表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
17/25

第十六話 暗殺者

 夜の職人街は静かだった。


 昼間は荷車と職人たちで賑わう石畳も、今は人影がまばらになっている。鍛冶場の火は落ち、木工所の扉も閉ざされていた。遠くから、酒場の笑い声がかすかに聞こえる。


 安藤は一人、王城への帰り道を歩いていた。


 今日も帰りは遅くなった。


 ケラー食堂へ顔を出し、ガレスの工房へ寄り、道路工事について職人たちと話し込んでいたのだ。舗装の厚み、排水溝の勾配、荷車がすれ違える幅。そんな話をしているうちに、あっという間に夜になっていた。


 ラルフたちは巡察任務のため別行動となり、王城までは一人で戻ることになっていた。


「働きすぎだな、俺」


 苦笑しながら夜空を見上げる。


 明日も早い。


 朝から街道工事の現場へ行き、その後は財務大臣と資材配分の打ち合わせがある。午後にはロッティへ算術を教える約束もしていた。


 忙しい。


 けれど、悪くはなかった。


 誰かが作ったものではなく、自分たちで国を変えていく感覚がある。


 王都の夜は平和だった。


 少なくとも、安藤はそう思っていた。


 細い路地へ入った、その時だった。


 前方に二人。


 後方に二人。


 音もなく、男たちが現れた。


 黒い外套。


 軽装の革鎧。


 顔は布で覆われている。


 剣士が二人。


 魔術師が二人。


 安藤は立ち止まった。


「……また強盗か?」


 返事はない。


 四人とも、一言も発しない。


 ただ、ゆっくりと間合いを詰めてくる。


 安藤は左右へ視線を走らせた。


 脇道はない。


 両側は石壁。


 窓も高い。


 逃げ場はなかった。


 背筋へ冷たいものが走る。


 強盗なら金を要求する。


 脅しもする。


 だが、この四人は違った。


 殺す。


 それだけが目的。


 そんな静かな圧力だけが伝わってくる。


 路地の入口近くを、酔客らしき男がふらつきながら歩いていた。


 安藤は思わずそちらへ視線を向ける。


 だが、男はこちらを見なかった。


 四人の黒い外套にも、抜かれかけた剣にも気付かないまま、笑い声を漏らして通り過ぎていく。


 前方の魔術師が杖を掲げた。


 低い詠唱が路地へ響く。


「……認識阻害……」


 続いて後方。


「……沈黙……」


 安藤は目を細めた。


 細かな言葉までは聞き取れない。


 だが、魔術であることだけは分かる。


 背中へ冷や汗が流れた。


(何だ……)


(何で俺なんだ)


 魔物ではない。


 ドラゴンでもない。


 人間が、明確な意思を持って、自分を殺そうとしている。


 しかも理由が分からない。


 ライバル店の嫌がらせか。


 いや、そんな生易しいものではない。


 その時、後方の魔術師が突然、苦しそうに顔を歪めた。


「沈黙の魔術が……効かない」


 安藤は思わず振り返る。


 魔術師は膝をつきかけていた。


「魔力量が……異常だ」


 沈黙。


 次の瞬間。


「眠りへ切り替えろ」


 もう一人が、思わず声を漏らす。


「情報が違う……」


 その声を、命令した男が視線だけで制した。


 安藤は理解した。


 こいつらは、殺し慣れている。


 戦って勝つ必要はない。


 生き残る。


 逃げればいい。


 その一択だった。


 杖を前へ突き出す。


「土壁!」


 轟音。


 石畳が割れ、大地が盛り上がる。


 屋根を越える巨大な土壁が路地を塞いだ。


 前方の二人が壁の向こうへ消える。


 安藤は迷わず後ろを向く。


 土壁によって前方の二人は分断できた。


 残るは後方の二人。


 そのうち魔術師は、なお膝をついたままだ。


 突破するなら今しかない。


 そう思った瞬間。


 家々の窓が一斉に開いた。


「何だ今の音!」


「地震か!」


「いや、壁だ!」


「壁が出来てるぞ!」


 認識阻害の魔術が掛かっていたとしても、この規模の土魔術までは隠せなかったのだろう。


 安藤は内心で安堵する。


(気付いてくれた)


