〈39〉
出立は午後になった。
「お気をつけていってらっしゃいませ」
ハング伯爵家の侍女長を先頭に数人の使用人が見送りに出てきていた。
エリックが「うむ。後のことは頼む。繰り返すが、くれぐれもハングのプライベートエリアには近づかないように…近衛とリンダに任せてくれ。彼等はそれなりに訓練されている」と伝えると
「かしこまりました。お気遣い誠にありがとうございます」と侍女長は深く頭を下げた。
エリックの「では!参る!」のかけ声で、ジル小隊の護衛を引き連れて商隊は街道に向けて出立した。
ガイナ伯爵領の最後の宿場町を視察して、その日の夕方にはアルシェッタ領に入った。
ガイナ伯爵領から続く山間を縫うように街道を進み尾根を超えたところに最初の宿場町があった。
宿場町の一角に展望台があり、眼下に遥か彼方に続く街道が見える。街道の両脇には畑や果樹園が広がっていて、その間に集落が点在している。
一行は一度そこで歩みを止めて眼下に広がる夕陽に染まる景色を眺めていた。
クロエは眩しそうに自領を見ている。
エリックが声をかけてきた「アルシェッタ領は豊かだな…きっと皆笑顔なのだろう」
「それならば良いのですが…そうあって欲しいと思います」
「うん?街道から少し離れたところ…植え込みがある道が、街道の両側に走っているが、あれはなんだ?」
「あれは、我が領地内の裏の街道です。諍いの多い所でしたので、馬で移動する者が多く、上り専用と下り専用に分けました。この宿場町まで続いています」
「なるほど…そうすれば事故も減るな…」
「そうなんです。土地柄気の荒い者が多いもので…領内での諍いは避けたくて、祖父と父が領民の協力を得て整備しました」
エリックとクロエの後ろでは、マックスと諸侯が地図にメモを書き留めていた。
「しかし、果樹園に行くには横断せねばなるまい?危なくないのか?」
「そうなんです…苦肉の策で植え込みを低くしました。お互いが良く見えるように…他にもっと良い案があればと思っているのですが…」
マックスはじっと地図と裏街道を見比べていた。
「陸の橋…なんてどうでしょうか?」
「陸の橋…ですか?」クロエは不思議そうな顔でマックスを見る。
「川を渡る橋があるので、陸を渡る橋があっても良いのではないかと思ったのです。収穫期の横断の問題は残りますが…」マックスは地図を見ながら呟いている。
「なるほど…これも検討案件に入りませんか?旅人が果樹園を見学するのも楽しいかもしれませんな」とハドソン侯爵が提案すると、
諸侯も「いい考えかもしれませんね…一度検討する価値はあるかもしれません」とクロエに視線を向ける。
クロエも「…確かに、そうかも知れませんね!ありがとうございます。是非検討します!」と笑って自分の地図にメモを書き留めた。
エリックは「ふふ、なんだか、旅が楽しい街道になりそうだな…うんうん」と嬉しそうに自分で納得していた。
アルシェッタ領の最初の宿場町から国境までクロエはエリックや諸侯の助言を得て尚良い街道敷設の構想を組み立てて地図に書き込み、諸侯と情報を共有していった。
アルシェッタ領に入って5日目、一行はやっと国境に辿り着いた。
「ここが国境ですか…」
草地が広がり、国境とされる低い石垣が左右に伸びている。石垣の切れ目に向かって隣国への細い道が続いていた。所々で牛が草を食んでいる。それ以外は何もない。
「はい。長く緊張状態が続いていたので、このあたりは開発が遅れています。結果的に良い牧草地になってはいるのですが…一番最初にここの街道を整備しなくてはいけないと思っています。今は馬車が一台通れるほどの道幅しかないので…」
エリックが周りを見回して「ここが国境か…そうか。あの石垣からは隣国なのだな…今更ながら国境を守る大変さを知ったよ…」と眉を下げる。
そして「このあたりに税関事務所を設置するのは可能かな?」とクロエに聞いた。
クロエは「はい、国境沿いは家畜しかいませんので、都合の良いところで設置可能です。少し後ろには第一砦もあります。平和になれば砦の必要性は下がりますから…」と斜め後方を見た。
小さく石造りの建物が見えている。
「あれが砦か…」
「はい。今夜はあちらでおやすみいただきます。ちゃんとした部屋もあるんですよ」とクロエはお茶目に笑った。
「これで旅も終わりなんですな…」とハドソン侯爵が少し残念そうに言うと
「確かに旅は終わりますが、我々の仕事はこれからですよ…これからもよろしくお願いします」とアイルナ伯爵がハドソン侯爵に微笑んだ。
「残念ながらまだ旅は終わってないぞ!我らが共有する地図を完成してやっと旅が終わるんだ。そして、次の仕事が始まる…先は長いぞ…皆よろしく頼むよ」とエリックもお茶目に笑った。
皆も「そうですね!それが残っていました…隣国から連絡が来る前に完成させましょう!」
「確かに、たくさんの書き込みがありますからな…なかなかの作業ですね」
「さぁ、もうひと頑張りしますか!」など口々に話して笑っていた。




