第十二話 リッターシュタット
リッターシュタットは王国東部最大の軍事都市だった。
高い城壁。
整備された街路。
至る所に見える訓練場。
街へ入る前から、騎士たちの掛け声が聞こえてくる。
「すごいな」
黒田が周囲を見回した。
「騎士ばっかりだ」
「ヘルヴィッツ・リッターの駐屯地がありますから」
ロッティが答える。
「東部防衛の要です」
シャハトも頷いた。
「ヘルヴィッツ辺境伯家が率いる騎士団」
「王国最強との呼び声も高いです」
ロッティは少し誇らしげだった。
訓練場では騎士たちが槍を振るっている。
別の場所では弓兵が射撃訓練を行っていた。
規律正しい。
統率も取れている。
黒田はどこか満足そうだった。
「おまえ嬉しそうだな」
安藤が言う。
「俺は好きだな」
黒田は即答した。
「こういうの」
視線は訓練場へ向いている。
「強そうな集団を見るとワクワクする」
「子供か」
◇
出迎えたのはヘルヴィッツ辺境伯コンラートだった。
四十代半ば。
鍛え上げられた身体。
軍人らしい鋭い眼差し。
だが笑うと豪快だった。
「ようこそリッターシュタットへ」
コンラートは一行を迎える。
最初に前へ出たのはエリーゼだった。
「お招きいただきありがとうございます」
王女らしく一礼する。
コンラートも深々と頭を下げた。
「お元気になられたと聞いております」
「はい」
エリーゼは微笑んだ。
「皆様のおかげです」
その後。
コンラートの視線が安藤と黒田へ向く。
「異界の客人にも会いたかった」
「アンディ殿」
「クロダ殿」
黒田が嫌な予感を覚えた。
コンラートは笑う。
「数日前に噂の革球が届きましてな」
「やっぱり」
黒田が即答した。
「既に練習もしております」
「早いな」
「面白いものは試したくなる性分です」
軍人らしい答えだった。
◇
試合は翌日に決まった。
練習場へ向かった安藤たちは驚く。
「本気だな」
思わず呟いた。
観客席が作られている。
リッターシュタットの旗が並んでいる。
軍楽隊までいる。
領民も集まり始めていた。
「祭りじゃねぇか」
黒田が笑う。
その時だった。
ピーーーッ!
甲高い笛の音が響く。
全員が振り向く。
ロッティだった。
胸を張っている。
「それでは集合してください」
「試合前の説明を行います」
黒田が頭を抱えた。
「何やってんだ」
「審判です」
即答だった。
「誰が決めた」
「わたしです」
ロッティは当然のように答える。
「他に適任者がいません」
確かにいなかった。
全員が苦笑した。
「反則行為は禁止です」
「殴らない」
「剣を抜かない」
「魔術を使わない」
「当たり前だろ!」
黒田が叫ぶ。
周囲から笑いが起きた。
コンラートまで笑っている。
◇
観客席。
エリーゼは楽しそうに辺りを見回していた。
「すごい人ですね」
「きっと皆さん楽しみにしていたんですよ」
隣のグレタが答える。
その視線は時々黒田へ向いている。
エリーゼは気付いていた。
だが何も言わない。
少しだけ口元が緩む。
「始まりますね」
「はい」
二人は観客席からグラウンドを見つめた。
王国初の本格的な蹴球試合が始まろうとしていた。
◇
王都チームは黒田を起点に陣形を組んだ。
前線には黒田。
中盤には安藤。
右サイドにジーク。
左サイドにルーカス。
最後方にはキーパーのラルフ。
そして。
「本当に出るんですか」
シャハトが真顔で言った。
「出てくれ」
黒田が即答する。
「文官ですよ、わたし」
「知ってる」
「蹴球経験もありません」
「ほぼ全員そうだ」
シャハトはため息をついた。
安藤が笑う。
「まあ頑張れ」
「他人事ですね」
「他人事だからな」
その時。
ピーーーッ!
