第十三話 豊穣の報告
王都へ戻った一行を迎えたのは、秋の柔らかな風だった。
街道は以前より賑わっている。
荷馬車が増えた。
商人も増えた。
人の往来も多い。
安藤は窓の外を見ながら言った。
「人が増えてないか?」
「増えていますね」
シャハトが頷く。
「ヴァルク紙幣の流通も順調です」
「本当に変わるもんなんだな」
「変わるものですよ」
シャハトは少しだけ笑った。
「人間は案外単純ですから」
王都の城壁が見えてくる。
ロッティはどこか嬉しそうだった。
「帰ってきましたね」
「ああ」
安藤も頷く。
なんだかんだで、この王都も少しずつ居場所になりつつあった。
◇
王宮。
謁見の間。
国王ルドルフは機嫌が良かった。
「よくぞ戻った」
玉座から笑う。
玉座の傍らには王子マティアスの姿もあった。
「まずは巡幸の報告から聞こう」
エリーゼは順番に報告を始めた。
武官のヴォルフラム・アイゼン、文官のライナー・シャハトが、それぞれ補足する。
道中の街道整備。
領主らへのヴァルク紙幣交付。
アイゼンブルクでの坑道開発。
アウエンハーフェンでの視察。
魔物退治。
リッターシュタットでの蹴球試合。
「蹴球か」
ルドルフが笑う。
「先に報告書を読んだ」
「コンラートが夢中になっているようだな」
黒田も笑った。
「分かる」
「あれはハマる」
謁見の間に笑いが広がる。
「……蹴球」
マティアスも興味深そうに身を乗り出す。
「私も見てみたかったな」
その後、ハインリヒが一通の書状を取り出した。
「そういえばアンディ殿」
「アイゼンブルクから謝礼と感謝状が届いている」
「謝礼?」
安藤が首を傾げる。
「アイゼンブルクの温泉といえば分かるな」
ハインリヒが即答した。
黒田が吹き出した。
「あれか」
ルドルフも笑っている。
「地面を掘ったら温泉が出た件だ」
「そんな言い方されると事故みたいですね」
「事故だろう」
全員が頷いた。
否定できなかった。
ハインリヒが書状を読む。
「オットー・フォン・グライフェンより」
「温泉開発への謝礼として、一千万ヴァルクを贈る」
一瞬、部屋が静かになった。
「一千万?」
黒田が聞き返す。
「そんなに儲かるのか」
「温泉は金になるからな」
ハインリヒは即答した。
「宿泊と飲食」
「商人の往来」
「街の発展」
「税収増」
「謝礼としては安いくらいであろう」
さすが財務大臣だった。
話が現実的である。
ルドルフも満足そうに頷く。
「受け取っておけ」
「良い仕事をした」
安藤は少し困った顔になる。
「俺は穴掘っただけです」
「謙遜するな」
王は首を振った。
「お前たちは王国に富をもたらしている」
その言葉には重みがあった。
謁見の間にいた者たちも否定しない。
事実だったからだ。
「既に王都の商会へ預けられています」
ハインリヒが続ける。
「いつでも引き出せるぞ」
黒田が安藤を見る。
「急に金持ちだな」
「そうなのか?」
「そうだろ。使い切れてない給金だってある」
黒田は呆れた。
安藤は相変わらず金銭感覚がおかしいというか、少し無頓着だ。
「しかし、温泉を掘った功績で一千万ヴァルクか」
「俺の土魔術も高くなったな」
「今さら気付いたのか」
王は笑った。
「さて」
「次は収穫の確認だろう?」
完全に読まれていた。
安藤は苦笑する。
「そのつもりです」
「早く行ってこい」
「結果を楽しみにしているぞ」
◇
三日後。
安藤、黒田、ロッティの三人は、王都郊外の開墾村へ向かっていた。
安藤が初めて土魔術を使った、かつて荒地だった場所だ。
黒田は懐かしそうに周囲を見回した。
「あれから半年くらいだよな」
「ああ」
安藤も頷く。
「だが随分と景色も変わった」
以前は石と雑草ばかりだった。
今は違う。
道がある。
畑がある。
家がある。
人もいる。
村へ入ると、すぐに村長が駆け寄ってきた。
「アンディ様!」
「クロダ様!」
「魔術師殿!」
後ろから農民たちも続く。
皆、顔が明るい。
「元気そうだな」
黒田が笑う。
「今年は違います」
村長は興奮を隠せなかった。
「ぜひ見てください」
◇
村の外れ。
なだらかな丘を登る。
秋の風が吹いていた。
そして、丘を越えた瞬間。
黒田が足を止める。
「おお……」
一面の黄金色だった。
麦。
麦。
どこまでも麦。
風が吹くたび、黄金の波が揺れる。
ロッティも思わず見入っていた。
「綺麗……」
誰もすぐには言葉が出なかった。
村長が誇らしそうに笑う。
「今年は豊作です」
その声には確信があった。
「アンディ殿の肥料……動物の骨粉を撒いた区画は特に凄い」
安藤は畑へ降りた。
穂を手に取る。
重い。
実が詰まっている。
骨粉を撒いた区画。
撒かなかった区画。
確かに違う。
「どうですか」
村長が聞いた。
安藤は少し考える。
「収穫してみないと正確な数字は出ない」
農民たちが顔を見合わせた。
そして笑う。
「いやいや」
村長は首を振る。
「もう分かります」
「今年は明らかに豊作です」
周囲の農民たちも頷く。
毎日見ているからだ。
土を。
空を。
麦を。
安藤は少しだけ笑った。
「そうか」
