振り向く。
「大将軍?」
直後、丘を駆け下りた五千騎が、皇国軍の背後へ殺到した。
「敵襲!」
「後ろだ!」
「まだ敵がいたぞ!」
皇国軍の隊列は、三度目の大混乱へ陥った。
◇
乱戦状態になりつつあった主戦場へ、五千の騎兵が雪崩れ込む。
「突撃!」
ヴィクトル・アイゼンハルトが剣を振り下ろした。
歴戦の傭兵たちが雄叫びを上げる。
王国西部諸侯連合も、それに続いた。
丘を駆け下りた勢いそのままに、皇国軍の側背へ襲い掛かる。
「敵だ!」
「まだ伏兵がいたのか!」
「隊列を立て直せ!」
皇国軍は必死に応戦する。
だが、すでに中央では王直属軍とグライフェン家の重騎兵。
左翼ではヴォルフラム率いる騎兵隊。
右翼ではコンラート率いる騎兵隊。
三方向から押し込まれている。
そこへ、新たな五千。
包囲は完成しつつある。
ついに皇国軍の隊形は大きく歪み始めた。
◇
オットー・フォン・グライフェンは剣を掲げる。
「右翼!」
「押し込め!」
「第一陣、前進!」
「第二陣、交代!」
長男が歩兵を率いる。
次男が騎兵を率いる。
疲弊した兵が一歩退けば、新たな兵が前へ出る。
連携のとれた波状攻撃。
家臣団全体が、一つの生き物のように動いていた。
「ここは我らグライフェン家が支える!」
「続けぇぇぇっ!」
オットーはなおも前進を続ける。
◇
その頃、セルゲイ・ヴォルコフは再び大剣を振るっていた。
ガァンッ!!
黒田の槍が大きく弾かれる。
「くっ……!」
その隙をラルフが埋める。
槍を突き出す。
セルゲイは身体を半身にずらすだけで避けた。
「息は合っている」
「だが、まだ甘い」
大剣が唸る。
二人は後退を余儀なくされた。
それでも前へ出る。
勝つためではない。
この男を、ここへ縛り付けるためだった。
黒田は歯を食いしばる。
まともに受ければ、槍ごと持っていかれる。
力を逃がす。
受け止めず、逸らす。
それでも腕の芯が痺れる。
セルゲイは二人の動きを見て、わずかに口元を緩めた。
「勝てぬ相手を足止めするか」
一拍。
「賢しい」
大剣を肩へ担ぐ。
「だが、いつまで保つ」
その間にも、王国軍は着実に前進していた。
◇
ルーシェ皇国軍本隊。
ドミトリー・コルサコフは静かに全軍を見渡していた。
押されている。
いや、戦線そのものが崩れ始めている。
兵数はなお優位。
しかし、戦場では王国軍の方が活動的に見える。
中央。
左翼。
右翼。
さらに背後。
交戦の接点が増えれば増えるほど、数の優位は薄れていく。
一度に戦える兵には限りがある。
大軍であっても、前に出られない兵は戦力にならない。
今の皇国軍は、まさにその状態へ追い込まれていた。
「……見事だ」
誰へ向けた言葉でもない。
副官が息を呑む。
ドミトリーは続けた。
「相手が寡兵だからという油断はなかった」
「慢心もない」
「すべての局面で、常に最善を選んだ」
一拍置く。
「それでも敗れた」
副官は言葉を返せない。
ドミトリーの視線は、遠くの土壁跡へ向けられていた。
「あの土魔術に、殺傷力はほとんど無い」
「しかし」
彼は静かに目を細める。
「土壁」
「土手」
「崩壊」
「そして塔」
「……すべてだ」
副官が顔を上げる。
「すべて、とは」
「あの男は、大規模土魔術が生み出す現象そのものを、全軍への合図として利用した」
ドミトリーは、戦場を見渡す。
「壁が現れれば、両翼が動く」
「土手が築かれれば、弓兵が上がる」
「壁が崩れれば、中央が突撃する」
「塔が立てば、離れた丘の伏兵が攻撃に加わる」
副官の顔色が変わった。
ドミトリーは低く続ける。
「狼煙では見えぬ場所がある」
「旗では届かぬ」
「伝令では遅い」
「だが、あの土魔術ならば違う」
「戦場のどこにいても見える」
「誰もが同じ瞬間に理解できる」
沈黙。
ただ戦場の轟音だけが響く。
「我らは十五万で戦った」
「だが奴らは」
静かに息を吐く。
「七万ではない」
「一つの軍として戦った」
副官は言葉を失った。
ドミトリーはさらに続ける。
「恐ろしいのは土魔術そのものではない」
「あの土魔術によって、七万の軍を一つの意思として動かしたことだ」
その声には、敗北の悔しさよりも、敵を認める冷静さがあった。
◇
その時、一人の伝令が馬を飛ばしてきた。
「大将軍!」
「皇帝陛下が戦場を離脱されます!」
ドミトリーはゆっくり頷いた。
「当然だ」
これ以上、本陣を危険へ晒す理由はない。
ヴァレンティン九世が無事ならば、皇国はまだ戦える。
ここで皇帝を失うことだけは、何としても避けなければならない。
「全軍へ伝えろ」
「撤退を開始する」
副官が目を見開く。
「撤退、ですか」
「ああ」
ドミトリーは短く答えた。
