第十話 アイゼンブルク
翌朝。
安藤は、ほとんど眠れなかった。
以前なら毎晩の魔力供給が必要だった。
だが今は違う。
一晩空けても容体が急変することはない。
それでも念のため、王女用の天幕の隣に安藤の寝床が用意されていた。
昨夜も寝る前に治療は済ませている。
王女の容体は安定していた。
だが完治ではない。
巡幸に同行する理由としては十分だった。
天幕を出る。
朝靄の向こうで兵士たちが撤収作業をしていた。
火が消され、荷馬車へ荷が積まれる。
巡察隊は再び動き出そうとしていた。
黒田が欠伸をしながら近づいてくる。
「おはよう」
「おう」
「夜盗とか出なかったな」
「この人数見て襲ってくるなら馬鹿だろ」
声の主はラルフだった。
槍を肩へ担いでいる。
「夜盗だって命は惜しい」
「それもそうか」
黒田は納得した。
遠くではルーカスが馬へ水を与えている。
若いが働き者だった。
ほどなくして隊列が整う。
巡察隊は再び北東へ向けて進み始めた。
◇
昼過ぎ。
巨大な城壁が見えてきた。
黒い煙。
鉄を打つ音。
高い見張り塔。
鉱山都市アイゼンブルクだった。
「すげぇ……」
黒田は思わず呟いた。
王都とは違い、空気そのものが労働の匂いだった。
鉄。
石炭。
汗。
油。
男たちの怒鳴り声。
王国の工業地帯。
それがアイゼンブルクだった。
城門前では領主自らが出迎えていた。
大柄な男だった。
腹も出ている。
髭も立派だ。
だが目だけは鋭かった。
「ようこそアイゼンブルクへ。辺境の町ゆえ、何もございませんがな」
オットー・フォン・グライフェン。
王国北東部を治める辺境伯である。
「王女殿下」
オットーは頭を下げた。
「ご回復されたと聞きました」
「ありがとうございます」
エリーゼも微笑む。
オットーは満足そうに頷いた。
そして、黒髪の二人へ視線を向けた。
「こちらが噂の、異界より来られた客人ですな」
安藤と黒田。
「国王陛下から話は聞いております」
「王国を救った英雄とか」
「いや、そんな大したもんじゃ」
安藤が苦笑する。
するとオットーは黒田を見た。
「しかし客人と言われても」
「そちらの大男は兵士にしか見えませんな」
「最近はそっちの仕事の方が多いですかね」
黒田は笑った。
「だが腕は立ちます」
ヴォルフラムが短く言った。
オットーはそこで改めてヴォルフラムへ目を向けた。
「お久しゅうございます。グライフェン卿」
オットーは目を見開いた。
「……お前、まだ生きておったか」
「昔は勝手に坑道へ入り込んでは、顔を真っ黒にしておった小僧が、今や騎士団長か」
「子供の頃の話です」
珍しくヴォルフラムが苦い顔をした。
「工夫たちに見つかるたび怒鳴られておったな」
「危険でしたから」
「それでも翌日にはまた坑道へ潜り込む」
「元気だけはあった」
◇
到着後、一行はそのまま鉱山へ向かった。
坑道は暗かった。
湿気がある。
空気も悪い。
頭上には無数の坑木。
木材で支えられている。
「崩落防止だ」
鉱山監督が言った。
「木材代が馬鹿にならん」
安藤は見上げた。
「維持が大変なんだな」
「掘る方が楽だ」
監督は苦笑した。
「本当に大変なのは崩れないようにすることだ」
安藤は頷いた。
土木と同じだった。
さらに奥へ進むと、坑夫たちが働いている。
中には首輪を付けた男たちもいた。
黒田が眉をひそめる。
「奴隷か」
「犯罪奴隷ですな。衣食住は保障されている」
ジークが答えた。
「戦争奴隷もおります。皆殺しを避けるため、救済措置として」
「なんか嫌な制度だな」
黒田が言う。
ジークは反論した。
「理想は分かります」
「ですが鉱山労働者は毎年死ぬ」
「志願者だけで回ると思いますか」
「それでも――」
黒田が言いかける。
安藤が口を開いた。
「俺も好きじゃない」
全員が安藤を見る。
「だが」
安藤は続けた。
「文化や慣習は簡単に否定するもんじゃない」
「欠陥のある制度なら改善を提案する」
「それでも、自分たちの価値観だけで正義を押し付けるのは違う」
坑道の奥を見る。
「俺たちの世界だってそうだ」
「文明化とか民主化とか」
「立派な言葉を掲げながら他国へ介入した例はいくらでもある」
ジークは黙って聞いていた。
「制度を変えたいなら代案を出せ」
「そして根気強く説得にあたるべきだ」
安藤はそう言った。
黒田は黙った。
納得したわけではない。
だが答えも持っていなかった。
◇
午後。
黒田が坑道の入口に立っていた。
「おい、見てろよ」
そう言って杖をかざす。
風が吹いた。
坑道の奥へ向かって空気が流れていく。
鉱夫たちが目を丸くした。
「涼しい!」
「空気が違うぞ!」
「おお……」