数字を見るのは自分の役目だ。
だが、畑を見るのは彼らの役目だった。
◇
昼になる。
「ぜひ昼食を食べていってください」
村長に案内され、一行は集会所へ向かった。
長机が並んでいる。
香ばしい匂いが漂っていた。
黒田の腹が鳴る。
「腹減ったな」
「朝から歩きっぱなしですから」
ロッティが笑った。
そこへ料理が運ばれてくる。
パン。
肉。
野菜。
そして、安藤は少し首を傾げた。
肉と野菜がパンに挟まれている。
黒田が先にかぶりつく。
一口。
二口。
そして即答した。
「うまいな」
安藤も食べる。
確かにうまい。
肉の旨味。
野菜の食感。
食べやすさも悪くない。
「ソースとの相性も悪くない」
黒田が言う。
村長が嬉しそうに笑った。
「作ったのは息子夫婦です」
「息子?」
「ヨハン!」
「アンナ!」
奥から若い夫婦が現れた。
二十代半ばくらい。
少し緊張している。
「ヨハン・ケラーです」
「妻のアンナです」
二人は頭を下げた。
安藤はもう一口食べる。
そして頷いた。
「うまい」
ヨハンが少し照れた。
「ありがとうございます」
「先日まで王都の料理店で働いていました」
村長が説明する。
「辞めて戻ってきたんです」
黒田が聞く。
「何で辞めたんだ?」
ヨハンは苦笑した。
「厨房で先輩と喧嘩しまして」
「賄いでこれを出したら殴られました」
「何でだよ」
「料理は皿に盛るものだそうです」
黒田は納得した。
「いるよな、そういう保守的な人」
安藤も苦笑する。
そして少し考えた。
「ただ……」
ヨハンが身を乗り出す。
「はい」
「肉は少し硬いな」
ヨハンは驚かなかった。
むしろ深く頷いた。
「そこなんです」
「子供や年寄りには食べにくい」
本人も理解していたらしい。
安藤はパンを置いた。
「挽肉は使わないのか」
ヨハンの目が変わる。
「使います」
「腸詰も作ります」
やはり料理人だった。
安藤は頷く。
「なら話は早い」
「肉を細かくし、平たく成型して焼く」
「腸には詰めない」
ヨハンは考え込む。
料理人の顔だった。
「平たくですか」
「ああ」
「それは面白いですね」
頭の中で何か組み立てているらしい。
安藤は笑った。
「王都で店を出す気はないのか」
ヨハンとアンナが同時に固まった。
「店……ですか」
「王都で?」
「そうだ」
安藤は頷く。
「お前の料理は売れると思う」
ヨハンは苦笑した。
「買い被りですよ」
「いや」
黒田が即答した。
「普通にうまいって」
アンナが少し嬉しそうに笑う。
だがすぐに現実へ戻る。
「私たちには資金がありません」
「店もありません」
「仕入れ先もありません」
安藤は肩をすくめた。
「金ならある」
黒田が吹き出す。
「言い方」
「事実だろ」
ヨハンとアンナは顔を見合わせていた。
まだ信じられないという顔だった。
店。
王都。
そんな言葉が現実味を帯び始めていた。
◇
その日の夕方。
一行は王都へ戻った。
収穫はまだ終わっていない。
だが十分だった。
結果は見えた。
村人たちの顔を見れば分かる。
今年は豊作になる。
誰も疑っていなかった。
王宮へ戻ると、アーデルが待っていた。
「アンディ」
「クロダ」
「少しいいか」
珍しく真面目な顔だった。
黒田が首を傾げる。
「どうした」
「グレタの件だ」
その言葉に黒田が反応する。
「何かあったのか」
「本人から聞け」
アーデルは短く言った。
その口調に、黒田は少しだけ表情を引き締めた。
◇
部屋にはグレタとエリーゼの姿があった。
ロッティも呼ばれていたらしく、少し落ち着かない様子で立っている。
グレタも珍しく緊張していた。
「何だよ」
黒田が聞く。
「そんな改まって」
グレタは深呼吸した。
そして。
「妊娠しました」
静寂。
数秒。
誰も動かない。
「え?」
黒田が言った。
「はい」
「え?」
「妊娠しました」
グレタは両手を強く握り締めていた。
黒田は固まった。
安藤も固まった。
「え?」
「何でお前まで驚いてるんだ」
安藤は首を振る。
「いや待て」
「おめでたい」
「それは分かる」
「だが待て」
黒田を見る。
「俺たち帰るんじゃなかったのか」
部屋が静かになった。
グレタの表情が少し曇る。
ロッティも視線を伏せた。
エリーゼも何も言わない。
その問題は誰も避けて通れない。
黒田はしばらく黙っていた。
そして、ゆっくりと口を開く。
「俺は帰らねぇぞ」
安藤を見る。
「アンディ」
その声は静かだった。
だが迷いはない。
「こっちで生きる」
グレタが息を呑む。
「クロダさん……」
黒田は頭を掻いた。
「正直、もっと格好良く言おうと思ってたんだけどな」
グレタの目に涙が浮かぶ。
「遅いです」
「遅すぎます」
そう言いながら笑った。
ロッティもほっとしたように微笑む。
エリーゼも小さく息を吐いた。
安藤はその様子を見ていた。
何も言わない。
窓の外を見る。
今日見た麦畑を思い出す。
黄金色の穂。
風。
豊作。
そして、新しい命。
安藤は小さく息を吐いた。
「豊作か」
誰に言うでもなく呟く。
黒田が振り向く。
「何がだよ」
「いや別に」
安藤は少しだけ笑った。