「このまま続ければ、損害だけが増える」
「もはや王都攻略も不可能だ」
「これ以上、この場に兵を溶かす意味はない」
決断は早かった。
敗北を認めることもまた、将の仕事だった。
「アレクセイ・ドラゴミロフ、セルゲイ・ヴォルコフの両名には、殿を務めるよう伝えよ」
「皇帝陛下への追撃を許すな」
「はっ!」
伝令は再び馬を走らせた。
ドミトリーは最後にもう一度、戦場中央の土の塔を見た。
「アンディ……か」
小さく呟く。
「覚えておくべき名だな」
◇
皇国軍の軍旗が、ゆっくりと後退を始めた。
一人の兵が走る。
二人。
三人。
やがて十人。
百人。
敗走は波紋のように全軍へ広がっていく。
「敵が退くぞ!」
「勝った!」
「追えぇぇぇっ!」
王国軍の歓声が戦場を包んだ。
なお各所では散発的な戦闘が続いていたが、大勢はすでに決していた。
グランフェルト会戦。
王国の命運を懸けた決戦は、ヴァルデン王国軍の勝利で幕を閉じようとしていた。
◇
後方へ退避していた魔術師部隊でも、勝利を知るや歓声が沸き起こる。
「勝った!」
「本当に勝ったぞ!」
「やりました!」
魔力を使い果たした魔術師たちが、互いの肩を叩き合う。
その輪の中心へ、安藤が歩いてきた。
「アンディ殿!」
「さすがです!」
「あなたのおかげです!」
次々と声が飛ぶ。
安藤は照れ臭そうに頭を掻いた。
「いや……」
「みんなが時間を稼いでくれたおかげですよ」
その言葉を聞き、アーデルが静かに首を横へ振る。
「違う」
「わたしたちは役目を果たしただけだ」
一歩近付く。
「この勝利を作ったのは、おまえだ」
周囲の魔術師たちも静かに頷いた。
安藤は困ったように笑うしかなかった。
◇
しかし、アーデルはすぐに表情を引き締める。
「喜ぶのは後だ」
安藤も真顔へ戻った。
「わたしを含め、魔力の枯渇した魔術師たちは当分役に立たない」
周囲を見回す。
座り込んだまま動けない者。
杖を支えに立っている者。
誰もが限界だった。
「だが、おまえは違う」
アーデルは安藤を見る。
「陛下は恐らく、この勢いに乗じてアウエンハーフェンを奪還されるおつもりだ」
「攻城戦でも、おまえの土魔術は必ず役に立つ」
一拍置く。
「頼めるか」
安藤は力強く頷いた。
「もちろんです」
「任せてください」
アーデルは小さく笑った。
「そう言うと思っていた」
◇
追撃へ向かう騎兵隊が、次々と隊列を整え始める。
安藤も近くの軍馬へ歩み寄った。
その後ろから、重い足音が付いてくる。
ドシン。
ドシン。
振り返る。
フィジコだった。
当然のように追撃へ加わるつもりらしい。
安藤は苦笑した。
「フィジコ……」
「今回は留守番だ」
しかしフィジコは止まらない。
なおも一歩前へ出る。
安藤はその腕と足へ視線を落とした。
魔力供給用の腕輪。
四つあるうち、二つが砕けている。
矢は受けていないはずだ。
だが、敵魔術の衝撃が蓄積し、耐え切れなかったのだろう。
「やっぱり駄目か……」
小さく呟く。
この状態で騎馬による追撃へ連れて行くのは危険だった。
フィジコはそもそも、機動力が重視された設計ではない。
◇
「フィジコ」
「みんなと王都へ帰れ」
そう命じる。
フィジコは首を傾げるだけだった。
安藤は少し考える。
どう言えば伝わるだろうか。
数秒後、ふと視線がロッティへ向いた。
「そうか」
安藤はもう一度フィジコを見る。
「フィジコ」
「ロッティのそばにいろ」
フィジコはじっと安藤を見つめる。
まだ動かない。
安藤は少し笑って言葉を続けた。
「ママを守れ」
その瞬間だった。
フィジコはゆっくりと踵を返す。
迷うことなくロッティの隣まで歩いていった。
ロッティは思わず吹き出す。
「ベルちゃん」
土の巨人は何も答えない。
ただ彼女の横へ立ち、周囲を見渡した。
まるで本物の護衛騎士だった。
「ふふっ」
ロッティは優しくその腕へ触れる。
「よろしくね」
◇
安藤はその姿を見届け、小さく頷いた。
安藤と距離が離れれば、フィジコへの魔力供給はじき途絶える。
だが、胸部の魔導核へ蓄えられた魔力だけでも、王都へ帰還するには十分だ。
敵に鹵獲される心配もない。
安藤は軍馬へ跨る。
手綱を握る。
前方では、すでに追撃部隊が走り始めていた。
アーデルが静かに声を掛ける。
「アンディ」
安藤が振り返る。
「気を付けろ」
短い一言だった。
だが、それだけで十分だった。
安藤は笑みを浮かべる。
「はい」
馬腹を軽く蹴る。
軍馬が勢いよく駆け出した。
その背を、アーデルとロッティ、そしてフィジコが静かに見送る。
グランフェルト会戦は終わった。
王国軍の進軍は、止まることなくアウエンハーフェンへ向かう。