(街道巡察隊の兵舎は近い)


(衛兵が来る)


 目の前の剣士が静かに剣を抜いた。


 安藤も腰の木刀へ手を伸ばす。


 鉄と木。


 勝負になるとは思っていない。


 だから、正面からは斬り合わない。


 杖を地面へ向ける。


「揺れろ!」


 石畳が大きく波打つ。


 剣士の足が一瞬だけ浮いた。


 その隙へ木刀を振る。


 しかし、剣士は半歩だけ身を引いた。


 木刀は空を切る。


(速い)


 次の瞬間。


 細身の剣が閃いた。


 肩口。


 脇腹。


 二筋の赤い線が走る。


 遅れて激痛が襲ってきた。


「ぐっ……!」


 安藤は反射的に距離を取った。


 傷口が焼けるように熱い。


 浅い傷のはずなのに、嫌な熱が皮膚の奥へ染み込んでいく。


 剣士は追いすぎない。


 ゆっくり。


 一歩。


 また一歩。


 一定の歩幅で間合いを詰めてくる。


 怒りもない。


 焦りもない。


 任務を遂行するためだけの足取りだった。


 その無機質さが、何より恐ろしい。


 安藤は歯を食いしばる。


 まだ動ける。


 まだ逃げられる。


 安藤は木刀を構えた。


 眼前に迫る剣士を迎え撃つ。


 真正面から勝てる相手ではない。


 それでも立つしかなかった。


 剣が閃く。


 木刀で受ける。


 衝撃が腕へ突き抜けた。


 二撃目。


 受け流す。


 三撃目。


 再び肩口を浅く裂かれる。


 剣士は一つの動作も無駄にしない。


 追い詰める。


 逃がさない。


 それだけだった。


 安藤は一瞬だけ視線を落とす。


 石畳。


 それしか見ていない。


「揺れろ!」


 杖を叩き付ける。


 石畳が大きく波打った。


 剣士の体勢がわずかに崩れる。


 その一瞬。


 木刀が大きく横薙ぎに振り抜かれた。


 鈍い音が路地へ響く。


 木刀は剣士の側頭部を捉えた。


 男はその場へ崩れ落ちた。


 動かない。


 進路は開けた。


 あとは、この路地を抜けるだけ――。


 安藤は駆け出した。


 二歩。


 その瞬間だった。


 路地の出口に、一人の男が立っていた。


 土壁の向こうに取り残されたはずの剣士だった。


(そんな……)


 同時に背後から低い詠唱が響く。


「分解消去」


 巨大な土壁が、ゆっくりと砂へ還り始める。


 土壁はすぐには崩れない。


 その間に、剣士は別の路地を回り込んでいた。


 そして土煙の向こうに、先ほど命令を下していた魔術師が姿を現した。


 逃げ道を塞がれ、再び挟み撃ちとなった。


 剣士が踏み込んできた。


 木刀で受ける。


 重い。


 腕が痺れる。


 肩。


 腕。


 脇腹。


 浅い傷が次々と増えていく。


 傷は深くない。


 それなのに、身体が思うように動かない。


 傷口が焼けるように熱い。


 指先がじわりと痺れていく。


(何だ……)


(血を流しすぎたのか……?)


