第九話 王女出立
王都グランツハイムは、朝から慌ただしかった。
王城正門前には騎士たちが整列し、荷馬車へ物資が積み込まれている。
王女エリーゼ・フォン・ヴァルデンによる巡幸の日だった。
ルドルフ四世の名代として王国内を巡り、有力諸侯との会談、街道整備計画の視察、ヴァルク紙幣の交付、教育政策の説明などを行う。
本来であれば王太子たるマティアスが担うべき役目でもあった。
「本来なら余が行くべきなのだ」
マティアスは不満そうに言った。
「だが、王太子が王都を離れるなと、父上にも止められた」
「当然であろう」
ルドルフ四世は笑う。
「お前が人質にでもなったら面倒だからな」
「笑い事ではありません」
「余も同行したい」
「却下だ」
王は即答した。
「父上!」
「王太子が地方で襲われれば、王国そのものが揺らぐ」
そして隣のエリーゼを見る。
「だがエリーゼは行く」
「アンディがおるからな」
安藤は苦笑した。
王女の病状は大幅に改善している。
だが完治したわけではない。
魔力供給を兼ねた治療は、まだ継続中だった。
「アンディ」
王は真面目な顔になる。
「エリーゼのことを頼むぞ」
「分かりました」
安藤は頷いた。
「必ず無事に連れ帰ります」
「それでは、お父様」
エリーゼは静かに一礼した。
「行ってまいります」
隣では侍女のマルガレーテ・ヴァイス――通称グレタも頭を下げている。
「うむ」
ルドルフ四世は頷く。
「今の元気な顔を、諸侯らにも見せてやれ」
「はい」
王女は微笑んだ。
「マティも、お留守番をお願いしますね」
「姉上! だから……留守番ではない」
マティアスが不満そうに言う。
その様子に、周囲から小さな笑いが漏れた。
◇
出発直前の王宮中庭。
「ユウマ・アンドウ」
ルドルフ四世が呼ぶ。
「はい、陛下」
「本日付で、お前を王領管理局付王国特務顧問官へ任命する」
周囲がざわついた。
「いつまでも客人では、諸侯も扱いに困ろう」
王は笑う。
財務大臣ハインリヒが眉をひそめた。
「まさか爵位もない異界人へ軍権や徴税権を与えるのですか」
「与えぬ」
ルドルフ四世は即答した。
「だが王国特務顧問官としてなら問題あるまい」
魔術師長のアーデルが酒瓶片手に呟く。
「便利な肩書きだな」
「便利屋、全部乗せみたいですね」
黒田も頷く。
「絶対これ仕事増えるやつだろ」
「間違いなく増えるな」
アーデルが笑った。
◇
遠征隊は王都を出た。
先頭ではヴォルフラム・アイゼン率いる騎士たちが周囲を警戒している。
黒田も騎乗していた。
その後方には、同じ巡察隊のラルフ・ディートリヒとルーカス・ベルナーの姿もある。
王女エリーゼと侍女グレタが乗る馬車、王都の文官や魔術師が乗る馬車、便乗して同行する商隊の馬車、荷馬車数台が列を作る。
前後左右を騎兵を中心に護衛し、街道を進んで行く。
黒田は前を行くヴォルフラムの背中を見た。
騎士団長。
王国屈指の剣士。
黒田はこれまで何度も模擬戦を挑んだ。
だが、一度として勝ったことがない。
今回の巡幸では、護衛部隊の指揮も、遠征全体の安全管理も、すべて彼に任されている。
「まず最初に向かうのはアイゼンブルクだ」
出立前、ヴォルフラムは皆にそう説明していた。
「私の姓の由来になった街でもある」
「そこの出身なんですか?」
黒田が聞いた。
「ああ」
「俺は鉱山夫の次男だった」
「今の団長から想像つかねぇな……」
◇
馬車はゆっくり揺れていた。
安藤、ロッティ、シャハト、ジークフリート・バウアーの四名が乗っている。
「ヴァルク紙幣の流通は順調です」
シャハトが羊皮紙を見ながら言った。
「税として納められる以上、価値を認めざるを得ませんからね」
「問題は、その後だな」
安藤は腕を組む。