ロッティの笛が鳴った。
「位置についてください!」
誰よりも気合が入っていた。
◇
試合開始。
最初に球を蹴ったのはコンラートだった。
革球が転がる。
騎士たちが走る。
そして、一斉に集まった。
「団子だな」
安藤が呟く。
「団子状態ですね」
ジークも頷いた。
十人近くが球を追い掛けている。
観客席から歓声が上がった。
だが、黒田は慌てなかった。
球を奪う。
前へ運ぶ。
相手が来る。
横へ流す。
ジークが受ける。
「おっ」
黒田が少し驚いた。
足元が上手い。
ジークはそのまま安藤へ渡した。
「意外とやるな」
「器用だと言われます」
本人は平然としている。
安藤は受けた球を前方へ送った。
左サイド。
ルーカスが飛び出す。
「行け!」
「はい!」
若い騎士は全力だった。
誰よりも速い。
そして、誰よりも走る。
領主チームの騎士を抜き去り、そのまま深くまで駆け上がった。
観客席がどよめく。
「速い!」
「何だあれ!」
ルーカスは嬉しそうだった。
◇
領主チームも弱くない。
コンラートの指示は的確だった。
「戻れ!」
「右へ!」
「囲め!」
騎士たちが動く。
まだ少し粗い。
だが統率は取れていた。
球を奪われる。
そして、コンラートが振り抜いた。
強烈な一撃。
ゴールへ向かう。
「危ない!」
誰かが叫んだ。
だが、ラルフが飛んだ。
両手で弾く。
大きな歓声が上がった。
「ナイス!」
黒田が叫ぶ。
ラルフは胸を張る。
「当然だ」
得意げに鼻を鳴らした。
安藤は少し感心する。
なるほど、キーパー向きかもしれない。
ラルフが素早く立ち上がる。
前線へ向けて球を蹴った。
ジークからパスを受け、安藤が右サイドへ流れる。
そのまま球を中央へ蹴り上げた。
高く、遠く、綺麗な放物線を描く。
長身の黒田が走る。
飛ぶ。
競り勝つ。
頭を左へ振り抜き、強引にコースを変えた。
ドンッ!
球が網を揺らした。
一瞬の静寂。
そして歓声。
「入った!」
「頭だ!」
「頭で打ったぞ!」
黒田は拳を握った。
「よし!」
王都チームが一斉に駆け寄る。
ルーカスが真っ先に飛び付いてきた。
「決まりましたね!」
「おまえも、いい動きだったぞ」
黒田が笑う。
シャハトも遅れて駆け寄る。
「だから出たくなかったんです」
「何でだ」
「走るのが大変です」
観客席。
エリーゼが立ち上がった。
「やりました!」
隣のグレタの手を掴む。
グレタも興奮していた。
「やったぁ!」
二人は顔を見合わせる。
そして笑った。
まるで年頃の少女だった。
◇
ピーーーッ!