 違和感だけが募る。


 剣士は一定の速度で迫ってくる。


 焦らない。


 急がない。


 逃がさない。


 ただ、それだけだった。


 安藤は再び木刀を合わせる。


 今度は反応がわずかに遅れた。


 刃が腕を掠める。


「くっ……!」


 膝が沈む。


 視界が揺れた。


 その時だった。


「アンディ殿!」


 夜の路地へ怒声が響く。


 闇の向こうから、街道巡察隊の外套が駆け込んできた。


 続いて、いくつもの足音。


「衛兵だ!」


「こっちだ!」


 家々から飛び出してきた職人たちの声も重なる。


 魔術師は周囲を見回した。


 認識阻害では、もはやこの騒ぎは隠し切れない。


 一瞬だけ眉をひそめる。


「……想定外か」


 そう呟くと、即座に判断を下した。


「撤退」


 残っていた剣士が一歩前へ出る。


 魔術師を逃がすため、道を塞ぐ。


 魔術師は最後に短く呟いた。


「次の手へ移る」


 小さな詠唱。


「隠蔽」


 輪郭が夜闇へ溶けるように薄れていく。


 衛兵が路地へ飛び込んだ時には、魔術師の姿はすでに闇へ紛れていた。


「逃がすな!」


 ラルフが叫ぶ。


 しかし、目の前の剣士が立ちはだかった。


 鋼と鋼が激しくぶつかる。


 一合。


 二合。


 三合。


 暗殺者もまた一流だった。


 だが、装備が違う。


 ラルフは軍務院直属・街道巡察隊長として十分な武装を整えている。


 一方、暗殺者は潜入任務のため最低限の軽装だった。


 四合目。


 ラルフの剣が、その差を突く。


 剣士の胸を深々と貫いた。


 男はなお一歩踏み出そうとした。


 しかし、力尽き、その場へ崩れ落ちる。


 絶命。


「アンディ!」


 ラルフは剣を引き抜くと、すぐ安藤へ駆け寄った。


 その頃、先ほど木刀で倒された剣士が小さく身じろぎした。


 衛兵が素早く拘束する。


 男はゆっくりと目を開いた。


 そして笑う。


「へっ……」


 歪んだ笑みを浮かべ、安藤を見る。


「臓腑は裂いた」


「刃には毒も塗ってある」


「あれは助からん」


 そう言うと、自ら奥歯を強く噛み締めた。


「止めろ!」


 衛兵が押さえ込む。


 しかし間に合わない。


 口から白い泡が溢れる。


 全身が激しく痙攣する。


 数秒後。


 身体から力が抜けた。


 動かない。


 ラルフは険しい表情で息を吐く。


「服毒か……」


 安藤の視界はそこで暗く途切れた。


     ◇


 王城。


 医務室。


 安藤は寝台へ運び込まれた。


 外套は血で染まり切っていた。


 脇腹から流れる血が、白い寝台を赤く染めていく。


「回復魔術をかけろ!」


 医師の声が飛ぶ。


 二人の水魔術師が同時に詠唱を始めた。


 淡い青白い光が安藤を包む。


 しかし。


「止血できません!」


 一人が叫ぶ。


「出血が止まりません!」


 もう一人も傷口へ両手をかざしたまま首を振る。


「回復が追いつきません!」


 医師が傷口を確認する。


 その表情が変わった。


「深い……内臓まで達している」


 さらに傷口を調べ、顔色を失う。


「……毒だ」


「しかも見たことがない毒だ」


 医務室に緊張が走る。


「通常の蛇毒ではありません」


「この速度では、成人であっても十分も持たないでしょう」


 誰も言葉を失った。


 その時だった。


 安藤が激しく咳き込む。


「ごほっ!」


 大量の血が口から溢れた。


 寝台へ赤い飛沫が散る。


 医務室の空気が凍り付く。


 さらに。


 腕。


 首筋。


 頬。


 皮膚の色がゆっくりと黒ずみ始めていた。


 医師は安藤の瞳孔を確認し、脈を測る。


 静かに首を振る。


「毒が全身へ回っています」


「こうなってはもはや手遅れです」


 誰も言葉を続けられなかった。


 その時、医務室の扉が勢いよく開いた。