「何が足りないんです?」
ロッティが聞く。
「ヴァルク紙幣は流通し始めている」
「だが、それだけでは足りない」
「まず統計だ」
安藤は即答した。
「正確な人口が分からない」
「生産量も物流も把握できていない」
「物価上昇率や失業者の概念自体ない」
「王国全体が霧の中だ」
シャハトは深く頷く。
「まさに、その通りです」
ロッティも真剣な顔になる。
だが、ジークフリートだけは納得できなかった。
「失礼ですがアンディ殿」
火属性魔術師は口を開く。
「あなたの話す内容は、土魔術師のものに聞こえません」
安藤が笑った。
「では土魔術師として答えましょう」
◇
「あなたが土魔術で出来ることは?」
ジークが聞く。
「整地」
「排水」
「盛土」
「掘削」
「地盤改良」
「農地造成」
「採石補助」
ジークは眉をひそめた。
「やはり地味ですな」
「土木工事なんて本来は地味なものだよ」
安藤は肩を竦める。
「城壁や塔は作れないんですか?」
「基礎工事までは出来る」
「一番地味なところでは」
「そこが一番大事なんだよ」
安藤は笑う。
「石を切る職人も要る」
「木材も要る」
「運ぶ人間も要る」
「俺がやってるのは重機で地面を均してるのに近い」
「何もない場所から巨大な城壁が生えてきたら、もう土木じゃなくて神話だろ」
ロッティが吹き出した。
何が可笑しいのか。
ジークは横目でロッティを見る。
シャルロット・アイヒナー。
宮廷魔術院で最も有名な若手魔術師。
そして、かの高名なアーデルハイト・フォン・シュネーベルクが、唯一弟子にした女だった。
同じ宮廷魔術院の上席でありながら、ジークは一度も弟子へ選ばれなかった。
◇
昼過ぎ。
遠征隊は停止した。
街道の一部が崩落していたのだ。
これでは騎兵はともかく、荷馬車は通れない。
「迂回ですな」
ジークが言う。
「二日は余計に掛かりますぞ」
ヴォルフラムも頷いた。
「アンディ、出番だぞ」
黒田が馬車に顔を出す。
「ああ」
安藤は馬車を降り、崩れた斜面を見上げた。
荷袋から杖を取り出す。
「これくらいなら」
ジークが首を傾げた。
「これくらい?」
次の瞬間だった。
地面が震えた。
轟音。
崩落土砂が左右へ流れる。
沈む場所。
盛り上がる場所。
削られる斜面。
均される街道。
巨大な見えない重機が大地を動かしているようだった。
騎士たちが言葉を失う。
荷馬車商人たちも呆然としていた。
数分後。
そこには新しい街道が完成していた。
沈黙。
やがてジークが口を開く。
「……終わりですか?」
「終わりだけど」
「いや、終わりだけどではなく!」
火属性魔術師が叫んだ。
「今の何ですか!」
「土魔術」
「土魔術ですな」
「土魔術だよな」
「土魔術ですね」
安藤、シャハト、ロッティが頷く。
「違います!」
ジークが叫ぶ。
「土魔術で街道一本作る魔術師など、わたしは聞いたことがありません!」
その横で、ロッティが腕を組んでいた。
なぜか誇らしげだった。
「だから申し上げたでしょう」
「アンディさんは規格外です」
「お前が偉そうに言うな」
「わたしが最初に発見しました」
「発見したって何だよ」
「事実です」
ロッティは堂々としていた。
ジークは完成した街道を見つめる。
言葉が出なかった。
火魔術は敵を焼く。
水魔術は傷を癒やす。
風魔術は敵を切り裂く。
だが、目の前の男は違う。
道を作る。
畑を作る。
街を作る。
そして王国を変える。
「……先ほどの評価は撤回します」
ジークは静かに言った。
「確かにこれは」
完成した街道を見つめる。
「国家を動かす魔術です」
遠征隊は再び動き出した。
北東部グライフェン辺境伯領、鉱山都市アイゼンブルクへ向けて。
王女巡幸の始まりであった。