また笛が鳴る。
「反則です!」
ロッティだった。
黒田が振り返る。
領主側の騎士が黒田の腕を掴んでいた。
「何故です?」
「相手を捕まえただけですが」
「駄目です」
「何故です?」
「それ反則だからです」
周囲から笑いが起こる。
ロッティは真面目だった。
また走る。
また笛。
また走る。
また笛。
黒田が呆れた。
「お前が一番運動量多くない?」
ロッティは即答した。
「審判ですから!」
安藤が吹き出した。
シャハトまで笑っている。
本人だけは大真面目だった。
◇
後半に入る頃には、試合の様相が変わっていた。
最初の混乱は消えている。
領主チームは学習していた。
「左右を広く使え!」
コンラートの声が飛ぶ。
「一箇所に固まるな!」
騎士たちが左右へ散る。
空間が生まれる。
球が動く。
連携が生まれる。
黒田は少し驚いていた。
「対応早ぇな」
「さすが辺境伯といったところか」
安藤が答える。
コンラートは競技を見ているのではない。
構造を見ている。
どうすれば勝てるか。
どうすれば組織が機能するか。
その本質を理解し始めていた。
対する王都チーム。
ヴォルフラムは腕を組んだまま立っている。
試合が始まってから、一度もグラウンドへ入っていない。
「団長」
黒田が聞いた。
「やらないんですか」
「何をだ」
「試合」
ヴォルフラムは鼻で笑った。
「監督の方が面白い」
コンラートが聞き付けて笑う。
「同感ですな」
二人は視線を合わせる。
どこか楽しそうだった。
安藤は少し納得した。
この二人、たぶん気が合う。
◇
「右が空いている」
ヴォルフラムが言う。
黒田が振り向く。
「え?」
「右だ」
短い。
それだけだった。
だが、見れば本当に空いていた。
ジークが流れる。
球が渡る。
突破。
クロス。
惜しくも外れた。
黒田が呆れる。
「今ので分かるのか」
「見れば分かる」
当然のように答えた。
だが、領主チームも反撃する。
コンラートが前へ出た。
球を受ける。
そのまま振り抜いた。
強烈な一撃。
歓声が上がる。
今度こそ入った。
誰もがそう思った。
しかし、ラルフが飛ぶ。
横っ飛び。
指先が触れる。
球が逸れる。
「おおおおっ!」
観客席が沸いた。
黒田も叫ぶ。
「ナイスセーブ!」
ラルフは立ち上がる。
服は土まみれだった。
「何度でも防いでやるさ」
だが少し息が上がっている。
コンラートは苦笑した。
「厄介ですな」
その言葉には本気が混じっていた。
◇
試合はその後も続いた。
王都チームが追加点を重ねる。
黒田。
ジークのミドルシュート。
ルーカスの抜け出し。
若い騎士は最後まで走り続けた。
だが、点差ほどの実力差はなかった。
後半の内容はむしろ拮抗していた。
ラルフの好守がなければ失点していた場面も多い。
コンラートの適応も見事だった。
王都チームに一日の長があったのだ。
ただそれだけだった。
ピッピッピーーーーーッ!
ロッティの長い笛が鳴る。
試合終了。
四対零。
歓声と拍手が広場を包んだ。
勝った王都チームへ。
そして負けた領主チームへ。
同じだけの拍手が送られる。
ロッティは満足そうに頷いた。
「みなさん、お疲れ様でした」
「良い試合でした」
誰よりも審判らしい感想だった。
◇
試合後。
ヴォルフラムとコンラートは並んで立っていた。
「やはり面白い競技ですな」
コンラートが言う。
「ああ」
ヴォルフラムも頷いた。
「軍の運用に似ている」
「やはりそう思われますか」
コンラートは笑う。
「前だけでは勝てない」
「後ろだけでも勝てない」
「全員が役割を果たして初めて機能する」
「その通りだ」
しばらく沈黙。
そして、コンラートが肩をすくめた。
「しかし負けましたな」
「負けたな」
ヴォルフラムも認める。
「特にアンディ殿とクロダ殿は別格です」
コンラートは苦笑した。
「それにキーパーの男……」
「ラルフ殿の反応も見事だった」
視線の先。
ラルフが仲間に囲まれている。
黒田が何か言っている。
皆楽しそうだった。
コンラートは笑った。
「良い部下をお持ちだ」
ヴォルフラムは少しだけ口元を緩めた。
それは同意だった。
◇
その夜。
辺境伯城では盛大な宴席が開かれた。
肉が並ぶ。
酒が並ぶ。