「アンディさん!」


 ロッティだった。


 息を切らしながら寝台へ駆け寄る。


 そして、立ち尽くした。


 血塗れの寝台。


 青白い顔。


 黒く変色し始めた皮膚。


 かすかな呼吸。


「そんな……」


 膝から崩れ落ちる。


 震える手で安藤の手を握った。


 冷たい。


 いつも温かいその手が、氷のように冷え切っていた。


「アンディさん……」


「アンディさん!」


 返事はない。


 ロッティの瞳から涙が溢れる。


「嫌です……」


「お願いです……」


「死なないでください……」


 涙が止まらなかった。


 アーデルが静かに口を開く。


「ロッティ」


 振り返る。


 いつもの厳しい表情だった。


「お前も回復魔術に加われ」


「魔力が尽きるまで続けろ」


 ロッティは何度も頷いた。


 涙を拭い、杖を握る。


「……はい!」


 澄んだ詠唱が医務室へ響く。


 水の魔力が安藤の身体へ流れ込んでいく。


 時間だけが過ぎていく。


 誰も口を開かない。


 ただ必死に魔力を送り続ける。


 やがて、裂けていた傷口が、ゆっくりと閉じ始める。


 止まらなかった出血も、少しずつ弱まっていく。


 水魔術師たちが顔を見合わせた。


「止まってきた……」


「回復速度が上がっている?」


 医師も驚きを隠せない。


「なぜだ……」


 アーデルは静かに安藤を見つめた。


「……魔力量か」


「回復魔術は、対象へ魔力を流し込む魔術だ」


「普通なら受け止めきれぬ魔力も、この男なら受け止められる」


「その膨大な魔力が、治癒を加速させているのだろう」


「それ以外に説明がつかん」


 誰も異論を挟めなかった。


 前例のない現象だった。


「続けろ」


 アーデルの一声で、水魔術師たちは再び詠唱を始めた。


 再び魔力が流れ込む。


 黒ずんでいた皮膚の色が、少しずつ元へ戻り始める。


 呼吸も落ち着いていく。


 医師が大きく息を吐いた。


「峠は越えました」


 医務室にいた全員が安堵の息を漏らす。


 ロッティだけは、なお安藤の手を握ったまま静かに泣いていた。


 どれほど時間が経ったのだろう。


 安藤の指先がわずかに動く。


「アンディさん?」


 ゆっくりと瞼が開く。


 ぼんやりと天井を見上げる。


 やがてロッティの顔を認めた。


「何で……泣いてるんだ……」


 かすれた声だった。


 ロッティは涙を拭うこともできない。


「馬鹿です……」


 安藤は乾いた唇をわずかに動かした。


「それより……水をくれ」


「口の中が……血だらけだ」


 一瞬、医務室が静まり返る。


 そして、張り詰めていた空気がふっと緩んだ。


 ロッティは泣き笑いのような表情で何度も頷く。


「本当に……馬鹿です」


 慌てて水差しへ手を伸ばした。


 その様子を見ながら、水魔術師たちもようやく肩の力を抜く。


 アーデルだけは表情を変えなかった。


 静かに衛兵へ視線を向ける。


「襲撃者たちは」


 衛兵は姿勢を正した。


「魔術師一人は取り逃がしました」


「魔術師一人を拘束しております」


「剣士一人は、ラルフ隊長との交戦で死亡しました」


「剣士一人は、服毒して自害しました」


 アーデルは小さく頷く。


「一人残っているなら十分だ」


 静かに衛兵を見据える。


「心配するな」


「口は、こちらで開かせる」


「精神魔術なら容易い」


 その一言に、医務室の空気がわずかに張り詰めた。


 誰も異論を挟まない。


 アーデルは踵を返す。


 静かに扉が閉まる。


 医務室には、安堵と疲労だけが残った。


 そして、その場にいた誰もまだ知らなかった。


 この夜の襲撃が、一人の土魔術師を狙った暗殺未遂では終わらず、ヴァルデン王国と宗教国家ルーシェ皇国を巻き込む戦いの幕開けとなることを。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