黒田は少し得意そうな顔をした。
「俺だって、あれから練習してたんだ」
召喚直後。
安藤が土魔術を使いこなしていく横で、黒田も風魔術の訓練を続けていた。
だが才能と魔力量が違う。
黒田に出来るのは、せいぜい風を起こす程度だった。
それでも全くの無能ではない。
坑道の換気には十分役立った。
鉱夫たちが歓声を上げる。
だが十分後。
「もう無理だ……」
黒田は膝をついた。
「死ぬ……」
「早いな」
安藤が言う。
「お前よく持続できるな」
「俺なら三日くらいできる」
「化け物かよ」
黒田は地面へ転がった。
◇
夜。
晩餐会。
大皿料理が並んでいた。
ソーセージ。
芋料理。
ザワークラウト風の漬物。
そして、木製の巨大なジョッキ。
黒田が一口飲む。
「うまっ」
思わず言った。
「日本のラガーはもっと軽かった」
もう一口。
「これは冷えてないけど味が濃いな」
「パンみたいな感じがする」
「パンですか?」
ロッティが首を傾げる。
「分かるかもしれません」
グレタが頷いた。
「麦の香りが強いですから」
「なるほど」
黒田はもう一口飲んだ。
濃厚な苦味。
香ばしい後味。
確かに旨かった。
「それがエールです」
オットーは豪快に笑った。
◇
「病が治ったのなら安心した」
オットーが言う。
「ならば次は婿探しですな」
嫌な予感がした。
「うちの倅などいかがですかな?」
パチン。
指が鳴る。
扉が開く。
ぞろぞろ。
ぞろぞろ。
ぞろぞろ。
まだ来る。
まだ来る。
まだ来る。
安藤は数えるのをやめた。
「何人いるんだ……?」
「十八人ですな」
オットーは胸を張った。
「なんか増えてますね」
グレタが呟いた。
「増えたんですか?」
安藤が聞く。
「前に来た時は十五人でした」
グレタが答える。
「あれから三人増えておりますな」
オットーは誇らしげだった。
黒田が最後尾を見る。
坊主頭の小さな少年。
五歳くらいだ。
「いや待て」
「まだ坊主頭のガキまでいるぞ」
「あの子は末息子です」
「さすがに並べるなよ!」
「候補は多い方が良いでしょう」
「そういう問題じゃねぇ!」
オットーは真面目な顔で言った。
「顔なら三男」
「はい父上」
「学問なら四男」
「はい父上」
「酒なら六男」
「はい父上」
「優しさなら八男」
「はい父上」
「負けん気なら十一男」
「はい父上」
「喧嘩だけは誰にも負けません」
黒田が思わず呟く。
「通販番組かよ」
安藤が吹き出した。
ロッティもつられて笑った。
「エリーゼ殿下、いかがですかな?」
「お気持ちだけ頂いておきます」
オットーは諦めなかった。
「では順番に挨拶だけでも」
エリーゼは困ったように微笑んだ。
◇
翌日。
安藤は鉱山近くの丘へ来ていた。
地面を見て首を傾げる。
「どうしました?」
ロッティが聞く。
「いや」
「なんか地下水おかしくないか?」
安藤は足元の土を掬った。
「おかしい?」
「この辺だけ妙に暖かい」
オットーもやって来た。
「昔から暖かい水が出る場所はありますな」
「ふーん」
安藤はしばらく地面を見つめた。
やがて杖を突く。
「ちょっと掘ってみるか」
地面が震えた。
土が沈む。
岩盤が砕ける。
一本の縦穴が、もの凄い勢いで地下へ伸びていった。
「おお……」
オットーが目を見開く。
さらに掘る。
まだ掘る。
さらに掘る。
黒田が呆れた顔になった。
「おい」
「どこまで掘る気だ」
「まだだ」
安藤は首を振った。
「さすがに井戸を掘るのとは違う」
「今さらだけど」
黒田が聞く。
「お前、本当に何を探してるんだ?」
「温泉」
「温泉?」
「暖かい地下水」
「そんなもん掘って分かるのか?」
「たぶん」
「たぶんで始めるな」
ロッティが小さくため息をつく。
「雑ですね」
「本当に雑だな」
黒田も同意した。
その時だった。
地の底から低い唸り声が響く。
ゴゴゴゴゴ……
「アンディさん?」
ロッティが顔を上げる。
次の瞬間。
轟音。
熱い湯が空へ向かって噴き上がった。
白い湯気が立ち昇る。
全員が固まった。
オットーが口を開く。
「……」
「……」
「温泉ですな?」
安藤は首を傾げた。
「たぶん」
黒田が噴き上がる湯を見上げる。
「……出たのか?」
「出たみたいだ」
「みたいだじゃねぇよ」
「温泉掘るって言って本当に温泉出す奴初めて見たぞ」
「俺も初めて掘った」
「おまえまたやらかしたのか」
オットーが我に返った。
「温泉だ!」
「温泉ですぞ!」
「宿屋が作れる!」
「湯治客も呼べる!」
「エールが売れる!」
「税収も増える!」
「国王陛下、万歳!」
「おおおおおおおおおっ!」
こうして、アイゼンブルクに新たな名物が一つ増えたのである。