昼間の試合の話題で持ち切りだった。
「頭で打ったのは何だったんです?」
「ヘディングだ」
「ヘディング」
騎士たちが何度も繰り返す。
新しい言葉だった。
黒田は笑った。
「見せようか」
そう言って立ち上がる。
広間の中央。
革球を足元へ置いた。
「まずこう」
軽く蹴る。
球が浮く。
右足。
左足。
膝。
肩。
また足。
落ちない。
「おお……」
騎士たちが息を呑む。
十回。
二十回。
三十回。
まだ落ちない。
「曲芸師か」
誰かが呟いた。
「慣れだよ」
「嘘ですな」
即座に否定された。
広間が笑いに包まれる。
「次!」
騎士たちが挑戦する。
一回。
失敗。
二回。
失敗。
三回。
失敗。
再び失敗。
「難しい!」
「何故落ちない!」
「魔術ではないのか!」
黒田は笑い続けた。
その中で、意外な人物が善戦していた。
ジークだった。
「おっ」
五回。
六回。
七回。
まだ続く。
「やるな」
黒田が感心する。
ジークは少し考えた。
「火球を扱う時と似ています」
「そうなのか?」
「分かりません」
本人もよく分かっていなかった。
周囲から笑いが起きる。
一方、シャハトは悲惨だった。
一回。
失敗。
一回。
失敗。
また失敗。
「待った」
シャハトが言う。
「これは文官に向かない競技です」
「競技のせいにするな」
安藤が即座に突っ込む。
広間が爆笑した。
◇
その後、楽師たちの演奏が始まった。
笛。
弦楽器。
太鼓。
昼間とは違う柔らかな音色。
領民たちが立ち上がる。
輪になって踊り始めた。
安藤は嫌な予感がした。
隣を見る。
黒田の目が輝いている。
「やっぱりな」
数分後。
黒田は輪の中央にいた。
騎士たちと肩を組む。
回る。
跳ぶ。
笑う。
誰より楽しそうだった。
最初は少し足をもつれさせた。
だが二周目には合わせる。
三周目にはもう遅れない。
楽師が面白がったように笛の調子を変える。
黒田も自然と歩調を変えた。
「何であいつ、もう馴染んでるんだ」
安藤が呆れる。
「本当に適応力が高いですね」
ロッティが笑う。
「コミュニケーション能力の化け物だからな」
安藤も苦笑した。
しばらくして曲が終わる。
拍手が起きた。
黒田は少し息を切らせながら戻ってくる。
「どうよ」
「何が」
「圧倒的ミュージカリティ」
「自分で言うな」
安藤は即座に突っ込んだ。
黒田は楽しそうに笑った。
◇
宴席の端。
エリーゼも笑っていた。
「楽しそうですね」
「はい」
グレタも頷く。
その視線はやはり黒田へ向いている。
エリーゼは気付いていた。
グレタが黒田を目で追っていることくらい、誰にでも分かる。
ただし、本人だけは気付いていなかった。
少しだけ口元を緩める。
「グレタ」
「はい?」
「頑張ってくださいね」
「何をです?」
エリーゼは答えない。
ただ微笑んだ。
グレタの顔が赤くなる。
◇
宴も終わりに近付いた頃。
コンラートが杯を持って近付いてきた。
「アンディ殿」
「クロダ殿」
「あれは楽しい競技ですな」
「そうですね」
安藤も黒田も頷く。
コンラートは少し考えた。
「領内で大会を開いてみたい」
「気が早いな」
「面白いものは広めるべきです」
軍人らしい答えだった。
その時、安藤が言った。
「そのうち王国内で大会とか出来るかも」
「大会?」
「各領地同士で戦うんです」
コンラートの目が輝く。
「それは面白い」
「そのうち他国ともやれるぞ」
黒田が言う。
「代表戦とか」
「代表戦……か」
コンラートはその言葉を繰り返した。
そして笑った。
「それは夢がありますな」
誰も否定しなかった。
今はまだ革球一つ。
ただの遊びだ。
だが、その遊びが王国を繋ぐかもしれない。
そんな気がした。
◇
翌朝。
一行は再び旅立つ。
次の目的地へ向かうために。
リッターシュタットの城壁が遠ざかる。
ロッティは窓の外を見ていた。
昨日の歓声を思い出す。
笑顔を思い出す。
平和だった。
王国は豊かになり始めている。
だからこそ、余暇を使い、人は遊ぶことができる。
そのことが少し嬉しかった。
だが、平和とはいつも、後になって気付くものだった。
まだ誰も知らない。
王国へ迫る嵐のことを。
この幸福な日々が永遠ではないことを。




